第四話 挽肉、キノコ、芋、白身魚、穀物、そしてティリ

 相席になったおじいさんは、言葉の通じないシルと、カタコトの俺を気にかけてくれた。注文に迷っていたら、代わりにいくつかのメニューを伝えてくれる。

 雰囲気で頼むしかできないので、正直助かった。ありがとうハリストゥと伝えると、おじいさんは欠けた歯が見えるほどに口を開けて笑った。

 そうしているうちに、酒──アルコールのにおいがするし、おじいさんが飲んでいるものと同じみたいなので、多分──が二つ運ばれてきて、俺とシルの前に置かれる。

 慌てて駄目リフいいえオィを繰り返す俺を見て、おじいさんはまた笑って、俺とシルの前からグラスを取り上げて自分の前に置いた。


 シルは当然、お酒を飲んだことがないと思う。俺も、これまで飲んだことはなかった。

 多分、これまでの生活とは常識が違うのだろうから、飲んでも問題ないんだとは思うけど、それでも今はまだ不安の方が大きい。

 ここはまだ知らない世界で、何かあっても何もできない。お酒を飲んで、酔っ払ったり気分が悪くなったりした時にだって、どうしたら良いのかわからない。

 シルだって、お酒を飲んで大丈夫なのかわからないし、試す気にはなれない。

 だからなんとなく、お酒はまだ飲めないままだ。今のところは。


 お店の人にネーロと伝えたら、変な顔をされた。

 おじいさんが何かを言ってくるけど、俺はその言葉がなかなかわからない。何度も「え?」「何?ゼレ」と聞き返して、何度も説明してもらって、少しだけわかった。

 どうやら、わざわざ水を注文する人は珍しいらしい、多分。


「ユーヤ、あれ、飲んじゃ駄目なの? 何?」


 シルが、おじいさんが持っていったお酒に興味を示してしまう。


「あれは、お酒で……アルコールが含まれる飲み物で、アルコールは場合によっては体にあまり良くないから」

「みんな飲んでるけど」

「飲むにしても、もうちょっと落ち着いたところでね。少しだけ飲んで、大丈夫かどうか確認してからじゃないと」


 なんとなく、シルが納得していないのはわかった。

 おじいさんが面白がるような顔で、お酒のグラスを差し出してこようとするので、慌てて「いいえオィ」「駄目リフ」を繰り返して引っ込めてもらう。


 そんな時に料理が運ばれてきて、シルの気がそちらに逸れた。俺はほっと息を吐く。




 ベールデーマというのが、その料理の名前らしい。

 挽肉っぽいものと、キノコっぽいもの、それからじゃが芋に似た感じの野菜が焼かれて──もしかしたら、炒められているのかもしれない。それらに、チーズっぽいものティリが絡んでいる。

 熱せられたティリと肉のにおいが鼻をくすぐって、食欲を刺激される。


 ころころとした一口大のキノコをフォークに刺して、とろりと溶けたティリを絡めて食べる。ティリは周囲の挽肉も巻き込んで、持ち上げればとろりと皿に零れ落ちる。

 口に入れれば、ティリの濃厚な味、絡んだ肉汁、そしてキノコからじんわり滲み出る旨味。ティリの味わいはとても贅沢な感じがして、とても美味しかった。

 船の上ではロクに食べられず、さっき食べたのももそりとした焼き菓子──不味くはなかったけれど。そんな今の俺には、熱々のティリと肉の濃い味わいが特に美味しく感じられた。

 シルは芋らしきものの食感が気に入ったらしく、それをフォークに刺して、とろりとしたティリを絡めては口に運んで、はふはふと飲み込んでいる。

 口の端からティリが糸を引いて落ちていて、思わず手を伸ばす。俺の指がそれに届くよりも先に、シルが自分の指で拭って、舌を出してそれを舐めた。

 伸ばしかけた手を引っ込めたところで笑い声がして振り向くと、おじいさんがテーブルの向こうから、目を細めて俺とシルを見比べていた。俺は急に恥ずかしくなって、いたたまれずに、目を伏せて、フォークでキノコを刺し貫いた。




 次に運ばれてきた料理にも、ティリが使われていた。ティナート、という名前の料理らしい。

 上に乗せたティリがとろりと溶けて、スープと混ざり合っている。スープの中には、つぶつぶと小さな丸い粒状のもの──多分穀物っぽいものがたっぷりと入って、スープを吸い込んでいる。具は、どうやら魚らしい。

 海が近いからか、船に乗る前も魚はよく見かける食材だった。切り身にして、ソテーっぽくして、ソースをかける食べ方をよく見かけた。魚のスープも。

 この、ティナートというのは、その魚のスープに穀物を入れてティリをかけたもの、のように見える。


 大きめの器にたっぷりと盛られたそれを、スプーンですくって口に入れる。

 出汁とは違う。それでも、ああ、魚だ、なんて思う。

 魚のスープを口にすると、魚介類というだけで出汁の風味を思い出してしまう。自分が出汁の味に馴染んでいたということに、この世界で初めて気付いた。

 舌の上をつぶつぶとした食感が転がって、スープの味をばらまいて通ってゆく。時折その中に、白身魚の柔らかな身がほろほろとほぐれて紛れている。

 噛み締めると、口の中いっぱいに溢れ出すスープ。そして、とろとろになったティリがそれらを包んで溶け合って喉の奥に流れてゆく。

 ちらりとシルを見ると、瞳孔を膨らませて黙々とスプーンを動かしていた。


 結構な量が盛られていたはずだけど、夢中で食べている間に、気付けば器は空になっていた。

 シルも同じように食べ終わって、どこかぼんやりとした瞳で、ほう、と息を洩らす。


「美味しかった」


 シルの言葉に、俺も心からの同意を込めて頷いた。




 相席のおじいさんが、お酒のグラスを全部空にして、立ち上がった。店の人にお金をいくらか渡すと、俺とシルに手の甲を向ける。


ありがとうハリストゥ


 俺の言葉に、おじいさんはまた声を上げて笑った。次に言った言葉は早口で聞こえなかったけれど、最後に恋人アメティと言ったのだけは聞き取れた。

 シルの方を見る。俺と目が合ったシルは首を傾けた。俺は落ち着かずに、また胸元の涙の石カルコ・メ・ラクを指先で触ってしまった。

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