第10章 惑星ヒモナス

29 雪の惑星

 宇宙船の窓に、ちいさな惑星が姿を現す。私たちの旅の目的地、惑星ヒモナスだ。

 私は船室の窓にへばりつくように、その星に見入った。


「あれがヒモナス。惑星の表面が真っ白だわ」

「そうだ、スノウ、あれが雪だ。ヒモナスは、その名の通り、一年中冬だからな」


 あれが、雪。私の名前の由来になった、雪。

 宇宙船からでは、まだ冷たさも感触も分からず、遂に「それ」を見た、という実感はわかなかったが、とうとうここまでたどり着いてしまった、という感慨が私の胸を満たす。


 ここから先に行くあてのない私とイヴァン。果たしてこの星にたどり着いたことが吉か不幸か、まったくもって分からない私たち。それでも「雪を見ないか」と言ってくれたイヴァンの言葉通り、ふたりでここまで来られたこと。


 それが私には、何より幸せだった。

 たとえ、この先、何が待っていようとも、私は今、幸せだ。


 私は隣に立つイヴァンの手をそっと握った。その想いが伝わるように。

 イヴァンは無言のまま、私の手を握り返してくる。分かっている、と言わんばかりに。


 窓から見える白い惑星が、どんどんと大きさを増して、私たちの前に迫ってきている。まもなく着陸準備に入る旨の、船内アナウンスが響き渡った。



 ヒモナスの宇宙港は閑散としていて、辺境の星らしいのどかさと侘しさがあった。

 だが、それは見せかけにすぎないとイヴァンは言う。


「この星には、辺境警備の軍事施設がある。俺も赴任したことがある基地がな。だから私服の軍人がうろうろしているな、スノウ、君には分からないだろうが」


 グレーを基調とした無機質な宇宙港のなかを一瞥し、イヴァンは私に小声で言う。そう言われて、もう一回、ぐるっ、と周りを見回してはみたけれど、私には、彼が言うとおり、誰がそうであるか、さっぱり見わけがつかない。ここでは、誰がどのように私たちを見ているのか分からない、ということに私は悪寒を感じた。

 そんな私を見て、イヴァンは安心しろ、俺が傍にいる、とばかりに、そっと、白いワンピース姿の私の肩を抱く。私は彼の肩にもたれかかり、そのぬくもりで、気を落ち着かせようとした。彼の熱が、私の胸に染み入る。


 私たちはその姿勢のまま、外に繋がるゲートを潜ろうとした。もうすぐ、この目で直に雪を見、触れられる。そのことだけが私の心を浮き立たさせた。

 ところが、ゲートにて、私たちの前に係員が立ち塞がった。


「当星は各軍事施設がある地域のため、念のためお客さまに、市民コモンコードの照合をお願いしています。ご協力下さい」


 私は、ひやっ、とした。

 戦後の混乱によりシステムが切断されている箇所がある、という理由で、この星に至るまで、コードの照合はノーチェックだったのだ。もし家族が、私の捜索願を出していたとしたら、面倒なことになる。

 しかし、逃げることも出来ない。私は恐る恐る、差し出されたディスプレイにコードを打ち込んだ。


 少しの間を置いて、画面がグリーンに輝く。照合承認のサインだ。私は胸をなで下ろした。

 続いてはイヴァンの番だが、彼は大丈夫だろう。ローディでは彼のクレジットカードは普通に使えたし、銀行口座から貨幣を引き出すことも出来ていた。それらのすべてにコードは紐付けられているから、承認されないことはないはずだ。彼も同じようにディスプレイにコードを打ち込む。

 しかし、即座に画面が赤く光り、同時にゲートに警告音が鳴り響いた。

 私、そして、イヴァンの顔は青ざめた。


「お客さま、コードが存在しません」


 係員が再度コードの入力をイヴァンに促す。だが結果は変わらない。

 なぜ、と私は呆然としながら思った。なぜ、ローディまでは生きていた彼のコードが存在しなくなっているのだろうか。私は、そんなはずはない、と係員に食ってかかりそうになった。


 が、そのときには既にイヴァンは複数の警備員らしい人間に取り囲まれていた。彼らは、冷徹にイヴァンに言い放つ。


「お客さま、ちょっとそこまでご同行願えますか」


 私はイヴァンの顔を見た。彼の顔は、青ざめつつも、何か腑に落ちたかのような納得の表情を浮かべ、微かに苦笑しているようにも見えた。それは、ここまでか、という諦めの表情なのだろうか。

 たまらず私は叫んだ。


「イヴァン!」


 そうこうしているうちに、イヴァンは私の前から、連れ去られようとしていた。複数の警備員が彼の腕を引っ張り、連行しようとする。

 そのとき、彼が叫んだ。


「スノウ、雪を見ておけよ、君、そのもののような、綺麗な雪を!」


 その言葉を最後に、私の視界からイヴァンの姿は消えた。あっという間の出来事だった。

 あまりにもあっけない、別れだった。



 私はふらふらとトランクを抱え、コートを着ることも忘れたまま、宇宙港の外に出た。人里離れた場所に作られた宇宙港の周りは、どこもかしこも白く埋もれている。


 私の頬を白い粉が打つ。空から降ってきた冷たい粒が打つ。

 これが、雪。

 生まれて初めての雪の感触は、どこまでも冷やかだった。だけど、私はかまわずその空から舞いつづける白い渦のなかに身を躍らせた。味わいたかった。全身で、ここまで追い求めてきた雪を。私の名前の由来である、清いそのものを。


 私は宇宙港のロータリーを横切って、宇宙港のフェンスを周遊する道に出ると、そこをあてもなく歩き始めた。イヴァンがいない今、もう、私には行く先がない。だから、ただ、この白い雪を感じ、その清さのなかに身を埋めてしまいたかった。


 スノウ


 私はこんなに清くない。

 私はこんなに白くない。

 私はもっともっと汚れていて、もっともっと卑しくて。


 だけど、そんな私をイヴァンは愛してくれた。忌むべき過去も受け入れてくれた。そこから連れ出そうとしてくれた。だから、私もイヴァンにどんな過去があろうと、たとえその手を我が子に掛けたとしても、受け入れようと思った。手を携えようと思った。彼が恐ろしいなんて、これっぽっちも、思わなかった。これから、ともに各々の過去を抱きつつ、歩を合わせて生きていこうと望んでいた。

 それなのに、別れはこんなにも早く、あっけなく。

 ふたりで雪を見ようと誓ったのに、今、私はひとりで雪を見ている。ひとり雪のなかにいる。


 私は手が、頬が、足が凍えるのもかまわず歩き続けたが、やがて冷え切った身体に限界が訪れて、一歩も進めなくなってしまった。気が付けば、宇宙港の外れまで私は来ており、道は細くなり、雪はだんだん深くなり、そして人の気配はまったくない。


 でもそのどれもが、私にはどうでもよかった。むしろ、誰にも邪魔されずに、ここで雪に埋もれることができるのが嬉しかった。ブーツを通した足の感覚はすでになく、私は遂に、雪の中にどう、と倒れた。私の身体は、ますます激しくなる吹雪のなか、あっという間に白く覆われた。


 意識が遠くなる。


 でもこれでいい。これでいい。

 全身に雪を感じながら、このまま私はここで死んでいく。私はこの宇宙から消えていく。


 でも、イヴァン、イヴァン、最後にあなたに会いたい。私の愛する人。

 その手に抱かれたい、包まれたい、一体になりたい。そうして私は、初めて真に救われて、安らかに思い残すことなく、死んでいけるのに。


 私の頬を涙が伝ったが、それも一瞬にして凍り付いてゆく。

 やがて身体の全ても凍り付き、私の意識は雪のなかに沈んだ。

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