ブラックレインボー 後編

〈公安局本部〉


「これより解析結果の報告を行います」


 課長室に集められたのは零、一、直樹、進、珠子、由恵。

 ケナンは由恵とともに井口少将やブレインシェイカー、505機関、ブラックレインボーについてのデータ収集と情報解析を行い、ようやく情報の体系化に成功した。


「順を追って説明していきます」


 ケナンは部屋の中央にホログラムを表示させ、井口少将の情報を皆に見せる。いつもふざけた印象があるケナンだが、今日は真剣そのものだった。


「彼が中華連の505機関と関わりを持ち、国防に関する情報を横流ししていたのは間違いありません。ただし、彼は中華連よりも先に犯罪組織ブラックレインボーと関係があったことが分かりました。井口少将はブラックレインボーに同盟国情報機関や警察、軍の動きを伝え、さらに政府関係者の海外渡航予定まで伝えていたようです」


(井口は犯罪集団とも関係を持っていたのか。やはりクズだ)


 一は元から井口という男を好いていなかったが、一層のけんけんいだいた。


「505機関にも同じように情報を流していたと思われますが、ブラックレインボーには505機関の情報も提供していたようで。つまり、井口少将の真のバックはブラックレインボーということです。ただ、中華連も中華連で井口少将を利用しようとしていたようですね。505機関は日本に潜入したスパイですが、同時に井口少将からブラックレインボーに関する情報を得ようとしていました。中華連もブラックレインボーの存在はやはり無視できなかったということでしょう」


(中華連でもブレインシェイカーのまんえんは確認されている。505もブレインシェイカーの流通はブラックレインボーが関わっていることを突き止めたのだろう)


「井口少将はブラックレインボーと長いこと関係を持っていましたが、その関係はいびつなものであり、井口少将は近年、命の危険性を感じるようになっていたようです。彼は毎年四回、和歌山でブラックレインボーの最高幹部である『クラブのキング』と密会を繰り返し、日本国内での組織拡大、密輸ネットワーク拡大、ブレインシェイカーまんえん等の協力を行っていたことが判明しました。そして、井口少将暗殺の二日前、つまり最後の密談で両者に大きなれつが生じます」


(聞けば聞くほど井口のやつを早く仕留めておけばよかったと思えるな)


「ブラックレインボーの最高幹部の一人『ハートのキング』からに協力するよう、井口少将は言われました。彼は命を消されるかくでそれを断り、ブラックレインボーから手を切りました」

「ほう、あのクズ男にもそんな良心があったとはな。で、そのとは何だ?」

 一が尋ねた。

「ミストを日本国内で拡散させることです」

「!?」


 ケナンの言葉を聞き、課長を含め部屋にいる全員が驚いた。いや、驚かざるを得なかった。

 ミスト。2021年、同時多発テロで使用された生物兵器。

 その拡散自体は公安の手によって防がれたが、その計画は日本だけでなく世界をもしんかんさせ、対バイオテロ論争がぼっぱつした。


「ミストだと! それはつまり、ブラックレインボーが生物兵器ミストを持っているということか?」


 一が声をあらげる。それもそのはずだ。ミストの拡散を未然に防いだのは29年前の零課だ。とっくにミストのきょうは去ったと思っていた。


「そうです。正しくいえばミストは生物兵器ではありません。どうやらミストの開発はブラックレインボーの研究部門〝ハート〟が行っていたようです」

「生物兵器ではない? それはどういう意味だ、ケナン」

「ミストは生物兵器……ウイルス兵器であると我々は聞かされていました。が、その実体を見た者も知っている者もこちら側にはいません。加えて、当時ミスト処理班であった軍のCBRNEシーバーン部隊の中にブラックレインボーの工作員がまぎれ込んでいたようです。彼らによりミストのサンプルは全て秘密裏に回収され、詳しい解析はできませんでした。このため、ミストは長いこと生物兵器だと考えられていました。ですが違います。ミストの正体はナノマシンです。ナノマシン兵器といった方がいいでしょう」

「そんな鹿な! ナノマシン兵器だと!? そんなもの聞いたことないぜ。じゃあ、ブレインシェイカーとは一体なんなんだ? ブレインシェイカーの正体もナノマシンなんだろう?」

ちまた流行はやっている新種ドラッグ、ブレインシェイカーはミストの姉妹のようなもので、ベースはミストと変わりません。というより、ミストの開発コンセプトをドラッグ寄りに設計し直したというべきでしょう。ナノマシンの設計を変えることでその機能は変わります。ミストは人間だけを死にいたらしめるよう、ウイルスをほうし開発されたようですが、ブレインシェイカーは既存のドラッグの作用じょもとに開発されています。そのため、ブレインシェイカーは脳、とりわけ神経細胞や神経伝達物質に作用するように設計されたナノマシン、すなわち〝ナノドラッグ〟ということになります」


 ホログラムにはブレインシェイカーとミストの二種類の項目が分けられ、それぞれの開発コンセプトと機能について表示される。


「つまり……」


 由恵がケナンの説明をさらにへいな言葉に直す。


「ミストは大量さつりつを目的に開発されたナノマシン、ブレインシェイカーはドラッグとして開発されたナノマシンということよ」

「ブラックレインボーがミストの開発を続けていることは間違いありません。ミストの開発目的についてですが、おそらくブラックレインボーの影響力の拡大、既存国家および国際社会に対する挑戦の意味があるかと思われます。つまり、力のよくりょく、外交カードですかね。ここでまた一旦ブレインシェイカーの話に移ります。ブレインシェイカーのとくちょうとしては中毒者の行動に対し、ある種の方向付けを行うことが挙げられます」

「方向付け?」


 直樹は映し出されているホログラムを見て言った。ホログラムにはブレインシェイカーによる行動支配と書かれている。


「ええ。方向付けです。ブレインシェイカーを構成するナノマシンの組み合わせは三千を超えます。これらの組み合わせにより『どのような行動をすれば快楽を感じるのか』というきっかけと作用じょを自在に変えることができます。ブレインシェイカー自体は化合物ではありませんが、脳内のほうしゅうけいに強く影響を与えるナノマシン群であるため、中毒者が自力で立ち直ることは不可能でしょう」


ミスト、ブレインシェイカーは多種多様のナノマシンからなるナノマシン群の総称である。ホログラムにはブレインシェイカーの作用じょ例としてドーパミン作動性への影響が表示される。


「次に示すのはブレインシェイカーのうち、ドーパミンに作用するナノマシン群のほんの一例です」



〈ブレインシェイカーを構成するナノマシン群の一部〉

・ドーパミンぜんたいL‐ドーパの合成を促進

・L‐ドーパからドーパミンの合成を促進

・ドーパミン受容体におけるアンタゴニスト(きっこう物質)の結合がい

・ドーパミントランスポーターの改変

・医療用ナノマシン群の機能がい


「このように、ブレインシェイカーを投与された人間は脳が改変され、行動原理を快楽行動へと向けていきます。そして中毒者は段々と行動が過激になるとともに、ドーパミンじょう分泌によるげんげんちょう症状が現れます。結果、中毒者はさらなる過激行動へと走り、最終的には犯罪者へとなり果てます」

「なるほど、それがブレインシェイカーの正体というわけか」

「サイボーグであっても脳を完全電子化していない限り、ブレインシェイカーを防ぐことは困難です。流通しているブレインシェイカーのうち、一部は医療用ナノマシンや軍用ナノマシンとして警察や軍に投与されている可能性があり、世界的な潜在汚染がねんされます。おそらくこれらもブラックレインボーの計算によるものかと」

「特戦の件については?」


 直樹からケナンに質問が来た。あさちゅうとんで第803特別戦術こうせい中隊が暴走した件だ。


「その件についても真相が分かりました」


 再びホログラムには井口少将とブラックレインボー、中華連の関係が映し出され、さらに井口少将と香川中佐とのつながりも追加される。


「まず、井口少将と香川中佐の二人は密接な関係があったことは先に述べた通りです。井口少将はブラックレインボー・ハートのキングからの協力依頼を断ったため、組織から命を狙われることになりました。これは当然の結果でしょう。ブラックレインボーから身を隠すため、井口少将は中華連への亡命を計画。しかし、505機関からの協力を得られず、香川中佐の第803特別戦術こうせい中隊のを期待したようです。ですが、香川中佐からの協力も得られず、結果、伊波隊長の手により射殺されました」


(ブラックレインボー……めんどくさい連中だ)


「井口少将が事故死したという報告を受けた香川中佐は、ブラックレインボーによって井口少将が暗殺されたと考えたようです。そのため、香川中佐はブラックレインボーへの報復を計画していたことが分かりました」

「報復か。特戦は公安局も頼らず、極秘裏に処理するつもりだったのだろう」


 零は特戦について良く知っていた。特戦は本部や本隊の支援が無くとも独立して任務を遂行する遂行力を有している。そのため、極秘で海外派兵されることがあり、いざとなれば国は彼らを切り捨て、その任務遂行力に期待するのだ。


「隊長の言う通り、香川中佐率いる特戦は国内に点在するブラックレインボーの拠点を襲撃する計画を立てていました。ただ、香川中佐はブラックレインボーの情報網をあなどってしまって。組織の工作員に感づかれ、特戦は彼らの罠にかかりました」

「それがブレインシェイカーか?」


 腕組みをしながら一はそういった。


「そうです。少し話をらしますが、ブラックレインボーはブラックレインボーで頭を悩ます事態が起こりました。それは中華連スパイの暗殺のために派遣したスペードの戦闘員が零課につかまったことです。ブラックレインボーは零課の存在こそ知らないものの、これを日本の公安によるものだと考え、どうにかして公安のしっつかもうとかくさくし、特戦を利用することを思いつきました。特戦へ軍用ナノマシンを更新用の正規品として送り付け、彼ら自身にブレインシェイカーを投与させることに成功したというわけです。ナノマシン開発元のフィセム社とブラックレインボーがつながっている可能性は極めて高いですね」

「それで特戦はブレインシェイカーに汚染され暴走。制圧に派遣された俺らは見事釣られたわけだ」

「そうなりますね。特戦の視覚映像を解析したところ、特戦は射撃訓練による神経の興奮状態がきっかけとなりブレインシェイカーが反応したと思われます。そして、特戦はブレインシェイカーによる中毒症状を生じるとともに、戦闘へのこうようぎゃくさつ行為におよんだのでしょう」

「ブラックレインボーかいにゅうの件について詳細を教えてくれ」


 ホログラム映像を見ながら、零はケナンに説明を求めた。ブラックレインボーの幹部らは頭が切れる。おまけに組織の統率は驚くほどてっていされているようだ。ここまで一枚岩な組織は公的機関でもそうそうない。


「今回のあさちゅうとんと白波マリンポートの両件は組織内で〝鳥かご作戦〟と呼ばれ、スペード部門の主導で行われました。この鳥かご作戦は三つのプランで成り立っており、一つ目のプランは特戦があさちゅうとん内部隊によりそのままちんあつされることを想定したもの。二つ目のプランは直接スペード部隊が特戦をせんめつすること。三つ目のプランは特戦のちんあつに来た公安をスペード部隊がせんめつすること。以上の三つのプランから構成されます」


 ここで由恵から補足が入った。


「隊長らがそうぐうしたのは第三プランを遂行しようとしたスペード部隊です。ただそれ以上の情報については分かりません。彼らがどこにひそんでいたのか、武器や弾薬をどこから持ち込んだのか。ブラックレインボーの部門や活動班はどのくらいの規模で構成されているのか、不明なことの方が多いのが現状です」


 一通りの説明が終わったところで武佐が口を開いた。


「国防省や特戦を実質操っていたことを考えると、ブラックレインボーは今現在、零課で最も危険な存在だと言えるだろう。我々はより一層しんちょうに動かなければならん」


 武佐は部屋にいる課員全員に向けて言葉を続ける。


「国内に点在しているブラックレインボーの拠点については八課が中心となって対応が進められている。WDUによる武力制圧もすでにあったようだが、幹部までは行き当たっていない。しかし、ブレインシェイカーの製造を完全に止めるにはブラックレインボーを壊滅させるしかない。最優先事項はボスの確保だ。どのちょうほう機関よりも先に我々がボスをつかまえる。ブレインシェイカーやミストを他国に軍事利用されるとなれば我が国の安全保障に関わるからな。ブラックレインボーは我々零課がつぶす。我々がつぶさなければ信用できん」


「課長、今後の予定は?」


 これから零課は今後大きく動くことになる。零はそのことを理解していた。同時に、零課にしかこれはできないことだとも理解していた。零課の力をブラックレインボーの連中に見せてやらなければならない。日本に手を出してタダで済ませるわけにはいかない。


「零課は海外での活動を強化する。ブラックレインボーの活動拠点を優先的につぶし、障害となるならば他国だろうが身内だろうが排除する。シギント、さらに電子戦も強化だ。由恵にはその腕を存分に振るってもらおう。零課はこれより全世界相手に臨戦態勢だ。全員気を引き締めよ!」

「「「ハッ!」」」


 全員が椅子から立ち上がり、武佐へ敬礼した。

 すいも辞さない。

 彼らの目には迷いも恐れもなかった。

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