第五章 森の底

第一話 オール・ディエンまでの道のり

 ルキエーの森を流れる川を遡った先に、オール・ディエンと呼ばれる場所がある。

 オールというのはルキエーの言葉で「森」の意味だ。ディエンは「下」か「奥」あるいは「深い」──それとも「底」──ラーロウはカップの底を指差して説明してくれた。

 それから、口を開けてその奥を指差し、それから喉を指差した。それも「ディエン」らしいけれど、ますますわからない。


 オール・ディエンには水がたくさんあるという説明は、それに比べたらとてもわかりやすい。

 川を遡った先にあって、水がたくさんある──水源になっている何かがあるのだろうか、と想像した。


 オール・ディエンの先は、ルキエーの外。その先にトウム・ウル・ネイがある、あるいはいるらしい。

 トウム・ウル・ネイには、ドラゴンはいない。でも、ドラゴンに似た何かがいる。

 この辺りは伝聞ばかりで、わからないことだらけだ。


 ラーロウは、オール・ディエンまで案内してくれるつもりみたいだった。ラーロウに頼ってばかりだったけれど、ラーロウの言葉を真似てルキエーの言葉も少しは話せるようになった。

 とは言っても、食べ物の名前に随分と偏っているような気がする。

 そういえば「ニャアダ」という言葉も覚えた。ニャアダというのは、オージャ語の「トゥットゥ」に近い。軽い同意や相槌。どうりで、よく聞くわけだ。


 ルキエーの森ルキエー・オールは、何層にもなった森だ。

 森のある地面の下に大きな洞窟が広がり、その中も森になっている。そのさらに下にも。

 上下に広がった森がどこにどう繋がっているのか、まるでわからない。ラーロウは身軽に案内してくれるけれど、はぐれたらこの森から一生出られないような気がしてくる。




 シルは変わらず、青と黄色の花の森の飾りオール・アクィトを髪に結んでいる。

 といっても、シルが一人でそれを結べないのも相変わらずで、俺は毎朝シルの髪を梳かして──木で作られた櫛もルキエーで買ったものだ──森の飾りオール・アクィトを髪に結んでいる。


 オール・ディエンへの道中で、シルの髪に結ばれた森の飾りオール・アクィトが一つ増えた。

 途中に立ち寄った村で、指で糸を編むやり方を教えてもらったのだ。


 好奇心旺盛だけど不器用なシルはちょっと手を動かしたけれど全然できなかった。それですぐに飽きてしまった。

 シルが諦めたそれを引き取って見様見真似で少し手を動かしてみたら、周りで見ていた人に口々に「良いイーニャ」と言われて、俺はちょっと調子に乗ってしまった。

 自分で編むのは飽きてしまったシルだけれど、俺が編んでいる間は、俺の指先をじっと見ていた。それで、シルにまで「すごい」と言われた。

 自分で見ても拙いとわかる出来だけれど、そうやって褒められると悪い気はしない。思いがけず、集中して取り組んでしまった。


 緑の糸を使って、時折葉っぱの形を作りながら長く編み上げた紐は、蔦のようになった。使ったのは緑色の糸だけで、街で買ったものみたいなきらきら輝く飾りは何も付いていない、すごく地味な出来上がりだった。

 それでもシルは、出来上がったそれを欲しがった。それで今は、キラキラした花の隣に、俺が編んだ少し不恰好で地味な蔦が絡んでいる。




 俺が身に着けている森の飾りオール・アクィトも増えた。

 シルと旅をするようになって、どのくらい経ったか、数えてないのでもうわからなくなってしまったけれど、気付けば髪の毛が邪魔になってきていた。

 特に前髪が邪魔でうっとうしい。


 手首に巻いていた森の飾りオール・アクィトで邪魔な前髪を結んでいたら、ラーロウが髪に結びやすいものを二つ用意してくれた。

 今はそのうちの一つ──動物の角を削った飾りが付いた革紐で、前髪を左耳の上らへんで結んで止めている。

 いずれ、後ろ髪も結んでまとめることになりそうだ。




 そんなふうに何日も森を歩いて、いくつかの町や村を通り過ぎて、辿り着いたオール・ディエンは地底湖だった。




 広い洞窟の中に、大きな湖。湖岸を歩いて向こう岸に行くのに、一日以上かかるそうだ。ぐるりと廻るのに三日──いや、ずっと歩き続けることはできないから、四日はかかるだろうか。

 滑らかで静かな水面は、洞窟の天井から差し込む光の帯をいくつも受けて、輝いている。その湖面の向こうに、向こう岸が霞んで見える。


 この、大きな地底湖がオール・ディエン。ルキエーの人たちにとっての、森の深いところ。

 オール・ディエンはとても深く、沈めば戻ってくることができないと言われた。その話を聞いて、底が見えないまま落ちてゆく想像をして、体がひゅっと縮む。

 シルは好奇心を発揮して近くに行きたそうにしていたけれど、俺は底の見えなさが怖くて、シルの手を強く握った。


「すごく深いらしいから、落ちないように気を付けて。近くに行くのは危ないかも」


 シルの手をしっかりと握ってそう言えば、シルも俺の手をしっかりと握り返して、真面目な顔で頷いた。


「わかった。ユーヤが落ちてもわたしが助けるから、大丈夫」


 その気持ちはありがたい。でも、落ちるのは俺の方か。

 なんだか俺の心配は通じていないような気がした。そもそも、シルは泳げるのだろうか。

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