28 くちづけのその後

 アンナからの、ターニャの死を告げる電子電報を読んで、俺は震えた。


 普通、今、どんな関係にあっても、伴侶の死を知らされたら、暗澹たる気持ちになるものだ。

 だが、それに加え、俺が家族のことを思い出しかけたタイミングで妻が亡くなったことは、何かの符号がそこに隠されているように思えてならず、それが俺の動揺をさらに深くした。

  そこに、アンナからのターニャの死がという通話である。俺はアンナと話すほどに、それまで考えまいとしていた疑惑が、確かな輪郭を持って再浮上してくるのを実感せざるを得なかった。


 つまり、キースの忠告通り、俺の消えた記憶のなかには、誰かにとって非常に不都合な事実があるのではという疑惑だ。

 だが、ナターシャの死の真相、ターニャが言っていたとおり、ナターシャを殺したのが俺だとしたら、一体それは誰にとって不都合な真実なのだろうか。俺が殺人犯だとしたら、一番それを隠したくなるのは当の「俺」ではないか。


 この矛盾がどう考えても、俺には解けない。そして考えれば考えるほどに、俺は自分自身が得体の知れぬ怪物のような感覚に襲われ、苦しくてたまらない。この手で我が子を手にかけたのかも知れぬと思うほどに、俺は自分が恐ろしくてたまらない。


 そこには、ぶつ切れになった、大切な人間への記憶に、おののくばかりの自分がいた。


 だが、この現実をスノウは拒むことなく受け入れて見せた。

 俺のことを信じる。あなたは我が子を殺すような人じゃない。そういうわかりやすい言葉で、彼女は俺を慰めようとはしなかった。

 その代わりスノウは俺にこう言った。


「私の過去を、受け入れてくれているあなたを、恐ろしいなんて思わない」


それを聞いたとき、俺は「どんな過去があっても、俺を受け入れる」という言葉の裏返しであると受け取ったのだ。


 都合の良い解釈かもしれない。

 しかし、自分のことが信じられず、衝動的に自身の頭をレーザー銃でぶっ飛ばしかねない今の俺にとって、スノウのその気持ちは、どれほど救いになったことか。


 スノウに出会って以来、俺は彼女を痛ましいその過去から、どう抜け出させてやればいいか、そのことばかり思っていた。どうすれば彼女を救えるのかと。

 だが、これでようやく俺とスノウは対等の立場になった。同じく過去に痛みを抱くもの同士として。それを感じたからこそ、俺はスノウの口づけを受け入れ、ついで、自分からも貪るようにスノウと唇を重ねたのだった。


 俺は幸せだった。

 心の底からの、安らぎを手に入れた思いだった。


 だが、初めての口づけの余韻に浸る間もなく、それから俺たちはすぐ、暮らしていたアパートメントを出る準備に取りかかった。

 俺が消されるかもしれない、となれば、ゆっくりと、ここでくつろいでいるわけにはいかない。何より、士官学校時代に世話になった、このアパートメントの大家夫妻に迷惑を掛けるわけにはいけなかった。俺たちは早急に、その身を隠す必要があった。逃げる必要があった。


 そして、その先には、一日も早く、俺に関する謎を明らかにする、つまりは決着を付ける必要がある。


 その鍵を握る人物を、今の俺はひとりしか知らない。そう、俺に忠告をしてきた、戦友のキースだ。

 俺は決めた。キースに会いに行こうと。


 といっても、俺はキースの詳しい居場所を知らない。

 麻薬捜査官の事務所に問い合わせたところで、捜査官の個人情報など明かしてくれるわけがない。だが、キースは俺に会ったとき、最初にこう言った。


「終戦後、職にあぶれて、今は地元のこのヒモナス星域でこれを仕事にしている」


 となると、彼の本拠地はヒモナスにあると考えるのが自然だ。俺たちが元々目指していた、旅の最終目的地、惑星ヒモナスに。

 これは偶然なのか、それとも何かの罠なのか。迷うところではある。

 だが、これ以外に手がかりが見当たらない以上、俺たちは再び、行く先をヒモナスに定めるしかなかった。



「スノウ、やはり、ヒモナスを目指そう」


 たどり着いた宇宙港のベンチで、俺が熟慮の末、隣に座るスノウにそう告げると、彼女は満面の笑みを顔に浮かべた。


「そうね。難しいことはいろいろと置いておいて、やっぱり、私、あなたと雪が見たいわ、賛成よ」

「ありがとう、スノウ。俺もそうしたい」


 こうして俺たちは、旅の終わりの地、惑星ヒモナスに向かう船の切符を手にした。

 ローディからヒモナスは、一昼夜の距離だ。これが最後の宇宙船での旅となる。


 その後がどうなるかは、まったくもって見当が付かない。

 そして、俺たちに「その後」がある保証もない。


 それでも、隣にスノウがいる限り俺は旅を続けようと思った。

 愛しく尊い存在の、その手を離さずに。

 

 行けるところまで、行こう。ふたりで。

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