第9話

 4日目の朝。椅子に座ったまま寝ていた夕夜は、小夜に肩を揺すられて目を覚ました。

「おはようございます」

「ああ」

 彼が短く返事をすると、彼女は口に手を当てて小さく笑った。

「本当に寝てたんですね。普段も同じ姿勢だから分かりませんでした」

 夕夜は背もたれに体を預けたまま軽く体を伸ばし、瞼をこする。その表情は普段とあまり変わりないが、若干瞼が重たそうだった。

「コーヒーが入ってますよ。眠気覚ましにいかがですか」

 夕夜が頷くと、小夜はエティアと奏の三人で厨房へ向かっていった。女性たちが出て行き、食堂には男性陣が残される。

 昨晩は夕夜、秤、野村の男性陣とエティア、奏、小夜の女性陣に分かれて三時間毎に交代して睡眠をとっていた。それは昨晩の九時から始めており、夕夜らは九時から十二時までと三時から六時まで見張りとして起きていた。

 現在は八時。秤と野村も睡眠が足りていないのが見て取れるが、それぞれ様相が異なっている。

 秤はウイスキーの瓶を握りしめており、顔から血の気が失せて二日酔いの様子であった。彼は時折顔をしかめ、こめかみを押さえている。

 野村の顔は青白く、目の回りに濃い隈を作っていた。平時であれば丁寧に剃られている髭が伸びたままであり、後ろにきっちり撫でつけられていた髪にもほつれが見られる。彼の体中から悲壮感が漂っていた。

 殺伐とした時間を過ごしていると、小夜が銀のトレイにコーヒーを載せて現れた。その後ろにエティアと奏が肩を寄せ合うようにして続いている。

 小夜はトレイを机の中央に置いた。野村はのそりと立ち上がり、コーヒーと一緒に運ばれてきた砂糖壷を手に取り、上下に振った。白磁の壷の中で粉末が混ざり合うわずかな音さえも、室内に大きく響く。

 秤が席を立ち、震える手で慎重にカップを掴み席に戻る。椅子に座るとすぐに、酔いを打ち消すためか熱いコーヒーを一息にあおった。

 続いてエティアと奏が席を立ち、トレイに手を伸ばす。エティアは砂糖壷の表面を僅かに掬う程度に砂糖を足し、奏に手渡した。奏はジャリと音を立てて匙を深く突き刺し、一杯に砂糖を掬う。手元が震えているのか、山と盛られた砂糖は細かく零れ落ちている。二人が席に戻る間、野村は奏から砂糖壷を受け取ると、激しく振り机に戻す。

 小夜は野村が置いた壷を持ち上げ、残るコーヒーに砂糖を一掬いずつ加え、夕夜と野村に配る。野村は小さく礼を言いつつ受け取り、夕夜は目の前に置かれるカップを無言のまま見つめた。

 エティアは、手持ちぶさたを紛らわすように少しカップの縁に口をつけている。その仕草は小鳥が朝露の滴を飲むようであった。

 小夜と夕夜は並んで座り、器を手に取るタイミングやその所作が不思議と一致している。

 野村と奏は疲労の色が濃く、ただ時が過ぎるのを耐えているように手元から立ち上る白い湯気を見つめていた。長い沈黙が続き、コーヒーから湯気が消えた頃、思い出したように奏はカップに口をつける。

「ゔぐぁ、がぁぁあああ」

 カップの液体を嚥下した瞬間、奏は形容し難い声を出しながら椅子から転げ落ちた。彼女の手から滑り落ちたコーヒーカップが床に落ち、赤い絨毯に褐色の染みが広がる。

 彼女の口は顎が外れるほどに開かれ、意味をなさない音を漏らし続けている。床に落ちた身体は小刻みに痙攣し、眼球が飛び出る程にむき出しになった瞳の中で、黒目が焦点を合わさすことなく無軌道に動き回る。内蔵までも痙攣が襲っているのか、彼女の口からは黒みがかった液体が吐き出され、彼女の蒼白な顔を汚していった。人の発する声とは思えない音を出す喉からは、ゴボゴボという音が聞こえ出す。

 異常な奏の姿に、秤は悲鳴を上げて部屋の隅へ逃げ、壁に背をつけてへたりこんだ。エティアと野村は椅子から立ち上がったまま恐怖に体を竦ませている。

 夕夜はゆっくりと立ち上がり、奏の元へ歩み寄った。その隣には小夜が怯えながらも付いてきた。

 夕夜は仰向けに倒れている奏の体を抱き起こそうとするが、全身の筋肉を千切れそうなほどに強ばらせているため思うようにいかないようだ。せめて横臥の姿勢を取らせるように試みるが、奏の体は棒のように固まっており手足が曲がらない。片側からその体を持ち上げると、マネキン人形を寝かせたように手足の先端だけが地に着く形となった。

 小夜が手を貸し、二人で支えて奏の姿勢を維持しているが、その口から垂れる液体は胃酸に変わり、周囲に酸味を帯びた臭気が漂い出す。口から溢れた液体はびしゃびしゃと音を立てて止めどなく流れ、絨毯を濡らしていく。

 小夜は歯を食いしばり、吐き気に堪えているようだ。夕夜は平然としたまま、やがて力を抜き、未だ痙攣を続けている奏の体を仰向けに戻した。

「夕夜さん! なんでやめちゃうんですか! 奏さん窒息しちゃいますよ!」

「もう手遅れだろう。俺たちではこんな状態の人間を治療できる訳がない」

「それは……そうですけど」

 小夜は一人支えようと込めていた力を抜いていき、体を離した。

 奏の体は床を濡らしている液体にまみれたまま痙攣を続けている。大きく開かれた瞳と口は苦悶の表情というよりも、ただただ機械的な動作であり、そこに苦しみがあるのか判断がつかない。

 その場にいる者たちはただ、奏の体が止まるのを黙して待った。

 数分の後、奏の痙攣は収まり、死体となった。

 顔の表情筋に込められていた力が無くなったためか、死体の表情が人間らしいものへと変わっていく。そこに至ってようやく、奏の死に様を見守った者たちにも、彼女が今際の際に感じた苦悶を読みとることができた。

 夕夜は席に戻り、疲れたようにどさりと腰を下ろす。その音で我を取り戻したのか、エティアがかすれた声を出した。

「毒殺、ですわね」

 その言葉に、壁に背をつけて腰を抜かしていた秤が弾かれたように立ち上がる。

「誰だ! 誰が毒を盛ったんだ! お前か!」

 秤は怒鳴りながら野村に飛びかかり、その胸ぐらを掴んだ。野村は抵抗する気力も無いようで、泣きそうな表情で首を横に振る。

「このコーヒーはお前が入れたんだろうが!」

 野村は苦しそうに口を開閉させるが、そこから声は出ない。

 彼を掴む秤の腕に、小夜がなだめるように手を添えた。

「違います! 私が煎れました。でも、私たちは運んで机に置いただけです。そこから取って奏さんに渡したのはエティアさんだったでしょう?」

「お前か!」

 秤は野村を乱暴に突き放し、エティアに向き直る。彼の追いつめられた視線を、エティアは冷めた表情で受け止めた。

「確かに奏さんに渡したのは私ですわ。だから私が犯人だと? 短絡的にもほどがありますわ。私がカップを取って渡す間に、皆さんに見られながら毒物を入れる事ができる機会は皆無でしたのに」

「じゃあ誰が、どうやったんだ! そうだ、この砂糖が毒なんじゃないのか?」

 秤は砂糖壷を掴むと、壁に投げつけた。白い粉が飛び散り、白磁の壷は音を立てて砕け散る。

「貴方はどこまで粗野な方なのかしら。高価な食器でしょうにもったいない。お砂糖でしたら私も入れて飲みましたましたが、この通り生きていますわよ。神沼さんと野村も入れてましたが、ご覧のとおりなんともない様子ですのに」

 小夜が持ってきたトレイからコーヒーを取った順番は秤、次にエティアが奏と自分の分を取り、続いて小夜が夕夜と野村に渡している。砂糖を加えたのはエティア、奏、夕夜、そして野村の四名。全員がコーヒーに口をつけているが、症状が出たのは奏のみである。

「誰でも良かったんじゃないのか? コーヒーに一つだけ毒を入れる。適当に取らせて、自分が毒入りに当たったら飲まなければ良いだけだ」

「そうなると標的は奏さんだけではなく、犯人以外全員と言うことになりますわね。だとすると、一人だけ殺すよりも全部に毒を盛った方が簡単に目的が達成できるんじゃないかしら」

 エティアは反論に、秤はしばし考え込む。そして足音を立てて厨房へ向かった。

 彼の行動をエティアと小夜がいぶかしんでいると、厨房から棚を荒らす音が響いてきた。それはすぐに静まり、秤が厨房から姿を現す。

「そんな物を持ってきて、一体どうするおつもりですか?」

 長く鋭利な包丁を手に持った秤に、エティアが身構えつつ問いかける。秤は何かが切れてしまった、狂った笑みを浮かべた。

「お前等なんかとこれ以上一緒になんて居られん。俺はこれから一人で行動する。良いか、誰であろうと近づいてきたらぶっ刺してやるからな」

 秤は包丁を構えながら壁伝いに移動すると、食堂から出て行った。彼が居なくなり、エティアは大仰にため息をつく。

「彼の言うことも一理ありますわね。誰が犯人かは分かりませんが、私自身が犯人で無いことは自分で分かっています。一人で部屋に籠もっていた方が安全みたいですわ」

 エティアは、今後は食事は結構ですわ、と言い残して食堂を後にして行った。

 野村は頭を抱え、しばらく席で固まっていたが、部屋で休むと言い残して食堂を出て行った。

 夕夜だけは相変わらず無表情のまま、椅子に深く腰掛けて温くなったコーヒーをのんびりと飲んでいる。彼の思考は何かの回答に近づいているのか、気分が高揚した雰囲気を漂わせていた。細かくリズムを取るように足のつま先を動かし、小さく鼻歌を口ずさんでいた。

 小夜は夕夜を睨みながら歩み寄ると、彼の頬を打った。高い音が室内に響きわたる。

「人の命がかかってるんですよ! 真面目にやって下さい!」

 彼女の言葉に、夕夜は叩かれるにまかせて横を向いていた顔をゆっくりと戻すと、まっすぐに小夜を見つめた。

「なるほど。それが鍵かもしれないな」

 彼の瞳には熱が籠もり、輝いている。これまで彼が見せたことのない表情だった。

「夕夜さん、一体どうしたんですか? ぶった事を怒ってるなら謝ります。ごめんなさい」

「いや、寧ろ礼を言いたい。お前の言った通り、『命』あるいは『砂』だ。両者は同じとも言えるが」

「えっと、何の話でしょう?」

「命、すなわち生命とは何か。人間の脳は誰でも同じ物質から成り立ち、DNAという設計図も同じだ。だがその行動には個体差があるように見える。それはなぜか。初期条件のわずかな揺らぎが決定的な違いとなっている、つまりカオスであると解釈できるのかもしれない。だが、それは違う。個性など存在しない。生命は砂粒と同じだ」

 脈絡なく人間と砂粒が等しいと言いだした夕夜に、小夜は目を白黒させた。夕夜は彼女の困惑に一切構わず、力の籠もった口調で語り続ける。

「砂一粒の運動は、そこに吹く風、熱による膨張、砂同士の摩擦などの条件に支配されランダムに見える動きをするだろう。しかし砂山を俯瞰すれば規則正しい風紋が定常状態を保ち、調和が形成されている。構成している要素個々は混じり合わず、外的要件により孤立した運動をするにもかかわらず、全体として調和を保つ。これは個々の人間が個性とやらに従って行動した結果形成される、社会のアナロジーだ。すなわち、砂粒であろうが人間であろうが、その運動、系の変化を規制する法則は同一と考えられる」

 孤立と調和。究極の孤立である『死』と、すべからく万物に調和をもたらす『時』。祈祷室に据えられた、死と時を司るクロノスに捧げるにふさわしい言葉であった。

 彼が追い求めているものは、このクロノスが司る法則と言えるのかもしれない。この世界の物質を支配する、純粋で簡潔な方程式。彼は、希求して止まないその一端、あるいはそこに至る道筋の一歩を見つけた事に興奮しているのであろう。

 淀みなく語り続ける夕夜を、小夜は神妙な面もちで見守っている。

「現在、この世界を記述する理論には、対象となる事象のスケールにより大きな隔たりがある。巨視的な、マクロの事象は相対性理論に連なる古典物理学により記述され、微視的、ミクロでの事象は量子力学によって記述されている。それはなぜか」

 巨視的な世界、たとえば天体の運動は相対性理論により予測される。対して、微視的な世界、電子や光子の性質は量子力学により語られる。人の見る世界は確固とした存在があるのに対し、その基となっているはずの原子や電子は、量子力学によれば現れては消え、存在する位置を特定することも出来ない曖昧模糊とした存在である。ただ見るスケールを変えただけで支配する法則が変化するなど合理的ではない。両者を繋げ、世界を完全に記述する方程式があるはずだと、多くの科学者たちがその人生を費やしてきた。だが終ぞ見つからない。

「それは命と砂が同じように振る舞うように、マクロの世界とミクロの世界において、この世界と言う系全体に要請される法則は同一であるのではないか。ただ、巨視的スケールと微視的スケールではその法則を満たすための束縛条件が異なっているはずだ。量子の世界においては重力のくびきから解放されているために、時空間という場に縛られていない。よってその存在が波動方程式に従い消滅生成を繰り返すことが、世界という系に対する要請、云わば『世界からの一次要請』を満たす効率的な方法なのだろう。これが相対性理論と量子力学が断絶されている理由であるに違いない。そしてこの『第一次要請』は、個々に対してではなく、系全体、すなわち世界全体に対するものである。つまり、砂一粒ではなく、砂山全体に、人間一人ではなく社会全体に対する物なのだろう」

 彼が鍵と見定めたのは、世界の見方を変えることであった。それはつまるところ、砂粒がどのように運動することで全体として文様が形成されるのかと研究するのではなく、どのような文様が出来ることを要請されているのかを見極め、砂粒の運動はその要請を満たすために規定されていると考えるというものである。

 科学はこれまで、各要素の性質を解明することで事象の結果が分かる、因果の矢は原因から結果に流れると考えてきた。そのように事象を分解していくことが科学的であると。

 しかし彼の考えでは、各要素の性質の更に先には、世界という系全体に対する要請がある。そこでは、原因と結果がウロボロスの如く円環する。結果は原因から導かれるが、原因は結果から要請されているのである。これは矛盾をはらんでいるように思えるが、因果関係は時間の矢の如く一方通行であるという、時空間における法則に人類が捕らわれているがゆえの思いこみである。後に、『世界からの第一次要請』と名付けられることとなる彼の理論は、森羅万象を越え多項宇宙までも記述する『ラプラスの魔王』と呼ばれる仮想存在を創出するが、それは遠い未来の話である。

「今後の課題は、あらゆる現象に共通して見られる結果を探すことだな。それが『一次要請』で記述されている条件なはずだ」

 夕夜は語り終えると、一人で何度も頷いている。満足そうな夕夜に対し、小夜は呆れたように目を半眼にしている。

「夕夜さん、それ今の状況と関係ありますか?」

「いや、全くない。俺としては殺人事件を解明する以上の収穫だったがな」

 夕夜は小夜に向け、明るく笑った。普段のガラス玉のような目ではない人間味を帯びた眼差し。穏やかに細められた目と僅かにあがった口元は、多くの異性を引きつけるほどに整ったものであった。

「礼だ。お前は、この状況をどうしたい?」

「え? どうしたいと聞かれても。その、助けて欲しい、です」

 ぼんやりと夕夜を見つめていた小夜は、我に帰ったように肩を小さく跳ねさせながら、どぎまぎと答えた。

 夕夜は彼女の答えに対し、細い指を膝の上で組んだ。

「分かった」

 夕夜は煙草を取り出し、小夜に灰皿を要求した。

「ここは禁煙ですよ」

「一本だけだ。これが吸い終わる前にこの事件の鍵を見つけてやる」

「犯人が誰か分かったんですか?」

「これから考える。とにかく一本だけ吸わせてくれ。思考が回らないんだ」

 小夜はしぶしぶといった様子で厨房に行き、ガラスの灰皿を取ってきた。それを夕夜の前に置き、向かいの席に座る。

 夕夜は煙草に火をつけると、目を閉じた。細い煙をたなびかせ、深く息を吐きながら、思考に沈んでいく。

 脳裏に浮かぶ無数の映像を見ているように、彼の瞳がその瞼の奥で激しくに動いている。そこで彼は何を見ているのか。大砂時計、宗善は野村を睨む、流れるような砂に残された一つの足跡、食堂に架けられた狂った時計、足下が揺れるようなチャイム、足跡の無い幾何学的な砂に浮かんだ死体、クロノス像、マリーアントワネット、狩羽の握っていたルーペ、砂から出てきたような死体、始まりの砂時計、葵に似た栗色の髪をした女性の肖像画――この館の多くの違和感がその脳裏に再現されているのかもしれない。

 夕夜の手にした煙草は短くなっていく。

 持つ指に熱を感じるほどに煙草が短くなった時、彼は目を開き、食堂の壁に掛けられた狂った掛け時計を見た。0時付近を指していることを確認した後、続いて自分の左手の腕時計に視線を落とした。ゆっくりと立ち上がると、短くなった煙草を曇り無く磨かれた灰皿に押し付けて消す。彼の腕時計は十一時を指していた。

 夕夜の隣で所在無さそうに佇んでいた小夜が、恐る恐るといった様子で問いかけた。

「何か分かったんですか」

「『鍵』は掴んだ。時間がないな。まずは出口の鍵を確保する。入り口の扉の鍵はどこにあるか案内してくれ。ああ、そこにぶちまけられてる砂糖には近づくなよ」

「え? あ、はい」

 早口に告げて促す夕夜を、小夜は慌てて案内した。秤が砂糖壷を壁に投げつけた際に床に蒔かれた砂糖を大きく迂回し、二人は食堂を出る。

 小夜は厨房の隅に掛けられた鍵束を手に取る。そこに夕夜から声がかけられた。

「お前の父親は誰だ?」

「何ですか、いきなり」

「答えられないなら別に構わない」

「……。入り口の鍵はここには無いみたいです。野村が持っているのかもしれません」

 小夜は質問に答えず、手元の鍵束に目を落としたまま告げた。

 夕夜はそれ以上問わず、身を翻した。小夜は不安そうな表情を浮かべ、夕夜の後を追う。

「野村さんを連れて祈祷室に来い。俺は他のを連れて行く」

 夕夜は振り向きもせずに、後ろにいる小夜に告げた。自身は何に使うのか食器棚からガラスのコップを一つ手に取り、厨房に続く扉へと歩いていく。

「祈祷室へ? 何でですか?」

「説明している時間はない。良いから連れて来い」

「分かりました。ちなみに、そのコップは何に使うんですか?」

「もう一度言う。説明している暇はない」

 早足に去っていく夕夜の背に向かって、小夜はため息をついた。

「分かりました。もう理由は訊きません。秤さんとエティアさんは混乱している様子でしたから、気をつけて下さいね」

 小夜は聞こえていないのか反応なく遠ざかる夕夜を諦めたように見送った後、彼女は意を決して野村の部屋の扉を叩いた。

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