第31話 疑心 Ⅲ
「………………」
僕は呆然と
もう目の前に弟妹が偶然現れてもおかしくない。
弟妹に暗い表情を見せたくない。
でも……どうしても明るい表情になれない。
考えるのはーーーカルロスのこと。
支部長様は、カルロス自身が支部長様との関係の黙秘を要求したと言った。
どうして…僕たちに秘密にするんだ?
……秘密にしなきゃいけない理由があるのか?
どうしてなんだ……カルロス?
同時に考える。
……カルロスの意思を守るべきなのか?
それともカルロスの意に反してでも、無理矢理支部長様との関係を問い質すか…?
もしかしたらカルロスの身に危険が迫ってるかもしれないし…。
頭を捻り、必死に考える。
でもーーー結論は出ない。
カルロスの意思を尊重したい。
でも……支部長様との関係に危ういところがある可能性は拭えない。
やっぱりーーー結論を出せない。
ひたすら頭を捻り続けて、悩み続けた。
そして気づけば
《ーーーこんな顔を
パンッ!
とにかく
頬がジンジンと痛み、頭が冴えた。
無理矢理笑顔を作って顔を上げる。
ーーーバスッ。
「ーーー!?」
「ーーーアレン!!!」
顔を上げた瞬間、胸に衝撃が走った。
胸元を見るとーーーマザーに抱きしめられていた。
「ーーーよかったっ無事で……!」
革鎧に顔を埋めるマザーが嗚咽混じりに漏らした。
「……えっと…」
突然のマザーのハグに動揺しているとーーー弟妹に囲まれていたセルジオ兄さんが近づいてきた。
「
セルジオ兄さんが子供っぽく泣きじゃくるマザーに微笑みながら呟いた。
目を白黒させながらマザーを見る。
マザーの目は赤く腫れていて、長く泣き続けていることが分かった。
セルジオ兄さんとシュリ姉さん、ユリアも抱きつかれたんだろうな。
それで……僕の帰還も喜んでくれている、と…。
「……分かりました。ーーーあのタケルは?」
僕は安心させるためにマザーを抱き締め返しながらーーーロープで木に括りつけられているタケルを見つけた。
「ーーーアレン!!!マザーから離れろぉぉぉ!!!セルジオ兄貴!早くこれほどけぇぇ!」
グリグリ!
随分きつくロープで括りつけられているらしい。
必死にロープから逃れようと藻掻いているが拘束が緩みそうな気配は無い。
両手もきつく縛られているから逃げられないみたいだ。
「……マザーが抱きつく度に喚きおってな。五月蠅くて面倒だから拘束している」
セルジオ兄さんが溜息を漏らしながら呟いた。
『タケル兄、木に縛られてる!』
『かっこ悪ぃ~!これ男らしくないよね~!えいっ!』
弟たちが笑いながらタケルを枝で突いて遊んでいる。
四方八方から枝で突かれてくすぐったそうなタケル。
枝を避けようと藻掻くが、きついロープが回避を許していない。
「や、やめろ!てめぇら!後で覚えとけよ!クソガキ共!!!」
「いっそあの阿呆の口は永遠に塞がれていてもいいかもしれん。私の手が煩わされない。……ほんとうに名案かもしれんな…」
セルジオ兄さんが顎に手を当てて真剣な顔で呟いた。
僕は久々に見る長閑な光景に苦笑する。
死の危険がある迷宮に5日間もいたからな…。
それに今回の探索は……
こういう楽しい場面を見るだけで気持ちが楽になる。
微笑みながらタケルと弟妹の絡み合いを眺めていると、マザーの締め付けが強まった。
「……本当に良かったわっ。
マザーが抱きついたまま顔を上げて呟いた。
目は赤く腫れ上がっていて、いつものマザーの威厳がない。
ただ安心したように目尻に涙を堪えていた。
……初級階層で
普通に考えれば死へ真っ逆さまだ。
たぶん…いや間違いなく、僕たちパーティだけだと死んでいた…。
LV2のガルム兄さんたちとの合同パーティだから助かったんだ。
実際……5人のパーティはオークに殺されていたし…。
「……誰も大怪我は負ってません。軽傷もユリアのお陰で完治していますから大丈夫ですよ、マザー…」
僕は落ち着かせるようにマザーになるべく優しく語りかける。
「……本当に無事で良かった…」
……マザーが再び僕をきつく抱きしめた…。
「おいっ!今帰ったぞ!!!」
「ーーーガルムッ!!!」
数秒目を閉じてマザーと抱きしめ合っているとガルム兄さんの声が背後から聞こえた。
振り返るとすぐ後ろにガルム兄さんがいた。
マザーが一瞬で僕から離れてガルム兄さんに抱きついた。
「ーーーんっ!?なんだマザー?」
ガルム兄さんが困惑した表情で戸惑っている。
「ーーーよかったっ本当に無事で…」
ガルム兄さんの半金属鎧を抱きしめながら、マザーが涙を浮かべて呟いた。
「ーーーそうだな…。……良かったな…」
やっぱり……ガルム兄さんが一番マザーの扱いに慣れている…。
ガルム兄さんはマザーの頭を撫でながら、安心させるように優しく呟いた。
「ーーー明日から『門番』に挑戦する」
ガルム兄さんは一頻り涙を流させて落ち着かせた後、マザーの顔を見据えて呟いた。
マザーは辛そうな顔を見せた後ーーー静かに頷いた。
ーーーガルム兄さんたちの『門番』挑戦が決まった。
夜。
満月。
弟妹たちを寝かせた後、僕とガルム兄さんは孤児院の縁側で満月を見上げながら今回の探索の反省をしていた。
といっても話すのは殆ど
それとーーー明日からの兄さんたちの『門番』挑戦について。
6階層の門番はーーー『森の巨人』だ。
オークと同じ巨体を持つ防御力やスタミナ、膂力に優れた門番だ。
森の巨人を屠る作戦をガルム兄さんから聞き、たまに僕からも作戦に修正を提案する。
今回のオークとの戦闘で気づいたが、巨躯であっても良いことばかりではない。
足下の注意が疎かになっていたり、攻撃が雑であったり。
巨体の怪物だからこそ打てる策がある。
作戦がどんどん細かくなり、穴が埋められていった。
……随分長く、話し込んでいた気がする。
気づいたら結構足を蚊に刺されていた。
足に痒みを感じて、足を掻く。
静かな縁側で僕とガルム兄さんの声だけが響いていた。
「……ガルム、アレン。ちょっといいですか?」
一頻り作戦について話し終えたとき、突然背後から声が届いた。
驚いて振り返ると月光に照らされるマザーが立っていた。
「どうしたんだ、マザー?」
「……ガルムとアレンに渡したい物があります。倉庫までついてきてくれますか?」
黄色く照らされるマザーがポツリと呟いた。
陰で表情が窺えないけど……暗い声音だ。
心配になるほどの悲しい声……。
……どうしたんだろう?
「……分かった」
「……はい」
ガルム兄さんもマザーの悲壮な気配を感じ取ってそっと呟き、立ち上がった。
僕も縁側から立ち上がって、長く座って痺れる足に鞭を打ちマザーの先導についていく。
月光が通路を進む僕たちを照らしている。
「……マザー、渡したい物とは?」
ガルム兄さんが僕の代わりに聞いてくれた。
「……
マザーが暗い声で顔を俯かせて呟いた。
「ーーーマザーのお兄さんですか?」
「……アレンには兄について話したことがありませんでしたね。……
マザーが振り返って僕をチラリと流し目して顔を俯かせた。
……その顔には陰が差し込んでいた。
《マザーのお兄さん……。僕にとっては『叔父』にあたる人…。叔父さんがいたなんて
でも、叔父さんについて聞かなかった理由はさっきマザーが言ったことからなんとなく想像が付く。
……もう亡くなってしまったんだ。
だから敢えて叔父さんについてマザーは語らなかった……。
僕と併走するガルム兄さんを覗う。
ガルム兄さんは眉を顰めているが……叔父さんがいたことに対する驚きはない。
ガルム兄さんは叔父さんを知っていたんだ。
「……私と兄は、王国の開拓村を口減らしで追い出されてマリア迷宮都市に流れ着きました。幸い私は運良くパン屋さんの売り子として就職できました。兄は『
マザーは僕たちを率いて倉庫への歩を進めている。
先導するマザーの表情は覗えない。
でも……懐かしい良い思い出を思い出すように感慨深げにマザーが呟いているのは分かった。
「私が孤児院を中から支え、兄が金銭面で支えるという形で初期の孤児院は回りました。ガルム、セルジオ、シュリ、タケル、ユリアと孤児院の子も少しずつ増えていきました。……でも、アレンが孤児院に入院する3ヶ月前、迷宮探索中の事故で…兄は左足と左腕を失いました……。探索者としてのみならず、普通の人としての生活も行えなくなった兄は、事故から3日後に自殺しました……」
《……叔父さんにそんなことが…》
……やっぱり探索者は死と隣り合わせの職だ。
叔父さんが探索者として死んでいた事実。
これまで経験のなかった身近な人の死の事実。
怪物に殺されるだけに限らず、腕や足を失っても死に繋がる…。
腕や足の『部位欠損回復薬』なんて金貨100
そんな高額なもの……中層を探索するDランク探索者といえど用意するのは難しいだろう…。
腕や足がなければ碌な仕事につけないし……餓死を待つだけだ。
本当に……探索者は博打の職だ。
「ーーー兄は自殺する前に、剣と盾を孤児院に寄付しました」
ガラガラ。
倉庫まで着いてマザーが倉庫の扉を開けた。
暗闇の倉庫の中に入って手前の棚から『何か』を取り出した。
「lv2のDランク探索者の兄の装備は、まだ2人には扱いきれないと思っていたのですが…ガルムが『門番』に挑むのなら私も出来る限りの手助けしたい……。あなたたちが帰ってこないのも……兄のような姿で帰ってくるのも許せないから…。……鍛治士に依頼して、あなたたち用に調整するのに時間がかかりましたが」
「2人に渡したかったのはーーーこれです」
マザーが倉庫から携えてきたのはーーー黒塗りの『片手直剣』と白銀の『円上の金属盾』だった。
「剣は10階層の
「………………」
マザーがガルム兄さんに剣を、僕に盾を渡してくれた。
「……剣の銘は『鋭牙剣』、盾の銘は『硬化盾』だそうです。ガルムには『鋭牙剣』、アレンには『硬化盾』を
……僕は月光を反射し白銀に輝く『硬化盾』の表面を撫でる。
鍛治士に綺麗に磨かれて艶を浮かべ、まるで鏡のように僕の顔を映し出している。
……本当に綺麗だ。
でも、盾の表面をよく見ると浅い傷が微かに刻まれている。
この傷は……叔父さんが使っていた時に付いたものなんだろう…。
鍛治士が調整しても…塞ぎきれなかったほどの深い傷の数々……。
孤児院のために必死に迷宮探索を続けてくれた…顔も知らない叔父さん。
叔父さんのお陰でーーー今の
僕は叔父さんに感謝しつつ、『硬化盾』を実際に握り、感触を確かめる。
鍛治士の調整が抜群で、握り手も凄くフィットする。
lv2の叔父さんが使っていたものだけど、lv1の僕でも使えるように調整されている。
僕でも自由に振り回せそうだ。
「……マザー、ありがたく使わせてもらう。必ず『
ガルム兄さんが全力で鋭牙剣を振り抜いた。
ブンッ!という風切り音が響き、風圧で周囲の落ち葉が舞った。
月光に照らされる中庭の中央で、ガルム兄さんの手の内の鋭牙剣がキラリッと煌めいた。
「ーーーユリア。妹たち。お願い。」
「ーーータケル。マザーとアレンに迷惑をかけるような軽挙妄動は控えろよ」
「ーーーアレン。
シュリ姉さんは水色の長杖を手に。
セルジオ兄さんは黒塗りの片手剣を手に。
ガルム兄さんは新調した大型盾と『鋭牙剣』を携えて。
翌日早朝ーーーガルム兄さんたちは『
僕はその日からーーー何事もなく平和に過ぎる日々を祈った。
切望した。
家族皆で、兄さんたちの帰還を出迎える光景を。
ーーー無傷で明るく「今帰ったぞ!」と
泣きながらハグして喜ぶマザー。
それに続いてマザーごと抱きしめる弟妹たち。
ーーーセルジオ兄さんとシュリ姉さんはそんな子供っぽいマザーに嘆息しながら微笑み、「ただいま」という。
ーーー
そんな日常を望んだ。
だけどーーー世界は不条理だ。
ーーー希望通りにはいかない。
ーーーこんなに望む『夢』が叶わないように。
ーーー『迷宮都市から孤児がいなくならないように』。
ーーー『全ての孤児が消えないように』。
ーーー
兄さんたちの
ーーーカルロスが模擬刀と共に姿を消した……。
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