第34話 幻惑蛾 Ⅲ






迷宮5階層。

洞窟階層。

ゴツゴツとした岩肌が視界を蹂躙して重苦しい閉塞感を探索者に感じさせ、精神的に摩耗させる。

壁から僅かに突き出る魔光石が広間を仄かに照らしており、その光源を頼りに探索者は先を進む。




「ーーーっしゃぁぁぁ!やっと5階層だぜ!今日中に幻惑蛾ファントムモスぶっ殺して素材手に入れて、あの支部長くそやろうに叩きつけてやるぜ!!!」


支部長様から頂いた4日という短い期限の都合上、僕たちパーティは翌朝準備を整えてすぐに迷宮ダンジョンへ出発した。

最低限の休憩以外は進み続けたから、迷宮に潜ってから1日半で5階層まで辿り着けた。

予定以上の速さで5階層まで辿りつけたけど……カルロスを救うためにも1秒も無駄に出来ない。

もし4日の期限内に支部長様に『ファントムモスの鱗粉』を納品できなければ…今度こそカルロスは奴隷落ちにあうから。


「……クソ野郎じゃなくて支部長様ですよ。カルロスの命の恩人なんですから敬意を払ってください」


4階層から5階層へ下る階段を降りきって広間につくなり調子に乗るタケル。

支部長様への感謝の欠片も感じさせないタケルに僕は眉を顰める。


子供カルロスの命救う時にかねのこと考えるような尻の穴小せぇ奴なんてクソ野郎で十分だろ?だからあいつは支部長様くそやろうさまだぜ。一生あいつのことクソ野郎様そう呼んでやんぜ」


「……はぁ」


気持ちは分からなくもないけど……常識的に考えて支部長様を責めることなんてできない。

ただの子供のカルロスに借金の話を持ちかけて救ってくれただけでもありがたいことだ。本来はあり得ないことなんだ。

短慮に考えて支部長様を責めてはいけない。

タケルの短絡さに着込む革鎧を揺らし肩を落として、溜息を吐く。


後ろを振り返って、緑の杖を握るユリアの様子を覗う。

ユリアは顔を俯かせ、やや疲れ気味に大きな呼吸を繰り返していた。

今日まで随分な強行軍で限界まで歩を進めてきたから、僕たちパーティの中で一番体力の乏しいヒーラーのユリアには無理をかけてしまっていた。


「……ユリア、大丈夫ですか?」


ユリアの顔を覗き込みながら僕は訊ねてみた。


「……うん、大丈夫…」


ユリアはやせ我慢して姿勢を正しながら僕に笑顔を浮かべた。

今回の探索ではユリアに大きな負担をかけているけど、ユリアは一切不満を漏らしていなかった。

カルロスのためにユリアも耐えてくれているんだ。


「……分かりました。でも無理はしないでください。もし本当に限界がきたら声をかけてくださいね」


「……うん、分かった…」


ユリアの頷きを確認してから、降りてきた5階層の広間をもう1度見渡す。

数十のパーティが広間の壁際に陣取り、各々自由に身体を休めていた。

休憩しているパーティの姿がないのは怪物モンスターが迷い込んでくる可能性がある10本の通路の傍だけ。

広間内では怪物が発生するうまれることはないけど、通路から広間に迷い込んでくることはある。危険だから広間でも通路の傍では休むパーティはいない。


「おい、アレン!どの通路進めばいいんだ?」


タケルが額に手を当て広間を見渡しながら訊ねてきた。


「ちょっと待ってください」


腰ポケットからギルドで配布されている地図マップを取り出し『幻惑蛾の巣もくてきち』への道程を再確認する。


幻惑蛾ファントムモス』は固定怪物の幻惑蛾が出現する大広間だ。

5階層の最外周に5つ点在し、幻惑蛾が探索者を待ち構えている。

僕たちが狙う巣は広間から3番目に近い巣だ。

1、2番目に近い巣は既に別の探索者パーティが討伐している可能性がある。

幻惑蛾が再発生するまでにかかる時間は約3時間と言われている。

既に討伐されている巣に向かって空振りして別の巣をまた目指すとなると、討伐に倍以上の時間がかかって支部長様への納品時刻に間に合わない可能性が出てくる。だから少し時間が多めにかかっても絶対に空振りしないだろう3番目に近い巣に向かうことにした。


「……地図マップで見る限り、あの通路ですね」


地図を眺めながら右端の通路を指差す。


「その地図マップって本当に信用できんだろうな?」


「ギルドの地図マップは迷宮都市で売られている物の中で一番信用できますよ。初級階層ごかいそうの地図なら尚更間違いはないはずです」



地図に従ってタケル、ユリア、僕の順で怪物との接敵を警戒しながら茶色の岩壁に囲まれた通路を足早に進んだ。







幻惑蛾の巣を目指して広間を出てから30分ほど警戒して歩き続けた。

途中限界を迎えたユリアのために5分ほど休憩も取ったが、巣までの道程の1/4程度には辿りつけた。


L字の曲がり角。

ひんやりと冷たい岩壁に寄りかかrながら鏡を使ってタケルがL字路の先を偵察している。


「ーーーおい、アレン。ホブゴブだ。……ここも戦わねぇのか?」


僕は地図マップを開いて怪物との戦闘を避けられる迂回路を探す。

僕たちはあと少しで幻惑蛾ファントムモスという強敵と戦うことになる。

なるべく体力を温存して戦闘に挑みたい。

だからこれまで近くに迂回路があればそこを通って怪物との戦闘を避けてきたんだけど……この道には迂回路がないみたいだ。


「……迂回路はないみたいです。戦う時間が無駄ですが……ここは戦うしかないでしょう」


「っしゃぁ!久しぶりの戦闘だぜ!」









ーーー支部長様との契約の期限は残り2日半。


ここまで僕たちは・・・・予定通りに進んでいる。

あと3時間もしたら幻惑蛾の巣に辿り着けると思う。



あとはーーーマザーは順調に行っているだろうか……?

マザーには幻惑蛾の鱗粉とは別に支部長様に渡す『金貨1枚分』に不足している銀板4枚の用意をお願いしている。


マザーは借入先に心辺りがあると言っていたけど……大丈夫だろうか…。

孤児院ぼくたちにお金を貸してくれる人なんて……支援者の方々以外に本当にいるのか…?





胸中に渦巻く不安をタケルとユリアパーティメンバーに悟られないように、表情を正してーーー目前のホブゴブリンに対して『硬化盾』を構えた。

















ユア《マザー》は孤児院から乗合馬車を乗り継ぎ、『シルフィー買取屋』まで赴いていた。

真昼にもかかわらず薄暗闇の裏路地に、ポツリと聳えるシルフィー買取屋。

暖簾から漏れる魔石灯の明かりが仄かに閑静な裏路地を照らしている。

天を見上げると戸建ての間から覗える深い蒼穹。

不安で押しつぶされそうな心と裏腹な天気に軽く目を細めてしまう。


「ーーーすぅ、はぁ……」


1度深く深呼吸して激しく脈動する心臓を落ち着かせてユアは暖簾を潜った。


ユアがシルフィーの店に来るのは久しぶりだった。

ガルムとアレンにシルフィー買取屋を紹介した時以来、1年振りの来店だ。

店内は以前伺った時から一部の変わりもない。店内の模様も。雰囲気も。配置も。

シルフィーの性格を焼き写したような店内には雑多な商品が無秩序に並べられていた。


「ーーーへ~い、らっしゃ~い~」


店の奥のカウンターから来店の気配を感じたシルフィーの声が響いた。

カウンターの下で商品の小分けでもしているのか、狐耳だけを覗かせている。

シルフィーは来店者がユアだとは気づいていないようだった。


「お久しぶりです、シルフィー」


ユアは微笑みながらカウンターに近づいていく。

ユアの声を耳にして狐耳がピクリッと跳ね、カウンターの下からシルフィーの驚いた顔が飛び出してきた。


「ーーーユアじゃ~ん!おひさ~。あんたがうちに来るなんて珍しいじゃん。どしたの~?」


シルフィーはユアを指差しながら満面の笑顔を湛えて歓迎した。



シルフィーはユアの兄の元パーティメンバーだ。数年間兄と共に迷宮に潜り絆を深め、兄の紹介でユアと知り合った。29歳の同い年ということで兄の死後・・・・もお互いに相談し合うような関係が続いていた。

最近は孤児院と店おたがいに忙しく会うことはなかったけど、もう何年も付き合いげ継続している。

因みにガルムとアレンの魔石や素材をシルフィーが買い取ってくれているのもシルフィーなりの兄への恩返しらしい。



「……今日はお願いがあってきました…」


ユアが眉を顰めてやや逡巡して口にしずらそうに呟いた。


「……ふ~ん。ちょっとそこに座ってな。すぐ行くよ」


シルフィーは不穏なユアの表情を訝しげに思いながらカウンターの隣にある2人掛けのテーブルを顎で示した。

シルフィーの指示に従ってユアはテーブルに着いた。





シルフィーはカウンター内での雑事を手早く切り上げてユアの向かいに座った。


「ーーーで~、なんだ~い?お願いって~?」


テーブルに両肘をついて片眉をへの字に曲げながらシルフィーはユアに訊ねた。

ユアは言いずらそうに口籠もりながらシルフィーに頭を下げた。

テーブルに頭が触れそうになるほどに頭が下げられた。


「……シルフィー、私に4銀板40万を貸してください。半年以内に必ず返します。無理を言っているのは分かっていますが…どうか、お願いします…」


真剣な表情で頭を下げるユアにシルフィーは面倒くさそうに肩を竦め、ふぅと嘆息した。

漏れる吐息に付随して綺麗な眉が歪んだ。


「……ま~た金の話かい?いつも言っているでしょう~?孤児院に金を貸すつもりはないよ~」


「……そこをどうかお願いします」


真摯に頭を下げ続けるユアに対してシルフィーは再び嘆息し、テーブルの下で足を組んだ。


「いつも言っているでしょ~。孤児院を否定はしないよ~。私もよく孤児から窃盗の被害受けてるけど~、親の勝手・・・・に振り回されて、選択の余地もなく孤児になった子供たちを可哀想とも思うし。孤児の子を助けようとするユアは偉いと思う。……で~も、お金を貸すほど協力するつもりはないって~」


「ーーーお願いします!どうしてもお金が必要なんです!!」


それでも決して引き下がらないユアに対してシルフィーは大きく眉を歪める。

再三の嘆息を繰り返し、ユアへ手をヒラヒラと振った。


「……気が済んだら勝手に出ていきな~。どれだけお願いされても私は金を貸さないよ~」


「……お願いします。……お願いします」


ユアに対して断固とした拒絶の意思をしめそうと、椅子から腰を持ち上げるシルフィー。

立ち上がってユアから距離を取ろうと一歩踏み出した時にチラリとユアを覗った。

ユアは……まだ頭を下げ続けていた。


「……………………」


孤児院の設立当初から、ユアからのお金の貸借の無心は何度かあった。

その度にシルフィーは孤児院への貸借を拒絶し、ユアを諦めさせ続けた。

ユアは優しいから、店の迷惑にならないように引き際は常に弁えていた。

店に客が来たら何も言わず帰るし、断固とした意思を示したら諦める。いつも礼儀のある「お願い」だった。

そこらの三流商人の方がよっぽど意地悪く粘り着いてくるからシルフィーもユアのことを悪く思えない。むしろ良い友達だと思っている。

ユアは決してシルフィーに対して無理に・・・お金の無心をすることはなかった。


でも……今日は様子がおかしい。

いつものユアならシルフィーがテーブルから立った時点でお金を貸してくれることはないと悟ってくれるはず。

諦めてシルフィーとの世間話に花を咲かせて、お客さんが来たら帰るはず。



でも……今日のユアは今も頭を下げ続けている。



……シルフィーとの交渉を諦めていない。

こんなに食い下がるユアをシルフィーは見たことがなかった。



「……今日は随分食い下がるね~。なんかあったのかい?」


シルフィーは湧いた興味に頭を掻きつつ、椅子に座り直してユアに尋ねた。


「……このままだと…私の子が奴隷になってしまうんです…」


「……詳しく話してみ~」


ユアの後頭部からポツリと漏れた不穏な言葉に眉を歪めるシルフィー。


「……カルロスむすこが事故を起こしてしまいました。……賠償金が必要になった息子は、孤児院に迷惑かけないように自分の身を担保にしてお金を借りてしまって…その返済にすぐお金が必要なんです……」


今にも泣き出しそうなユアの悲壮な呟き。

予想以上に悲惨な事態にシルフィーは目を細め、今も頭を下げ続けるユアを見つめる。



ーーーこの世の中の全ての人間を救うことはできない。


こんなことシルフィーだけじゃなく、この世界に生きる全ての人が知っている厳然たる事実だ。

人間が救える人、伸ばせる手の範囲は限られている。

そしてーーーシルフィー程度の手の長さじゃ救える人なんて一握りだ。



「……その話に、ユリアたんは関わってるかい?」


「……いいえ…」


「……なら、私は興味ないよ~。お金を貸すつもりはない」


シルフィーにとって友達のユアや超大好きなユリアならまだしも、会ったことのないガキのところまでユアの手は伸びない。



もしそこまで気まぐれに伸ばしてしまえばーーーそれはただの偽善・・になる。



「……お願いします…」


なおも頭を下げ続けるユアを尻目にシルフィーは席を立った。




「……じゃあね…」


断固とした意思を持って拒絶を示しつつ、ユアをテーブルに残して、シルフィーはカウンターの奥に引っ込み、魔石と素材しょうひんの選別作業を再開した。






















「ーーーありがとね~♪また来てね~」


『おう!その時はウンッと高値で買い取ってくれよ!!!』


シルフィーは本日最後の探索帰りの探索者かいとりいらいにんを外まで見送って、今日の店仕舞いを開始する。

店の入り口の暖簾を外して、店前の魔石灯から魔石を取り外して灯りを消す。

暖簾を抱えながら店内に戻ってきて、入り口横に暖簾を立て掛ける。


手の平を組んでウンッ!と身体を伸ばして、1日の仕事の終わりを実感する。

シルフィ-の残りの仕事は、翌日明朝の出荷に備えた魔石と素材アイテムの箱詰めだけだ。


さ~て、もう一仕事。

シルフィーは自分の頬を叩き、気持ちを切り換えてカウンターに向かう。


カウンターの奥に引っ込もうとドアを開けた瞬間、横目にテーブルで頭を下げ続けているユアを捉えて眉を顰める。


ユアが店に来てから、もう33時間経っている。

その間ユアはずっとあの無理な体勢を維持している。

……きついだろうに。辛いだろうに。

シルフィーなら同じ体勢を1時間でさえ保つことはできないだろう。


シルフィーは1つ溜息をついてからユアの座るテーブルに近づく。


「……いつまでいるつもりだ~い、ユア?…もう店仕舞いなんだけど~」


テーブルに片手をついて、頭を下げ続けるユアに尋ねる。


「……すいません。お店の邪魔をしてしまって…」


「……邪魔だって分かっているなら退いて欲しいんだけどね~」


嘆息して頭を振り、呆れるシルフィー。

そんなシルフィーの言葉を受けてもユアは頭を下げ続ける。


シルフィーが断固として孤児院にお金を貸さないように、今日のユアは決して折れない。…諦める気配がなかった。


「……どうしてユアがそこまでするんだ~い?奴隷に落とされるような馬鹿をしたのはカルロスそのこ自身じゃん。自分のケツは自分で拭かせるべきじゃな~い?拭ききれなかったらその子のせいってね~」


……初めて見るユアの強硬な意思に心を揺さぶられつつ、尋ねるシルフィー。

シルフィーの呟きにユアの肩がピクリと揺れた。


「……私は、子供あのこたちを守らなきゃいけないんです。……孤児あのこたちには本当の意味の親がいない。本物の母・・・・親じゃない・・・・・私は、あの子たちの信頼を得るために……本当の母・・・・親以上に《・・・・》あの子たちの母親にならなくてはならないんです…」


……ポツリポツリと漏れるユアの本心。


「………………」


シルフィーは初めて聞くユアの悩みに……確かに心を揺さぶられた。


「……私はあくまで・・・・あの子たちの偽物の親・・・・なんです…。……だから、たとえ私の身がどうなっても…あの子たちを助けるために全力にならなきゃいけないんです。……あの子たちの母親でいさせて・・・・もらう《・・・》ために……」


「…………………」


ユアが…ここで初めて頭を上げた。



「ーーー私は……あの子たちの本物ははおやでありたいんです」



ーーーユアは顔をくしゃくしゃに歪めて、そう呟いた。

……29歳の大人ユアの顔が涙と皺でぐしゃぐしゃだ。

……こんな泣いているユアの顔ーーーいや人の顔は見たことがなかった。


孤児むすこのために……ここまで全力に・・・なれる・・・のならーーー


「ーーーあんたは、本物の・・・母親よ……」


……気づけば漏れていたシルフィーの呟き。



シルフィーは……3歳の頃に実の母親に捨てられた。

捨てられた理由は分からなかった。

でも幸い母親の知り合いの道具屋のお爺さんたちに拾われて、何不自由なく育てられた。


でも……実の母親に捨てられた事実は変わらない。

ユアともだちに……母親なん・・・・てもの・・・になってほしくなくて孤児院設立を反対した。

孤児院に対してお金を貸すことも拒絶し続けた。

そしてこれからも、いつまでもお金なんて一銭も貸すつもりはなかった……。


ーーーでも……。




「え?」


シルフィーの呟きを聞き逃さなかったらユアが、呆けた顔をした。

涙で目尻を赤く腫らし、頬を赤く染めながら皺だらけの顔が剽軽な呆然とした顔になった。


一変した表情に、ブッと吹き出してしまうシルフィー。

……シルフィーは一頻り笑い続けた後、呆然とし続けるユアに対して微笑む。


「……負けたわよ~。……銀板4枚ね~。半年以内に返しなさいよ~」


「ーーーは、はい!ありがとうございます!シルフィー!」


今度は嬉し泣きで目尻を赤く腫らしながらシルフィーの手を握るユア。


そんなユアに苦笑しつつ、頭を掻くシルフィー。








これからは少しは孤児院に協力してもいいかもしれないね~……。


握手の次はハグ。

ユアに力強く抱きしめられながら……ふとシルフィーはそんなことを思った……。





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