第20話 プネウマの花畑 Ⅴ









「ーーー兄ちゃん!お待たせ!」

「それでは行きましょうか」



早朝。

僕は孤児院の前でーーーカルロスと合流した。

僕もカルロスも野菜が積まれた籠を背負っている。

昨日の夕食で聞いたマザーの指示通り、支援者の方々に野菜を届けるためだ。



「うん!」



孤児院ぼくたちは毎日、孤児院の支援者の方々に早朝収穫した野菜を配達している。

僕たちが出来る精一杯のお返しだ。

全員快く新鮮な野菜を受け取ってくれる。

この迷宮都市で孤児院を支援してくれる方々には感謝しかない。



「まずはどこに向かえばいいですか?」



僕も昔、この野菜配達係に任じられていた時があった。

でも数年前のことだ。

支援者の方々の顔ぶれも変化している。

今はカルロスが配達係として毎日野菜を配っている。

今日の僕はあくまで荷物持ち。

僕は最初にどこに向かうのか、カルロスに尋ねる。



「クレイお婆さんのとこ!こっちだよ!」

「ああ、クレイおばさんですか。懐かしいですね。僕が配達係を務めていた時もお世話になりました」



僕もカルロスに続いて歩き出す。



「クレイおばさんはいつもお茶くれるんだよ!」

「僕が配達係の時はクッキーを貰ったときもありますよ」

「え~!?ずるい!」



カルロスが笑顔の口を尖らせた。



「カルロスもいい子にしていればきっと貰えますよ」

「ほんと!?」

「はい。僕からも頼んでおきます」

「やった!」



カルロスは野菜が満載された籠を背負いながら、飛び跳ねた。

僕は力強く跳ねるカルロスに驚く。



「ーーーカルロス、野菜重くないですか?」

「うん大丈夫!いつも運んでるからもう慣れたよ!」



笑顔でカルロスが答えた。


カルロスは一昨年(2年前)、孤児院に入ってきた。

両親を迷宮で亡くし、行く宛なく彷徨っている所をマザーが見つけ保護したんだ。

入院したばかりの頃のカルロスは頭はよかったが、あまり体力が無かった。

亡くした探索者の両親は、カルロスに商人になることを勧めていたようだ。

9歳のカルロスに外出させず、毎日のように教育を施していたらしい。

だからカルロスは体力がない印象を持っていたんだけど、僕が気づかない間にカルロスも成長したようだ。

毎日の野菜運びで随分体力をつけられたんだろう。



「カルロスも随分力をつけましたね。偉いです」

「へへへ!」



僕はカルロスを褒めつつ、歩を進める。

カルロスもスキップしながら、僕に着いてきた。














「ふぅ……。ここで終わりですね」

「……う、うん。…ここで終わり」



クレアおばさんに野菜を手渡した後、他の支援者様の家も回った。

最後のお家のおばさんに野菜を渡し、挨拶し終わった。

明日は『ピクニック』で来れないことも伝えられた。


支援者の方の家の前で空になった籠を背負い直す。

太陽は既に随分上り、気温も上がってきた。



「それでは孤児院に戻りますか」

「……う、うん!」



1時間以上重い野菜を持って歩き続けている。

僕は迷宮探索で鍛えられているから平気だけど、流石にカルロスは少し疲れたようだ。

元気に返事をするが、その額には汗が浮かんでいた。

……少し休憩するべきか…。

僕はやや重い呼吸を繰り替えすカルロスを見ながら考える。

ここまで、なるべく新鮮な野菜を届けるために休憩なしで歩いてきた。

でももう籠の中に野菜はない。

僕は腰を下ろせる場所はないか通りを見回す。



「ーーーそういえば」

「……どうしたの?兄ちゃん」



見慣れた通りを眺めていると、いつの間にかーーー『鍛冶屋』の近くまで来ていたことに気づいた。



「お世話になっている『鍛冶屋』の近くまで来ていることに気づいただけです」



この通りを逸れて数分歩けば『鍛冶屋』に着く。

今日は修理に出していた『盾と剣』、それに『タケルの剣』も回収しに行く予定だった。

元はカルロスを孤児院まで送ってから1人で訪ねる予定だったけど……ここまで近づいたなら回収してしまいたい。

孤児院から鍛冶屋ここまで片道1時間かかる。……孤児院からまたここまで1時間近く歩くのは正直遠慮したい。


僕は辺りを見回す。

どこか、喫茶店でもないか……。


鍛冶屋は危険な場所だ。

多くの武器が置いてあって、不用意に触れると怪我をする。

そんな所にーーー9歳のカルロスを連れては行けない。

とはいえ通路脇でカルロスに待って貰うと迷子になってしまうかもしれない。

どこか喫茶店でもあれば、僕が鍛冶屋にいる間カルロスにはそこで休んでいて貰おう。


僕が辺りを見回して喫茶店を探していると。



「ーーーえ!『鍛冶屋』さん近くにあるの!?」



カルロスが疲れを見せていた表情を一転、輝かせた。



「はい。……ちょっとその鍛冶屋に用があるので、カルロスには適当な喫茶店で待っていて欲しいんですが…」



辺りは民家ばかりで喫茶店は見つからない。

どうするか…。



「ーーーぼ、僕も行きたい!」



僕が悩んでいると、突然カルロスが叫んだ。

大声に驚いてカルロスに視線を向ける。

カルロスがーーー目を見開いて真剣な表情で僕を見つめていた。

僕はその真剣な表情に驚くが、さすがに頷くことはできない。



「……だめです。鍛冶屋は武器が沢山あって危険な場所ですから。近くの喫茶店で待っていてください」

「ーーーい、いやだ!僕も行きたいっ!!!」



いつも素直なカルロスに珍しく頭を振った。

その真剣な表情が変わることはない。

ただの興味で着いて行きたいと言っているわけではないみたいだ…。



「ーーー僕、探索者になりたいんだ!だから僕も鍛冶屋に行ってみたい!いつか行くことになるんだからいいでしょ!?」



……確かに探索者になったら鍛冶屋に何度も足を運ぶことになる。

僕も武器防具の修理のために、探索者になってから毎月のように鍛冶屋に通っている。

迷宮内で自分の右腕になる武器防具はそれだけ大切に扱う必要があるんだ。


でもカルロスは…まだ9歳だ。

僕は12歳から2年間探索者になるための訓練をして、14歳で探索者になった。

ガルム兄さんたちが探索者になったのでさえ12歳。

体力や体格的にも成長途中のカルロスが探索者になるのはまだ許可できない。

せめてあと3年は先だ。



「……いえ、まだカルロスは9歳ですし」

「ーーーもう9歳だよ!兄ちゃんも先月言ってたよね!孤児ぼくたちは『探索者になるしかない』って!だから僕も今のうちに鍛冶屋に行ってみたい!」

「………………」



先月……訓練に身が入っていなかった年長者たちに発破をかけるためにした僕自身の言葉を引き合いに出され、驚く。《4話「孤児の家族」参照》

……さすが賢いカルロスだ。よく覚えている。



「危ないものには触らないからお願いだよ!兄ちゃん!」

「…………………」



僕は眉間に皺を寄せて考える。


鍛冶屋には危ない物が沢山ある。

9歳の弟を連れて行くのは気が引ける場所だ。

といっても…カルロスの言うことは正しい面もある。

9歳のうちから…将来を見据えて行動することは悪くないだろう。

特に孤児ぼくたちは、将来的に探索者になるしかほぼ道はない。

選択肢がないなら、早めに探索者になる準備を始めることに超したことはない……かもしれない。



「……分かりました。でも危ないですから、店の物に触らないでくださいね」



僕はカルロスのお願いに決断して、笑顔で答えた。

頭のいいカルロスならしっかりと言うことを聞いてくれるだろう

危険なこともしないはずだ。



「ーーーうん!」



カルロスが満面の笑顔になった。










僕とカルロスは籠を背負ったまま、鍛冶屋に向かって歩を進める。

孤児院とは逆方向に通りを進み、目印の靴屋で左に曲がる。

さらに数分歩くと、通りの左側に鍛冶屋が見えた。

『ダルトン工房』と書かれた大きな看板が掲げられている。



「カルロス、中に入りましょう」

「ーーーう、うん!」



緊張した様子のカルロスを連れて暖簾を潜り、中に入る。



「お邪魔します、親方」

「ーーーお、お邪魔します!」



店内には所狭しと武器と防具が置かれている。

木製の籠に置かれた安物の武器から、棚に丁寧に収められた高価な武器、防具もある。

置かれている武器の種類も様々。

剣は勿論、槍や槌、弓、杖など。

防具も、革鎧から騎士様が着るような全身金属鎧まで揃えられている。


山のように商品がある店内にも関わらず、店内には誰もいない。奥のカウンターにも親方どころか店番もいなかった。

親方は奥にいるのか?……不用心だな。



「ーーーわぁぁぁ!すごい!!!」



初めての鍛冶屋に興奮した様子のカルロスが目を煌めかせながら口を開いた。



「うわ、うわ、すごい!!!」



カルロスは言いつけ通り、武器に触らないようにしながら店内を歩いて武器防具を観察している。



「ーーー兄ちゃん!兄ちゃん!これ何!?」



カルロスが『槌』を指差しながら尋ねてきた。

大きな金属製の槌だ。少し埃が被ってある。

売れ残りのようだ。値札の羊皮紙を見ると、値下がりの跡があった。



「これは槌という武器です。すごく重いんですよ」



槌に被っていた埃を払いながら答える。



「兄ちゃんはこれ使ってないよね?」

「そうですね。初級階層1~6階層は剣で倒せる怪物モンスターしかいませんから」



初級探索者は基本的に剣を使う。

それは初級階層が洞窟階層だからだ。

狭い洞窟内では取り回しが効き軽い剣が使いやすい。

対してオープンフィールドの中層以降の階層を探索するDランク以上の探索者の中には、剣以外の武器を使う者がいる。

lvの上昇により筋力が上がった高lv探索者の中には超重量の槌を振るい、怪物モンスターを倒す猛者もいるらしい。


僕は試しに槌を持ち上げてみる。



「ーーー重いっ…」



やっぱり高lv探索者用に作られた槌みたいだ。

僕では持ち上げることもできなかった。



「ーーー兄ちゃんっ!これ!これはっ!?」



カルロスが隣の『槍』を指差した。



「それは槍ですね。強い武器です。初級階層の洞窟階層では取り回しが効かないので不人気ですが、中級階層以上を探索するlv2以上の探索者にはメジャーなようですよ」



中層以降の階層は、初級階層の洞窟迷路と違い階層全体が閉塞的でなく地上と同じように開放的らしい。

だから槍のような長物も自由に扱えるみたいだ。

槌に続いて槍も持ち上げてみる。

ーーーこれも重いっ…。

持ち上げることはできるけど、振り回すことはできそうにない。

僕じゃ取り扱えそうもない。

この槍も高lv探索者向けの物のみたいだ。



「ーーーあ!剣だ!」



次にカルロスが目を向けた先は剣が飾られたコーナーだ。

迷宮都市の探索者の大半は初級階層1~6階層を攻略するEランク探索者だ。

Eランク探索者の多くは洞窟内でも取り扱いやすい剣を使う。

必然的に需要が大きい剣のコーナーは他の武器と比べものにならないほど広かった。


カルロスは目の前に飾られる多くの剣に目を輝かせた。

カルロスも男だから格好いい剣に感動するのは仕方ないだろう。

僕もガルム兄さんに連れられて初めてこの鍛冶屋を訪れた時は同じように興奮したもんだ。


僕は興奮するカルロスを横目に眼前の片手剣を手に取る。


僕が使う剣は探索者になるときにガルム兄さんに買って貰った物だ。

それをーーー10ヶ月使っている。

思い入れのある物だから丁寧に手入れし、長持ちさせてきた。

でも・・・そろそろ限界が来ている気がする。

新しい剣を買わないといけない。

僕は手に取った剣を鞘から抜き、刃を見る。


……いい剣だ。


僕は値札を覗う。

ーーー7銀板70万



「……このくらいはするよな…」



僕は棚に剣を戻しながら呟いた。



「ーーー兄ちゃん…」



カルロスから声をかけられ、カルロスの方を見る。

カルロスは1振りの剣を両手の平に保っていた。



「……僕に、この剣買ってくれないかな…?」



「ーーーは?」



……突然、カルロスに言われたことに頭が追いつかなかった…。

呆けた声を漏らしてしまった…。

カルロスは今9歳。子供のカルロスに危険な剣を買うことなんて出来るはずがない。

頭のいいカルロスがそのことを分からないはずがない。僕が拒絶するなんて分かりきっていることのはずなのに…なんでカルロスは剣を買って欲しいなんて言うんだ?



「ーーー僕、今すぐにでも探索者になりたいんだ!だから武器が欲しくてっ!!!」



目を見開き驚く僕に、カルロスが畳みかけた。

僕はそこで気づいた。



「ーーーもしかして…このために無理言ってまで鍛冶屋に着いてきたんですか?」



カルロスは珍しく僕のお願いを否定してまで鍛冶屋まで着いてきた。

いつものカルロスなら僕の話を聞いて素直に頷いて従ってくれたはずだ…。それが今日は違った。

不思議には思っていた。

だけどまさか……剣を欲しがっていたなんて思ってもみなかった…。



「……お金が欲しいんだ。…僕、マザーの迷惑になりたくない。…僕、これ以上孤児院に迷惑かけたくなくて…」

「……そういうことですか…」



頭のいいカルロスは、孤児院の経営が火の車だと何らかの拍子に気づいたんだろう…。マザーの独り言を聞いたか…。それとも、孤児院の家計簿を見てしまったか…。

……自分も探索者になってお金を稼がないと、そう思ってくれたんだ。

カルロスは…たった9歳なのに、探索者になって孤児院のためにお金を稼ごうとしてくれたんだ…。

僕は俯くカルロスの肩に手を添える。



「カルロスは……負担なんかじゃないですよ。カルロスが年少組をいつも纏めてくれているお陰で、マザーも僕も助かっています」

「ーーーでも」



カルロスの肩を叩いて、それ以上話すのを許さない。

カルロスが孤児院の経営を気遣ってくれるのは…素直に嬉しい。

でも、9歳の子供が迷宮に挑むのはーーー『自殺行為』だ。

そんなの兄として許せない。



「……とにかく、この剣は買ってあげられません。危ないですから」



……顔を俯かせてカルロスは顔を歪めた。



「ーーーでも、『模擬剣』なら買ってあげます。僕も10歳の頃にはガルム兄さんに買ってもらいましたから。頭のいいカルロスなら危険な使い方はしないでしょう。模擬剣を使って強くなってください」

「ーーーえ!いいの!?」



カルロスの顔に喜色が浮かんだ。

僕は微笑みかける。



「はい。だから、この剣は諦めてくださいね」

「ーーーうん!」



僕は預かった剣を元の場所に戻す。






「ーーーうるせえな。誰だ、この野郎」



剣を棚に戻した瞬間、店の奥から声が届いた。

ーーーこの声は。

僕は店の奥に視線を向け、カルロスを『守るように』身体を寄せる。


店の奥には親方がいた。

筋骨隆々で屈強な体格。

無精髭を伸ばし、年のせいで髪は白く染まり始めている。

寝起きなのか、親方は細い目を擦りながら顔を出していた。



「アレンです。預けていた剣と盾、あとタケルの剣も受け取りに来ました」



僕は親方に話かける。

親方は僕を見た瞬間ーーーその顔を歪めた。



「ーーーちっ。『孤児』の坊主か」

「…………………」



……相変わらずの辛辣な言葉が店内に響いた。

次に親方の視線が僕の後ろに立つカルロスに向いた。



「そのうるせぇのも孤児院のガキか?」

「ーーーは、はい!弟のカルロスです!」



カルロスが背筋を伸ばしながら緊張して声を上げた。




「……相変わらず孤児が『家族ごっこ』かよ。きもちわりぃ」

「ーーーえ・・・」



……カルロスが声を漏らした。

……僕はカルロスを背中に隠すように移動する。



「……すみません。用事が終わったらすぐに出て行きます」

「そうしろ。おい、『弟擬き』。あんまうちの商品さわるんじゃねぇぞ」



親方はそう言い残し、タケルの剣と僕の盾を取り出すために店の奥に引っ込んだ。

……僕は振り返って、背中に隠れたカルロスを見る。

カルロスはーーー目に涙を浮かべていた。



「……に、兄ちゃん…」



……カルロスが懇願するように僕を見ている。



「……孤児ぼくたちに対して当りは強いですが、本当はいい人なんですよ…」



親方はこの迷宮都市の大多数の市民と同じように…孤児を憎んでいる。


噂で聞いたことだが…親方は昔、孤児に店一番の武器を盗まれたことがあるらしい。

……それも1本だけではない。

……何度も丹精込めて作った武器を盗まれたようだ。

そして、いつからか孤児嫌いになったらしい。


親方は僕たちが訪ねると、いつも堪った不満を漏らすように嫌みを口にする。

ただーーー親方は嫌みを漏らしながらも僕たちの相手をしてくれる『唯一の鍛冶屋』だ。

僕たちもガルム兄さんたちも親方にお世話になっている。

何度も孤児に被害を受けているのに…僕たちの相手をしてくれる。

それだけで親方の優しさが分かる。




ガシャン。

親方が奥から剣と盾を持って戻ってきた

剣と盾をカウンターの上に置いた。



「ーーーどれも研ぎまで終わらせてある。3銀貨3万円置いてさっさと出て行け。長居されると変な噂が立つ」



僕は剣を鞘から抜く。

キラリッ。

刀身が鋭く光った。

……さすがだ。不満を漏らしながらも仕事は完璧にこなしてる。



「ありがとうございます。ここに置いていきます」



僕は銀貨をカウンター上に置いて、剣と盾を野菜を入れていた籠に収める。



「あと弟に模擬剣を貰いたいんですが」



親方がカルロスを睨んだ。

鋭い眼光にカルロスが怯んだように震えた。



「……その小っこいガキにか…。ガキ、身長は?」

「……1、130cmです」

「腕伸ばしてみろ」

「……え、えっと…」



カルロスが狼狽えて僕を見てきた。

僕はなるべくカルロスを安心させるために笑顔を浮かべる。



「その場でいいですから横に腕を伸ばしてください」

「……う、うん…」



カルロスがウンッ!と精一杯腕を伸ばした。



「ーーーふん。ちょっと待ってろ」



親方が奥に引っ込み、今度はすぐに戻ってきた。

その手には1本の剣があった。



「1銀貨1万だ」



カウンターに1銀貨を置いて模擬剣を受け取る。



「ありがとうございます。失礼しました」



カルロスに模擬剣を渡し、カルロスと一緒に店を出た。








「……兄ちゃん、さっきの親方ひと…」

「……親方は本当にいい人なんです。孤児にトラウマがあるだけで…」



店を出た途端、緊張が解かれたカルロスが僕の袖を引っ張ってきた。

……心細かっただろう。

僕はカルロスの頭を撫でる。



「……うん、分かった…」



カルロスはなんとか空元気を引き出してーーー笑って頷いた。










ーーーそのとき大きな風が吹いた。



「ーーーおい!危ねぇぞ!」




ーーー通りに大声が響いた。

反射的に大声の先を見る。


通りの脇に止まっていたーーー馬車に被さっていた暗幕が風に舞った。

風に乗った幕が数m飛び、地面に降ちた。

幸い暗幕はゆっくり落ちたために、落ちきる前にその場の人は逃げることができた。





ただーーー暗幕がかかっていた馬車の積み荷は白日の下に照らされた。







馬車の鉄格子に納められていたのはーーー『猿轡を噛まされた子供たち』だった。


ーーーあれは『孤児奴隷』だ……。







通りから悲鳴が上がった。

馬車主が暗幕を回収して、張り直そうとしている。



「ーーーなんだ…?随分大きな声だったが」



鍛冶屋の暖簾を潜って親方が出てきた。



「……あの馬車に被せてあった暗幕が風に飛ばされたようです…」



……僕は暗幕を張り直そうと奮闘している馬車を指差す。



「あ?……あぁ、孤児奴隷か。見苦しい」



親方は馬車を見て顔を歪め……すぐに店内へ戻っていった。

僕が親方の孤児嫌いに眉を顰めていると、クイクイと袖を引かれた。



「……に、兄ちゃん…あれ……」



カルロスが……馬車の中で猿轡をされてなお呻いて抵抗している少年を指差した。



「あれは……孤児奴隷です」



都市の法律で窃盗の罪人には窃盗品の倍の額の罰則金が課せられる。

それを払えれば鞭打ち一回で済む。

しかし払う能力が無い場合、奴隷落ちとなる。


……孤児は食べ物に困って窃盗や強盗を繰り返す。

……孤児がお金を持っているはずもない。

警邏隊に捕まった孤児はーーー即奴隷落ちだ。

毎年そうして生まれる孤児の奴隷は……孤児奴隷と呼ばれて迷宮都市内で広く認知されている。


この通りの先には公営の奴隷商館がある。

……たぶん、そこまで運ばれるんだろう…。



「……あれが、奴隷…」



カルロスが呆然とした顔で呟いた。


カルロスは…9歳まで探索者の両親に暖かく育てられていた。

優しい両親に育てられたようで…奴隷に触れないように育てられたのは知っていた。

まさか……こんなところで初めて奴隷を見せることになるなんて…。

ショックを受けて上の空のカルロスを心配しているとーーー。



ガシャン!!!


《ーーー!?》



カルロスに注意が向けている間に、馬車の方から金属音が届いた。

馬車に視線を戻す。

馬車主が鞭を持っていた。


狼狽する孤児奴隷を落ち着けるために……鉄格子を鞭で叩いたみたいだ…。



「ーーーっ!?カルロス、大丈夫ですか!?」



ふいに身体に重さを感じた!

視線を向けるとカルロスが僕にもたれ掛っていた。



「……ど、奴隷…。あれが…奴隷…」



目の焦点が合っていないっ!?

顔を俯かせてボツボツと呟いている。



「ーーーカルロス!?大丈夫ですか!?」

「……兄ちゃん、あの孤児奴隷ひとたちは…あの後…どう、なるの……?」



カルロスが顔を俯かせながら呟いた。

僕は顔を歪めながら……なんとかカルロスを傷つけない答えを探す。



「……運が良ければ、貴族様に購入されて孤児でいた頃よりも良い生活が送れます」

「……運が、悪かったら…?」



…さらなる質問。

……でも、狼狽えるカルロスにこれ以上負担をかけないためにも、その質問には答えたくない。



「……………………」



僕が黙っているとカルロスが僕を見つめた。

その顔はーーー未知の恐怖に強ばっていた……っ。

未知が本物以上の恐怖を想像させているのかもしれない…。真実を伝えた方がカルロスのためか…。


僕は悩んだ末に…真実を口にすることを決めた……。



「運が悪ければ……鉱山か、開拓村に送られます…」



鉱山では小さな体を生かして狭い坑道を通って、常に命の危険が付き纏う採掘作業に従事することになる…。

開拓村というのは、まだ整備の行き届いていない自然を開拓中の小村しょうそんのことだ。塀や柵も築かれていないため、毎夜のように怪物モンスターが襲い掛かってくる自然の中で新しい村を築くことを強いられる。

どちらも極めて厳しい環境だ。幼く体力の乏しい孤児奴隷では…1年も保たない子ばかりらしい。…これも酒場の探索者から聞いた噂に過ぎないが…。



「……こ、鉱山…」



……カルロスの顔が真っ青に変わった…。

腰を抜かしたように僕に縋り付きながら、また顔を俯かせた…。



「……カルロス、歩けますか?」

「……ぅん…」

「荷物は僕が持ちます。籠も持ちます」



僕が代わりにカルロスの籠を持って、再びカルロスの方を向きなると、カルロスはまじまじと遠くの馬車を見つめていた。

馬車にはもう暗幕が張り直されている。中の様子は窺えない。


それでもカルロスはーーーただ食い入るように馬車を見つめていた。



「……カルロス…」

「……あれが…奴隷…」



僕は呆然とするカルロスの肩を支えながら……孤児院への帰路についた…。














「ーーーアレン」

「マザーっ、カルロスの様子はどうですか?」



……孤児院に戻ってもカルロスの様子は戻らなかった。

……ただ怯えるように身体を震わせていた。

孤児院に戻ってからはマザーにカルロスのケアを頼んでいた。


僕は椅子から立ち上がり、居間に戻ってきたマザーに訊ねる。



「…大分落ち着きました。暖かいスープを飲んだら気持ちも落ち着いたようです。今はお布団で寝ています」



……よかった。

カルロスが無事に落ち着いたようで安心する。



「アレン……カルロスに何があったのですか?」



マザーが僕の目を見つめ、尋ねてきた。



「……とおりで奴隷商館に向かう奴隷馬車に遭遇しました。風で奴隷馬車を覆ってある暗幕が飛んで、奴隷の姿をカルロスに見せてしまいました。……馬車の中にいた奴隷は、『孤児奴隷』でした…」

「……カルロスは純粋な子ですから…。……その分奴隷を見た衝撃が大きかったのかもしれませんね…」



マザーが僕の説明に悲壮な顔で呟いた。



「孤児院の僕らは一歩違っていたら孤児奴隷になっていても不思議では身の上です…。……それを、カルロスも分かっていたのかもしれません」



……カルロスは頭のいい弟だ。

……一歩間違えた分岐を察して、その事実に恐怖したのかもしれない。

……もしかしたら馬車の奴隷は自分だったかもしれないと…奴隷馬車で唸っていたあの少年に、カルロスじぶんの顔を重ねたのかもしれない…。



「……カルロスに明日の『ピクニック』の中止を提案したら、断られてしまいました。皆に迷惑かけたくない、と言っていました。カルロスは自分も参加したいと言っています。……ただ、心配です。ガルムにも相談しましたが、アレンも明日はカルロスのこと気にかけてあげてください」

「……もちろんです。カルロスは弟ですから」





カルロスはその後……夕食になっても部屋から出てこず、ピクニックの朝を迎えた。









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