第八話 孤独

 あれから青年は、数少ない友人の殆どを訪ねた。決意を再度固めるものが欲しかったのだ。

 あのジレンマは絶えず彼に自問を投げる。

 しかし、およそ青年のみでは自答出来ない。何か彼を死へ向かわせる思想かきっかけが必要だった。

 そしてそれは彼の自己の外側にあるという直感があった。


 青年の友人の多くは向井と同じように、彼の決意に否定的な姿勢を見せた。

 各個理由は違えど、その根幹は向井のものと同様だろう。表面的な死の渇望、前提としての生の肯定が彼らからは滲みでていた。

 青年は彼らの抗議を聞きながら一定の不快感を覚えたが、次第に慣れ、奴等ではなく自身が異常なのだと考えるようになった。


 また、中には青年の決意に同意する者もいたが、奴等はそもそもの決意を大事にとってない。世間にありふれた形だけの希死願望として扱っている。

 青年にとってはむしろそのことが腹立たしいものだった。


———しかし、どちらにせよ、奴らは生を自明なものとして捉えている。

生きることが正常で、死ぬことは異常だと。

奴らは生を自明と扱うだけの幸福があったのだ———


 この経験的な仮説は、青年のジレンマを解消するどころか、周囲との差異を際立たせ、彼の孤独を加速し、より複雑な葛藤を構成した。

 彼は精神的な意味での天涯孤独を感じた。しかし、奇妙なことにその意識は彼を死からより遠ざける。

 孤独であることが最も死に遠い条件に思えたのだ。


———私は、独りだ。

ついぞ誰も私を理解する者はいない。

しかし何故か、私は死に至れない。

どこか私の死を理解する者を欲している。

不可解な存在のまま死ぬことは、何故かこうも恐ろしい。

私の存在が死によって忘却される。

私の死が何も意味を伴わず、ただの現象として処理される。

無機質な死、無価値な死———


 もはや青年における死は目的としてはありえない。

 目的とするにはあまりにその意味が希薄であった。死を意味あるものとしてするには、生を意味あるものとしなければならない。


 いかに生き、いかに死ぬか。それが問題だった。




 いかに生き、いかに死ぬか。青年は、およそ大多数の人間が直面した問いと初めて相対した。

 というのも、彼にとってこの問題は、幸福者の決起的で自己満足な思考訓練であり、全くもって現実的でも切迫したものでもなかった。

 弱者は、不幸者は、そんなことをまず考えやしない。刹那の苦痛に精一杯なのだ。戦場であれこれ今後の生について考えるだろうか。そんな暇はない。敵を打ち倒すのに懸命なのだ、敵から逃げるのに懸命なのだ。


 しかし、青年は相対した。彼に残った唯一の方法は、生と向き合うことだった。

 

 彼の思索は、ついにその輪郭を明らかにしなかった。なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか、結局その問いに対して彼は「逃避」以外見出せなかった。

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