Scavenger

スカベンジャー 前編

〈時刻2023時。日本、大阪府(上空)〉


『隊長、目標の速度は時速60キロ。約二分後に関西国際空港連絡橋へ到達。予定通り、目標車両を一番左の車線に誘導する』

「了解」


 橋長3750メートル、関西国際空港連絡橋。大阪府いずみ市りんくうタウンと関西国際空港島を結ぶ、日本最長のトラス橋。関西国際空港へと続くゆいいつの陸路だ。橋は二階構造になっており、上層には六車線がかれ、下層には鉄道が通っている。


『目標は約三十秒後に橋のゲートを通過予定』


 通信の相手は男性。零の仲間、なぎはじめだ。彼は今、車で目標を追跡している。目標は関西国際空港へ移動中。通信機器をジャミングしているため、目標は専用機をチャーターすることはできない。チャーターをしたとしても空港到着までには間に合わない。一般人にまぎれて日本をつつもりだ。

 今のところ目標は一の尾行には気付いていない。だが気付かれない保証はない。追われていること自体は理解している。逃げられる前に目標は始末しなければならない。国外まで追いかけるのは時間のろうだ。


やまひこ、機体を安定させろ」

『了解です』


 零が搭乗しているのはRz‐72。右翼と左翼にそれぞれ一基ずつローターがあるティルトローター機だ。ローターを上方に向けることで、ヘリコプターのように垂直離着陸でき、ローターを前方に向けることで、プロペラ機のように飛行することが可能。Rz‐72は現在アメリカ軍の主力輸送機であるが、零課用に大幅な改良が加えられている。特筆すべき項目として一般のRz‐72にはない第四世代光学迷彩が搭載されており、機体価格としては二百億円を超える。

 操縦しているのはやまひこひびき、副操縦士は菅田すだなおだ。二人とも航空機の操縦にけている。響はRz‐72のローターを上方に向け、ホバリング飛行を開始。機体が前後反転する。


「いいぞ。後部ランプを開放。狙撃体勢に移行する」


 後部のハッチが徐々に下へ下りていき、外との気圧差でキャビン内に気流がしょうじた。キャビンでふくしゃの体勢を取っている零。彼女の腰や脚には固定用のベルトが巻かれている。それらのベルトは直接、床と結合しているものもあれば、ベルトから伸びた多数のケーブルにより、背後のバランサー装置につながれているものもある。銃には二脚じゅうが取り付けられ、発砲時の衝撃を吸収できるようにしてあった。また、二脚じゅうの足先部分は床の側溝にはめて固定されている。万が一、銃が零の手から離れても機体の外へ落ちていくことはなかった。


 零の目の前には関西国際空港連絡橋が垂直方向で見えている。高度7267フィート(約2215メートル)。橋上の車はベルトコンベヤーで流されているかのように、一定の速度で走行していた。法定速度以上で走行する車はない。これは車の自動走行機能が働いているためだ。直線路だと人はどうしても加速したくなる。それを防ぐため、橋の入り口ゲートを通過すると自動的に車は自動操縦となる。

 橋の法定速度制限は時速80キロ。零から見て橋の左側がりんくうタウンから空港へ向かって進んでいる三車線、右側が空港からりんくうタウンへ戻って来ている三車線だ。目標は現在左側の三車線の内、一番左の車線を走っている。もちろん、ぐうぜんそうなったわけではない。一による自動走行システムのハッキングだ。


『目標は連絡橋を走行中。時速キロ80。目標周囲の右車線、後方に民間車両なし。橋の通過まで残り150秒』


 零は言葉を返さなかった。ただ静かに銃を構え、右目でスコープをのぞいていた。この時、左目も先をえていた。これは両目で見なければ立体視ができず、標的までの正確な距離感が失われるためである。スコープ内にとらえられたほんの小さな黒点。一がマーキングした車両だ。零がスコープの倍率を上げていくと、ようやく車らしきりんかくが現れた。標的は左後部座席にいる。


 今回、零が使用する狙撃銃はSRA‐55J。対ヘリコプターや対装甲車を想定して開発された超電磁式狙撃銃SRA‐55を改良したもので、そのりょくは申し分ない。長距離狙撃用に専用の超高性能ライフルスコープもある。RLスコープと呼ばれるこの超高性能スコープは熱源感知、暗視、透過等のモード切り替えも可能という優れもの。問題なのは銃の大きさだった。全長189.4センチと非常に大きい。重量は見た目ほどなく8.74キログラムだが、携行するには分解しなければならない。分解自体はじゅくれんしゃで14秒ほど。


 5キロメートルという距離をホバリングしているとはいえ車に乗った標的を機内からくというのはなんわざだ。いくら銃の性能が良くても、最終的には使用者の技量がものをいう。重力、風向、風速、気温、気圧、湿度、粉じん量、弾の性質、弾の速度、標的の移動方向、標的の移動速度、標的へのにゅうしゃかく、コリオリの力、狙撃手はあらゆる影響をこうりょしなければならない。長距離ほど弾は環境要因を強く受けてしまうため、標的が遠ければ遠いほど命中させることは困難になる。

 そもそも、SRA‐55Jで報告されている最長狙撃距離は4030メートル。しかも狙撃に適した人工環境下という限定された状況下での記録である。お世辞でも今回の狙撃環境が良いとは言えない。どんなすごうでのスナイパーに頼み込んでも無理な内容だと断られるだろう。直線距離は5213メートル、入射角は25.144度、南南東の風秒速2.012メートル。車の移動速度は変化なし。しゃへいぶつなし。


「逃がしはしない」


 零が引き金を引いた。と同時にキャビン内でごうおんが響き渡る。

 同時に視界から標的車両が消えた。

 秒速約2172キロという超音速で放たれた弾丸は車の屋根を容易たやすく貫通し、左後部座席の男性を完熟トマトのごとざんに吹き飛ばした。弾はそのまま床に大きな穴を開け、車下部の車体電子制御システムをいた。


「弾着、命中」


 狙撃後、零はスコープの倍率を落とし視野を広げた。目標の車は橋上にいない。


『弾着を確認した。生命反応の消失を確認。目標は死亡。繰り返す、目標は死亡。車は側壁を突き破り海に転落した。かんぺきだ、隊長』


 現場に近い一から報告が上がる。弾が標的に命中したことは零自身分かっていたが、一の報告で命中は間違いなかったことが証明された。橋上、ガードレールと側壁に大きく欠けた箇所があるところを見ると、目標の車は計画通り海に落ちたようだ。証拠は海に流してしまうのが早い。


『目標は即死。肉体が吹き飛んだのを俺が見ている。まったくむごい死に方だぜ』

「運転手は?」

『ああ。運転手の方は車が壁を突き破った時に死んだようだ。頭を強くぶつけたんだろう。生身の人間には耐えられなかったようだ。彼自身に非はないのにな、わいそうに』

「一、道路に弾が残っていないかスキャンして。可能ならば回収。ながは無用だ。山彦、後部ランプを閉めろ」


 響は後部ランプの開閉ボタンを素早く押し、機体の後部ランプを閉じる。ランプが完全に閉じると零は自身に付けられたベルトやコードを外していった。


『こちら一。道路のスキャンを実行する』


 一方、一は車を降り道路をUCG(Universal Combat Glasses:万能戦闘用メガネ)でスキャンした。一見して道路には何も無さそうに思えるが、転落した事故車を確かめるフリをしながらスキャンを続けた。あまり時間をかけるわけにはいかない。

 と、UCGのレンズ状ディスプレイに赤い矢印が表示される。矢印の下は箇所を強調するように赤い丸で囲まれ、そばまで近寄ると〝がいとう〟の文字が出た。弾だ。弾は地面にめり込んでいる。すでに変形していびつな形をしていたが、鑑識の手にかかれば弾丸と判明するだろう。スキャンしておいて正解だ。


『隊長、弾を見つけた。回収したぞ』

「了解。警察が現場に向かっている。そこから離れろ。ヘマはしないように」

『ヘマなんかしないって。てっしゅうする』


 一は車に戻り、そのまま空港へ向かった。パトカーのサイレンが夜の街に響いている。警察だ。橋に急行している。


「山彦、菅田、我々もここから離れるぞ。本部へ帰投する」


 コックピットの後部右座席に零は座った。零から見て左斜め前の席は直樹、前の席は響が座っている。機長である響はホバリング飛行から固定翼モードに切り替え、本部に針路をとった。UCGのマップ表示を見るとパトカー四台が橋に向かっている。まもなく、警察により車線を規制されることになるだろう。明日の新聞やテレビニュース、ネットニュースでは大きな見出しを付けて記事が出るはずだ。


〝国防陸軍少将、事故死〟

あさちゅうとん司令官 死亡〟


 何せ、さっき暗殺したのは、東部方面総監部幕僚長のぐちせんしゅうなのだ。軍の将軍が死亡したということは電子世界でいいネタになるだろう。インターネット上では多くのおくそくが出てくるはずだ。何者かが車に細工、道路に異物、軍内部のばつ争いなどなど。ネタとしてはかなり大物だ。ミステリー事件として取り上げられるかもしれない。番組で特集が組まれ、真相解明への探偵ごっこが始まるのもあり得そうだ。

 だが真実は一つだ。一つしかない。彼は国の裏切り者である。中華人民連合国、通称「中華連」の軍特務機関〝第505機関〟とつながりがあることが確認され、上から暗殺命令が出た。それが真相だ。


 光学迷彩により姿を消したRz‐72はそのそうを解くことなく、関西国際空港連絡橋を離れていった。



〈日本、広島県(国家特別公安局本部)〉

 広島県に置かれている公安局本部。地上38階、地下4階という巨大な建物で、その周囲には訓練施設や研究室、ドーム状の演習場、様々な乗り物がそろえられているかくのうが見られる。公安局本部は警察庁の公安警察本部として機能しており、建物としては法務省とその外局である公安調査庁もこの建物に集約されている。

 国家特別公安局零課は屋上を含む建物最上階の全フロアを専有している。表向きは公安調査庁のかんかつで、37階、36階も公安調査庁のかんかつになっているが、実際は零課が所有している。この公安調査庁というのは書類上、形式上のダミーになっており、公安調査庁のフロアは別の階層にちゃんとある。最上階を含めたこれら三階部分を訪れるには、主に階段とエレベーターの二つがあるが、どちらの場合でもパスワード、顔認証、音声認証、指静脈認証、こうさい認証が必要である。地下の最下層にも零課専用のフロアが存在しているが、同様に各種認証が必要だ。


「課長。今戻りました」


 一が皆より遅れて課長室に入って来た。課長室には零課の主要メンバーがそろっている。広い部屋の中央には長方形の机が置かれおり、その左右には長いソファがある。右のソファには奥から零、直樹、響、左のソファには奥からたきたまつるよしが座っていた。零はUCGで何かのデータを見ている。おそらく、国防省情報部の情報をのぞいているのだろう。響はソファに大きく寄りかかり、直樹と珠子は外務省の書類を見ている。由恵は薄型ラップトップを開いていた。

 部屋の奥には課長のデスクがあり、零課の課長であるみやかわが一に声をかけた。


「一、戻ったか」


 武佐はこの時代にしてはめずらしく白髪の男性だった。年齢といえば年齢なのだが、今の時代、再生医療やナノマシン医療で黒髪を取り戻すことは何も難しいことではない。


「皆がそろったところで、話を始めよう。今回の任務、皆本当によくやってくれた。井口少将が中華連とつながっていたことは疑いようのない事実だ。彼がなおとうこうしてくれていればこんなことにはならなかったが……仕方のないことだ。我々はすべきことをした。しかし、まだこれで終わりではない。まだやっかいな話は続いている。どうも、少将と密接に連絡を取り合っていた中華連のエージェントがまだ国内に残っているようだ。零、代わってくれ」


 零が課長の横に立つ。


「ここからは課長に代わって私が説明する」


 零は中央にホログラム映像を起動させた。井口少将の顔が表示され、そこから横に矢印が伸びている。その矢印の先には『中華連・第505機関』と書かれていた。

 第505機関は中華人民連合軍のちょうほう機関で人的諜報活動ヒューミントを行っている。日本にとってかなりめんどうな相手であるのは違いない。零課を含む国家特別公安局は今までも彼らと関わりのある者達をたいあるいは暗殺してきたが、第505機関のちゅうすうまでたどり着けてはいなかった。


「井口少将は中華連の特務機関『第505機関』とつながりを持っていたのは間違いない。皆の知っての通り、第505機関は中華連の秘密組織だ。連中は国内でスパイ活動をしている。まるでゴキブリのようにな。そして、由恵が先ほど連中のアジトを見つけた。アジトは全部で4か所」


 日本の形をしたホログラムマップが表示される。続けて、国内に4つの丸印が付けられた。


「北から東京、、広島、福岡の4つ。東京、福岡の二県はWDU(Wide area Deployment Unit:広域展開部隊)が担当し、我々はと広島を担当する。今回の任務は中華連工作員のがら確保。同時刻に全アジトへ突入し制圧する」


 WDUは警察庁警備局公安課の特殊犯罪対策室特別戦術機動班に所属している特殊部隊。各都道府県警察本部に置かれている特殊部隊SATや特殊事件捜査係SITとは異なり、WDUは警察庁ちょっかつで公安警察というしょくの存在だ。


「ほお、WDUが動くのか。久しぶりだな」


 一が口をはさんだ。


「話を戻すぞ。すでではしんかわふじさきが待機している。由恵と珠子は本部で課員のサポート。一、菅田、山彦は私とともに、これから市のアジトへ向かう。移動は陸路だ。やつらに素敵な夜をプレゼントしてやるぞ」



〈時刻0324時。日本、広島県〉

 暗い山道に警察の装甲車両が停車した。こんな山道に警察の特殊車両を停めるのは、あまりにも不自然に思える。だが街中に装甲車両を停めるわけにもいかなかった。一般市民にさわがれ、敵に気付かれるという最悪の事態は避けたい。それにここから目的地まではそこまで距離が離れていない。敵がもし車で逃走をはかったとしても、すぐに阻止あるいは追跡できる。戦術的要素を考えてもここが最適だった。


「本部、これよりクロウを展開する」

『こちら本部、了解』


 カラス型の試作偵察ドローン《クロウ》が作戦区域をせんかいする。クロウは人工知能とうさいの自律機動型ドローンだ。高感度望遠カメラや各種センサーが取り付けられており、視覚は瞳と腹部、背部の三か所。見た目は本物のカラスと見間違えるほどせいこうに作られており、羽ばたき方も本物を徹底的にほうしている。まるで生きているようだ。クロウは必要とあれば鳴くことさえ可能で、偵察用ツールとしては非常に強力なものだろう。クロウが見ている映像は現場の隊員と本部に共有され、作戦区域の様子を詳しく知ることができる。


『クロウからの映像を受信。映像はクリア。標的に動きなし』


 通信相手は由恵だ。彼女は人工衛星や監視カメラ、クロウで目的地周辺を見ている。クロウから受信できる映像は通常モード、赤外線モード、熱赤外線モード、通信感知モードの四種類だ。人工衛星とクロウで現場の零達の姿もはっきり見えている。敵のアジトは二階建ての一戸建て住宅だ。明かりはいていない。


「了解」


 通信機器として零課員はUCGとこつでんどうヘッドセットをへいようしている。今の時代、サイボーグ同士なら脳内思考を直接通信することができるが、零課は由恵を除き、脳を電子化していない。通信自体はりょうネットワーク通信のため、距離の離れた本部や別動隊とタイムラグ無く、盗聴されることなく音声を届けることができる。


「それじゃ、そろそろ行きますかねぇ」


 UCGでドローンの映像を見た一が言った。映像を見る限り、敵がアジトの外に罠を仕掛けている様子も、待ち伏せしている様子もなく、公安が来ていることも気づいてなさそうだ。


「そうだな。むかえに遅刻するわけにはいかない」


 車両の助手席には零。運転席には響、後部座席左には一、後部座席右には直樹が乗っている。

 零課員が着用しているのはぞくにいう戦闘スーツだ。灰色を基調色としており、闇に溶け込めるようはいりょされているだけでなく、第四世代光学迷機能を有している。正式名称は《ACS4型》。スーツの上には各種弾薬が収められたタクティカル・アーマーベストを着用し、さらに腰には予備弾薬、医療キット、かん工具、フック付きワイヤー、予備通信端末など様々な装備が収められたユーティリティベルトを着用。


「山彦、貴方あなたは車で待機。やつらが車で逃げようとした時は迷わず突っ込め。私達は徒歩で目的地に向かう」


 零、一、直樹の三人がドアを開けて装甲車両から降りた。この装甲車両はWDUが使用しているものと同一のもので、車両側面には〈Police〉の文字がえがかれていた。


「間違っても相手は殺すな。情報を聞き出さなくてはならない。聞きたいことが山ほどある」


 零の言葉に対して全員が「了解」と答えた。

 零達は主武器としてUCR(Universal Combat Rifle:万能戦闘ライフル)のNXF‐09を手にしている。一般的にUCRはあらゆる環境下や戦場で運用できることを目的とし、高度にモジュール化することでバレルやグリップ、キャリングハンドル、ストック等を簡単に交換、取り外しができる。零課のUCRであるNXF‐09は発砲音とマズルフラッシュを極限までおさえ、高温湿地帯、寒冷地帯、砂漠地帯、海中といったこくな環境でも確実に作動する性能を持つ。基本形態のカービンライフル・モードでは全長が短く、取り回しが良いため近接戦闘にも対応している。


「一、お前が先頭ポイントマンだ」

「了解」

「よし。全員、光学迷彩起動。これより移動する」


 光学迷彩を皆起動する。零達の姿は武器も含めて完全に周囲の景色と同化した。至近距離で見て、ようやく彼らのりんかくとらえることができるが、一見して目の前に人がいるということは分からない。それほどまでに第四世代光学迷彩の完成度は高い。加えて光学迷彩は着用者の放射赤外線量を周囲の赤外線量と同調させるため、赤外線センサーでも光学迷彩使用者を判別することができない。ただし光学迷彩にも弱点はある。それは影まで隠せないことだ。零達の影が月明かりでっすらと地面に映っていた。


「周囲に敵影なし。民間人なし。そこの道を右だ。目的地まで150メートル」


 UGCには目的地までの距離と方向が示されている。周囲に敵性反応は無い。味方の反応が画面左上の二次元ミニマップに緑色の三角形として表示され、頂角は顔が向いている方向を表している。また、UGCを通して味方を見ると、味方の頭上には名前が緑色で表示されており、名前の右側には味方が今、手にしているNXF‐09の残弾数(31)が数字で表示されている。


「菅田、左からポイント・アルファ3裏へ回り込め」

『了解』


 直樹は零と一から離れ、別ルートから目的地に向かう。


「こちら伊波、目的地まで30メートル。明かりは点いていない。目標は就寝していると推測される」


 深夜の月明かり。照らされた3つの影が一つの家に近づいていく。姿は見えない。足音も聞こえない。何も知らない人が見ればゆうれいを見ているとさっかくするかもしれない。真昼だったらその不気味さがきわつことだろう。幼い子供が見たらトラウマものだ。


 第一世代の光学迷彩はメタマテリアルを応用して開発された。りょうテクノロジーのさんぶつともいえる。これらは姿を隠すことのできるクロークやシートといったもので、被ることにより着用者は姿を周囲と同化させることができた。赤外線センサーやしきさい識別センサーでも映らないため、専用装備の無い者が光学迷彩使用者を見つけることはほぼ不可能であろう。第二世代では戦闘服として形状がととのえられ、利便性が向上。第一世代と比較し防弾性、耐爆性、防炎性、防汚性が強化された。第三世代では機能が向上し、装着者自らが好きな時に姿を消せるようになった。ただ、第三世代で全身を完全に消すのは困難で頭髪や顔などの身体の一部、装備品や銃が見えてしまうという欠点があった。


 そして第四世代。第四世代光学迷彩は従来の光学迷彩をりょうしていた。りょうテクノロジー、ナノテクノロジー、ピコテクノロジー、バイオテクノロジーといった先端工学と人間工学のすいを結集して開発された第四世代。身体能力が向上する戦闘スーツに光学迷彩をすることが可能となった。戦闘スーツ着用者は生身の人間であっても身体能力が大幅に強化される。さらに第四世代は身に付けている装備品や手に持っている銃、第三世代で消すことができなかった身体の一部まで消すことが可能になった。その上、従来の光学迷彩と比較し全ての性能が大幅に強化された。


 零と一は中華連の工作員がじろにしている家のげんかん前まで来た。直樹もすでに家の裏に回り込んでいる。中から人が出てくる様子はない。話し声は聞こえない。明かりも見えない。


 せいじゃくな世界。


「菅田、裏口から逃げられないように罠を仕掛けて」

『了解。二か所仕掛けておきます』


 直樹は裏庭と勝手口の下にトラップを仕掛ける。このトラップは非せいの罠で地面、壁、天井などに設置でき、有効範囲内に侵入してきた敵を無力化する。敵味方識別機能を有しており、設置した本人や味方に反応することはない。有効範囲は半径約1.34メートル。対象が侵入すればさいみんガスと追跡用ナノマシンナノトラッカーが瞬時に放出される。また設置されたトラップの場所はUCG上のミニマップで味方全員に分かるようになっている。


「さて。中の様子を見るとしよう。クロウ、内部スキャン開始」


 クロウは零の音声を認識。アジトの屋根に下り立ち、屋根の上をちょこちょこ歩いている。何をしているのか一般人には分からないが、これは家の内部をスキャンしている。各種電磁波を応用した空間スキャンであり、UCGに建物の内部構造が伝達される。


「どうやら相手は二階の寝室のようだ」


 UCGの透過モードで零、一、直樹の三人は家の構造を確認した。


「隊長、二階に誰かいます」


 人影に気付いた直樹。彼の言う通り、人型のりんかくが2つ、二階に表示されている。もし標的が寝ていればベッドか布団にいるはずであり、このように垂直方向でりんかくが現れることはない。対象は立っている。それに二人は銃らしきものを手に持ってゆっくりと歩いていた。


「ばれたか?」


 一は不安そうに口を開いた。もしこの突入がばれていたら他のアジトでも突入がばれているかもしれない。


「一階にも二人いる」


 二階に比べてりんかくははっきりしていないが人型のりんかくが二つ一階にもある。スキャンの範囲ぎりぎりだ。それでも人がいるということは分かった。


「嫌な予感がする……」


 零はむなさわぎがした。どうも対象の動きが普通ではない。警察をむかえ撃つというよりかは、そいつらの方が家に侵入したような感じだ。二階の二人はそれぞれ銃を構えて、二階の寝室と思われる場所に移動。部屋の中に入り、そいつらは明らかに銃を構え直した。


 パスパスッ……


 クロウは空気が抜けるような、小さくみょうな音を拾った。


「まずい! 先客だ!」


 零の嫌な予感が的中した。今の音は銃声抑制器サウンド・サプレッサーを装着した銃の発砲音だ。彼らは殺し屋で、今まさに確保すべき中華連の工作員が殺されたと考えるべきだろう。予想外の展開だ。


「本部、こちら伊波。チーム3突入する。一、やれ!」

『零、待て。どうした!?』

「おうよ!」


 状況を理解した一は課長からの命令を待たず、すぐにげんかんドアをり破った。直樹も零が言いたいことを理解し、裏の勝手口をり破って突入した。

 げんかんドアが壊れた音を聞きつけて、一階リビングから銃を持った敵がげんかんろうに出てくる。その敵は何が起こったのか分かっていないようだった。光学迷彩で一と零が見えていないのだ。一の背後でカバー位置にいた零が、的確に敵の右手と左脚に銃弾を一発ずつ撃ちこんだ。


 ―ぐはっ……


ターゲットタンゴダウン」

 持っていた銃を手放し、敵は後ろに倒れた。痛みで声を上げながら、身体を起こそうとしている。男だ。出血し、痛がっていることからサイボーグではなさそうだ。一はしんちょうに倒れた男に歩み寄り、その男の銃をって遠くに離した。副武器サイドアームのハンドガンが右のだいたいホルスターに収納されているが、男はそれを取り出す力も、狙いをさだめて引き金を引く力も残ってはいない。きょうはゼロだ。零の正確な射撃に一は毎度驚く。


(この男はプロだ。間違いない)


 男を見て一は確信した。男は目出し帽バラクラバを被って顔を隠し、指紋を残さないようにグローブを着用している。銃は内蔵一体型インテグラルサウンド・サプレッサーを装着したサブマシンガン。バレル下部には反動よくせい用グリップ、光学照準器として自動へんこう機能付きのホロサイトおよびサイトの倍率を向上させるブースターを装着している。胴体を守っているのはミノムシ糸繊維製バグワーム・シルクファイバーのアーマーベスト、通信機器はノーハンドタイプのいんとうマイク。装備がごうだ。ごうすぎる。この男は軍人かもしれない。


『零、どうなっている!』

「コンタクト、正体不明アンノウン


 一は一階に残りがいないかクリアリングを、零は銃を構えながらろうの階段を上り二階に向かう。


『タンゴダウン』


 直樹の方もどうやら相手を無力化したようだ。


『こちら本部、全チーム突入! 何者かがチーム3と交戦中。各員、けいかいせよ!』


(やはりこっちを見ているか)


 UCGの透過モードで零は二階ろう先の敵が見えている。クロウのおかげで二階の敵の位置は丸わかり。敵は待ち伏せしているが、場合によっては窓から逃げる可能性もある。彼らは一階で異常事態が発生したのは理解しており、すでに暗殺という目的は果たしている。わざわざ戦闘を続けることもないからだ。

 一人は寝室の奥に、一人は寝室の扉を少し開けてろうを見ていた。ろうの電気はいていない。敵に暗視赤外線装置はあるようだがステルス・スキャナーは無さそうだ。しんちょうに行けば第四世代光学迷彩が見破られることはないだろう。


(あの二人を対処するのに銃は必要ない)


 一瞬でそう判断した零はNXF‐09を背中に回し、ゆっくりと相手に近寄っていく。動きをおさえることで光学迷彩の弱点である〝りんかくの揺らぎ〟を防ぐとともに、足音を消していた。

 目の前の敵は近づく零の姿を視界内にとらえている。それでも全く気が付いていない。


 これが光学迷彩の怖さだった。


 ある程度のりょくは加減して、零は敵の首に右手で手刀を入れた。ここでの力の入れ方は自分でも驚くほどの軽さである。戦闘スーツによる身体能力強化を意識していなければ、この手刀だけで相手が死ぬこともある。戦闘スーツで自身の身体能力をおさえる感覚というのは身に付けるのが非常に難しい。その感覚を戦場でかすのはさらに難しかった。


 寝室奥の敵はすみで味方が何かによって倒されたのを目撃した。一見して味方がみずから床に倒れ込んだように見えた。同時に何かから身を守ろうと態勢を変えていたのも彼は目撃していた。この部屋に何かが来ているのを彼は感じている。


 それでも、正体は見えない。正体は分からない。

 自分に何がせまっているのか、相手は人間なのか。

 せつの時を彼は恐怖で過ごした。


「うっ……」


 彼の恐怖は痛みに。

 男の右腕がひとりでに後ろに回ったように見えた。当然これは零のわざである。


「動くな。警察だ。大人しくしろ」

「くっ……警察だと。なぜ警察が」


 右腕を背後に回され、床に倒される男。彼は銃を持っていたが、零に対しては一発も撃つことができなかった。銃は手からすでに落ち、抵抗しようにも身体はきっちりおさえ込まれている。男には両腕に手錠が掛けられ、右脚には電気ショック機能がある追跡リングがはめられた。


「二階、クリア」

「おーお、俺達の出番は無しか。オールクリア」


 全員が光学迷彩を解除した。一は零に言われるよりも先にろうに倒れたもう一人の男にじょうを掛け、右脚にリングを付けた。


「山彦、こちらに車を寄こしてくれ。クロウ、上空から周囲をけいかい。一、菅田、二人ともりょを車に連れていけ。本部で取り調べだ。こいつらには聞かなければならないことがある。我々の獲物をごていねいに仕留めてくれた。きっちりといてもらわないとな」


 UCGで周囲をスキャンする零。ベッドに目を向けた。ダブルベッドの上には男女の死体がある。中華連の工作員だ。偽装結婚しての現地活動といったところか。ベッド横には携帯端末とPC、まくらもとには奇襲に備えての銃がある。残念なことに指令書らしき資料はない。


「こちら伊波。本部、アジトを制圧した」

『目標は?』

「目標は死亡。男性一人、女性一人。頭に弾が撃ち込まれている。即死ね。とりあえず二人の身分や活動を示すものがないか確認する。PCや端末があるから持ち帰るわ。あと、こいつらにも色々と話してもらう。他のチームの様子は?」

『交戦は無かったが、目標は全員死亡していた。どうやら中華連の存在を隠そうとしている連中がいるようだ。各ていたくからは時限式の起爆装置が発見された。暗殺の証拠をもみ消そうとしたのだろう。いずれの起爆装置も起動する前に解除され、安全は確保された』

「起爆装置? ずいぶんと本格的ね」

『そうだな。れの505を暗殺しているのだ。この連中は並の殺し屋ではないだろう。かなりの実戦経験を積んでいる』

「そうね。どうやってここが分かったのかしら。こいつら戦闘服を着ているし、使っていた銃はCQN‐2Sでホロサイトとブースター、グリップ付き。アーマーはフィセム社製バグワーム・シルクファイバー・プレートキャリア、通信機器はレデン・フォークス社製軍用いんとうマイク。おまけに、靴は市街戦を想定したタクティカル・ブーツ。そこら辺のテロリストや犯罪者が手に入れられるしろものではない」

『ああ。そいつらの正体を突き止める必要があるな』



〈公安局本部〉

 零課専用のとり調しらべしつ。ここは零課がつかまえた犯人や容疑者を取り調べるための部屋であり、零課の担当官が取り調べを実施する。様子は監視カメラによって記録されるだけでなく、とり調しらべ監視室あるいは隣の部屋で様子を見ている課員にも中継される。部屋の側壁は一方向からしか見えない強化マジックミラーガラスで、このガラスは〈ルパートのしずく〉を応用し開発されたもの。サイボーグの驚異的な力でも壊れないように設計されている。そのため、生身の人間がいくら暴れても傷一つ付くことはない。


「なかなかしぶとい連中だな。もう三日もねばっているんだぜ?」


 全とり調しらべしつの様子を零と一の二人がとり調しらべ監視室のモニターで見ていた。現在、第一から第四とり調しらべしつまで部屋が使用中である。それぞれの部屋ではこんいろの制服を着たとり調しらべ担当官が、先につかまえた中華連工作員暗殺犯を取り調べている。犯人達は零達によって受けた傷を治療されてはいるが、万が一に備え体内に追跡用のマイクロ発信機を埋め込まれている。


「かといってごうもんしてもくとは思えない。それにごうもんをしても苦しみから逃れようとうそを付く可能性がある。仮に自白剤を打ったとして、副作用で廃人になってもらっても困る。今のところゆいいつの情報源だ」


 ちょうど十五分前に零と一は取り調べの様子を見に来た。とり調しらべ監視室の椅子に座って、取り調べの様子を見ているが進展はない。暗殺犯達は完全黙秘をつらぬいている。


「日本の警察もめられたもんだな。脳内スクリーニングした方がいいんじゃないか?」


 脳内スクリーニングとは脳にある記憶情報を強制的に電気信号へ変換し、外部機械に出力、そこから必要な情報を得る手法だ。国際的にこの手法は司法機関が許可を出さなければ、警察が使うことを許されていない。が、このルールを守っている国はおそらくないと思われる。


「そうね。そろそろ課長から許可は下りるんじゃない? 口頭による取り調べも限界だ。分かったのは国籍がアメリカとオーストリア。四人のデータはICPO(国際刑事警察機構)犯罪者データベースでは該当せず。両国の国民データバンクに侵入した方が早いかもしれないわね」


 今にいたるまで暗殺犯達の口から情報は全く出ていない。このままでは何のために生けりにしたのか分からない。国籍についてはもんせいもんをもとに、入国管理局のデータベースから調べ上げたが、この情報が正しいとは限らない。国籍なぞ飾りであり、名前は確実に偽名だろう。


「口がかたいのは彼らの忠誠心か、それとも属している組織が怖いのか……見ている限り後者のように見えるわね」

「かもな。表情には出してないが、奴らの潜在的恐怖を担当官も検出している。こいつはひとすじなわではいきそうにねえな。そういえば、開発部のしまが呼んでいたぞ」

「三島が?」


 零課の開発部は課員達のために様々な武器や装備を開発している。零が先に使用したAIとうさいカラス型偵察ドローンのクロウも開発部の試作機だ。


「ああ。急用ではないから、ひまな時に来てくれだと。何でも画期的な発明をしたようだぞ」

「それは楽しみね。今から行くわ」


 椅子から零は立ち上がり、とり調しらべ監視室を出た。


 開発室に入る零。ここでは零課独自の装備や兵器を開発している。各国の警察や軍が見たらさぞ驚くことだろう。最先端技術による試作品が山のようにある。じゅんたくな予算を持つ零課はそれだけでも異質な組織ではあるが、場合によっては国防省や海上保安庁、文部科学省(宇宙開発)の予算枠で、零課は追加予算を獲得する。このことは一般の公務員や市民が知るはずもない。


「三島、私を呼んだか?」

「お、来た来た。隊長、画期的な僕の発明を見てくれ」


 開発室の中で一人、黙々と作業をしている男。彼が零課の頭脳、三島ケナン。ケナンはトルコ人の母と日本人の父を持つハーフで左腕全てが義手だ。元々、コンバットエンジニアとして現場でかつやくしていたが、爆発物処理の任務で爆弾が爆発し、左腕を失ってしまった。それがきっかけで今は現場ではなく、うらかたとして装備品の開発にじゅうしている。


「これは……クロウ? これのどこが画期的な発明? いや、まあ、確かに画期的な発明だけどね。てっきり、私は新しいものができたのかと」

「今までのは試作機でした。ですが、今日から試作機は卒業です!」


 作業台の上に置かれていたのは偵察ドローンのクロウだ。見た目は何も変わっていない。何か新しい機能を取り付けたのだろうか。本物のカラスのごとく、作業台の上で首を傾げたり、周囲を見渡したりしている。と、クロウがこちらの方に顔を向けた。


「隊長、はじめまして。私はクロウのスフルです」

「なるほど。発声機能が追加されたのね」


 まさかドローンであるクロウが日本語であいさつしてくるとは思っていなかった。


「その通り! 通信にも介入できる。会話によるコミュニケーションを通じて、クロウはより学習し進化する! 元々、僕が開発したんだからクロウは最高の発明品に間違いないけど。ああ、僕は天才だ!」


 たんてきに言って、ケナンは開発に対する情熱がすごい。芸術家と言ってもいい。発明品は彼の芸術作品だ。かんぺき、最高、究極な物を生み出すという彼の信念。そこに一切のきょうはない。彼自身それを楽しみながら実現している。まさに天才だ。

 アメリカやロシア、中華連で第三世代光学迷彩が開発されたという話を聞いた時、ケナンはこう言った。「は? なにちゅうはんなもん作ってるんだ?」と。そもそも、彼は当時の零課で使用されていた第二世代光学迷彩にもいらっていた。ただ当時、ケナンは現場で働いていたため、彼の才能が発明品にかされることはほとんどなかった。


「あと、クロウは追加でもう一体作ったよ。愛称はビル。これで偵察や陽動、奇襲などのせんたくが増えるだろう。もちろん今まで通り、野生のカラスとも会話ができる。各種カラス語はかんぺき。これは隊長の協力のおかげだね。二匹とも上手く使ってやってくれ」


 クロウは一般的なドローンと異なり、野生のカラスと交流ができる。これは零がありとあらゆるカラスと自由につうする会話術をとくしているため。クロウを用いれば零以外の課員でもカラスと会話することが可能だ。全てのカラスは事実上、零課の工作員エージェントなのである。


「スフルとビルか」


 トルコ語でスフルは0、ビルは1のことだ。現場で英単語が飛びうこともはいりょして、トルコ語の数字を採用したのだろう。零課ではゼロとワンという番号がよく使われる。特にゼロに関しては特別な意味合いを持つ。例えば射撃演習やVR(仮想現実)戦闘訓練などで完全無欠の成績をたたき出したものにはゼロ(零)の称号が与えられる。これは満点の成績を収める者がいるはずがないという意味からだ。また零課にとっての最高機密情報や人物はレベルオーと表現する。


「さすがケナンだ。いいしゅしている」

 

 ピピピピッ、ピピピピッ……


 零の左腕に装着されている端末から電子音が響いた。このパターン音は課長からの緊急呼び出しだ。新しい任務だろう。もしかしたら暗殺犯達のじょうが分かったのかもしれない。


「課長からの呼び出しだ。行ってくる」


 課長室に入り、課長の前に立つ零。武佐の表情はけわしく、良くない話が出てくることはように想像できた。


「課長、要件は何でしょう?」

「結論から言うと、零課に出動要請が来た」

「軍から?」


 軍から零課に出動があること自体は別にめずらしくもない。軍がからむ事案はたいてい、大きな問題に発展する。軍からの出動要請であったものは極秘研究兵器の後始末であったり、海外に派遣されている非公式特殊部隊の支援であったり、テロ組織掃討作戦の依頼であったりする。


「零、〝ブレインシェイカー〟と呼ばれるドラッグを知っているか?」

「ここ最近、世界で急速に拡がっている新種のドラッグのことですか?」

「そうだ」


 ブレインシェイカー。近年中東アジア、アフリカでまんえんし始めた謎のアッパー系ドラッグで、日本には中華連や南米を経由して入ってきていると言われている。このドラッグの問題点は体内から薬物反応が検出されないということ。これが最大の問題だった。脳内神経伝達物質に影響をおよぼしていると考えられているが、未だにその作用じょは判明していない。


 ブレインシェイカー中毒の症状としては、従来の薬物乱用者と同様に幻覚や幻聴、落ち着きのなさ、ほっが確認されている。何がきっかけになるのかは分からないが、最終的には殺人や強盗、傷害等犯罪行為に走ってしまう。どうもブレインシェイカー中毒者は危険な行為や犯罪行為に快感を得るらしい。潜在きょうが計り知れないドラッグだ。


「困ったことにブレインシェイカーは軍内部でも拡がりを見せているらしい。東京練馬区あさちゅうとんでブレインシェイカー中毒者の隊員達が武装し、しき内で戦闘を行っているそうだ」


 零課の任務内容が何となく分かってきた。しかし、ここで零は疑問が生じた。ちゅうとん内の案件なら普通、警務隊の出番になるだろう。事前に警察が捜査していたならともかく、とっぱつてきな出来事なのだから、警察がかいにゅうする余地はない。警務隊が対処する事案だ。警務隊で対応できないほどの本格的な戦闘ならば、軍自前の対テロ特殊部隊〝第803特別戦術こうせい中隊〟を投入すればいい。ちょうどあさちゅうとんに部隊を置いている。


「第803特別戦術こうせい中隊は出ないということですか?」

「いや、それが不可能なのだ。なぜなら、その敵になったからだ」


 零は武佐からそのような言葉が出てくるとは思っていなかった。軍内部でブレインシェイカーが拡がっているのも初耳だが、まさかよりにもよって対テロ特殊部隊が汚染されたとは。このことを誰が予想できただろう。


「つまり、私達の相手は特戦中隊ということね」

「そういうことになる。零課の任務は彼らをちんあつすることだ。各部隊によるちんあつこころみられてはいるが、特戦中隊はせいえい中のせいえい部隊。ちゅうとん内部の部隊では手に負えない。すでに死者も出ているとの情報もある。これ以上、事が大きくなる前に極秘に処理しろ」

「了解」

「気を付けろ、零。軍は何か隠しているぞ」


 武佐は今回の任務に大きな疑念をいだいている。一番気がかりなのは軍の動きだ。井口少将暗殺の件もあるが、どこまで中華連の手が伸びているのか分からない。加えてその中華連すら何者かに操られているがある。零課の状況としては非常に厳しい。


「それはじゅうじゅうしょう。心配しないで課長」


 言葉の真意を理解している零はそう言葉を返した。

 常に先を見通し死力をくす。それが彼女の強さである。

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