第2話
夕飯のとき、お母さんに観覧車のことを話すと、思ってもみなかった反応が返ってきた。
「ふうん。まあ、老朽化してたみたいだしねぇ。仕方ないんじゃない」
わたしはポテトサラダを口に入れかけた格好のまま、動きを止めてしまった。お母さんは平然と、ぱくぱく食べつづけている。
「えっ、あの……ショックじゃないの?」
「だって、あそこに観覧車が来たのが二十年前よ。それも、廃園になる遊園地のお古だったんだから。三十年くらいは使われてたんじゃない?」
使われて「た」?
お母さんの何気ない言葉にまた打ちのめされる。観覧車は今も動いている。まだ過去のものにしないでほしい。
ショッピングモールがさらなる集客を狙ったのか、目立つ看板がほしかったのか……はっきりしたことはわからないが、使われなくなった観覧車を買い取るという事業は、当時大きな話題となったらしい。
全長六十メートルもある観覧車は、プチプチで包んでトラックに乗せて輸送、なんてできるわけがない。解体、移動、組立、と手間暇かけた観覧車のお引越しを、地元テレビ局、地元新聞社はこぞって取り上げたらしい。
わたしが生まれる前のことだというのに、当時の盛り上がりを手に取るように感じられるのは、ネットの新聞記事やニュース映像を調べてよく見ていたからだ。
「取り壊し完了が半年後で、運行はあと一ヶ月なんだって。三月三十一日まで。最終日は観覧車まつりがあるみたい。観覧車、今までありがとう、みたいな」
「あらそう」
さっきから、お母さんは気のない返事ばかりだ。わたしはめげずに話をつづける。
「昔はみんなでよく乗ったよね。週末に遊ぶって言ったら、モールで買い物して、観覧車乗って、アイス食べるのがお決まりでさ……」
「かえで」
お母さんは箸を止め、ぱりっとアイロンをきかせたシャツみたいに、隙のない表情で見つめてきた。わたしはまたポテトサラダを食べ損なった。
お母さんはわたしの話の腰を折ったくせに、なかなか自分から話し出そうとはしない。わたしは視線を外しながら、タイミングが悪かったかな、とくちびるを噛んだ。
お母さんが観覧車は好きじゃないということはうすうす感じていた。いや、うすうすなんてもんじゃない。ひしひしと伝わってきていた。
十年前のあの日から。
でも、今さら後戻りはできない。
一度水たまりを踏んで靴を濡らしたら、もうどうでもよくなるのと同じだ。いっそ全身びしょ濡れになってやる、という気持ちで深呼吸した。
「あのさ、また……っていうか、最後にさ、みんなで観覧車乗りたいなって思って……」
「みんなって?」
「お母さんと、わたしと……お父さんとお兄ちゃん」
言った!
言ってしまった……。
家族がふたつに分かれてから十年。子供ながらに気をつかって、一度も口にしなかった言葉を。
今まで押しこめてきた気持ちを吐き出したところで、勇気は底をついてしまった。お母さんの顔を見ることができない。味噌の成分が沈殿して澄み切っている味噌汁に視線を落とす。
自分の呼吸の音すら耳障りに感じはじめたころ、お母さんは大きなため息をついた。
「無理」
「あ、だ、だよねー……」
わたしはようやくポテトサラダを口に入れることができた。大好きなはずの料理なのに、あんまり味がわからなかった。
全身びしょ濡れの濡れネズミにされて、そのまま退散するのはもったいない。ダメ元で食い下がってみる。
「でもさ、お父さんとかお兄ちゃんの連絡先、知ってたり……」
お母さんは懲りない娘をひと睨みし、しぶしぶ口を開いてくれた。
「お父さんの連絡先は一応消してはいないわよ。でも私からは一度も連絡したことないし、あっちからももうずっと……八年くらいは音沙汰なし。航は高二だし、さすがにケータイ持たせてもらってるだろうけど、番号なんて知るわけないでしょ。どこの高校に通ってるかも知らないんだし」
「そうだよね……」
「何よ、いきなりどうしたの」
「いきなりじゃ……ないよ」
お母さんの右の眉が、ぴくりと動いた。わたしの頬も、意思に反してぴくりと引きつった。声が震えないよう、お腹に力をこめる。
「小学生のころからずっと思ってた。また四人で観覧車に乗りたいなって。どうして前みたいに家族みんなで遊びに行けないのかなって。でも、たぶん無理なんだってことはわかってた。だから、話をしたのはいきなりだったけど、わたしの中ではいきなりじゃないっていうか……観覧車がなくなるとか急に言い出すから、いきなりになっちゃったっていうか……」
のどがぎゅっと痛くなる。何だか泣きそうだった。
お母さんはそれから、何も言わずに夕飯を食べ終えた。わたしも、なるべく気にしてないふりをして、配膳された分をお腹に詰めこんだ。
お母さんは席を立つ直前、ひと言だけ口にした。
「観覧車には友だちと乗りなさい」
お母さんとだけでもいいから行きたい、と言おうとしていたのに、先手を打たれてしまった。
思い出を上書きしてきなさい、という意味なんだろうな。期待していた自分がかわいそうになった。
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