31 白い部屋
私は、冷たく、白く、清い空間へと墜ちていく。
私は、私そのものの存在となって、雪の中へ墜ちていく。
白く眩しい輝きが、私を満たす。
不思議と冷たさは、感じない。
むしろ、あたたかな感触。
ああ、これには覚えがある。イヴァンの手だ。
無骨でごつごつとした、あの愛しい皮膚。懐かしい熱。
私はその手を握りしめて、思ったのだ。もう離れないと。離さないと。
声も聞こえる。恋い焦がれたあの声が。
嬉しい、また会えるなんて、死んでしまいたいほど、嬉しい。
あれ、私は、死んだのではなかっただろうか。雪の中で。
「……ウ……」
「……ノウ!」
「スノウ!」
目を覚ませば、私はその前と変わらず白い空間にいた。
いや、違う。そこは白い壁と白い天井で築かれた窓のない狭い部屋だった。眩しいひかりは、煌々と頭上で光る蛍光灯の白々とした光線のせい。
そして、イヴァンがいた。
右目にはいつもの眼帯、左目はあの薄い綺麗なブルー。でも瞳に浮かぶのはいつも以上に悲壮な影。そこに私が映っている。見知らぬ部屋のベッドに横たわる私を。
「……イヴァン」
「スノウ! よかった、もう二度と会えないかと!」
イヴァンが私を抱き寄せる。
これは夢だろうか。もう会えないとばかり思っていたのに。しかし、抱きしめられ、彼の身体から伝わる熱は、たしかなものだ。
夢じゃない!
私は震える手でイヴァンの身体に手を回した。
私は生きている。私は生きて、宇宙港で引き離されたイヴァンと今、たしかに、抱き合っている。
「イヴァン、大丈夫? 怪我はない?」
「ああ、無事だ」
「イヴァン、どうだ、愛する人との再会の抱擁は。さぞかし嬉しかろう」
離れた場所から冷徹な声がいきなり聞こえて、私はこの部屋にイヴァンとふたりきりでないことに初めて気が付く。冷たい笑いに満ちた、陰鬱な声。
「見ている方が照れるぜ」
「黙れ、キース」
キース? ああ、この人が、アンナが言っていた、イヴァンに記憶を追うなと忠告した旧友なのか。
イヴァンはキースを睨み付けた。
「まぁ、そうカリカリするな。せっかく、凍死しかけていたところを助けてやったんだ。命を頂く方としては、二度手間なんだから、感謝してほしいな」
「黙れと言っているんだ、キース! スノウをお前の好きにはさせん!」
そのイヴァンの言葉に、キースは焦茶色の髪を揺らして、鼻で笑った。
「ふん、どうやって? お前らはもう籠の鳥だ。逃げられんぞ」
イヴァンの顔がさっと厳しくなる。そして私を抱きしめる手に力を入れ、耳元で囁いた。
「安心しろ、スノウ。俺はもうずっと傍にいる」
「イヴァン」
「君だけでも助けてみせる」
震える唇を動かすイヴァンの瞳には悲壮な色が宿っている。そこで、私は、私たちふたりが、敵の手に落ちた状況をやっと理解した。
「寝言は寝てから、いや、永遠の眠りについてからにしろ、イヴァン。政府からはお前たちを消す命令を既に俺は受けている。だが、まぁいい、今すぐここで殺してもかまわんが、もう少しふたりきりにしてやる。せいぜい最後の恋人ごっこを堪能しろ」
そしてキースは声を落とし、私たちを睨みながら、はっきりとした声で告げた。
「それが終わったら、処刑の時間だ」
キースが部屋を出て行ってから、イヴァンと私は再び固く抱き合った。イヴァンの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「スノウ、すまない、スノウ。君を巻き込んでしまって。全ては俺の記憶のせいだ。キースの言うとおりだ、思い出さなければ、君だけでも守れたかもしれないのに」
「イヴァン、記憶が戻ったの?」
「ああ、そうだ。俺はたしかにナターシャを殺していた」
私は絶句した。
だが、深呼吸をして、彼を見つめ直す。そこにいるのはいつもの優しいイヴァンだ。殺人鬼などではない、私の愛しい人。
私は彼の手を掴み、自分の頬に引き寄せて静かに言った。
「イヴァン、それでも、私はあなたが変わらず好きよ。何があってもこの気持ちは変わらないわ。イヴァン、それよりね、私、伝えたいことがあって。私、あなたとの約束通り、雪を見たわよ。それは、それは美しかった」
「スノウ」
「ここまで私を連れてきてくれたあなたを、一緒に旅を続けてくれたあなたを、恨むことなんてないわ」
それから私は、言った。ゆっくりと、覚悟を決めて。
「たとえ、殺されても」
そして、一番大事なことも。
「イヴァン、あなたに出会えて良かった。私は幸せよ。愛しているわ」
イヴァンが頷く。
その顔は今にも泣き出さんばかりに、くしゃくしゃだった。初めて見る、イヴァンの顔。
いつも、彼は、冷静で、頑強で。だから、私は最後にそんな顔を見せてくれたイヴァンをますます愛しく感じてならなかった。
「イヴァン。すまないが、時間だ」
キースが再び部屋に入ってきた。そして、つかつかと私の方へ歩み寄り、いきなりイヴァンとの間に割って入ると、私の腕を掴む。
そして、彼は、私の指から、アクアマリンの指輪を引き抜いた。
「嫌! 返して!」
私は咄嗟に声を上げた。
イヴァンがくれた、大事な指輪。最期までその身に着けていたかったのに。命を奪われる、その瞬間まで。
だがキースは淡々とした声で言い放った。
「身元がばれそうなものは、身体に遺させるなと上からの命令でな。さぁ、イヴァン、スノウ、立て。出発だ。聞けばお前たちは雪を求めて、この星までたどり着いたそうじゃないか。だったら、最期にふたりで雪を見せてやる」
そう言いながらキースは懐からレーザー銃を取り出すと、静かな動作で銃口を私たちに向けた。
「さぁ、おふたりさん、望み通り、行こうじゃないか、雪を見に」
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