音楽嫌い

甘木 銭

音楽嫌い

 好きな曲は何か、という問いの答えには慎重にならざるをえない。


 相手に合わせるだとか、そんな話ではなくて。

 自分が本当にその曲が好きなのか、しっかりと考える必要があるからだ。


 単純接触効果というものがある。

 特別嫌っていない限り、接触する回数が多ければ多いほど好感度が上がるというものだ。


 人でも、音楽でも大抵の事には当てはまるものらしい。

 だから毎日顔を合わせる相手は中々会わない相手よりも仲良くなりやすいし、最初はそこまで好きじゃなかった音楽でも聞いているうちに「意外といいかも?」となってくるわけだ。


 流行った音楽は街中やテレビ、あらゆるところで流される。

 接触する回数がどうしたって多くなるから気が付かないうちにその曲が深層心理に刷り込まれる。


 だから売れている曲はみんなが飽きるまで伸び続け、売れ続ける。

 世間全体でそういうムーブメントを起こそうとしているんだ。


 それは洗脳ではないのか?


「好き」は作られてしまう。


 だから俺は、自分が好きなものについて、「本当に自分が好きなものなのか」を考えなければならないんだ。



 暗い部屋の隅でギターを弾いていると、なんだか虚しい気持ちになってくる。

 上手くいかなかったライブ、喧嘩ばかりになったバンドメンバー、別れた彼女。


 三ヶ月前に染めてから何もいじっていない髪はすっかりプリンになっている。

 別に、金髪に執着もなかったし。


 ピアスも結局1、2回しか付けなかった。

 ただ周りの奴らが付けていたから、何となく穴を開けただけだったし。

 髪もピアスもファッションも、どうにも億劫でたまらなかった。


 それでも自分の作った曲を、魂を込めた詞を聞いてもらうにはここに居るしかないから。

 ここに居るためには多少面倒でも手を出さなければならなかった。


 嫌気はずっと前からさしていた。




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 一人で鬱々と毎日を過ごしている部屋に、今日は珍しく来客があった。


「劇団?」

「そう、作ったの」


 高校以来の友人である田沼は、小さなテーブルで笑みを浮かべながら、あっさりと言ってのけた。

 その笑顔はにっこりというよりにんまりという感じで、「うわこいつきめー」と思った。


「うわこいつきめー」

「んだとこら」


 おっと、ついつい声に出してしまった。


 役者だからだろうか。

 田沼は大袈裟に顔を歪めて表情筋を酷使した後、ズレた眼鏡の位置を直した。


「そういうことは思っても言わないもんだろ」

「心の声が言葉になって溢れちゃうんだよ。ミュージシャンだから」

「クソだな。でもそれパクるわ」


 俺の言葉をメモに取りだす田沼。

 適当に行っただけのことを、そこまで真面目に記録されても困るんだけどなぁ。


 田沼は高校時代演劇部に所属しており、卒業後は大学に通いながら地元の劇団に入った。


 主には役者をしているが台本も書くので、何か面白いやり取りがあれば、こうしてすぐにメモを取りだす。

 背中を丸めてメモ帳に文字を書き込んでいるので、前髪が垂れ下がっている。


「で? 劇団を作ったから、劇で使う用の音楽を作れと?」

「そう。公演に使って配信もしてってなったら、楽曲使用量もそこそこ高くつくからな」

「そこは嘘でも俺の曲がかっこいいからとか言っとけよ」


 ここしばらく曲なんか作ってないから、田沼も俺の曲がどんなだったか覚えてないだろうけど。


 田沼はまたにんまりと笑うと、欲しい曲のイメージを伝えて帰って行った。




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 半日が経っても、僕は床に寝転がったままだった。

 西日の差す狭い部屋は数日前に来た服の山や数週間分のゴミ袋で散らかっていて、室内を見渡す度に自分のろくでもなさを改めて自覚することになる。


 少しではあるが「お礼」が出ると言われて、とりあえず請け負ったはいいものの、メロディなんかそう簡単に出てくるものではない。


 床に寝転がっては思案にふけり、たまに起き上がっては適当にギターを鳴らしてみる。

 数分いじってはまたギターを置いて横になる。


 そんなことを何度も繰り返しているうちに、うつらうつらとしてしまったらしい。

 全く怠惰の極みだ。


 今日がバイトの無い日でよかったと安堵する。

 今のところ安心できることなど一つも無いが。


 バンドのメンバーとは、もう一ヵ月ほど連絡すら取っていない。

 解散したとは思っていないが、向こうはどうだろうか。


 ギターもここ一年ほど全然上達しなくなってしまった。

 演奏する度に、「成長限界」とゲームのような言葉が頭をよぎってしまう。


 成長できるほど本気で取り組めてないだけか。

 分かっていても、できるかどうかは話が別だ。


「あ、飯」


 寝返りを打ったところで、空腹に気が付いた。

 全く進捗が無かった割に、空腹を意識できない程度には作曲のことで頭が満たされていたらしい。


 時間とリソースと、それから人間性を奪っていくくせに、何も得られるものが無い。


 だから僕は、音楽が嫌いだ。




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『お疲れ! デモ音源聞いた!』

「おう、どうだった?」

『無難!!』


 無難かぁ……




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 気が付くと深夜の三時になっていた。


 作りかけの曲は予定の半分ほどの尺までは出来ているが、全く進んでいるという気がしない。

 それもこれも、依頼主の田沼のダメ出しを聞いて、全て最初から作り直す羽目になってしまったからだろう。


 今作っているこの曲も、最初から作り直しになってしまうかもしれない。

 そう思うと、どうにもペースが上がらない。


 既に、依頼を受けてから一か月が経過していた。

 求めている曲のイメージや台本の構想などを元に思案を巡らせているが、まともに形にならない。


 そもそも題材に問題があるんだ。

 台本のテーマが「夢を追いかけ続けること」だぞ。


 今の俺からはあまりにも遠すぎる。


 田沼からは「もっと自由に好きなように作ってくれよ」とありがたいお言葉をもらってしまったが、好きにやって上手くいくなら苦労しない。


 それに、僕はもう十分好き勝手にしてきた。

 好き勝手し過ぎたくらいだ。


 進学のために地元を離れて一人暮らしを始めたくせに、バンドを始めて大学をやめた。

 そのバンドすら、自分の意見を押し通し過ぎて活動が止まっている。


 自由を歌えば歌うほど、その先にあるのは闇ばかり。

 だから俺は、音楽が嫌いだ。


 どうにも作業が進まないので、参考にでもなればと思ってネットで音楽を聴く。


 流行りの曲。

 ランキング上位の曲。

 急上昇の文句が付けられた曲。


 どこかで聞いたようなメロディ。

 どれもこれも軽薄で刺さらない。


 こんな文句すらもありふれた批判だけれど。

 それでも、そういう風にしか思えない。


 どれだけ苦労しても、キャッチ―さを売りにした浅い物が頭にいる。

 だから俺は、音楽が嫌いだ。


 人気の曲をこき下ろしても、自分の作業が進む訳ではない。

 どういうものが悪いかは分かっても、どういうものがいいのかは分からない。


 長々音楽やってるけど、未だに良いものってのは何なのか分からない。

 だから俺は、音楽が嫌いだ。


 何の収穫も無かった音楽巡りを終えてもう一度ギターを手に取った瞬間、携帯が鳴り出した。




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『頼んでる側だからそんな催促はしないけどさ、どんな調子?』

「言いつつしっかり催促してるじゃねえか」

『こっちも色々とね。実際どう? 無理そうだったら他にお願いするけど』


 無理そうだったら、って。




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 さらに1ヶ月が過ぎても、俺は一人、部屋でギターを弾いていた。


 先日連絡が入り、バンドは正式に解散した。

 田沼からの依頼も、お役御免を被ろうとしている。


 結局何もできなかった、と。

 その実何もしていなかっただけだけど。


 鬱々とした自分を慰めるものが、嫌っている音楽であることに苦笑しながら旋律を奏でる。


 しばらくそうして手を動かしていると、怒りとも悲しみともつかない何かがこみ上げ、思いつくままに指を動かした。


 ありふれた言葉だが、溢れだしてきた。

 ふざけんな、と。


 急いでパソコンを立ち上げる。

 起動を待つ間にも、浮かんだものを音に変えて吐き出す。


 何も思い通りにいきやしない。

 自分の奏でる音でさえも。


 DAWソフトを起動し、未だ何も描かれていない電子の楽譜が表示されるまでの間にも、どんどんと音が出力される。


 途中まで流れるように進んでいたメロディに急に異音が混じったので、同じところをまた弾き直す。

 次は、半音低めに。


 納得したところで、またパソコンの画面を睨む。


 早く、早くこれを打ち込まないと。

 消えてしまう前に形に残さないと。


 心は焦るが、画面にノーツを打ち込むこともしないまま、ギターを弾き続けた。

 空白の楽譜を睨みながらギターを弾いていると、視界の中に赤いノーツがぽつぽつと浮かび上がってきた。


 大丈夫、まだ追える。

 弾き終わってからでも、ここに音を再現できる。


 だがしかし、弾き終わるのはいつになるだろうか。

 まだまだ浮かび上がってくる感情が止まらない。


 異物を見つけては、細かい修正をかけて弾き直す。

 溢れ出す情動を、全て音に乗せるように。


 自分にムカついて仕方がない。


 自分のことすらも思い通りにならないままで。

 誰の心を動かせるんだ。


 そうやって自分を嘲りながら音を奏でて。

 まだ打ち込まない音の欠片を見つめ続ける。




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 音質の悪いラージサイズのスピーカーから流れる激しい音の流れと共に、舞台に幕が下りる。


 芝居の善し悪しは分からないけれど、面白かったと思う。

 自分が何をいいと感じるのかすら、相変わらずぼんやりとしたままだ。


 それでも、一つだけハッキリと分かることがある。


 音楽が流れたまま、再び幕が上がる。

 カーテンコールというやつだろうか。


「ひっでー曲……」


 いかにも打ち込んだような、ちゃちな電子音で構成された音の集まりはクセが強く、センスの欠片も感じられない。

 自棄になって楽器を叩いたようなメロディは、大音量で流すことでよりその稚拙さを露呈している。


 舞台の中心に立った田沼は、主宰として何かを喋りながら、狭い劇場の中に僕を見つけたらしく、またにんまりと笑った。


「皆様、ご紹介いたします。本公演のテーマ曲を担当いたしました……」


 まさか知らない大勢の人間の前で、自分の恥をさらされるとは思っていなかった。


 やはり俺は、音楽が嫌いだ。































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