Idola

イドラ 前編

《国家特別公安局第零課》

 ・通称〈公安零課〉

 ・課章〈からす記章〉

 ・課旗〈がらす


〈零課の編成〉

 ・課長

 ・国家安全保障部隊(実動部隊)National Security Service

 ・ちょうほういん

 ・現地情報屋(野生のカラスを含む)

 ・潜伏工作員

 ・研究開発室

 ・情報分析室

 ・任務支援部隊(WDU、SAT第零小隊として存在)


 零課はかつて単に特務機関と呼ばれていた、日本最古にしてゆいいつの特務機関である。その歴史は極めて古く、汚れ仕事をいなっていた帝の秘密近衛部隊〈がらす〉が起源とされ、今では国家特別公安局の非公式独立組織として活動している。存在しない組織ゆえに〝法の外〟に位置し、いかなる法にもしばられず、いかなる法にも守られない。独自のはんに従い、合法、非合法を問わず、あらゆる観点における将来的あるいは長期的な国家安全保障のためにあんやくしている。海外では主にサイファー(Xipher)、ファントムズ・シャドウ(Phantom’s shadow)として存在がわずかながらほのめかされている。



《内閣かんぼう国家安全保障局高等戦略情報室(国家特別公安局第六課)》

 ・通称〈公安六課〉

 ・課章〈びゃっ記章〉

 ・課旗〈きゅう


〈六課の編成〉

 ・室長(課長)

 ・統合特殊工作班(実動部隊)Joint Special Operations Group

 ・第一セクター(ヒューミント部門)

 ・第二セクター(シギント部門)

 ・第三セクター(サイバーセキュリティ部門)

 ・高等技術開発局

 ・準軍事部隊(国防陸軍第28独立情報保全隊として存在)


 日本のインテリジェンス・コミュニティーの中心である六課は法的根拠があいまいな任務やきょうこう手段をもちいての情報収集を行う対外情報機関として君臨し、日本あるいは同盟国における安全保障上の重大な問題を解決するために活動している。構成員の人数や選抜方法、任務内容は秘密のベールに覆われているものの、国防軍特殊部隊や軍情報部との深いつながりが推測される。実際、六課の戦闘任務には国防陸軍第28独立情報保全隊が参加しており、六課が強大な戦力を有しているのは間違いない。



 零課、六課ともに国益のために活動しているが、必ずしもその方向性が一致するわけではない。零課は下手をすれば国家崩壊の危機につながるようなあらりょうせんたくに入れる一方、六課は安全で確実なせんたくを好む。情報量の優位性でいえば圧倒的に零課であるため、六課は零課により多くの任務を妨害されている。



〈時刻1349時。日本、広島県〉

 広島県南西部に位置するくれ市。瀬戸内海に面しており、造船業や漁業、観光業などが栄えている。特に造船技術は世界さいこうほうで、有名な日本海軍戦艦〝戦艦大和やまと〟が建設されたのも、ここくれの海軍こうしょうである。またくれ市には海上保安大学校や国防海軍基地が置かれ、海の守りをつかさどる重要な都市の一つだ。世間的に知られていないが、国家特別公安局員、特に公安四課(国防省中央情報本部統合戦略情報局)の海に関する訓練も行われている。


「さて、たいぎい視察が終わった終わった」


 一は珠子とともにしんのスポーツセダンに乗り込んだ。

 二人は国防海軍基地と海上保安大学の視察を一週間にわたって実施。これはスパイ調査をねた零課員およびWDU隊員の候補生選抜でもあった。ただし零課員候補生の選考基準は非常に厳しく、何年にもわたり候補生は審査される。なお零課員候補生の選抜対象は警察組織、公安組織、国防軍、海上保安庁だけでなく学者、犯罪者、さらには一般人も含まれる。


「たいぎい? ですか?」


 助手席に座った珠子は一に言葉の意味を尋ねた。


「ああ、広島弁だよ。身体がだるいと精神的にめんどくさいを合わせたような言葉さ。愛媛とかでも確か使われているんじゃなかったか」

「なるほど。でも、一は県外出身では?」

「そうだ。俺は隊長に引き抜かれて広島に来た。だから方言は隊長ゆずりだ」

「隊長が方言使っているところ、見たことない」


 一はアクセルぺダルをゆっくりと踏み込んで車を発進させ、海上保安大学校を出る。


「確かに。隊長はなまりがほとんどない。出身地を他人に知られたくないからだろう。たいぎいって言葉も俺といる時ぐらいしかない。ほんとたまにだ」

「……隊長、大丈夫よね」

「ああ。隊長のしぶとさはよく知っている」


 少し空がどんより暗くなってきた。雲行きがあやしい。予報では午後からの降水確率は70%。雨が降りそうだ。


「滝も隊長のうわさぐらいは聞いたことあるだろう」


 珠子は警察庁警備局警備企画課、通称〈ゼロ〉の出身。表向き存在しない国家特別公安局第八課で、六課とともに〝真の零課〟の隠れみのである。第八課は主に国内を対象とし、全国の協力者(情報提供者を含む)と都道府県の各公安組織への指示や管理を行う。公安のエリートだ。


「伝説の賞金かせぎ、裏世界のコンサルタント、そういううわさは聞いたことがある。隊長がその人だと知った時は驚いたけど」

「本当に驚いただけか?」


 一の指摘に珠子は一呼吸置いて答える。


「恐ろしさも感じた。そして、じゃっかんぞうも」

「だろうな。隊長は過去に八課員を殺している。それも自殺や事故に見せかけて。隊長は滝の気持ちを分かった上で零課にまねき入れたわけだ」


 ここで不意に珠子は先日の零と一の会話を思い出す。表情に出したつもりはなかったのだが、一はそれに気が付いた。


「そうだな、俺と隊長の話でもするか。別に機密指定されているわけでも、隊長からかんこうれいかれたわけでもないからな。俺は皆の知っての通り、公安六課の出身だ。六課は権限や活動範囲は異なれど、内容としては零課と同じく裏の仕事さ。ただ六課は零課の存在を知らされていなかった。正しくいえば六課長と一部の課員だけが零課の存在を知っていたんだ。六課と零課はたびたび衝突し、死者が出ることもあった。当然、死者が出るのは六課の方で、仲間が殺されても、零課の存在が明かされることは無かった」


 信号が黄色から赤に変わり、停止線前で車は止まった。


「俺が香港ホンコンでの潜入任務を遂行中の時の話だ。俺は長年連れった仲間とともに、中華連の第505機関と関わりのある企業やマフィアを調べていた。当時、公安六課は505機関のたいとうを危険視し、機関の壊滅あるいは弱体化を狙っていたんだ」


 信号が再び青に変わり、静かに車は発進する。


「ある日、俺達は何者かの襲撃を受けた。襲撃犯は三人。一瞬のうちに五人の仲間が殺され、俺は重傷を負った。正直、今でも生きているのが不思議なくらいだ。俺はかんいっぱつ救出され、日本に帰国。六課における香港ホンコンの任務は全て白紙になった」


 フロントガラスに水滴が付いた。雨だ。ぽつぽつと振っていた雨はまたたく間に勢いを増し視界不良の大雨となる。フロントガラスの雨水を払うため、自動でワイパーが起動した。


「相手は零課。でもどうして零課は六課の妨害を?」


 珠子の疑問はもっともだった。


「今になってその理由が分かったよ。零課はブラックレインボーのことをえていたんだ。505機関をぼうていにするとともに、日本よりも中華連の方へブラックレインボーの注意をらさせるのが狙いだったんだ」

「さすが零課ね」

「俺は仲間のかたきを取るため、そして日本のために、謎の襲撃者を追った。だが、思った以上にそれは難しいことで、六課長からも調査を止めるように言われた。何とか零に辿たどり着き、俺は零と戦った。ま、負けたけどな」


〝私を殺したいか〇〇〇〇?〟

〝私がにくいか?〟

〝ならば私のもとに来い。お前を強くしてやる〟

〝そして、お前に背中をあずけよう〟

〝いつでも好きな時に私を狙うといい〟

〝まあ、私を殺せることができるならな〟



〈日本、広島県(公安局本部)〉

 射撃演習場ではブライアンと健がVR訓練を行っていた。ブライアンはXSR‐99L超電磁式スナイパーライフルを構え伏せており、その左横にいる健は多機能観測器GIDで狙撃の着弾を確認していた。

 平地に置ける超長距離狙撃訓練。単純に目標が遠方に表示され、それをいかに正確にくかという訓練だ。ただし目標が人間とは限らず、距離もランダムである。また天候要素や重力が存在するため、それらを読み解く力が狙撃手と観測手両名に求められる。


 シュッパンッ!


「ヘッドショット。距離4365メートル」


 シュッパンッ!


「ナイスショット。距離5890メートル」


 観測手である健がブライアンに命中判定と狙撃した目標の距離を伝えていく。本来なら観測手は目標までの距離や風向き、角度等の修正を指示するが、今回の訓練ではブライアンが単独で超長距離狙撃を行えるようになるのが目標だった。ゆえに、健は事前に目標の情報をほとんどブライアンに教えず、ブライアンは淡々と狙撃を行っていた。


 シュッパンッ!


「ミス。誤差修正、上に0.03度、左に0.10度」

 今、ブライアンが外した目標はアンドロイド兵の頭。アンドロイド兵はその場からほとんど動いていないが、わずかな誤差が超長距離狙撃では命取りになる。


 シュッパンッ!


「いいショットだ。ビューティフル。距離8802メートル。ブライ、今日はこのくらいでいいんじゃないか?」

「そうだな。もうあがろう」


 目の前には今日の狙撃記録が表示される。


〈記録〉

 狙撃手:ブライアン

 観測手:フジサキケン

 使用武器:XSR‐99L

 最長距離:8802メートル

 最短距離:4000メートル

 ワンショット最長:8370メートル

 撃破目標数:85

 ミスショット:5


「だが、目標とする一万メートルにはほど遠い」

あせることはないと思うぞ」

「分かってはいるけど、なかなか落ち着けないんだ」

「とりあえずきゅうけいしつで飲み物でも飲もうや」

「ああ」


 二人はVR訓練を終了し、きゅうけいしつへ向かった。


〈殿堂入りレコード〉

 狙撃手:ナミレイ

 観測手:ブライアン

 使用武器:XSR‐99L

 最長距離:12233メートル

 ワンショット最長:12233メートル


〈XSR‐99L〉

 試作超電磁式スナイパーライフルXR‐99をモデルに改造された新型狙撃銃。全長152.4センチ、重量14.64キロで、理論上の最長有効射程はSRA‐55Jをはるかに超える12238メートル(あくまでも本銃は対艦・対装甲車用である)。非常に強力な銃だがハイテク要素を極力取り除いてあるため、使用者に問われる技量はかなりのものだ。

 モデルとなったXR‐99は誘導弾を使用した対艦・対装甲車用ハイテク狙撃銃で、超長距離の狙撃が可能だ。味方の偵察デバイスや偵察ドローン、人工衛星による標的マーキングにより、発射された弾が自動的に標的へしょうする。遠距離であればあるほど弾道補正が働くため、遠く離れた標的は何が起こったのかも知らずに吹き飛ぶことだろう。欠点は誘導弾の誤作動、位置補正の誤差、磁力フィールドによる弾道へんこう等が挙げられる。



「もっと耐久性を上げないと」


 開発室ではケナンが新型戦闘スーツの試作を行っている。これは零専用になる予定のしろものだ。零の驚異的な身体能力とこくな戦場へ適応できる戦闘スーツを開発することは、ケナンにとって緊急の課題であり、腕の見せどころでもあった。ケナンの予想をいつも超える零に合わせ、彼は装備を更新し続けた。零は今なお進化し続けている。彼女のパフォーマンスを最大限に発揮させることが彼の使命であった。


「ガントレットも一から作り直そう」


 零が両腕に着けている多目的ガントレットは単純に防具として使えるだけでなく、ワイヤー射出器、ダガーナイフ収納、スライサーディスク射出器、暗号通信、遠隔操作パネルといった様々な機能を内蔵している。零にとって重要な装備だった。


てっていてきに軽量化、なおかつきょうじんに。探知機にも引っかからず、それにもっと機能性を高めたい。隊長は平気で無茶するからねぇ。どこまで実現できるかな~」


 楽しそうにケナンはもくもくと作業を進めていた。



 情報分析室。ここは主に零課のエージェントや実動部隊が収集した情報を整理、保存、分析する部屋である。特に第三情報分析室は由恵やケナンが使っており、ほとんど二人の専用部屋と化していた。


「まさか鶴間があのレインマンだったとはな。驚いた」

「零課で知らなかったの、多分、直樹だけだと思うよ」

「それはそれで何というか……変な気持ちだ」

「あははっ。そういえば直樹はどうして零課に? 元HRTなんでしょ?」

「そうだな」


 第三情報分析室では由恵と直樹がブラックレインボーに関する情報の分析を行っていた。


「五年前、広島で起こった《シヴィル・ソサエティ事件》は知っているかい?」

「知ってる。過激派しんこう宗教団体《シヴィル・ソサエティ》によって引き起こされた大規模暴動事件だよね。二週間ほど広島市内が封鎖されたやつ」

「そう。俺は当時、市内で多発していたCSシヴィル・ソサエティによる人質事件の救出任務に就いていた。正直ひどい事件だったさ。人質を救えない時もあったし、人質がCSシヴィル・ソサエティの仲間だった時もあった。そして、ずべきことに警察だけの手では抑えられなかった。日本でよくある上層部の無能さよ。特殊部隊の投入が遅れ、事態は長期化。元々、公安がマークしていたこともあって、公安によるかいにゅうが行われたんだ」

「零課のかいにゅうだね。公表されていないけど」

「三つの人質救出任務で隊長と一緒になり、そこで引き抜かれた感じかな」


 シヴィル・ソサエティ、日本語で〝市民社会〟を意味するこの宗教団体は、公安二課による強制かいにゅうが行われる前にテロを実行したため、多くの市民へ被害が出てしまった。主なテロ発生地域は青森、東京、大阪、広島、福岡、沖縄である。警察機動隊による鎮圧作戦が行われたが失敗。国家特別公安局とWDU両方の支援を受けて、シヴィル・ソサエティは完全に解体された。

 事件終結後、公安二課を中心とした公安警察はWDUと共に全国のシヴィル・ソサエティ支部を全て制圧し、関係者を例外なくたいした。国家特別公安局の調査により、本件にはブラックレインボーの関与が疑われたが、かったる証拠は見つからず、また信者から違法薬物は検出されなかった。しかし幹部らは薬物中毒と思われる症状が確認されている。このため現在の公安では事件の背景にブラックレインボーがおり、試作型ブレインシェイカーのと考えられている。


〝何も! おんな子供まで殺す必要は無かったじゃないですか!〟

〝何を言っているのか私には分からない〟

〝武器を捨て命いをしていたんですよ! それを!〟

〝最優先は社会のあんねい。これは命令だ〟

〝ですが!〟

〝では聞こう。大人だったら、男だったら殺しても構わないのか?〟

〝そういうわけでは〟

〝私にとって何も変わらない。むしろおんな子供の方が恐ろしい。いくさにおいてはな。子供は成長して、我々にきばをむくかもしれない。新たな同志をつどって。歴史をかえりみればこれは事実だ〟

〝それは……〟

〝私の経験から言わせれば命いなどあてにはできない。数えきれないほど殺されかけたからな。仮に生かしたとしても……彼女達が普通の生活を送れるようになれる保証がなかった。深層心理まで汚染されていたんだ〟

〝確かに彼女達の洗脳は深刻でした〟

〝現実と理想は違う。それは嫌でも納得するしかない。それが私の仕事だ〟

貴方あなたはそれでいいんですか?〟

〝私にせんたくは無いんだよ。〇〇、私のもとに来ないか? 現実を、命を、正義をいま一度見つめる良い機会になるだろう〟



 二体のクロウが資料室でひまつぶしをしていた。スマートデスクにホログラム画面が表示されており、零のプロフィールと顔写真が映し出されている。プロフィールといってもほとんど内容がない簡単なものだ。より詳しい情報をえつらんするためには課長権限が必要である。



《伊波 零》

・本名:データ無し

・年齢:データ無し

・性別:女性

・前歴:データ無し

・所属:零課国家安全保障部隊(隊長)

・記録:全訓練項目(VR訓練、総合演習を含む)で初回満点を獲得済み。


「隊長、復帰にはまだ時間がかかるみたい」

「大丈夫かな。人間の身体は壊れやすいのに」

「そうだよね。機械の身体にすればいいのに」

「でも、隊長は機械化しないと思う」

「何で?」

「うーん、隊長と長く一緒にいるとそんな感じがする」


 スフルは零がサイボーグ化しないことを理解していた。


「おいおいー、そんなあいまいな回答はなしでしょ。もっと具体的に」

いっしょうけんめい生きているって感じ。それでいて死に場所を求めているようでもある」


 クロウには高度な顔認証機能がとうさいされているため、人間の表情を深く観察することができる。膨大な心理学的、医学的知識と合わせることで人間の深層心理を分析し、標的人物の行動予測や課員の心理カウンセリングに応用できた。


じゅんしていない? それ」

じゅんしているよ。でもそう思う。多分、自分では死に場所を選べないんじゃないかな」

「人間って変だなー」

「人間全体というより隊長個人かな」

「まだまだ人間について、隊長について学習しなくちゃいけないね」

「そうだねぇ」



 課長室では由恵が武佐へ資料を提出していた。ブラックレインボーが今後どのように動くかという予測である。


「ありがとう由恵。他にも仕事があるのに」

「データ自体はありますから。そんなに時間はかかっていません」

「そうか」


 武佐は紙資料に目を通しながら、デスクに映し出されるホログラム資料にも目を通す。


「相手の次の手は潜入と暗殺か。それもかなりだいたんだな」

「はい。仕掛けてくるとすれば二か月後でしょう」

「ラーンの動きはあくしている。その点では安心できよう。問題なのはソールの動きだな。こいつは対応が難しい」

「各部署へ事前通達していますが、完璧な対応はまず不可能かと。スペードのクイーン、ソールは戦術兵器でありながら戦略兵器でもあります」

「君のハッキングも駄目か」

「おそらく。ブラックレインボーの対電子戦能力は日を追うごとに向上しています。クイーンへの直接ハッキングも間違いなく返り討ちにうことでしょう」


 長いあいだ、ブラックレインボーのクイーンはサイボーグと考えられていたが、それは間違いだった。彼女達は人間と間違えるほどの完成度を誇るアンドロイドで、金属探知にも引っかからない。それに今までのクイーン達から分かるように感情のふくがあった。


「あまり頼りたくないが、軍を動かすことも考えよう」



〈時刻2311時。日本、東京都〉

 1980年代のSFアニメをほう彿ふつとさせる派手なネオン看板。自動清掃ロボットの清掃が追いついていないのだろう。道路のすみや排水溝にはゴミが溜まっている。ならず者達がはいかいしており、警察が出動することもめずらしくない。


「相変わらずそうぞうしい街だ」


 東京は超高齢社会の到来により、人口の急激なすい退たいと労働力不足に直面したが、さいわいにもそれを乗り越え、新たな世代が育ちつつあった。ただし人口減少と超高齢社会で成長してきた若者の中には社会への反発と老年のはいせきけんちょに表す者もいた。それはある意味、当然の結果ともいえる。彼らはそれこそ日本社会の氷河期を強いられ、こくな労働のわりに賃金も低いまま。それにも関わらず、税金は上がる一方。社会保障費の増大だ。若者よりも高齢者を優遇する政府に反発するのも無理はない。


「これでも昔よりおだやかになった方なんだよな」


 久しぶりに東京へ来た響はバー〝ファンタム・レディ〟へ入った。

 実在しない女(Phantom Lady)を意味するこのバーは地元の不良に愛されている店で、かつては暴走族の待ち合わせ場所としても使われていた。


「おいす」


 手を挙げてマスターにあいさつした後、カウンター席へそのまま座る。店には若い男性と女性のカップルが二組、男性の四人グループが一つ。


「ご注文は?」

「スケアクロウ」


 メニューを確認することなくマスターにげる。


「かしこまりました。少々、お待ちください」


 注文を受けたマスターはその場でカクテルを作らず、店の奥へいったん下がった。


「スケアクロウでございます」


 案山子かかしの意味を持つ灰色のカクテル。見た目としては少し地味だが飲みやすく、このお店では人気メニューの一つだ。


「ありがとう」


 グラスを受け取ると同時にマスターから小さな紙片をもらう。


「ふーう、身体に染み渡る」


 一口でグラスの中身は半分になっていた。


「いらっしゃいませ。ご注文は?」


 響の左隣に新しい客が座る。男性だ。


「コスモス」

「……ひさしぶりだな」

「おたがい仕事がいそがしいからな」


 隣の男が言葉を返す。二人とも友人ではないが知り合いであった。彼は公安二課、すなわち法務省公安調査庁第六調査部別室の人間である。国家特別公安局の中では比較的まともな部署でドンパチすることはほとんどない。


「何かいいらくでもないもんかね」


 そういって響はグラスに残っていたカクテルを全て飲み干した。


「そうだな。どうだ?」

「おいおい、いい歳したおじさんがアイドルの追っかけか」


 ここでマスターが隣の男に完成したコスモスを提供する。


「コスモスでございます」


 マスターへ小さくうなずき、男は桃色のカクテルを一口含んだ。

 そして再び口を開く。


「何言っているんだ。今の時代、アイドルを支えているのはおじさんさ。アイドルも多様化してバーチャルアイドル、アンドロイドアイドルなんてものもある」

「ほお。すごいな。しのアイドルとかいるのか?」

「そうだなシスター・ダイヤモンドとかいいぞ」

「その名前は聞いたことあるな。三人グループのアイドルだったか」

「見てみろよ。二か月後に広島でライブがある」

「覚えておく。じゃあな」


 一はさかだいをカウンターに乗せ、一人でファンタム・レディを出た。



「課長、今戻りました」


 ごくいろのスポーツセダンに乗り込んだ響はUCGですみやかに課長へ連絡を取る。


『どうだった?』


 マスターからもらった紙片を開き、書かれている文字を見た。


 太陽は大陸をらす


「四課によるとソールは中華連にいるようです。どうやら505と軍を相手に暴れているようで。また、二課はラスト・オーダーをしょうだく。さらに二課によるとラーンは予定通り、二か月後に日本に来るのは間違いないとのこと」

『クイーンの力はあなどれない。引き続き、我々は奴らの動向をさぐり続ける。公安局とは連携を取らなければならん』

「ライバルに塩を送っただけでなく、今度は公安局と共同戦線ですか」


 ここでいうライバルとはスミルノフ、505、ゼニス、ヴァイスを指す。


『秘密主義過ぎると我々も動けないことがあるからな。ラオスやフィリピンとの水面下協力もあるだろう』

「課長の命令とあらば」



《零課のライバル》

 零課の存在に感づき、零課といくも衝突してきた組織であり、なおかつ尊敬にあたいする組織である。各組織はそれぞれ自国に対して絶対のちゅうせいちかっているため、零課として見ても内部にブラックレインボーがいないと言い切れる。零課は宿敵であるとともに最も信頼できる彼らへブラックレインボーの強襲計画(レクイエム計画)に関する情報を提供していた。


 ・「スミルノフ」

 ロシア連邦軍さんぼう本部情報総局(GRU)に属する極秘特殊工作部隊。総局長直属であり、構成員は全て生身ナチュラルの女性である。暗殺を得意とし、場合によっては身内でも処分を行う。大統領への報告義務はない。


 ・「第505機関」

 中華人民連合の陸軍対外情報局。四つの特殊部隊が存在し、それぞれげんざくせいりゅうびゃっと呼ばれる。その中でもげん部隊はこくで汚い任務をすいこうするため、他の部隊よりも決死隊の意味合いが強い。


 ・「ゼニス」

 イギリス秘密情報局軍事情報とうかつ部危機管理室、通称ゼニス。ザ・スパイというイメージが強い組織で、独自のハイテク装備も数多く開発している。世界で幅広く活動しており、認知度は比較的高め。


 ・「ヴァイス」

 ドイツ特殊部隊作戦指揮司令部ちょっかつのサイボーグ特殊部隊。対テロ作戦を担う軍特殊部隊であると同時にテロを未然に防ぐ特殊工作部隊をねる。対テロ戦闘やテロ組織ぼくめつのため、海外に多く派遣されており、その実力はスミルノフも認めている。

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