Underground

アンダーグラウンド 前編

〈カザフスタン、シュチンスク〉

 内陸国として広大な国土を誇るカザフスタン共和国。中央アジアとヨーロッパにまたがる国であり、ロシア連邦、中華人民連合国、キルギス共和国、ウズベキスタン共和国、そしてえいせい中立国のトルクメニスタンと国境を接し、さらにカスピ海、アラル海と面している。国土の大半は砂漠や乾燥したステップだが、壮大な山脈や自然保護区、世界遺産のイスラム建築や洗練された現代建築が見どころだ。ただ、国内の治安状況は必ずしも良いとはいえず、武装勢力「エト・アッリ」のたいとうもあって、国軍と警察による対テロ作戦がひんぱんに行われている。


 首都アスタナから約240キロ北に位置するアクモラ州シュチンスク。ここ三十年の経済発展により、街としての整備が進み、バスや鉄道の利便性が向上した。ロシア企業や中華連企業の支社も存在している。シュチンスクにはエト・アッリの拠点があるとされ、たびたび発生している首都アスタナへのテロ攻撃に大きく関与していると思われる。さらに、CIAの報告ではウクライナにロシアちょうほう機関がひんぱんに姿を見せているとのことだ。


「トレボー、聞こえるか? こちらウィザード06。ワイバーン隊が正体不明のアンドロイド兵と交戦中。オーバー」

『ウィザード06、こちらトレボー。プリースト隊がワイバーン隊の援護に向かっている。貴隊はビショップ隊とともにポイント・ブラボー2へ向かい、〝フェアリィ〟を救出せよ。情報を何としても持ち帰れ。オーバー』

「トレボー、ウィザード06了解した。アウト」


 小銃を持った四人の男達は無線相手の命令を受けて、このまま前進することにした。彼らのかっこうは戦闘服のような統一された装備ではなく、おのおのが民間人への偽装をこうりょしたラフな服装をしている。彼らの義眼にはUCGと似たようなインターフェイスが表示されており、味方の位置情報や目的地までの距離が映し出されている。ここにいる全員がサイボーグだった。

 住宅街の道路を進んでいるが、民間人の姿を見ることはない。ここ一帯で戦闘が起こっており、一般市民は自主的に外出をひかえていた。単純にそれは命を守るための行動であり、余計なことに関わらないようにする予防策でもあった。市民は明らかにいざこざレベルを超えた、危険なふんびんかんに感じ取っている。


「気を付けろ。相手はエト・アッリだけではないかもしれない」


 この隊の隊長と思われる男はカービンライフルS‐2を構えながら、救出目標〝フェアリィ〟の座標を再確認する。義眼上にポイント・ブラボー2が強調表示され、最短ルート案内表示も目の前に出ていた。


「BCOのエージェントはブラックレインボーの幹部がカザフスタンに来ていると言っていた。それは本当なのか?」


 隊の先頭を歩く男は銃口が水平を保った状態になるよう、コンバット・レディポジションでMK‐74Cを構えている。銃のアタッチメントとしてはアンダーバレルにML‐420グレネードランチャーが、光学照準器にはヴィセルダ社製のホロサイトが取り付けられていた。


「ああ。どうやら本当らしい。問題は何をしにここへ来たのかということだ。ただでさえこの国は色々と大変なのにな。ブラックレインボーまで参入するとなると厳しいぞ」


 隊長の男はBCOエージェントから正式な情報提供を受けており、その情報の正確性については深く疑っていない。


「エト・アッリとブラックレインボーがやり合ってくれたら楽なんだがな」


 一番後方をけいかいしている男はそういった。彼は敵同士がドンパチやってくれたらいいとつねづね思っている。


 UCGには敵性反応は表示されていない。目的地まであともう少しだ。


「そうだと俺らの仕事がなくなるな」


 とつじょ、義眼のインターフェイスに赤いマークが表れる。


「二時の方向から敵!」


 四人は敵出現に対し即座に反応した。敵はこちらに向かってちゅうちょなく撃ってくる。

 このことから敵も敵味方識別ができる。つまり、敵はUCGのような情報共有戦術デバイスを持っているか、サイボーグあるいはアンドロイドであるということだ。


「敵はエト・アッリではないぞ。アンドロイドだ。撃ち返せ」


 エト・アッリにアンドロイド兵はいない。壁に隠れたり、建物の中から撃ってきたりとかなり頭がいいようだ。人間の兵士と変わらない姿を持つとともにじゅうなんな判断力を有している。このような高性能な戦闘用アンドロイドをそこら辺の武装組織やマフィアが手に入れるとは考えにくい。


やつらフィセム・サイバネティクス社のHXヘクスシリーズだ。あんな高価なものをエト・アッリが買えるわけない」

「分からんぞ。もしかしたら中華連かロシアが背後にいるのかもしれん。どちらにしろ、HXヘクスシリーズならCPUは頭だ。頭を狙え」


 フィセム社子会社のフィセム・サイバネティクス社が開発したHXヘクスシリーズは、欧米諸国で警察や軍の戦力として採用されている戦闘用アンドロイド。また、高度かつ専門的にカスタムされた特注モデルのHXヘクスシリーズは立てこもり犯の制圧やハイジャック犯の制圧が可能とされ、さらに爆発物の処理も行うことができる。


「隊長、様子が変です。やつら後退しています」


 瞳に映る赤いマークが徐々に離れていっている。それもある一点を目指して移動していた。


「まずいぞ目的地に向かっている。やつらの目的はフェアリィだ。急げ!」


 ポイント・ブラボー2に向かう四人。彼らは待ち伏せしていたアンドロイド狙撃兵を撃ち抜きながら道を進む。この先に目的地のブラボー2がある。


『ウィザード06、その先、開けている場所だ。注意しろ』


 敵は間違いなく、そこで張っているだろう。建物の二階や屋上から集中砲火するにはうってつけの場所だ。


「了解」


 開けた場所に出る四人。


「……どうなっている?」


 おかしなことに、敵の待ち伏せがない。ここは待ち伏せするにはうってつけのはずだが、どこからも銃弾が飛んでこない。それだけでなく敵影も確認できない。これはあまりにも不自然だ。


「待ち伏せがないとは」

「地雷のスキャンも行ったが、何もない」


 屋上や建物の窓をけいかいしつつ、前へ進む。


「隊長、屋上に誰かいます」

「民間人、女の子?」


 銃を下ろすことはしないが、すぐに発砲することもなかった。義眼上では敵ではなくを示す白色の表示だったからだ。


「来た来た。待ちくたびれたよ。MTFウィザード隊の皆さん」


 その女の子は何の躊躇ためらいもなく、屋上から飛び下りた。彼女はそのまま地面に落下するのではなく、背中から半透明の翼状フロートウイングが展開し、ゆっくりと足を地に着けた。


(フロートシステム……あれはまだ実用化できていないはずだ)


「君は何者だ? なぜここにいる? なぜ我々の正体を知っている?」

「さて、なぜでしょう」


 目の前で不敵な笑みを浮かべる少女。


 パチンッ

 右手の中指と親指を使って、少女は指を鳴らした。


 すると横の小道や後ろの小道からアンドロイド兵が銃を構えて出てきた。屋上や窓にもアンドロイドの狙撃兵が姿を現す。アンドロイド達の頭部には銃で撃たれた穴があった。そう、こいつらは先ほどまでウィザード隊が撃ち抜いてきたアンドロイド兵だった。


「兵隊さん達、残念だったね。こいつらのCPUは頭じゃないんだよ」


 アンドロイド兵はこの少女を指揮官として動いている。この少女がただ者ではないことは明らかだ。


「これ、見たことある?」


 だいたいのホルスター左右両方には変わった形の剣が収められている。その剣を少女は両方とも引き抜き、左手の剣は先端を下にしたまま、右手の剣を見せびらかすように上げた。の上部にはトリガーガードとトリガーがある。というより、銃のトリガー部に合わせて剣が作られたようだ。刃の先端部もまるで銃口のような穴がある。


銃機構内蔵式剣ガンブレードか」

「そう。切っても良し、撃っても良し。こうの武器だよ。せっかく兵隊さん達、ここまで来たんだから、ただで殺されるのはイヤでしょ? ここまで来たごほうに私を倒すチャンスをあげる」


 その言葉に合わせて周囲のアンドロイド兵は全員が銃を下ろし、命令待機モードに移行した。


「隊長……あいつはブラックレインボー最高幹部、スペードのクイーンです」


 部下ははっきりと少女の右手の甲に〝スペード〟のマーク、左手の甲に〝Q〟の文字がペイントされているのを見た。


「あれがスペードの」


 クイーン。ブラックレインボーの中でも謎に包まれている存在で、直属の配下はアンドロイドから構成される戦闘部隊という。クイーン達はダイヤ、スペード、ハート、クラブの各部門に一人ずつおり、キングの補佐も行うが、基本的には部門別関係なく、スペードと同様に戦闘をになう。


「そう。私がスペードのクイーン」


 と、男達の目の前から姿が消えた。


(視覚ジャック!?)


「私の名前はソール。めい土産みやげに覚えておいてね」


 隊長の背後にソールが回り込み、その首をガンブレードで斬り落とした。

 とっさの出来事だったが、他の隊員達は冷静さを失うことなく、銃をソールに向けて撃つ。


「ハハハハッ。アメリカ最強とうたわれるMTFもこの程度?」


 ソールは自前の機動力とフロートシステムを応用した回避術で、MTF隊員達の射撃を回避していく。彼女は笑っていた。その笑いは自分よりも下等な存在を見下す、上位者特有の笑みだ。


「くそっ!」

「あらあらすきだらけ」


 一人の隊員が右腕を斬り落とされ、さらにとどめとして強力なりを胴体に受けた。そのりの衝撃を物語るかのように、胸部は大きくへこんでいた。強化骨格であるはずの人工骨が折れているのは明らかだった。

 いくらサイボーグであっても、耐えられる損傷には限界がある。せめてもの救いとしては痛感がしゃだんされているということだ。痛みを感じることなく死ねる。戦場に身を置くサイボーグ兵士として、ゆいいつの救いだった。


「トレボー! クイーンを発見した! 増援を!」


 味方に死者が出ているにも関わらず、義眼上ではソールの反応が民間人の判定になっている。さらにHVT指定もされていなかった。このことに三人は気が付いていたが、とにかく目の前のことに集中するしかなかった。


「トレボー、応答しろ!」


 中央軍司令部との連絡をこころみるが、トレボーからの応答はない。


「ぐはっ……」


 また一人、MTF隊員が左脚を斬り落とされ、続けざまに首を落とされた。


ざまだね。MTF」


 ソールのガンブレードから弾丸が発射され、それをよけきれなかった一人が死亡。ウィザード隊の生き残りは一人になってしまった。


「なんでトレボーと連絡がつながらないと思う? ジョセフ・アレンそうちょう?」


 けんにガンブレードの銃口を付けられ、最後の隊員であるジョセフはかくを決めた。


 だが、ここで気になることが一つある。

 それはなぜ自分の名前を知っているかということだ。作戦地域で本名を出したことは一度もない。全てコールサインで会話はやり取りしている。ソールが知っているわけがない。死が目前にせまっているというのに嫌な予感がした。それでもジョセフは確かめたかった。


「なぜ、自分の名を……」

「私は何でも知ってる。ここに来たのは極秘作戦、オペレーション『スノーウィンド』。作戦の内容はBCOエージェント、コードネーム〝フェアリィ〟をエト・アッリから救出し、回収地点ポイント・デルタ9にて回収部隊を待て。そうでしょ? アレンそうちょう?」

鹿な……なぜ、なぜ、作戦内容まで」

「『ウィザード03、こちらトレボー。もしもし聞こえる?』」

「ま、まさか……」

「そういうこと。最初から最後まで、我々ブラックレインボーのてのひらおどっていたわけ。そして、プリースト隊も、ワイバーン隊も、ビショップ隊もすでにこの世にいない。貴方あなたがチーム3最後。バイバイ、アレンそうちょう


 次の瞬間、ジョセフは意識が無くなった。


「ボス、こちらソール。計画通り、カザフスタンにてMTFのチーム3をせんめつした。生き残りは一人もいない。思い通りに敵が動くっておもしろいね」


 ソールはうつ伏せになっているMTF隊員の死体を足でり、あおけにさせた。


『そうだな。あそこまでかんぺきにいくとは私自身驚いた。これで中央アジアにおけるアメリカの影響力はさらに低下することになる』

「これでまた、私のコレクションが増えた」


 彼女は死体からドッグタグを取り、それを腰にある戦利品入れにいれる。

 全ての隊員からドッグタグを奪い終えると、笑みを浮かべなら、右手中指でガンブレードのトリガーガードに指をかけ、ガンブレードをくるくる回し始めた。


『しばらくのあいだ、アメリカは特殊部隊を動かせないだろう。統合軍の特殊作戦コマンドはめん丸つぶれだ。仮に動かすとしてもサイボーグ部隊ではなく、人間からなる特殊部隊か』

「ふふっ。その時が来ればさつりつショーの始まりだね」

『ソール、君はウクライナへ向かい、クラブの援護へ行け。SVRエスヴェーエルの連中が彼らの周りを嗅ぎまわっているそうだ』

SVRエスヴェーエル? ロシア対外情報庁のこと?」

SVR(Service of the External Reconnaissance of Russian Federation:ロシア対外情報庁)。ロシア連邦のちょうほう機関であり、れいの特殊部隊は謎のベールに包まれている。名前が知られている部隊としてはヴィンペル部隊、ザスローン部隊等が知られているが、それらも実態は不明である。


『そうだ。SVRエスヴェーエルが動いている。輸送部門のクラブにさぐりを入れているようだ。けいかいしろ』

「了解ボス」



〈時刻1015時。ナミビア、ウィントフック〉

 アフリカ大陸南西部に位置するナミビア共和国は、アンゴラ共和国、ザンビア共和国、ボツワナ共和国、南アフリカ共和国と国境を接しており、国境西側は大西洋に面している。首都はウィントフック。かつて鉱業が主産業であったが、現在は先進国の経済支援と多国籍企業の進出もあり、エネルギー産業と先端工学産業が発展している。

 アフリカでは新興感染症治療のため、ナノマシンの治験が広く認められており、ナノマシン大手企業がアフリカに支社を置いている。ナミビアにはフィセムグループの工場や研究施設があり、ナノマシンやサイボーグ、アンドロイドの開発、量産が行われている。そのフィセムグループは自社の製品と社員を守るという名目で、武装アンドロイドと武装警備員の保有をナミビア政府より認められていた。


 電気工事車に偽装した防弾仕様のミニバン。その車内に零と一はいた。二人はUCGとヘッドセットを付けているものの、服装は会社の制服を着ている。制服自体は本物で、首からぶら下げている社員証は本物と変わらない偽造品だ。

 大型スーパーの駐車場で二人は尾行対象が動くのを待っていた。尾行対象はフィセム社のアフリカ支社長イリーナ。彼女は今日、何者かと密談をする予定だが、その何者かが零課は分からない。内容としてはおそらく兵器の売買取引だろう。問題はその兵器が何かということだ。ぐんじゅ産業大手であり、軍用ナノマシン最大手のフィセム社は裏でブラックレインボーと繋がっている可能性がある。ブラックレインボーが同社の製品を多用しているのは偶然かもしれないが、零課としては調べる必要があった。


「はあ、まさかナミビアまで来ることになるとはなあ」

「情報が手に入ったのは現地エージェントのおかげ。別に海外に来るのは初めてでもないでしょう」

「まあ、そうだけどさ」


 ハンドルにもたれかかるように一は上体を前に出した。右隣にいる零はUCGで標的の動きを監視している。


「そういえばMTFのチーム3が全滅したそうよ」


 零課の情報網ではすでにMTFチーム3が全滅したという話をひろっていた。この話は零の興味を引いており、日本と直接関係ないが国際情勢としてかんできない問題となっている。

 MTF214はアメリカ特殊作戦軍れいの統合特殊作戦コマンドに属する、サイボーグ特殊任務部隊である。五年前に実施された対ブラックレインボー作戦〝オペレーション・ヴィーナス〟において、当時、最高の精鋭部隊として名高かった統合特殊作戦部隊ストライクドッグ(Strike Dogs)があろうことか全滅した。これにより人間兵士への限界を感じ取った国防総省は次世代特殊部隊MTF214を作り上げたのである。


「鶴間から聞いたぞ、その話。超ビッグニュースだってな。チーム3が中央軍司令部の命令を無視し、独断でカザフスタン入り。そのままエト・アッリとの戦闘で全滅したって」

「軍の見解はそうね。だけど、BCOの見解の方が私は真実に近いと思う」

「確かブラックレインボーにより、軍のネットワークがハッキングされ、MTFの作戦コード『スノーウィンド』が書き換えられた。偽の作戦命令を受けたチーム3は、存在しない任務を遂行するためカザフスタンへ行き、皆殺しにされたという話か」

「そう。チーム3はまぼろしの任務を与えられ、そして殺された。カザフスタンにいる現地エージェントの情報では現地で正体不明のアンドロイド部隊が確認されている。ドンパチしたそうだ。確定情報ではないが、ブラックレインボーのクイーンが動いていたらしい」

「クイーンねぇ。絶対お目にかかりたくないわ」


 ここで追跡対象を表すオレンジマークが動き始める。

 追跡対象の支社長が車で移動を開始した。


「総員、目標が移動を始めた。一、尾行開始。スフル、空から目標を追跡しろ。逃がすなよ」

『了解。これより移動します』


 空を飛んで目標車両を追いかけるスフル。日本にいる時とは異なり、胸のあたりが黒色ではなく白色になっていた。これはアフリカに日本と同じような全身真っ黒のカラスが生息していないためだった。


「よっしゃ行くぞ」


 ハンドルを握り締め一は車を発進させる。ナミビアでは完全自動走行がまだ一般的ではなく、手動走行が主流だ。一にとって久しぶりの手動運転であり、少し興奮していた。


「腕はにぶっていないみたいね」

「VR訓練のおかげさ。響にも負けねえ。そうだ、隊長。今度レースで勝負しよう」


 車のフロントガラスはARディスプレイになっている。フロントガラスには進行ルートが映し出され、GPSによる現在地や適切な車間距離の表示、場合によっては緊急車両の接近を教えてくれるようになっていた。


「それよりも目の前の任務に集中しなさい。護衛がいる」

「護衛車両は覆面か。用心深いこった」


 フィセム・アフリカ支社長のイリーナを乗せた黒い車両の前後には目に見えて明らかな護送車はいない。だが、会社の護衛部隊と思われる車両が二台見えた。


「スペードではないようね。フィセム社の保安員だ」

「あいつら社内ならば警察権を行使できるんだろ? すげえよな」

「一、勘付かれるな。目標は左に曲がる。距離を開けよう」

「はいよ」


 保安員達の技量はそこまで恐れることもないが、素人しろうとではない。尾行をけいかいするのは基本中の基本だ。ここで尾行がばれたら全てが水の泡だ。


「どうやら目標はホテル・ヴァルハラに向かっているようね」

「なぜ、連中は社屋で会談しないんだ? 盗聴や盗撮の心配がないのに」

「よほど存在を隠したい相手なんでしょ。わざわざ電子メールではなく、手紙で暗号のやり取りをしていたぐらいだから」


 イリーナ支社長は暗号化された手紙を用いて、秘書アンドロイドのメッセンジャーをかいし、密談相手とメッセージをやり取りしていた。当然、密談相手の方もメッセンジャーを使っており、自身のしょを知られないようにふうをしていた。


「デジタルののぞを防ぐにはアナログってことだよな。スパイ映画みたいだ」

「電子の海はのぞが多い。それにフィセム社の規模を考えると産業スパイも多いはず。会社上層部は社内の人間も信用していなんでしょうね。保安部門や情報セキュリティ部門が幅をかせているのも無理はない」


 目的地のホテル・ヴァルハラが見えてきた。ここはナミビアでも有名なホテルであり、政府高官やナミビア著名人らがたびたび利用している。


「あれがホテル・ヴァルハラか。思っていたより上品なところだな」

「ヴァルハラ、あまりいい響きじゃないわね。流血騒ぎになるのだけはゴメンだわ」


 ヴァルハラは北欧神話における主神オーディンの宮殿で、戦死者のやかた。オーディンのめいを受けたヴァルキューレによって、戦死した戦士達のたましいはヴァルハラに集められ、そこで戦士達は毎日戦いに明け暮れる。これはオーディンの予見した、来たるべき終末の日ラグナレクにそなえるための演習であり、ヴァルハラの戦士達はラグナレクが訪れるその日まで、腕をみがき続けるのである。


 ホテル・ヴァルハラは四階建てのホテルで、西洋風の内装を中心としたインテリアとなっている。スパや屋内温水プールもあり、部屋によっては広いテラスもある。


やつら、入っていったな」

「問題ない。私がシステムに侵入する。車を駐車場に停めて」


 一が車を業務用駐車場に駐車させた後、零はUCGでホテル・ヴァルハラの業務システムに侵入。電気系統メンテナンスの予定を今日の日付に付け加えた。もちろん、これはナミビアにおける立派な違法行為である。ハッキングによるシステムの無断侵入および情報改ざんだ。


「情報は書き換えた。正面から行くぞ」

「はいよ」


 ホテルのエントランスに入ると、右手のエレベーターにイリーナ支社長が乗っているのが見えた。エレベーターは三階で止まる。


「三階か」


 二人は受付で偽の仕事予定を確認してもらい、そのままメンテナンス業務に必要となるかぎたばを別の事務員からもらった。


「スフル、目標は三階」

『了解。盗聴の準備をします』

「さて、イリーナはどこの部屋かしら?」


 屋外の制御盤のメンテナンスをよそい、零と一は建物裏の制御盤へ向かう。


『目標は304号室です』


 スフルがイリーナ支社長の入る部屋を空間スキャンで確認。


「了解。宿泊の状況を見たけど、上下左右の部屋が借りられていた。民間人だと良いわね」

「はぁ、そいつはにおうな」


 実際に密談する部屋だけでなく、周りの部屋も密談者が全て借りることはたまにある。これは隣接する部屋からの盗聴を防ぐための手段の一つだ。それだけではなく、護衛を部屋にはいすことで密談部屋への侵入者や警察の突入に対応することも可能。つまり、借りているのは密談相手ということが考えられる。


「どうやら左右の部屋は護衛がいるようね」


 スフルからの屋内スキャン情報が送られてきた。スフルは302号室のテラスの柵にとまり、三階を中心に盗聴とスキャンを続ける。303号室と305号室は武装した護衛部隊が待機しており、密談会場の304号室には三人のシルエットが見えた。


『よく来た。イリーナ』

『これはお二人とも、今回はずいぶんとお着きがお早いようで』


「問題の密談相手は二人か。話している方は男、隣は女」

「初対面ということではなさそうだな」


『イリーナ、ナノマシンのテスト状況はどうだ?』

『そうね、ブレインシェイカーD3についてはもう完成と言っていい。アジア、欧州、北米、南米、いずれのテスト地域でも良好の結果が出ている。ミストF2もほぼ完成。ボスの承認が下りだい、ミストとブレインシェイカー、それぞれの最終モデルを今週中にでもテストする予定よ。試験国はインド。詳細はこのファイルにまとめてある』

『このことをタルゴやエマーソンには?』

すでに伝えてある。テストは大規模になるし、味方のてっ退たいに時間がかかりそう』

『クラブとしてはインド支社で開発してくれたら楽なんだけどな。輸送の手間がはぶけて』

『ま、それは無理ね。インド支社は信用できないし、ハートの権限がない。ボスによると中華連やアメリカのエージェントが蔓延はびこっているそうよ』

『インドで実験ついでに


 ここまで話を聞いて一と零は確信を得た。間違いなくこの会話はブラックレインボー幹部同士のものだ。


「おいおい、これは相当やばい内容だ」

「最悪なことにフィセム・アフリカ支社は真っ黒みたいね。まさか支社長がブラックレインボーの一員とは」


 ここで、スフルは304号室のテラスの柵に飛んで移動した。続けて部屋の中をさり気なくのぞく。部屋の中には椅子に座る支社長のイリーナの姿があり、彼女の対面には男性と女性が座っていた。


『ミラー、輸送に関しては貴方あなた達の担当だからよろしく』

『任せておけ。シヴの護衛もある』


 ミラーは隣にいるシヴを見た。イリーナとミラー二人の会話を聞いていたシヴは、ここにきてようやく口を開く。


『私は幸運の女神、クラブのクイーンよ。輸送任務の心配はいらないわ、イリーナ。それに配下のエース隊も連れてきている。準備は十分』


 シヴは椅子から立ち上がり、窓の方へ視線を向ける。

 スフルは自身の正体をさとられないよう、その場を飛び去った。


『もしかして、ばれた?』


 屋上に下りたスフルはそういって、屋内スキャンと盗聴を再開した。


『むしろ護衛はじょうなくらいだと思うけどね』


 シヴはスフルについて何も触れず、再び椅子に座った。どうやら、スフルが偵察ドローンということはばれていないようだ。


『そうね。シヴがいれば問題ないわね。ミラーは逆にいない方がいいかも』

『おい、それは先日ヘマをした俺への当てつけか?』


(イリーナはおそらくハートのキング。ミラーがクラブのキングで、シヴがクラブのクイーン。最高幹部が三人もいる)


 零は頭の中で三人の立場を整理する。ここにいるのはブラックレインボーのキング二人、クイーン一人。とんでもない状況だ。


『そうよ。キングよりもクイーンの方が信用できる』

『言うねぇ。クラブのキングとしては耳が痛いよ。クイーンといえば、ソールのやつがカザフスタンでMTFをつぶしたそうだ』


 ミラーはカザフスタンでの出来事について話し始める。


『MTF? 何だっけ?』


 イリーナは軍事に関する知識があまり無いのか、MTFという単語にピンと来ていないようだ。彼女はシヴの方を見て助け船を求めた。


『サイボーグからなるアメリカの特殊部隊。ストライクドッグのあとがまよ』

『ああ、ボスが前に言っていたやつ? オペレーション・スノーウィンドだっけ?』


「カザフの件か」

「みたいね」


『相変わらずソールは前線で暴れているのね。さすがスペードのクイーン。ボスもボスで、えげつないわ』


(スペードのクイーンはソール)


『さて、今日の会合はここまでにしておきましょう。私は会社へ戻らなくちゃいけないから』

『そうだな。シヴと俺は輸送経路の確認をしてくるか』

『そうね。地理データ自体は頭に入っているけど、直接見ましょう』


 三人は椅子から立ち上がり、部屋から出る準備をする。


「スフル、クラブの尾行を頼む」

『了解です』

「さて、我々はこのままメンテナンスをしておこう。次は冷暖房の制御装置だ」


 零はUCGに表示されている、三つのHVTマークを目で追いながら、目の前の制御盤を本当にメンテナンスしていた。ホテル事務員から借りた鍵で制御盤の鍵を開け、中全体を見渡す。


「俺達が追跡しなくていいのか?」

「止めておいた方がいいでしょう。ナミビアで日本人を見かけることはあまりない。そして、ナミビアは奴らブラックレインボーの支配下だ。我々の動きはしんちょうでないと。どこに敵がいるか分からないから」

「なるほどね」


 そう。彼らを直接車で尾行するのは危険過ぎる。護衛もいるが、問題なのは幹部達の方だ。彼らが様々なちょうほう機関を相手にしてきているのは確実で、下手をすれば返り討ちになる可能性がある。


「この配線、寿命だな。取り換えよう」

「はいよ。で、今後の予定は?」


 一も作業を手伝いながら今後の予定を聞いた。


「今夜フィセム社の研究所へ潜入する。目的はミストおよびブレインシェイカー試作品の回収。生産設備の破壊。可能ならば開発データと輸送経路データの回収もだ」

『隊長、こちらスフル』


 困惑したトーンでスフルから連絡が入った。


「どうした?」

『目標車両がドローンジャマーを展開、追跡の続行は不可能です』

ひとすじなわではいかないか。帰投しなさい」

『やっぱりばれたんですかね?』

「日頃からドローンの尾行をけいかいしているのでしょう。ばれたらばれたで動き方を変えるだけ。心配いらないわよ」


 制御機器のメンテナンスが終わり、鍵をかけた。


 UCGで受付係と事務員へメンテナンス完了の電子報告書を提出した。


「よし。鍵を返しにいこう。これでメンテナンスはお終い」

「じゃあ次は夜に備えて銃のメンテだな」

「そうなるわね」


 零と一の上を戻って来たスフルが静かに飛んでいた。

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