第五話 言葉によるコミュニケーションについて

 ドラゴンの姿になったシルには、大きな羽がある。その羽で空を飛べるのだと言う。

 雪のある山道を歩いて降りる自信はなくて、だからシルの背に乗って飛ぶことを選んだ。


 シルは、生まれて初めて空を飛んだと言って、楽しそうにしていた。

 その背中に乗っていた俺から忌憚のない感想を言わせてもらえば、あれは決して飛翔なんてものじゃない。あれは──落下だ。


 まあでも、そのおかげで、随分と早く山を降りることができた。

 岩場の影になんとか着地──地面に辿り着いたのだから、着地ではあると思う──して、そこでシルは人の姿に戻った。そうすると当然全裸だ。

 俺はしばらく三半規管を休めたかったので、地面に座り込む。そこで自分の爪先を眺めながら、シルが慣れない手つきで服を着るのをできるだけ見ないようにしていた。


 けれど、シルはまだ服を着慣れてなくて、まだ俺が手伝う必要があった。


「ユーヤ、これ、できない……」


 声を掛けられて思わず見てしまった俺は悪くない。あられもない姿で、紐──なんの紐なのかは言及したくない──を手に持って、すがるような目で俺を振り返るシルがそこにいた。くらくらするのは三半規管のせいだ。

 俺は一度目を閉じて、口の中で小さく「よし」と呟いて気合いを入れて立ち上がる。できるだけ余計なことを考えないようにしながら、できるだけ無心でいるように心がけながら、シルの着替えを手伝う。

 俺は頑張ったと思う。


 そして俺は悟った。シルに乗って旅をするのは無理だ。いろんな意味で。




 なので、俺とシルは、歩いて旅をする。




 デチモさんに出会ったのは、その少し後だ。


 落下後の休憩を終えて自分たちのいる場所を確認する。岩を乗り越えると森で、木々の隙間から覗けば、低いところに踏み固められた地面が見えた。道のように見える。山道。

 自分たちが立っているところから、その山道までは急斜面。普通に降りたら途中で落っこちそうだ。


「なんとかして、あそこまで降りられたら良いんだけど」


 身長よりも高い位置から急斜面を降りる気にはなれなくて、下に降りられそうなところがないかと周囲を見回していると、シルが俺を見て首を傾けた。


「下に降りたい?」

「うん、あそこに道があるから。道があるってことは人が通ってるはずで、きっと歩きやすいから」

「わかった」


 俺の言葉に、シルが頷いた。何がわかったのだろうと戸惑う間もなく、俺の体がシルの腕に持ち上げられる。


 これは、お姫様抱っこというやつなのでは。


 そして彼女は、戸惑った俺を抱えたまま、その急斜面を駆け下りた。

 駆け下りた先にたまたま通りかかっていたのが、デチモさんだった。




 急斜面を落ちてきたかのように──実際、ほとんど落ちているようなものだったのだけれど──目の前に突然現れた俺たちに、デチモさんは足を止めて目をまん丸にして見ていた。

 シルは、最初に着たブラウスとスカートの上から、体をすっぽりと覆うマントのようなものを羽織っている。

 俺も、足元だけはスニーカーだけど、服はあの部屋で見付けたものを着ている。制服のままだと良くない気がしたから。上から、シルと同じようにマントを羽織っている。

 目の前のデチモさんが同じようにマントを羽織っている姿を見て、自分たちの格好がひどくおかしくはなさそうで、ほっとしていた。




 デチモさん──その人の背は俺よりも一回り以上高い。肩幅もあって、肌は陽に灼けていて、がっしりと逞しい男の人だ。

 大きな荷物を背負っている。

 その人が呆然としている間に、俺はシルの腕から降りて、軽くマントを羽織り直してから、その人の方を向いた。


「あの、すみません」


 そして、できるだけ穏やかに声をかけながら、あの部屋から持ち出したコインを一枚出してその人に見せた。このお金で、食べ物を譲ってもらうとか、面倒を見てもらうとか、できないかと思ったのだ。

 その人は俺の手の中のコインを見て、ギョッとした顔をした。それから、大きな手でコインを覆い隠すように俺の手を包んで、周囲を見回す。


 その山道には、その人と俺とシルしかいなかった。


「あの、道を……あと、できれば食べ物とか……」


 その人は、俺の言葉を無視して、ひどい早口で何かをまくし立てる。意味は何一つわからなかった。その時になってようやく、言葉が通じていないことに気付いた。

 言葉が何もわからない俺が困って首を振ると、その人は息を吐いて空を見上げた。


 その後に続いた言葉も、俺にはわからなかった。それでも頑張って聞いていると「パーレ」という単語が何回か出てくるのがわかった。

 これは後で知ったけれど「パーレ」というのは「言葉」というような意味だ。


 その人はそうやって、しばらく何事かを話していたけれど、やがて俺の手からコインを取り上げた。そして、それを大事に懐にしまいこむと「ダイ」と言って歩き出した。

 どうして良いのかわからず、シルと二人でぼんやり立っていたら、その人が振り向いて、何かを扇ぐように手のひらをパタパタと動かした。


「ダイ!」


 呼ばれているような気がして、シルを見る。


「一緒に行こう」


 俺の言葉に、シルは頷いた。

 俺とシルが歩き出すのを見て、その人もまた歩き出した。




 そんな訳で、言葉はさっぱり通じなかったけれど、俺とシルはその人──デチモさんに付いていくことになった。

 その人の言葉は、そういう音としてしか聞こえなかった。シルの言葉みたいに都合良く意味がわかったりしない。シルにも、デチモさんの言葉の意味はわからないらしい。

 むしろ、俺とシルが意思疎通できていることの方が、不思議なのかもしれない。


 デチモという名前は、言葉が通じないなりにコミュニケーションをした結果、わかったことだ。


 俺の名前が優也であることと、シルという名前も伝わったと思う。時々、デチモさんに「ユーヤ」と呼ばれるようになった。


 デチモさんは、食べ物も分けてくれたし、俺たちの足に合わせて歩いてくれた。これは「俺たち」ではなく「俺の」と言う方が正しい。

 シルは華奢な見た目の割に元気だし体力もある。結構歩いているのにけろっとしている。

 そして悲しいことに、俺は自分で思っていたよりもずっと貧弱だった。

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