第7話

 食堂に会する一同には、重い沈黙が降りていた。

 葵の遺体発見後、その衝撃の大きさ故かいつまでも立ち尽くす一同に、狩羽がひとまず食堂に引き上げることを提案したのだった。その提案に逆らう者はなく、宗善の遺体を発見した時のように野村の入れたコーヒーを前にしてテーブルを囲んでいた。

 夕夜を除いた者達は、互いを監視しているように張りつめた空気を漂わせている。誰かがコーヒーを持つ仕草に反応して視線を向けては、目が合わないように伏せる。だが、うつむきながらも周囲を探るように目線を小さく動かす、そんな一つ一つの些細な動作がささくれだった雰囲気を作り出していた。

 特に血走った目を走らせているのは、肉親を相次いで亡くした奏だった。今にも誰彼かまわず噛みつきそうな、敵意に満ちた表情でテーブルにつく者達を順に睨みつけている。

 皆が彼女と視線を合わさぬように顔を伏している中、夕夜だけは何事もなかったかのように平然と前を向いたままだった。彼は自分のカップが空になると、何も言わずに立ち上がる。

「おい、どこに行くつもりだ小僧! まさか、証拠を消しに行くつもりじゃあないだろうな!」

 席を立つ夕夜の背中に、秤が怒声を浴びせた。それを完全に無視してドアノブに手をかける夕夜の腕を、小夜が慌てて引き留める。

「夕夜さん、今出て行ったらまずいですよ。犯人だと思われちゃいます」

「構わない。部屋に軟禁でも何でもしてくれ」

「そんなこと出来ません。考え事なら、ここでもできるじゃないですか」

「資料が必要なんだ」

 小夜は両手を使い引き留めるが、彼はとりつく島もない。

「建設的な話も無いのなら、ここにいても時間の無駄なだけだ」

 手を離そうとしない彼女に痺れを切らしたのか、彼の声音に苛ちが滲んでいる。

 そんな二人、特に夕夜を見つめる奏は能面のような表情を浮かべている。彼女が平素見せることのない無表情。それは怒りを通り越した、殺意のようなものを感じさせた。

「では、建設的なお話を致しましょう。私もこの針のむしろのような空気には、いい加減耐えかねていた所ですわ」

 エティアはすらりと片手を上げ、夕夜へと整った微笑を向けた。夕夜はどうあっても部屋に戻れないと観念したのか、うんざりしたように肩を落とし席に戻った。それを見て、小夜は安堵の息を漏らす。

「まず確認しておきたいのですが。あの部屋、祈祷室には足跡が一切、被害者である葵さんのものも含めて全く残されていなかった、ですわね?」

 エティアは芝居掛かった動作で、青白い顔をした秤に手のひらを向けた。

「ああ。俺が最初に部屋を見た時は足跡なんてどこにも無かった。もちろん、葵さんのもだ」

「第一発見者はあなたですか?」

「そうだ。今朝、野村が飛び込んできて、葵さんがいないから探すのを手伝ってくれって言われたんだよ」

「どうして祈祷室に行ったのですか? 探すなら、もっと他に可能性が高い所がありそうですけれど?」

「一々感に障るな、あんたは。でもな、考えて見ろよ。昨日の今日で二人目が居なくなったんだぞ? 真っ先に思い浮かぶのは、宗善氏の発見現場だろうが」

「そうですか。まあ、これは聞いても仕方のないことでしたわね。で、遺体発見後になぜ近づかなかったのでしょうか? 普通はまだ生きている可能性があるのでは無いかと駆け寄るものではなくて?」

 薄い笑みを浮かべつつ、なぶるようなエティアの質問が続く。平静を装っていた秤にも、怒りの気配が募っていく。

「あんたは阿呆か。一目見て分からんのか? その目はお人形さんの眼か? あれだけ派手に血が飛び散ってて、ピクリとも動いて無いんだぞ。助かると思う訳ないだろうが」

「それが血液かどうかなんて、遠目には分からないでしょう? それに、『あんなに派手に』? 入り口から見た石像なんて、遠すぎて分からないでしょうに。なぜ一目でそんなことまでお分かりになったのでしょうか」

「あんた、大概にしろよ。俺が犯人だとでも言うつもりか?」

「そうは言っておりませんわ。ただ、どうせ貴方の事ですから、恐ろしくて独りでは近づくことも出来なかったのでしょう? そんな無意味な矜持は持ち出さず、素直に答えて頂きたいと思っただけですわ」

「あんたは実際に発見の場に居ないから、そんな澄まし顔で居られんだよ! 確かに保身の一つも考えたことは認めるさ! だがな、石像に赤い何かがついてるのが見えた。あんたが言うとおり、あの距離で、だぞ。それだけで十分異常だろうが!」

「そうですわね、失礼しました」

 エティアは秤に慇懃無礼な仕草で頭を下げた。そして何事も無かったかのように、続いて野村へとどういった経緯で秤に協力を仰ぐことになったのかと問う。野村は泣きそうな表情を浮かべながら彼女の問いに答えた。

「朝の七時過ぎだったでしょうか。食事の準備が整いましたことを報告に伺ったのですが、お返事が無く。部屋の鍵が開いていましたので、隣室の奏様をお呼びして中を確認して頂いたのですが、ものけの空でした。そこで館内を探しておりまして、途中ですれ違った秤様にもお願いしたのです」

「俺は朝食のために部屋から降りてったところだったんだ」

 エティアに訪ねられるだろう質問を、秤は先回りした。彼は腕を組み、眼をつり上げてエティアを睨んでいる。 

「お二人とも、そこまでにしましょう。エティアさん、建設的な方向に話が向かっていませんよ」

 狩羽が、険悪な二人の会話に割り込んだ。疲れ果てた彼の様子は、事態を甘く見ていた自らを戒めているように感じられた。彼を挟んで睨み合うエティアと秤を遮るように、丸めていた背筋を伸ばす。

「考えなければならないのは、初めにエティアさんの言った、遺体の周囲に足跡が全くなかったことでしょうか。昨日も報告した通り、足跡は一時間ほどで約一センチ浅くなります。葵さんの足跡が八センチ程度であったとすると、約八時間で消える訳です。発見時間は午前七時頃でしたから、宙に浮かんで移動しない限りは、だいたい二十三時以前から人の出入りは無かったと考えられるでしょう」

 狩羽は昨日詳細に計測した足跡のデータを基に、葵の死亡時間を絞り込む。

「どなたか昨晩、遊技場を出て行かれた後の葵さんを見かけましたか?」

 その問いに答える者はいなかった。夕夜が疑問の声を上げる。

「入り口から石像まで広い板を渡しておけば、足跡をつけずに辿りつける。犯行は何時だってできたでしょう」

「確かに、それであれば足跡は残らないでしょうね。でもね、夕夜君」

 狩羽は後輩を指導するように語りかける。

「そんな怪しい状況で、自分の父親が死んでいた場所へ行きますか?」

「なるほど」

 真面目な顔で納得する夕夜を、狩羽は小さな笑みを浮かべながら見ていた。

「ちょっと待て! 誰も祈祷室に入ってないってことは」

 慌てた様子の秤の声を、そうです、と狩羽が引き継ぐ。

「私たちは皆、昨夜は夕食後から遊技場で一緒でした。席を外したとしても精々数分。その短時間で三階まで上がり、葵さんをつれて祈祷室へ行き殺害することは不可能でしょう。つまり、誰も葵さんを殺害することはできませんでした」

「じゃあ、自殺だってのか?」

「今ある情報では、そうなりますね。昨日はお父上の死に、大きなショックを受けていた様子もありましたし」

 その言葉をうけ、場の空気がわずかに緩む。それは殺人犯はいない、という可能性が示されたことへの安堵の現れか。人は死が訪れるその時まで、自らの死の可能性から目を反らし続けるものなのだろう。

 しかし弛緩した空気は、奏が立ち上がる音によって崩された。

「そんなはずない!」

 奏は椅子を蹴るように立ち上がり、枯れ木のように細いその両手をテーブルに叩きつけた。彼女は周囲を威嚇するように八重歯をむき出し、涙に濡れた瞳を見開いている。

「あの男の時もそう言ってて、今日はお姉ちゃんが死んだんだ! 二人続けて自殺? そんな事ありえない! 絶対にお姉ちゃんを殺した奴を捕まえてやる!」 

 彼女は叫ぶように宣言すると、足音も荒く部屋を出ていった。

 残された者たちの間に、気まずい沈黙が落ちる。

「今はそっとしておきましょう。私が後で様子を伺って参ります。遅くなってしまいましたが、朝食を用意いたします。皆様、召し上がりになりますか?」

 野村の言葉に、全員が頷いた。時刻は十時過ぎ。皆、早朝に起こされてから食事はおろか飲み物も摂っていない。

「すぐに飲み物をお持ちいたしますね」

 調理場へと消えていく野村に、小夜が続いた。2人がいなくなり、食堂には来訪者だけが残される。

「まあ、奏お嬢さんは宗善氏を慕ってたからな。精神的に強いショックだったんだろうよ」

 秤が少し血の気の戻った顔で呟いた。それにエティアが珍しく同調する。

「そうですわね。本当に偉大な方でしたから」

「まあな。だが最近はまた左肩下がりだったようだが。やはり嫁の力で稼いでたのか」

「奥様の?」

「ああ。時津方家は昔からの名家でな、宗善氏は莫大な遺産を相続したはずだが、投資が全部裏目ってな。一時はこの館も競売にかけられる寸前までいったらしいぞ」

「それは初耳ですわ」

「そりゃ本人が生きてたら誰も言わんさ。だが嫁さんを貰ってからは大当たりの連続。あっと言う間に資産を元の倍まで取り返したんだ」

 エティアは秤の言葉を興味深そうに聞きながら、壁にかけられた肖像がを仰いだ。慈愛の笑みを浮かべる女性は、葵に良く似た顔立ちをしているが、その髪は茶色く描かれており、そこだけが葵とは違っていた。

「奥様に商才がおありだったのかしら」

「さてな。宗善氏は異国の骨董屋で見つけた砂時計がどうとか言っていたが」

「砂時計ですって?」

「ああ。この館も元々はこんなヘンテコじゃなかったんだ。金回りが良くなってから中央をぶち抜いて、でっかい砂時計をつっこんだのさ。金持ちの跡取りよろしく変わり者だったが、ここまでするもんかねえ」

「原始の砂時計。やはり」

「あん?」

 エティアは口の中で小さくつぶやいた。聞き取れなかった秤が聞き返すが彼女は答えず、彼に訪ねる。

「いえ。その異国で見つけた砂時計とやらはどちらに?」

「わからん。見せてくれとせがんだが笑ってはぐらかされたよ」

「そうですか」

 普段はいがみ合っているような2人が話し込んでいる姿を、狩羽は珍しそうに眺めている。夕夜は相変わらず無言で、腕を組んで座っていた。

 そこに野村と小夜が食事を運んでくる。トーストと卵、サラダといった簡単なものであったが、ただよう香りと鮮やかな色から厳選された食材が用いられていると分かる。

「お待たせしました。どうぞお召し上がりください」

 給仕を終え、厨房へ引き返そうとする野村を夕夜が呼び止めた。

「あなたは俺の教授を知っていましたか?」

「いえ、お恥ずかしながら存じておりませんでした。申し訳ございません」

「いや、いいです。では昨日の夕食の時に初めて聞いたと」

「はい。不勉強で恥ずかしい限りです。その、何か問題が?」

「ただの確認です、気にしないで下さい」

「はあ、そうですか」

 何事もなかったかのように食事に手を付けだした夕夜に、野村は困惑した表情を浮かべながら厨房へと戻っていった。入れ替わりに小夜が現れると、客達にコーヒーを注いでいく。

「どうぞ、夕夜様」

 その言葉に、夕夜はびくりと顔を上げた。小夜は、いたずらを成功させた子どものように笑顔を彼に向けている。

「びっくりしました? 葵さんみたいだったでしょう」

 夕夜は一瞬顔をしかめたが、何も答えず食事を再開する。小夜は彼の隣に腰を下ろし、食材の説明や何が好物なのかなどたわいのない事をしゃべりかけるが、適当にあしらわれていた。

 食事の済んだ者から食堂を出て行く。夕夜も隣で声をかけ続けている小夜に挨拶もせず席を立った。彼の背中に、小夜が声をかける。

「後でお部屋に行きますからね。約束ですよ」

 夕夜は何を約束したのか心当たりはなさそうだが、どうでも良いと判断したのか、片手を上げて食堂の扉をくぐった。

 小夜は彼を見送ると、誰もいなくなったテーブルに残された食器を片づけ始めた。

 夕夜の態度は誰が見ても真面目に話を聞いている様子ではなかったが、彼女は上機嫌のようだ。小さくステップを踏むように皿を流しに運び、布を取るとテーブルとイスを丁寧に拭いていく。野村は、彼女を複雑な表情で見ていたが、小さくため息をついた。

「小夜、私は奏様に食事を届けて来るから、食器を洗っておいておくれ」

「はーい。気を付けてね」

 明るく答える小夜を残し、野村は軽食を抱えて厨房を出た。その足取りは重く、気だるそうである。彼は一度立ち止まり、俯いて長く息を吐く。下を向いたまま瞳を閉じて何かを祈るように動きを止めていたが、やがて顔を上げると、再び歩き出した。


 自室へと戻った夕夜は椅子に腰掛けて煙草をふかしながら、窓の外を眺めていた。風は止んでいたが、雪の粉が空からとめどなく舞い降りている。景色は白く塗りつぶされ、窓の外に白い壁があるかのようだった。

 彼の膝には分厚い洋書が広げられている。室内には同じように書籍が開かれたまま、大量に放置されていた。数式が数ページに渡り続いているものや、植物のスケッチが記されたもの、脳の断面が描かれたものなど、まるで脈絡がない。

 彼が持ち込んだ荷物の大半はその蔵書である。近年の論文等は電子化され、電子機器に納められたデータで閲覧できるが、過去の書籍はそうもいかない。そして、研究に関連した書籍は、古今問わず夕夜は既に読み終えていた。

 彼が探しているのはメソッド、あるいはこれまでと異なる見方であった。同じ事象でも、見るものによって得る情報は異なる。山の景色を眺めれば、狩羽のような地質学者は断層を見抜き山の形成過程を見抜くかもしれない、芸術家が見ればその稜線の美しさを作品に取り入れるかもしれない――凡夫が見ればただの山であるにも関わらず。

 夕夜が探しているのは言わば、山を見て惑星の形成を読み解こうとするような見方であった。これまで大量の文献から頭に積み込んできたデータを、新たな視点から統合して解析する。彼は、データは既に揃っていると確信していた。あとはそれらを結び、結い上げるだけ。彼が探しているのは新たなデータではなくプロトコルであり、それゆえに様々な分野の書籍を読みあさっているのであった。

「夕夜さん、入りますよー。あっ、また鍵かけてない。不用心ですね」

 ノックもせず、小夜が彼の部屋に入ってきた。

「何か用か」

「さっき約束したじゃないですか。アリバイ調査に行きますよ」

「悪いが今は忙しい。他を当たってくれ。そうだな、狩羽さん辺りなら協力してくれるだろう」

「うーん。狩羽さんは本格的過ぎるというか。お父さんは仕事だし、奏さんは気まずいし。エティアさんはちょっと不思議な人だし」

「秤氏がいる」

「やらしいからダメです」

「気にしなければ問題ない」

「何かあったら夕夜さんが責任とってくれるんですか」

「その責任とやらはどうやって取るものなんだ?」

「どうって……。いいから行きますよ! たばこ吸ってるだけで暇そうじゃないですか」

「頭の中は忙しいんだ」

「じゃあ身体は暇じゃないですか」

「確かに、大して動かしてはいないな」

「なら動きながら考えましょう! ほらほら、早くはやく!」

 小夜は彼の腕をつかみ、引っ張っていく。夕夜は空いた手で目頭をもみ、ため息をついた。

 二人はまず、同じ階にある狩羽の部屋へと向かった。小夜が扉をノックし、声をかけるが反応がない。彼女が迷った末にドアノブを回すと、鍵がかかっていない。小夜は、おじゃまします、と良いながら小さくドアを開け室内をのぞき込んだ。

「留守のようですね」

 彼女は失礼しました、と言いながら扉を閉めた。

「また礼拝堂にでも行ってるんでしょうかね。狩羽さんは後にして、とりあえず上に行きましょうか」

 特に反応を示さない夕夜を連れ、小夜は階段を上った。3階にあるエティアの部屋を訪ねる。彼女が扉をたたくと、中から誰何の声が返ってきた。

「エティアさん、小夜です。少しお話を伺っても良いでしょうか」

 ためらうような沈黙の後、小さく扉が開かれた。

「何のお話かしら、小夜ちゃん」

「夕夜さんが、お二人の死について調べたいそうでして」

 小夜はそう言って夕夜の袖を引っ張り、扉の隙間から見える場所に彼を立たせた。エティアは驚いたように目を丸くしたが、警戒を解いたようで2人を室内へ招き入れた。

「貴方が探偵みたいな事をするなんて、どんな風の吹き回しかしら。たぶん、小夜ちゃんに引っ張られて来ただけでしょうけど」

 エティアは面白そうに二人を眺めた。

「いえ、そういった訳では、あるかもしれませんが」

 小夜は照れ笑いを浮かべて答え、夕夜は無言でかぶりを振ることで応えている。

「ふふふ。仲が良いようで何よりですわ。で、一体何を訊きたいのかしら」

 小夜は明らかに口を開く気がない夕夜の様子を確認した後、自分で話を切り出した。

「では順番に。一昨日は夕食の後何をされてましたか?」

「疑われているようで良い気はしませんが、答えないともっと疑われそうですわね。では正直に答えましょう。夕食の後はこの部屋に一人で籠もってましたわ。日付が変わる前には寝てしまいました」

「そうですか。その後、死体が発見されるまで誰とも会っていないですか?」

「死体とは、宗善さんの遺体のことですわね。ええ、小夜ちゃんが呼びに来るまで部屋で一人でしたわ」

「お一人で何をされてたのですか? これは単純な興味なんですけど」

 エティアは人差し指を顎に添え、記憶を辿るように小首を傾げた。やがて思い出したように手を打つ。

「昨晩はこれを読んでましたの」

 そういって一冊の本を取りだした。その黒い皮表紙の本は、よほどの年代物なのか微かに青い香りがしている。小夜が受け取り表紙を開く。それを一瞥し、お手上げと言った様子で夕夜に渡した。夕夜はパラパラとめくり、本を閉じてエティアに返す。

「出身はドイツですか」

「あら、これが読めますの。ええ、生まれはドイツですわ。今は年に数回帰る程度ですが」

「ドイツ語だったんですか。何の本なんです?」

 小夜は夕夜に訪ねるが、彼は首を振る。

「さあな。俺には理解できない」

「ふふふ。殿方には刺激が強すぎたかしらね。小夜ちゃんはもしかしたら興味があるかも」

 エティアは妖しく微笑み、小夜に流し目をつくる。小夜は身震いすると、蛇に睨まれた蛙のごとく身体を硬直させた。

「宗善氏の遺体発見から朝食までは食堂で一緒だったな。その後は?」

 エティアの一瞥で固まってしまった小夜に代わり、夕夜がアリバイを訪ねた。エティアは笑顔に戻り小夜に短く謝ると、同様の本を読みふけっていたと答えた。昼食で食堂に姿を現すまで趣味の読書に興じていたようだ。

「昼食の後も部屋に戻って本を読んでたわ。一回だけ葵ちゃんに合いに彼女の部屋に行ったけれど」

「それは何時頃に?」

「そうね、夕方頃だったかしら。奏ちゃんも一緒に居たわよ。十分くらい話をして部屋に戻ったわ」

「何を話したんだ」

「お父様が亡くなって落ち込んでるかもしれないから、慰めてあげようとね。葵ちゃんも居たから、大丈夫と思って引き上げたのよ」

 いたずらっぽく笑うエティアに、小夜は再び身体を縮こませている。エティアがちろりと赤い舌を出すと、小夜は小さく悲鳴を上げた。

 エティアは夕食以降は皆と一緒に過ごし、12時を回った頃に部屋へと引き上げている。そして翌朝、葵の遺体が発見されて小夜に起こされるまで眠りに落ちていたとこのとであった。

「質問は以上だ」

「そう。小夜ちゃん、また来てね」

 立ち上がり扉へと向かう夕夜に縋り、ぎくしゃくとした動きで部屋を出ていく小夜の背に、エティアの声がかかる。小夜は肩をビクつかせたが、聞こえなかった振りをすることにしたようだ。振り返ることなく室内を出た。

 しばらく夕夜の腕にしがみついていた小夜だが、廊下を曲がり、エティアの部屋が見えなくなるとようやく身体を離した。

「エティアさんって、怖い人だったんですね」

 彼女は神妙に呟くと、気を取り直すように大きく息を吐いた。

「さて、次は秤さんのところに行きましょうか」

 夕夜は何も答えず、廊下を進む。エティアの部屋から砂時計の反対側、180度ぐるりと周ったところに秤の部屋がある。

「夕夜さんて、意外と優しいんですね。私の代わりにエティアさんに話を聞いてくれるなんて驚きました」

「さっさと終わらせたいだけだ」

 顔をのぞき込んでくる小夜に、彼はうっとうしそうに答えた。

 秤の部屋の前に着くと小夜は衣服を正し、メイド然としたスカートの裾を少し長くした。

「じゃあ夕夜さん、お願いします」

 そう言うと、彼女は夕夜の背に隠れる。彼は口を曲げながら、扉を気だるげにノックした。待っても返事が無いため再び扉を叩くと、中から怒声が聞こえた。

「誰だ!」

「神沼です」

 夕夜が答えると、扉が薄く開かれた。隙間から秤の瞳だけが覗いているが、それ以上開くつもりはないようだ。

「何しに来た」

「アリバイを訊ねに」

「俺を疑ってるのか! ふざけるな! 俺はやってない!」

「一昨日の晩餐の後、翌朝までどこにいた?」

「なんで答えなきゃならないんだ? お前は警察か?」

「いいや。別に答えたくないならいい。要らぬ誤解を招くかもしれないが」

「俺が答えなかったとお前が言ったところで、誰が信じるんだよ」

「信じなかったところで同じだ。そこで改めて訊かれるだけだろう。どちらでも変わらない」

 秤は舌打ちすると、早口でまくし立てた。

「コレクションルームに行った。その後、宗善氏と話をして戻って寝た。朝は野村にたたき起こされた」

「宗善氏に合ったのは何時だ?」

「10時ぐらいだよ! 言っとくがその時はピンピンしてたぞ! 俺にはあいつを殺す動機なんて無い!」

 慌てて声を荒げる秤を無視し、夕夜は淡々と質問を続ける。

「朝食の後は?」

 夕夜の機会仕掛けのように冷たい声音に、秤の態度に恐れが混じり出す。秤の声は次第に怒気が消えて小さくなって行き、朝食の後はコレクションルームで独り時計を眺めていたと答えた。野村に昼食に呼ばれ、食後に時津方姉妹と会話した後も、再びコレクションルームに戻っていた。そして夕食後はエティアと同じく日付が変わるまで遊戯室に皆とおり、その後は自室で独りであった。そして翌朝、野村に起こされて礼拝堂へ向かったと証言した。

 一通り秤の行動を聞くと、夕夜は短く礼を告げて扉から離れた。秤は直ぐに扉を閉ざし、鍵をかける音が廊下に響いた。

 ずっと息を殺して隠れていた小夜と並び、廊下を引き返す。階段を登り4階にある奏の部屋に着くまで、2人は無言だった。

「次は奏さんですね。あんまり刺激しないようにしましょう」

 小夜は声をひそめて夕夜に言うと、静かに扉に呼びかけた。

「奏様、小夜です。お邪魔してもよろしいでしょうか」

 入って、と奏の返事があった。小夜はゆっくりと扉をあける。外で待つようにと夕夜に耳打ちし、小夜は扉を完全には閉めない状態にしたまま室内に入った。

「奏様、お加減はいかがですか」

「何しに来たの?」

 気遣う小夜の言葉を無視し、奏は訊ねる。小夜はどう切り出そうかと迷った様子で視線を泳がせた。

「その、少し状況を整理しようとしておりまして。一昨日の夕食以降の皆さんの行動を聞いて回っているのです。エティアさんと秤さんには先ほどお話を伺って参りました。お気に触りましたら申し訳ありませんが、奏様もお聞かせ願えますか」

 恐る恐るといった口調で切り出した小夜を、奏は椅子に座ったままきつく睨む。怒気をはらんだ視線に耐えかねたか、小夜は視線を下げた。

 小さくなっている彼女を見て、奏はそっぽを向くように顔を背けて固い声で応じた。

「別にやましい事なんてないから良いわよ。一昨日の夕食の後、私はお姉ちゃんに呼ばれて部屋に行ったわ」

「葵様はどういったご用だったのでしょうか」

「神沼とかいう男の事。どう思うとか訊かれた。胡散臭いってハッキリ言ったけど、お姉ちゃんはあれのどこが良かったんだか。カッコつけて澄まし顔しやがって」

 彼女は怒りをぶつけるように机を叩き、夕夜について不満を述べる。姉妹のおしゃべりは深夜まで及んでいたようだ。

「昨日の朝に、その、宗善様が発見された後はいかがですか」

 小夜が話しを進めると、奏はなおも不満そうに答えた。

 宗善の遺体が発見され、皆で朝食を終えた後も姉妹は葵の部屋に居た。落ち込む奏を葵がなぐさめていたという。昼食に呼ばれるまで二人で過ごし、昼食後は一時間ほど独りだった。しかし心配して姉の部屋を訪ねると夕夜がおり、面食らったらしい。彼が出て行った後に姉を問いつめていると、秤が現れて:当たり障りの無いことを言って帰って行った。

「秤さんが来たのは夕方頃でしたか」

「そう。5時くらいだった。お悔やみ申し上げるとか、そらぞらしい事言ってすごすごと帰ってったわ」

 その後は夕食となり、葵が引き上げた後も遊戯室に残って皆でビリヤードをしていた。深夜となり、エティアや秤と同じタイミングで部屋に引き上げていた。

「その後、葵様の部屋を訪ねられましたか」

「行ってない。神沼のことで少し喧嘩してたから、合いたくなかった」

 その後、葵は小夜に呼ばれるまで部屋で寝ていた。そして、姉の死体を見ることとなる。

「結局、喧嘩したままだった」

 言い争ったまま死別してしまったことを、彼女は深く後悔しているようだった。机に伏せてしまった葵を、小夜は申し訳なさそうに見つめる。

 小夜は慰めの言葉もかけられず、葵に小さく礼を述べて部屋を後にした。

 廊下に出た小夜は、壁に寄りかかって黙考している夕夜の腕を取って歩き出す。

「礼拝堂に行きましょうか。狩羽さんがいらっしゃるかも」

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