オーバーホール 後編

〈スイス、ジュネーヴ(国連軍総司令部)〉

 えいせい中立国スイス連邦。中立国といっても非武装中立国というわけではなく、れっきとした武装中立国である。現実的に考えて、非武装中立国など存在するわけがない。力あっての中立だ。力なき者に選択肢はない。そういう意味でも、ここスイスに国連軍の管理事務所と総司令部があるのはごく当然のことだった。力の中心地にしてえいせい中立、世界ちつじょとりでだ。


 2025年、国際連合(International Union)はアンドロイド兵および無人兵器からなる国連常備軍(無人統合軍)を創設した。軍事費は国連加盟国と〈世界企業連盟(大手企業からなる共同体)〉からはんしゅつされる。なお、国連軍および国連常備軍は絶対的な中立性と公平性を保証するため、国連が開発した人工知能〝プロビデンス〟によりとうかつされている。

 ただし、完全に人工知能が国連軍を指揮しているわけではない。国連軍の最終意思決定権は国連軍統合作戦司令部の総司令官が有している。総司令官は原則として〝プロビデンス〟の指示に従うが、時に人間からなる補佐官らの意向あるいは自身の判断を優先する。〝プロビデンス〟の指示に従うか、人間の意思に従うか。この選択肢の悩みは非常に難しく、そして重い。加えて、国際情勢のあらなみにも耐えなければならない。ゆえに、総司令官の職はめいよりも負担の方が大きかった。


 国連軍本部の総司令官しつしつ。ホログラム通信機と映像投影機、立体ディスプレイが一体化したスマートデスクが置かれ、デスクには地球儀のホログラムが映し出されていた。さらに、立体ディスプレイにはレゾリューション作戦に関する報告書並びにアメリカ大統領からのしょかんが表示されている。


「レゾリューション作戦のかなめである、アメリカ軍MTF214がここまで抑え込まれるとは……」


 国連軍および国連常備軍の総司令官ニンバス・アルヴェーン。58歳男性。アルヴェーンそうすいと呼ばれることもある国連軍の最高責任者だ。コールサインは〈イーグルアイ〉。

 彼の経歴は少し複雑で、父親はスイス人と中華系アメリカ人のハーフ、母親はスイス人とイギリス系ロシア人のハーフだ。スイスの生まれで、フランスの大学、アメリカの大学院を卒業。世界最大の民間軍事警備企業〈アリュエット・セキュリティ・サービス〉に入社後、対テロ多国籍軍に参加。高い戦闘スキルと的確な戦術連携、冷静な戦況あく能力が評価され、軍事もんとしてイギリスやアメリカ、中華連、日本、マレーシア等に派遣される。その後、国連軍事さんぼう委員会の特別もんに就任。現在にいたる。


「これ以上の軍事費増大は防ぎたいところだが、アメリカは責任を感じてさらなる部隊の派兵と軍事費のはんしゅつを決定した」


 ニンバスは『機械によって構成される軍隊が人類の敵になる』という危険性を完全に排除したわけではない。しかし、現実プロビデンスのとうかつは問題がないばかりか、国際情勢をよく見ていた。プロビデンスは人類が直面する問題、各国家が直面する問題、各都市が直面する問題等を次々と予測し、その改善策あるいは解決策を人間側に提言した。


ちつじょからこんとんが生まれ、こんとんからちつじょが生まれる」


 ニンバスにとって、今は機械よりも人間の方が恐ろしかった。ブラックレインボーのたいとうにより、国連常備軍の増強が進められ、有志国による国連軍が編成された。共通の敵ができるとここまで世界は一つになれるのかと。まさに国の心変わりだ。


「早くこのもうあらそいを終わらせるのが私のつとめだ」



《世界企業連盟 代表企業》

・アリュエット・マイティ・サービス(世界最大のグループ企業) Aluette Mighty Service

・フィセム社(グループ企業) Phisem corporation

・トクロス社 ToX corporation

・アダマス・ハイ・インダストリーズ Adamas High Industries

・ウィドー・ファイア・アームズ Widow Fire Arms

・クローバー・グローバル・トランスポート(グループ企業) Clover Global Transport

・ユーカー・バイオテクノロジー Euchre Biotechnology


※グループ企業と表記がある企業は相当数のさん企業を持つ。

※国連常備軍にはアダマス・ハイ・インダストリーズ、ウィドー・ファイア・アームズ、アリュエット・マイティ・サービス等の製品が制式採用されているため、一部世間から国連談合企業、国連談合連盟とされることがある。


 世界企業連盟は資本主義の究極的な結果とも言える。大企業が生き残り、中小企業は吸収されるか、倒産するか。大企業はさらなる利益追求と規制回避のために、同じく大企業と手を組むことにしたのだ。当然、競合することもあるが、最終的には買収されるだけと考え、会社の看板よりも利益のためと割り切っていた。企業統合化の流れだった。より大企業は成長し、世界企業連盟は国際社会に恐ろしい程の影響力を持つようになっていた。



《国連常備軍(無人統合軍)》

 アダマス・ハイ・インダストリーズ(AHI)社製のアンドロイド兵を主力とした無人兵器からなる軍隊である。無人地上兵器、無人航空機の他、無人機動艦隊、無人潜水艦隊も存在する。これは無人兵器のみで目的地への部隊展開および制圧を可能にするためであり、専用の強襲ようりくていや兵員輸送機が配備されている。なお、戦略EMP攻撃を想定して、全ユニットはEMP対策がほどこされている。また、アンドロイド兵、自律型兵器には人間の軍隊と同じく階級がもうけられており、指揮官ユニットが国連軍作戦司令部の命令に基づき、部下ユニットに命令を下す。



〈某国、某所〉


「どうやら井口は本当の事を言っていたようだ。私としたことが初期対応を大きく誤った」


 ブラックレインボーのボスは紙の報告書を読み終え、義眼からジョーカーと生き残っている全部門のキング、クイーンを呼び出した。音声伝達モード。


「私だ。インドでのテストを急げ。データさえあればナノマシンの量産は後からでも可能だ。スペード、ダイヤには追加指令を出す。日本への報復を準備せよ。このままやつらを野放しにするのは危険だ」


 スペードのキングから報告を受けたボスは、ようやく足下で動き回る敵の正体を知った。相手は中華連の505機関でも、イスラエルのモサドでも、イギリスのゼニスでも、ロシアのGRUグルーでも、アメリカのBCOでもない。


 日本の公安だ。それも国家特別公安局の非公式組織、公安零課。


「まさか日本の公安組織が〈サイファー〉だったとは。そして……」


 デスクの上には零のホログラム映像が映し出されていた。映像データを構築、送信。


「この女〈アイリーン〉を組織の最重要ターゲットとする。発見だい全力でまっさつせよ。なお〝レクイエム〟は当初の予定通りに実施する。以上、通信終了」

ボスは最高幹部らに要件を伝達した後、椅子から立ち上がった。分厚い報告書を手にし、躊躇ためらうことなく部屋のすみに置かれたゴミ捨て用焼却炉に捨てた。

 報告書はまたたに灰と化した。



〈パキスタン国境付近〉

 ボスから送られてきたデータにジョーカーは目を通した。零の顔を彼は知っている。33年前、ある場所で見たことがあった。その記憶に間違いはない。彼は当時、義体ではなく生身の肉体を持ち、天才科学者として仕事をこなしていた。そう人間として。

 だが、彼はかつての自分を捨てた。今はブラックレインボーのジョーカーであり、それ以外の何者でもない。



「死なない人間なぞ、この世に存在してはならない」


 驚くべきことに零の姿は当時と全く変わっていなかった。


しんちつじょのために」


 ブラックレインボーは次なる作戦〝レクイエム〟へと歩を進めることになった。



《アイリーンに関する第三次報告書》エマーソン・ブラウン

 言わずもがな世界を動かす秘密組織『サイファー(Xipher)』はその存在が単なる伝説として、はるか昔から裏世界で長く、広く語りがれてきました。しかし『サイファー』は実在しており、我々はその正体が日本の秘密組織「国家特別公安局の第零課」であることを突き止めました。とりわけ、コードネーム「アイリーン」は現在、組織にとって最重要ターゲットであり、その危険度は計り知れません。CIAのエルダーズ・ノートを含め、組織の情報網を使し、様々な情報を収集、分析、統合しました。その結果、100%の確率で伝説の賞金かせぎ「シェイド(じょうミサキ)」といっしたことを申し上げます。クローンである可能性もこうりょしましたが、もうまくパターン、せいもんおよもんといった〝塩基配列変化にともなわないせい遺伝情報(エピゲノム)〟に関する追跡並びに解析の結果、過去から現在にいたる彼女が全くの同一人物であることが判明しました。

 結果としてまことに信じがたいことですが、対象は少なくとも×××歳であると思われます。確証は得ていませんが、××××歳以上の可能性も十分あり得ます。不死身ではないと思われますが不老不死であることは間違いありません。対象のまされた感覚は長年の経験によってつちかわれたものであり、ある種未来予知に近い能力も確認されています(添付資料A参照)。


〈対象〉:アイリーン(Irene)

〈機密分類〉:最高機密(Top secret)

〈アクセス制限〉:レベル10

〈異名〉:「シェイド(Shade)」「ハデス(Hades)」「シェオル(Sheol)」「バンシー(Banshee)」*Shade(シェイド)のアナグラムでHades(ハデス)

〈氏名〉:不明

〈性別〉:女性

〈国籍〉:不明(日本と思われる)

〈生年月日〉:不明

〈年齢〉:×××~××××

〈血液型〉:O型

〈身長〉:167.2cm

〈体重〉:不明

〈所属〉:日本国家特別公安局第零課(Xipher)

〈容姿〉:妖艶な黒髪を持ち容姿端麗。左目の目尻に泣きぼくろ。

〈利き手〉:両利き(本来はおそらく左利き)

〈備考〉:複数の偽名、異名を持つ。ありとあらゆる乗り物、銃火器、武術、道具に精通しているだけでなく、それらのあつかいに関しても超一流。戦闘スーツ無しでもサイボーグやアンドロイドの速さに対応でき、至近距離や背後からの攻撃も回避する。潜水、くうてい降下、クライミング、単独敵地潜入、長距離狙撃、極限環境下での戦闘およびサバイバル技術、無音暗殺、対CBRNEシーバーン技能、人質救出、暗号解読、どくしん、ハッキング、声帯しゃ、瞬間記憶能力、二丁撃ちなど多種多様な特殊技能も習得している。他国ちょうほう機関や特殊部隊に潜入して活動していたこともあり、自国の警察や軍、公安、政府要人に対しても特殊工作や暗殺を行っていた模様(添付資料B参照)。

〈推測〉:いわゆる零課が古代日本の裏であんやくしていた『みかどの秘密部隊〈がらす〉』に起源を持つというのは今のところ判断できません。しかし、その可能性は非常に高いと思われます(添付資料C参照)。対象は不老不死であることを他者にさとられないよう、様々な顔を持ち合わせているようですが、ここ数十年は「日本国家特別公安局第零課」を本職として活動しており、今後も零課員として活動すると推測されます。



『エルダーズ・ノート(Elders' note)』

 CIA最高機密文書ファイルの総称。


〈シェイド〉

 警告!

 本項はモータル・シークレットです!

 繰り返します。本項はモータル・シークレットです。

 マスターキーパー以外のアクセスは例外なく拒否されます。

 マスターキーパー以外のアクセスは例外なく不正アクセスとみなされます。

 なお、マスターキーパーであってもえつらんれきは削除不可能です。

 また、情報をえつらんするマスターキーパーは内容に関する危険性を十分承知の上、本項目をえつらんしてください。えつらんすることで命を失う危険性があります。


 機密分類:モータル・シークレット(Mortal secret)

 初登録:02/02/1951

 最終更新:05/16/2015

 対象:九條 ミサキ(KUZYO Misaki)*偽名と思われる

 異名:「シェイド(Shade)」「ハデス(Hades)」「シェオル(Sheol)」

 危険度:ネメシス(Nemesis)*れることなかれ

 国籍:不明(日系人と推測される)

 性別:女性

 年齢:不明(容姿は30代~40代)

 身長:約167cm

 体重:不明

 職業:賞金かせぎ(フリーランス)

 特記:裏の世界において賞金かせぎ「シェイド」の名は伝説とされており、我々だけでなくゼニス、モサドといった情報機関の他、世界的な資産家、ちょめいじんから仕事の依頼を受けていたことが確認された。条件だいでは殺し以外にもゆうかいせっとう、破壊工作、潜入捜査等を引き受けており、単なる殺し屋とは一線をかくす。また、依頼主が明確な敵対行為を行った場合、彼女自らの手で例外なくまっさつされる。対象の身辺調査は今後一切禁止とする。

*モータル・シークレットは最高機密の中でも、えつらんしゃに身体の危険がせまる可能性が極めて高い最高機密。国家情報長官、CIA長官、国防総省長官、国土安全保障省長官の四人全員から指定された者(マスターキーパー)のみがアクセス可能。文書の配布とコピーはマスターキーパーのみ許される。文書は黙読し、メモを取ってはならない。



〈日本、広島県(公安局本部)〉

 零と一の報告に基づき、電子戦要員の由恵が情報収集をじっ。その結果が課長である武佐に届いていた。零課員は現在、世界各国で活動している。零が率いる実動部隊、それを陰から支える工作員エージェント潜伏工作員スリーパーセル達。活動規模が大きくなればなるほど、零課はその姿を周囲にさらすことになるが、それでも零課は今、ここで引き下がるわけにはいかない。


「由恵、この情報全て間違いないか?」


 パソコンに表示されている画面を見て、武佐はその内容に疑問をいだいた。それはあまりにも衝撃的な内容だったからだ。


『はい。間違いありません。世界企業連盟の内部にブラックレインボーがかい見えます。特に、ブラックレインボーのダイヤ部門とクラブ部門が表舞台で資金かせぎを。また、ハート部門のキングはフィセム社の子会社、フィセム・アフリカ支社長のイリーナ・ヴァイオレットであることが確定しています』



《フィセム・アフリカ 支社長》

 女性 イリーナ・ヴァイオレット(ハートのキング)


《アダマス・ハイ・インダストリーズ 最高経営責任者》

 男性 タルゴ・ブルーウェル(ダイヤのキングと推測される)


《クローバー・グローバル・トランスポート 最高経営責任者》

 男性 ミラー・レッドフィールド(クラブのキングと推測される)


《トクロス社 技術開発部とうかつ部長》

 女性 リン・シエナ(ハートの幹部と推測される)


《アリュエット・マイティ・サービス 最高情報責任者》

 男性 ディーペル・シーモス(ダイヤの幹部と推測される)



「分かった。報告ご苦労。すぐに公安局と関係部署で対応を進めよう」


 由恵とのUCG通信を終え、次に零を呼び出す。


『はい、課長。伊波です』


 零と一、響の三人はナミビアでの任務を無事終え、国防海軍の艦船でソマリアからインドに向かっていた。


「ナミビアでの任務はよくやった。先ほど由恵から例のデータをもらったぞ。ミストおよびブレインシェイカーの開発データもな」

『私の言っていた通りでしょう?』

「ああ。ブラックレインボーの背後に世界企業連盟か……こいつは非常にやっかいな話だ」

『それだけならいいけど、おそらく国連にもブラックレインボーの息がかかっている。アメリカが飲み込まれるのは時間の問題ね』

「零、なるべく彼らにも手を貸してやってくれ」

『了解。ただし間に合えば、だけど』



〈時刻2408時。インド、ムンバイ〉

 インド亜大陸に位置する連邦共和国制国家、インド共和国。ロボット産業と情報産業がさかんである。バイオテクノロジーやナノテクノロジーの研究も積極的に行われており、その技術はアジアだけでなく、欧州やアフリカでも幅広く利用されている。ナノマシン産業のリードカンパニーであるフィセム社とトクロス社が拠点を置いていることからも、その市場価値の高さがうかがえる。

 インド国内では人の性格が変わってしまうという謎の病が流行っている。そのため、トクロス社によるナノマシンりんしょう試験(フェーズ3)が実施されており、試作型ナノマシンの有効性と安全性の確認が進められていた。


「隊長、こちら菅田です」

『こちら伊波。感度良好。送れ』

「サンタクルズ空軍基地でクローバー・グローバル・トランスポートの輸送機を確認しました」


 深夜のムンバイ。直樹のUCGにはクローバー・グローバル・トランスポート社のロゴが入った軍用大型輸送機SC‐3が映っている。少し横に目をらすと、ずいはんしていた三機の護衛戦闘機も見えた。これらにはアリュエット・セキュリティ・サービス(ASS)社のロゴが入っていた。


『おそらくその機体だ。確認しろ』


 SC‐3はたった今、着陸したばかり。機体後部のハッチが開いていく。


「こちら滝。輸送機から車両が降りてきた。1、2、3、4。全部で四台。二台目、三台目のロゴはトクロス。前後二台はASS。護衛車両と思われる」

「こちら鶴間。車両はフィセム社のもので間違いないですね。ロゴはフィセムからトクロスに、ナンバーも変わっていますけど」


 由恵は事前に響からもらっていた追跡車両データと照合し、輸送機から出てきた車両がフィセム社のものであることを見抜いた。


『やはりそうか。連中が輸送しているのはミストかブレインシェイカーか、その両方かは分からない。だが、中身は間違いなくナノマシン兵器だ。絶対に確保しろ』

「「「了解」」」

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