第9話 孤児の不条理 Ⅸ









夜空に満月が浮かんでいる。


『黒牛亭』での決起会が終わり、出来上がったタケルとセルジオ兄貴を連れて『雛鳥の巣』まで戻り、ガルム兄さんたちと僕たちはそれぞれの小屋に帰宅した。

寝息を立てるタケルをベッドに寝かせた後、ユリアも「……おやすみ…」と言って女子用の寝室に入っていった。

僕もベッドに寝転がったがどうにも寝付けず、1人外で焚火を起こし物思いにふけっていた。


椅子に座って考えるのは兄さんたちのこと。



……『門番』挑戦…。

1年も探索者をやっていれば門番の恐ろしさは嫌でも耳にする。

ギルドからは何度も無闇に門番へ挑戦しないよう念を押された。

酒場では門番に殺された探索者の噂を何度も耳にした。


……門番は探索者に掛けられるふるいだ…。

6階層の門番なら、挑戦者が中級階層lv2に通用するか、判断される…。

篩から落とされた瞬間ーーー門番による『死』が待っている。


……ガルム兄さんたちはそんな門番に来月…挑戦する…。

……無事に帰ってくる。……ガルム兄さんたちなら…必ず無事に帰ってくる…。

ーーー絶対に…っ…。


……僕は夜空に浮かぶ月を見上げる…。

心を落ち着かせるために湧かしていた白湯を飲む。

何度も口に運ぶ内にコップの中の湯はいつの間にか無くなっていた……。





「ーーーやはりアレンか」


静寂に包まれる深夜に声が響いた。

驚いて振り返る。

そこにはーーー小屋に戻ったはずのガルム兄さんが立っていた。


「ガルム兄さん……。どうしてここに…?」


「お前は面倒見がいいからな、俺たちを心配してまだ寝れてないだろうなと思って様子を見に来た。そうしたらーーー案の定だ」


「……兄さんは本当に弟妹ぼくたちのことを見ていますよね。すごいです…」


「長男だからな。弟妹全員の面倒を見る責任がある」


ガルム兄さんは焚火の傍に置かれたコップを持ち、焚火で暖められている土器から白湯を注いだ。

口を付けた。


「……早く寝ろよ。遅くまで起きていると隣の小屋のパーティに迷惑がかかるからな」


「……はい…」


ガルム兄さんの注意を聞き、立ち上がろうとすると。

ーーードカリッ。

ガルム兄さんは僕の対面に座った。



「ーーーそんなに俺たちのことが心配か?」



ガルム兄さんの瞳が、嘘は許さないとばかりに鋭く僕の目を穿った…。

僕はガルム兄さんの真剣な表情に…無理に感情を偽るのを止める……。


「……正直に言うと不安が拭えません。漠然とした不安です」


……僕は立ち上がるのを止めて内心を吐露した。


「……でも、この不安は兄さんたちが5階層を攻略すると言ったときも感じていたものなので無用な不安なのは分かっているんです。……あの時も、兄さんたちは無傷で帰ってきました。…今回の門番も兄さんがlv2に上がったから間違いなく突破できる。理解しているはずなんですが……」


ーーーパチンッ。

焚火から火花が飛んだ。


「慎重なアレンらしいな」


「……慎重と言うより、臆病なんだと思います」


「……不安なんて誰でも感じるものだ。お前は臆病じゃない」


兄さんは言い聞かせるように僕に言った。

そしてまた一口白湯を口に運んだ。


「……湧き上がる不安の晴らし方は、俺も分からないな。……分からなかった…」


「兄さんにも……不安を感じる時があったのですか?」



兄さんはいつも僕たちの一歩前に立ち、導いてくれた。

常に男臭い笑顔で僕たちを安心させて、的確な指示をくれた。

マザーが風邪を引いたときも。

タケルが大怪我を負ったときも。

冬の寒さで凍えそうになったときも。

ーーー兄さんの後ろにいれば不安を感じなかった。


そんな兄さんが……不安を感じていた?



「ふ。もちろんだ。お前は俺を完璧超人だとでも思っていたのか?」


「正直に言うと……思っていました」


「ーーー冗談だろ。ただ演じてきただけだ。……弱音は吐かないようにな」


兄さんが『小さく笑みを浮かべたまま』零す。


「……アレンのパーティおまえたちが初めて3人だけで迷宮に行った時も、弟たちを心配させないように満開の笑顔を作った。けど内心は不安でいっぱいだったよ。アレンはしっかりタンクをやれるのか、タケルは無茶しないか、ユリアは怪物モンスターに怯えないかってな……」


兄さんは白湯を飲み干し、僕に顔を向ける。

その表情は辛そうな笑みだった。


「……どれだけ男らしく振る舞おうとしても、理想の男にはなれないんだよな。どれだけ叶えたい夢も簡単に叶わないようにな…」


「兄さん……」



僕と兄さんが10年前に・・・・・互いに・・・誓った夢・・・・

『迷宮都市の全ての孤児を救う』という夢。

誓ってから10年経ったのに……孤児の問題は改善していない。

むしろ、迷宮都市の市民の孤児への憎しみは年を経る毎に増している。生きるために盗み続ける孤児を恨む声は日に日に増していた…。



……この10年間、どれだけ願っても夢には一歩も近づけなかった。




「久しぶりだ。他人だれかの前で弱音を吐いたのは……。マザーとサシで飲んだ時以来か…。楽になった気がする…。……なんでアレンおまえにこんなこと漏らしたんだろうな?」


「……お酒が入っているからじゃないですか…?」


「……違うな。お前が1人前の男になったからだ。立派な背中を見せてやらなきゃならないだけの弟じゃなくなったからだ…」


「………………」


兄さんは月を見上げながらか細い声で呟いた。


「……俺はマザーから孤児院の長男として、立派な『男らしく』あってほしいと頼まれていた。弟たちの手本となるような『父親代わり・・・・・』の立派な男であることを。……それ以来、同い年のセルジオにも弱音を見せないように、立派な男であることを意識してきた。別に苦痛だったわけじゃない。お陰で弟は全員、立派に男らしく育ったからな……」


「アレンは特に手のかからない弟だった。手間がかかったのは最初くらい・・・・・だ」


僕を見つめながら兄さんは呟いた。


最初。

ーーー10年前に僕が『西の廃墟街スラム』から孤児院に連れてこられたばかりの頃の話だ……。


「……当時は、本当にすみませんでした…」


「あのくらい骨があった方が調教しがいがあって楽しかったぞ。何度叱っても台所から飯くすねて、あの頃のお前は狂犬みたいだった。それが今じゃこんな丸くなって……弟妹きょうだいの中で一番の優等生だ」


「……お恥ずかしい限りです」


僕は恥ずかしさに赤くなる顔を自覚しながら、顔を俯かせた…。








ーーー僕は……自我が芽生えた時から孤児だった…。


生まれてすぐに西の廃墟街スラムに捨てられたようで、捨てられている赤ん坊ぼくを偶然見つけた西の廃墟街スラムの孤児のボス・・に拾われて育った。

毎日ボスが盗んできた盗品を食べて育ち、3歳になって動けるようになってからは、ボスと一緒にスリや強盗を繰り返した。


ーーーボスの回りには僕みたいに『0歳で捨てられた子』や『奇形で生まれ、捨てられた子』が多かった。動けない子も沢山いた・・・。


だから動ける僕はその子たちに食わせるためにーーー命がけで一日に何度も盗みを繰り返した。


仲間を守るためにーーー『家族を・・・生かす・・・』ために人から盗み続けた。


当時の僕にとってそれが当たり前だった。

盗んだものを食べなきゃ、生きられなかったから。

それしか『家族を生かす方法』を知らなかったから。


でもーーー子供の盗みなんてすぐに見つかる。

5歳の時…。

盗み、生きる生活が2年続いた冬。

盗み続けた僕たちは警邏隊に目を付けられ、呆気なく捕まった。


1人ボスに逃がされた僕は生きるためにマザーからのスリを試みてーーーマザーに捕まった。

そして、警邏隊に連れてかれることを覚悟した僕を……マザーは孤児院に入院させてくれた。


ただーーー孤児院に入ったばかりの僕は、周りが全員敵に見えていた。






「……まったく、俺が愚痴言えるほどの立派な男になりやがって…」


「……兄さん、お酒飲みませんか?…ちょっと待っていてください。取ってきます」


「ん?飲むのか?」


「はい。ちょっと……兄さんと1対1サシで飲みたくなりました」





僕は孤児院で浸けていた梅酒を小屋の中から持ってきて、空になった兄さんのカップに注いだ。


「はい。どうぞ」


「おう。ありがとうな」


自分の分に用意したコップにも梅酒を注ぐ。


「……お前に初めて『夢』の話をしたのもこんな夜だったな…」


「……『マリア迷宮都市の孤児全員を救う』、でしたね…」


……孤児院に入ったばかりの頃の僕は、ガルム兄さんも敵と考えていた。

毎日ガルム兄さんに殴りかかっては、体格に勝るガルム兄さんに倒された。

毎日不意打ちしてくるような相手に好意を寄せる人はいない。当然だ。


ーーーでもガルム兄さんは違った。

ーーー毎日殴りかかってくる僕を信じてくれた

ーーー笑顔を浮かべて、自分の『夢』を語ってくれた。


「ああ。初めてお前に夢を伝えたとき、俺に殴りかかって来たよな。『ーーー簡単に言うなっ!』って。今思うと、確かにその通りなんだよ…。……あの頃は俺もガキだったから根拠のない自信を持って夢を語れた…」


「……恥ずかしいぜ。今じゃ声を大にして自分の夢すら語れねぇ。男らしくねぇ…」


ガルム兄さんは……コップを揺らして、揺れる水面を眺めながら呟いた。


「……でも…僕は当時、『兄さんの夢』に救われました。……5年間、スラムの孤児として地獄を必死に生き抜く生活を終えて……自分だけ・・・・マザーに救われて…。仲間の孤児を見捨てて自分だけ孤児院で天国の・・・ような生活・・・・・を送る罪悪感に苛まれていた僕に、僕が『救われる理由』を教えてくれたっ……。僕が救われて・・・・いい理由・・・・』を教えてくれたっ…!」


ボスや家族が連行されて…僕だけが救われた理由。

……僕だけが、救われていい・・・・・・理由…。


『迷宮都市の孤児全員を救う』

その夢を叶えるガルム兄さんの手助けをするために……僕は助かったんだ。


……ボスを・・・家族を・・・残して、僕だけ救われたんだ…。


救われた僕のこの命には『確かに意味があったんだ』…。

ぼくは…それを、証明しなく・・・・・ちゃいけない・・・・・・……。


「……やっと夢までの一歩だ…。まだ一歩だ…。死ぬわけにはいかねぇ……」


兄さんが自分に言い聞かせるようにポツリと呟いた…。

梅酒をグビッと飲み干したっ。


「……そうですね。…兄さんが、こんなところで死ぬわけないです。死んじゃいけないんだ。僕の心配は馬鹿なものでした…」


僕もコップに並々と満ちる梅酒を空にするっ。


「『門番』を討伐したらやっと『クラン』の結成条件をクリアする。そのときはお前も、クラン副リーダーとして俺を支えてくれ」


クランとはパーティを超えた探索者同士の相互補助組織のことだ。

1つのクランには何人でも入れる。有名クランの中には千人近いメンバーを有するクランもあるくらいだ。

探索者を管理しやすくするためにギルドもクランの存在を認めているらしい。

ギルドがクラン結成のために提示する条件は2つある。1つはクランリーダーがLV2以上であること。2つめはDランク探索者、つまり中層攻略中パーティが1つ以上加入していること。

ガルム兄さんが6層の門番を下し、中層7~12層に辿り着いてDランク探索者になればクラン結成の条件はクリアされる。


「僕が副リーダーですか?セルジオ兄さんかシュリ姉さんではなく?」


「2人とも大賛成で納得してくれた。俺たちの野望を副リーダーとして現実にする手助けができるのは頭のいいアレンだけだとさ」


ガルム兄さんが手を差し出してきた。




「ーーーなってくれるな?俺の相棒に」


「ーーーはい。もちろんです」


僕は……その手を握り返す。







僕と兄さんの夢、『迷宮都市中の孤児を救う』。


その夢を叶える第一歩を遂に……踏み出せたっ!




これは絶対にーーー間違いなんかじゃない。








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