もう一つの友達
増田朋美
もう一つの友達
もう一つの友達
その日は、いつもより暖かい日で、のんびりした穏やかな日だった。こういう日が続くと、長らくこんな日が続いてくれればいいなと思ってしまうのであった。其れは、ぜいたくな希望かもしれないが、其れこそが、人類がいつでも思い続けている言葉なのかもしれない。穏やかで、平和で、何もない日々が、いつまでも続いてくれること。其れが、一番の願いごとだから。
その日、竹村優紀さんが、主宰している音楽サークルには、ピアノやバイオリンを披露して、外へ出るというきっかけをつくるという催しが行われていた。椅子に座った、メンバー一人一人が、ピアノやバイオリンを弾いて、ほかのメンバーが、弾いた楽曲について、批評しあうというやり方で行われていた。その時に、うまいとか下手とか、そういうジャッジをくわえてはいけない。できるだけほかの演奏を肯定的に評価する練習をして、前向きな考え方を、身に着けていくという目的もある。
「えーと、佐藤さんの演奏が終わりました。皆さん佐藤さんの演奏はどうだったかな?」
「はい、あたしは、とても素敵な演奏だったと思います。佐藤さんが、音楽に真摯に取り組んでいるのが、確認できました。」
と、一人の女性が発言した。続いて隣にいるおばさんも、似たような発言をする。
「それでは、加畑さんどうですか?」
と、竹村さんが、一番奥にいた、女性に発言を促した。この女性は、引っ込み思案で、一寸発言をするのがむずかしいと言っていたことがある。でもそれではいけないと、竹村さんは言っている。精神障害というのは、自分の困っていることを、口に出して言えないと周りのひとに理解してもらうことはでき無いということを、竹村さんは、考えている。
「え、ええ。まあ、皆さんと同じ意見で、とても素敵な演奏でした。でも、あたしは、そんな演奏技術はないし、ただ、単にすごいなあとしか言いようがありませんね。」
加畑と呼ばれた女性は、そういうことを言った。
「そうですか。すごいなあと思った理由を聞かせてください。」
と、竹村さんが言うと、
「ええ、私は、そんなすごい曲をやれるような演奏技術はないし、それに、私の演奏は、音を間違えてばかりだし、もう佐藤さんの演奏とは、比べ物になりません。」
と、加畑さんは答える。
「それでは、加畑さん、次回は、演奏のもっと良かったところを見つけられるようにしてください。あなたの演奏だけではなく、ほかのひとの演奏もです。そういう風に、音楽を前向きに考えていくようにしましょう。」
竹村さんは、そういう風に、患者たちに、前向きに考えを変えていけるように誘導していく。彼らは、すでに後ろ向きに考えていくしかなくなっている。それではいけないという言葉を使ったら、もっと自信を無くしていくと思う。それをできるだけ前向きな考えにうごいて行けるように、音楽の評価をするという行為を通して、それを練習させる。
「それでは、続きまして、川田さん、演奏をお願いします。」
「わかりました。」
と、川田さんと呼ばれた男性が立ち上がって、ピアノの演奏を始めた。
全員分の演奏が終わると、その場で軽く挨拶をして、解散となるのだが、そのあとで、何人かのメンバーは、喫茶店でお茶を飲んだりすることもある。できるだけ、自宅に帰りたくないという思いがあるのだろう。家の人たちが、彼らに、お金をつくれない人は出ていけとか、そういう嫌がらせをすることが在るからだ。其れも、嫌がらせではなく、えらいセリフを言っていると思っていうから、彼らが傷ついているなんて、永久にわかることもないだろう。そういう時は、どんどん家を出ていけばいいと、竹村さんはおもっている。そういうひとは、家族と分かり合えるなんて初めから無理なことだからだ。でも、彼らは、社会に溶け込むことができない。だから、家にいるしか方法もない。そうなると、家の人たちの嫌がらせに、黙って耐えなければならない人もいる。そういうひとは、家にいるのがつらすぎるから、こういうサークルに積極的に参加する。それで、外へ出ているように見せかけて、家族や親族の、目をごまかしているのである。
「竹村先生。今日はありがとうございました。」
と、加畑さんと呼ばれた女性が、竹村さんに声をかけてきた。
「ああ、来月も、このサークルを開きますから、又来てください。」
と竹村さんが言うと、
「ええ、ありがとうございます。先生、私も、このサークルに来るのがすごく楽しみになりました。友人たちも、とても喜んでくれています。それで、私は、すごくうれしいです。」
と、加畑さんは、にこやかに言った。
「そうですか。それでは、そろそろ、心の病気のことを、ご家族に話してもいいのではないでしょうか。」
と、竹村さんが言うと、
「ええ、理想的に言えばそうなんですけど、私の家はそんなことありません。ほかの家族はみんな、仕事が忙しかったりで、私のことは、何も考えてくれないですから。其れなら、知らないままでもいいって、私の友人たちもそういってくれています。」
と、彼女は答えた。
「加畑さん、そうですが、友人たちと、ご家族は違います。其れは、ちゃんと分別をつけるべきじゃないでしょうか。もし否定的なことを言われるようであれば、それはそれで考え直す必要はありますが、そうでない可能性もありますし。一度、ご家族にちゃんと話してみるべきだとは思うんです。其れは、ご家族とあなたがどのように生活してきたか、一種の答えだということもありますしね。」
と竹村さんは加畑さんに言った。
「そうなんですね。でも、私は、そんなことできるわけがないじゃないですか。仕事だって、辞めちゃったし、今は親の生活に頼って暮らすしかないし。」
という加畑さんであるが
「なんですか。でも、お友達とはしっかりと、生活しているじゃありませんか。そのお友達という方々に、一回会ってみたいですね。今度、このサークルに連れてきてくれてもいいじゃないですか。」
と、竹村さんは言った。
「わかりました、、、。今度連れてきます。」
加畑さんは、そういうことを言って、じゃあ、失礼しますと言って、竹村家を出ていった。
其れから数日後の事で会った。竹村さんは、楽譜を買いに行くため、近隣の楽器屋さんに出かけた。店員に、ショパンのノクターン集を欲しいと言って、在庫を調べてもらっていたところ、
「よ、竹村さんじゃないか。」
と、声をかけられて竹村さんは、後ろを振り向いた。
「ああ、あなたは、先日お会いした、」
「そうだよ、杉ちゃんだよ。正式な名前は影山杉三だけど、杉ちゃんって呼んでね。」
と、杉ちゃんは、にこやかに笑った。
「相変わらず、あなたはきものが好きなんですね。しかも、黒大島の、麻の葉なんか着て。」
「おう、麻の葉の黒大島は、一番好きな柄なのでね。」
竹村さんが聞くと、杉ちゃんは答えを出した。
「いいえ其れしかもっていないのかと、逆に心配してしまいました。いつでも着流しで行ってもいいのかというと、そうではありませんよ。こういうところへ来るときは、着流しは略装で、羽織を着るのが男性の正装でしょう。」
と、竹村さんはちょっとあきれたような顔をして、そういう事を言った。
「まあ、そうかもしれないけどさあ、黒大島の着流しが一番楽なんだ。一番楽な格好をしているのが、一番幸せじゃないか。其れは、それでよいと思うので。」
と、杉ちゃんが言う。竹村さんは、そうかもしれませんね、とだけ言って、杉ちゃんから離れようと思ったが、
「ちょっと待ってよ。竹村さんあのさ、ゴドフスキーの、パッサカリアという曲を探してくれるか。僕、読めないので。」
と、杉ちゃんに呼び止められて、竹村さんはわかりましたよと言って、楽譜売り場に行き、ゴドフスキーの楽譜をとった。
「一体どうしたんですか。ゴドフスキーの楽譜なんか、あんな難しい曲、あなたが弾くとでも?」
レジへ向かっていく杉ちゃんに、竹村さんはそう尋ねた。
「いいえ、弾くのは水穂さんだよ。こないだ、血痕で汚したから新しい譜面を買ってくることになっただよ。」
と、杉ちゃんはさらりと答えた。
「そうですか。それで、あなたが代理で、買いに来たんですか。所で水穂さんの容体は、まだ悪い
状態なのでしょうか?」
と、竹村さんが聞くと、
「当たり前だい。僕は友達だもん。それくらいするさね。まあ、今でも寝たきりのまんまだよそれがどうしたの?」
と、杉ちゃんは言った。
「それでは、一寸教えてほしいんだけど、楽譜を買うのに、何を出せばいいのか教えてくれるか?」
竹村さんは、仕方なく、杉ちゃんに出された財布から、一万円札を出して、店員に渡した。
「これでいいんですよ。これで。」
「はい、一万円お預かりします。」
店員はそういって、杉ちゃんからお金を受け取り、彼にお釣りを渡した。
「おお、ありがとうよ。これで水穂さんも大喜びするぞ。もちろん、お前さんに手伝ってもらったことも、ちゃんと話しておくよ。手伝ってもらったんだから、早くたって歩けるようになってくれと言っておくよ。」
と、杉ちゃんは、そういう事を言ってお金を受けとり、財布にしまい込んだ。竹村さんは、杉ちゃんをまったく、こんな人物が、普通にこの世にいるんだなと竹村さんは、一寸ため息をついた。
そのうちに、別の店員がショパンのノクターンを持ってきてくれたので、竹村さんは普通にお金を
払って、楽譜を受け取り、普通に家に帰っていこうと思って、駅へ向かった。ところが、駅では、どこかの駅で、踏切の安全装置が作動してしまったということで、電車は運転を見合わせているという。それでは仕方ないとおもった竹村さんは、仕方なく、近くのカフェにはいって時間をつぶすことにした。
「竹村先生。」
と、ふいに女性の声が聞こえたので、竹村さんは歩くのを止める。
「あの、加畑です。加畑満寿代ですよ。」
竹村さんがその声のする方に振り向くと、確かに先日音楽サークルで会った、加畑さんであることが分かった。しかも、一寸大柄な女性と一緒にいる。
「ああ、加畑さん。こちらの方はどなたですか?」
と、竹村さんが言うと、
「はい。私の一番の親友で、畑中春江さんです。」
と、加畑さんがそういった。ということは、先日加畑さんが言った親友とは、この人の事であったのかと竹村さんは、一寸安心する。
「そうなんですか。加畑さん、バイオリンのレッスン始めたと言ってたけれど、この方にならってたんですか?」
と、畑中さんと呼ばれた女性は、はきはきとした口調で加畑さんに聞いた。
「ええ。畑中さんにも紹介するわ。こちら、バイオリンの先生で、竹村優紀先生。私の、一番長く続いた、唯一の習い事よ。」
と、満寿代さんは、にこやかに言った。
「そうですか。畑中春代さん。あなたも何か音楽を習っていらっしゃるんですか?」
と、竹村さんが聞くと、
「いいえ、私は、何も習ってはいません。ただ、加畑さんから、音楽の話を聞くのが好きなので、聞かせてもらっているだけなんです。」
と、畑中さんは言った。
「畑中さんは、私が音楽を楽しんでくれるのが、すごく楽しみなんですって。」
なるほど。加畑と畑中という名字も近いものがあるし、趣味は違っても、何か通じるも野があるんだろうな、と竹村さんは思った。
「それでは私、用事があるから、先に帰るけど、加畑さんは、楽しんで先生と話してね。」
と、畑中さんは、にこやかに笑って、喫茶店を出ていく。竹村さんが電車は止まってますよ、と、いうと、
「ええわかってるわ。電車がなくてもバスがあるから、ちゃんと帰れるわよ。」
と、畑中春代さんは、バス停に向かって歩いていった。
「へえ、ずいぶんしっかりした方ですね。彼女が、加畑さんのお友達何て一寸信じがたいくらいです。畑中さんは、どこかで、お勤めになっているんですか?」
と、竹村さんは、満寿代に尋ねる。
「ええ、大手の家電屋に勤めているキャリアウーマンです。」
と、満寿代はにこやかに笑った。
「はあ。春代さんの、ご主人はどんな人なんでしょうか?」
「ご主人なんていませんよ。春代さんは、結婚していないです。まあ、時々、そういわれることもあるようになった年代ですけど、春代さんは、昔から恋愛が嫌いで、一人でやりたいタイプなんです。」
と、加畑さんは、そういうことを言った。
「はあ、いないんですか。それでとても強そうな女性に見えますね。あなたは、ご主人もいて、ご家族もいて、専業主婦という身分なのに、どこでつながったんでしょうか?」
「ええ、インターネットで知り合ったんです。あの、SNSとか今あるでしょ。そこで、知り合ってもう、三年近く付き合ってるんですよ。」
と、いう加畑さんに、竹村さんは、
「そうですか。今は、インターネットで知り合った仲間というのも、多いですからね。そういうことなら、私も応援しますよ。これから、畑中さんとの友情が長続きしてくれるといいですね。」
と、竹村さんは、加畑さんを見て良かったとため息をつきながら言った。
その数日後のことである。竹村さんが、なんとなく、新聞の故人名簿に目をやると、その中で、
畑中泰司という名前が出ていた。畑中というとあの時の女性の身内ではないか?と竹村さんは直感的に、感じ取った。もしかしたら、そうかもしれない、と竹村さんは、スマートフォンをとると、いきなり、スマートフォンがなった。其れは、加畑さんの番号である。
「竹村先生。私どうしたらいいんでしょう。畑中さんのお兄さんがなくなられたって、今朝、連絡が来たんです。私、友人として、どうしたらいいのか。」
と、加畑満寿代さんは、半分泣きながらそういうことを言っている。確かに、精神の不安定な人だから、何かあると、そういう対処しかできないのであるが、友達を支えようという、気持ちは人一倍あるのである。
「落ち着いてください。何が在ったか、ちゃんと初めから話してください。」
「はい、私は、今日の故人名簿を見て、彼女に電話を掛けました。大丈夫かって。そしたら、畑中さんは、あんたは、家庭に恵まれていて、すごい幸せなのに其れはいいわねって、冷たく言われました。もう私は、どうしたらいいのかわかりません。私、ずっと、畑中さんのそばにいるって約束したのに、こうやって拒絶されてしまうとは、、、。」
加畑さんは、もう壊れてしまいそうな声で、おいおいと泣いているのだった。
「大丈夫ですよ。彼女はお兄さんがなくなられたことで、一寸気持ちが乱れているのです。あなたのことを恨むとかそんな気持ちは全くありませんから、落ち着きなさい。そういうことは誰にでもある事です。気にしないで、畑中さんが落ち着いてから、又声をかけてあげればいいのです。」
竹村さんは必至で説得を続け、加畑さんに落ちついて貰うように呼びかけた。電話ではなかなか難しいけれど、加畑さんは何とか落ち着きを取り戻してくれたらしい。落ち着いて落ち着いてと、何十回も言ったところで、ありがとうございますと言って、電話は切れた。
さらに、その次の日の事である。又竹村さんの携帯電話がなった。
「はい、竹村ですが。」
「ああ、あの、竹村先生ですか。あの私、加畑満寿代の母ですが、、、。」
と、電話の声は高齢の女性である。
「ええ、そうですが?」
と、竹村さんは言うと、
「あの、満寿代が、今朝、首を切って自殺しようとしました。遺書らしきものはなかったんですが、包丁を自分で握りしめて倒れていましたので、警察の方は、満寿代は自殺を図ったと判断しました。幸い、深い傷ではなかったので、一命はとりとめましたが、発見が遅かったら、出血多量で、危なかったと。」
と、満寿代さんのお母さんは、力のない声で言っている。
「わかりました。お母さま、ちょっとお尋ねしたいんですが、満寿代さんから、畑中春代という人のことは、聞いていませんか?」
と、竹村さんが聞くと、
「いえ知りませんでした。その人が、満寿代に何かしたのでしょうか?」
という答えが返ってくる。
「おかしいですね。満寿代さんは、畑中春代さんを、一番の親友だと言っていましたが?」
と竹村さんが再度聞くと、
「そうですか。満寿代がそんな友人関係を持っていたとは知りませんでした。満寿代は、友人など一人もいないということを、よく私に漏らしていましたが、、、。」
とお母さんはそう返す。
「では、満寿代さんがインターネットをしていたことは?」
竹村さんが聞くと、
「ええ、其れはよく覚えています。よく、スマートフォンをもって何かしていましたので。でも現実に満寿代があっていたということは知りませんでした。其れは、どういうことでしょうか?」
と、お母さんはそう答えるのであった。つまり満寿代さんは、それでは、畑中さんのことを誰にも言っていなかったのだろう。多分、独り立ちしたくて、春代さんのことを親友だと思い込んでいただけで、春代さんのほうは、そんなに大した関係ではないと思っているのだということが竹村さんにもわかった。同時に、竹村さんは、杉ちゃんが、寝たきりになった水穂さんに変わって、楽譜屋に来ていたことも思い出す。
「そうですか、わかりました。では、加畑さんの意識が戻ったら、親としてしっかり伝えてやってください。友達というのは、うわべだけの付き合いではなく、本当に困ったときに、助けてくれるものだということを忘れないようにと。」
と、竹村さんは、加畑さんのお母さんに言い聞かせた。
「きっと、加畑さんは寂しいんだと思います。彼女は、人一倍寂しいのでしょう。だから、しばらくはお母さんにその役を担っていただいて、彼女が、健全な人間関係を持てるまで、もう少しそばにいてやってくれますか。」
「わかりました。これまでにあの子は、インターネットで交友関係を持とうとしましたが、いずれにしても、ダメだったので、今回も又そういう事だと思って、つきあうことにします。」
お母さんは一つの覚悟を決めたようだった。竹村さんは、ええ、頑張って下さいと言って、電話を切った。
もう一つの友達 増田朋美 @masubuchi4996
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