或る老人の死

きさらぎみやび

或る老人の死

 その老人は部屋に這入はいってきた俺をその目でしっかと見つめてきた。

 死を目前にした老人とは思えない力のある瞳、その眼力に俺はたじろいでしまう。頬はけ、手足は棒のように細く最早自らの意志で体を動かすことすらままならない筈であるのに、いや、だからこそなのかその目は爛々と輝いているかのようだった。


 その老人は哲学者なのだという。


 納棺師が死ぬ前の人間に会うことはない。俺達の仕事の対象は全て死んだ後の人間だ。物言わぬ体になってから初めて、人は俺達と対面することになる。


 だから今回は異例の依頼だった。


 死ぬ前に、自分を担当する納棺師に会ってみたいと言ってきたのがその老人だった。哲学者とはおかしなことを考えるものだ、というのが俺の率直な感想だった。


 老人はベッドの上にしつらえた装置に目を落とす。老人の視線は装置の画面に注がれている。目線をることで装置を操作しているらしく、老人の目が動くと同時に装置から音声が流れてきた。


『最期に私に触れるであろう他人と会っておきたかった』

『中々良い面構えじゃないか』

「それはどうも」


 顧客になる予定の人間に対する態度ではないとも思ったが、「人となりが知りたいので私人として臨んでもらいたい」と言われていた。

 であれば、俺は俺のままで対面するべきだろう。

 今日の俺の出で立ちも普段の仕事着のような改まったものではなく、プライベートで着るラフな服装だった。面倒くさい依頼ではあったが、ただ会って話をすれば良いのだと言われ、それなりの額が提示されればこちらに断る理由は無かった。


『時間もないので手短に。君はなぜ納棺師になったのかね』


 就職試験みたいな事を聞いてくるものだ、と思った。


「特に理由はありません。敢えて挙げるとするなら父親が同じ職業だったからです」

『他になりたいものは無かったのかね』

「特には。一番よく知っている職業がこれでしたので」

『成程。辞めたいとか、辛いと思ったことは?』

「ありませんね。……ああ、一つ不満があるとすれば未だ嫁の当てがないことですかね。まあ不吉な印象を持たれますから」

『仕事は好きかね』

「別に好きも嫌いもありません。いや……正直に言えば割と好きですね。変わっているのかもしれませんが」

いじゃないか』

『死という根源と最も向き合う職業だ』

『誇りに思ってよい』


 少なくとも今の俺よりはその近くにいる老人に言われたところで別に嬉しくもなかったが、俺が対応する筈の当の本人にそう言われるのも変な感じだった。まあ悪い気がするものでもない。


 結局その対話はその遣り取りだけで終わった。老人の体力ももう残り少なく、それ以上の対話は出来なかったからだ。老人にとってそのわずか数分のやり取りに何か意味があったのかは分からないが、妙な印象だけは俺の中に残っていた。


 老人が亡くなったと報せを受けたのはあの対話から数日後の事だった。

 俺は同僚と共に再び老人の家へと向かい、今度は冷たくなった老人と対面することになった。


 嫌というほど死体と向き合ってきた俺は感慨を感じることもない。

 むしろ冷静に対応できる方がこの仕事には向いている。


 ……その筈だったがしかし、老人とのあの日の対話は思いがけず俺に動揺をもたらしていた。


 目の光が消えたことでこうも人は変わるものなのか。

 特にあの老人の目は強い意志の光をたたえていた。その印象があまりに強く、目の前の遺体の状況とが俺の中で上手く噛み合わない。

 しかし仕事は仕事だ。

 気を抜くと震えそうになる手を押さえながら丁寧に死に化粧を施し、含み綿を使って表情を整える。普段ならより穏やかな表情になるように整えるのだが、それにどうにも違和感を持った俺はその作業を通常よりも手前で切り上げた。少々もの言いたげな同僚をこれで良いのだと目線で黙らせる。体を拭き上げ服を替えて、内心の動揺とは裏腹に滞りなく作業は終了した。


 普段ならば日に数件の依頼をこなすのだが、その日は老人の納棺を終えた後、俺は体調が悪いと言って早退させてもらった。

 俺もプロの端くれだ。いくら初めての経験とはいえ、次に控える納棺も卒なくこなす自信は十分にあったが、それ以上に今日だけは他の納棺をこなす気になれなかったのだ。


 家路へ向かう途中のターミナル駅は当たり前だが生きている人間でごった返していた。誰も彼もが忙しなく行き交い、人波がさざめいている。

 ああ、ここに居る人は皆生きているのだな、と当たり前の事がとても奇異なもののように感じられた。


 そのまま家に戻っても特にやることがあるわけでは無い。駅前の丸善にふらりと立ち寄る。平日の昼間でもそれなりの人が居て、それぞれが思い思いに書棚を見つめていた。


 これまでついぞ足を踏み入れたことの無い『現代思想・哲学』の棚の中にあの老人の著作を見つけた。

 タイトルは『死を思うという事』。あの老人は死を目前にして行われた俺との対話で何かを得られたのだろうか。

 どちらかと言えばあの対話で何かを植え付けられたのは俺の方だった。本を手に取ってパラパラとページ手繰たぐっては見るものの、書かれた文字は上滑りしたかのように擦り抜けて行ってしまう。

 しかし俺はその本を抱えてレジへと向かっていた。


 数分ではあったものの最後に薫陶くんとうを受けた者として、例え一度で分からずとも何度かは読んでみようと考えていた。何を持ってすればあの様に居られるのか、僅かなりとも得られればと思う。


(死と向き合うという意味では、あの老人に負けては居られないからな)


 脳裏に浮かぶのはあの強い瞳。

 老人が最期に残した何かが、俺の中に息づき始めているのを感じていた。

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