Scavenger
スカベンジャー 前編
〈時刻2023時。日本、大阪府(上空)〉
『隊長、目標の速度は時速60キロ。約二分後に関西国際空港連絡橋へ到達。予定通り、目標車両を一番左の車線に誘導する』
「了解」
橋長3750メートル、関西国際空港連絡橋。大阪府
『目標は約三十秒後に橋のゲートを通過予定』
通信の相手は男性。零の仲間、
今のところ目標は一の尾行には気付いていない。だが気付かれない保証はない。追われていること自体は理解している。逃げられる前に目標は始末しなければならない。国外まで追いかけるのは時間の
「
『了解です』
零が搭乗しているのはRz‐72。右翼と左翼にそれぞれ一基ずつローターがあるティルトローター機だ。ローターを上方に向けることで、ヘリコプターのように垂直離着陸でき、ローターを前方に向けることで、プロペラ機のように飛行することが可能。Rz‐72は現在アメリカ軍の主力輸送機であるが、零課用に大幅な改良が加えられている。特筆すべき項目として一般のRz‐72にはない第四世代光学迷彩が搭載されており、機体価格としては二百億円を超える。
操縦しているのは
「いいぞ。後部ランプを開放。狙撃体勢に移行する」
後部のハッチが徐々に下へ下りていき、外との気圧差でキャビン内に気流が
零の目の前には関西国際空港連絡橋が垂直方向で見えている。高度7267フィート(約2215メートル)。橋上の車はベルトコンベヤーで流されているかのように、一定の速度で走行していた。法定速度以上で走行する車はない。これは車の自動走行機能が働いているためだ。直線路だと人はどうしても加速したくなる。それを防ぐため、橋の入り口ゲートを通過すると自動的に車は自動操縦となる。
橋の法定速度制限は時速80キロ。零から見て橋の左側がりんくうタウンから空港へ向かって進んでいる三車線、右側が空港からりんくうタウンへ戻って来ている三車線だ。目標は現在左側の三車線の内、一番左の車線を走っている。もちろん、
『目標は連絡橋を走行中。時速キロ80。目標周囲の右車線、後方に民間車両なし。橋の通過まで残り150秒』
零は言葉を返さなかった。ただ静かに銃を構え、右目でスコープを
今回、零が使用する狙撃銃はSRA‐55J。対ヘリコプターや対装甲車を想定して開発された超電磁式狙撃銃SRA‐55を改良したもので、その
5キロメートルという距離をホバリングしているとはいえ車に乗った標的を機内から
そもそも、SRA‐55Jで報告されている最長狙撃距離は4030メートル。しかも狙撃に適した人工環境下という限定された状況下での記録である。お世辞でも今回の狙撃環境が良いとは言えない。どんな
「逃がしはしない」
零が引き金を引いた。と同時にキャビン内で
同時に視界から標的車両が消えた。
秒速約2172キロという超音速で放たれた弾丸は車の屋根を
「弾着、命中」
狙撃後、零はスコープの倍率を落とし視野を広げた。目標の車は橋上にいない。
『弾着を確認した。生命反応の消失を確認。目標は死亡。繰り返す、目標は死亡。車は側壁を突き破り海に転落した。
現場に近い一から報告が上がる。弾が標的に命中したことは零自身分かっていたが、一の報告で命中は間違いなかったことが証明された。橋上、ガードレールと側壁に大きく欠けた箇所があるところを見ると、目標の車は計画通り海に落ちたようだ。証拠は海に流してしまうのが早い。
『目標は即死。肉体が吹き飛んだのを俺が見ている。
「運転手は?」
『ああ。運転手の方は車が壁を突き破った時に死んだようだ。頭を強くぶつけたんだろう。生身の人間には耐えられなかったようだ。彼自身に非はないのにな、
「一、道路に弾が残っていないかスキャンして。可能ならば回収。
響は後部ランプの開閉ボタンを素早く押し、機体の後部ランプを閉じる。ランプが完全に閉じると零は自身に付けられたベルトやコードを外していった。
『こちら一。道路のスキャンを実行する』
一方、一は車を降り道路をUCG(Universal Combat Glasses:万能戦闘用メガネ)でスキャンした。一見して道路には何も無さそうに思えるが、転落した事故車を確かめるフリをしながらスキャンを続けた。あまり時間をかけるわけにはいかない。
と、UCGのレンズ状ディスプレイに赤い矢印が表示される。矢印の下は箇所を強調するように赤い丸で囲まれ、
『隊長、弾を見つけた。回収したぞ』
「了解。警察が現場に向かっている。そこから離れろ。ヘマはしないように」
『ヘマなんかしないって。
一は車に戻り、そのまま空港へ向かった。パトカーのサイレンが夜の街に響いている。警察だ。橋に急行している。
「山彦、菅田、我々もここから離れるぞ。本部へ帰投する」
コックピットの後部右座席に零は座った。零から見て左斜め前の席は直樹、前の席は響が座っている。機長である響はホバリング飛行から固定翼モードに切り替え、本部に針路をとった。UCGのマップ表示を見るとパトカー四台が橋に向かっている。まもなく、警察により車線を規制されることになるだろう。明日の新聞やテレビニュース、ネットニュースでは大きな見出しを付けて記事が出るはずだ。
〝国防陸軍少将、事故死〟
〝
何せ、さっき暗殺したのは
だが真実は一つだ。一つしかない。彼は国の裏切り者である。中華人民連合国、通称「中華連」の軍特務機関〝第505機関〟と
光学迷彩により姿を消したRz‐72はその
〈日本、広島県(国家特別公安局本部)〉
広島県に置かれている公安局本部。地上38階、地下4階という巨大な建物で、その周囲には訓練施設や研究室、ドーム状の演習場、様々な乗り物が
国家特別公安局零課は屋上を含む建物最上階の全フロアを専有している。表向きは公安調査庁の
「課長。今戻りました」
一が皆より遅れて課長室に入って来た。課長室には零課の主要メンバーが
部屋の奥には課長のデスクがあり、零課の課長である
「一、戻ったか」
武佐はこの時代にしては
「皆が
零が課長の横に立つ。
「ここからは課長に代わって私が説明する」
零は中央にホログラム映像を起動させた。井口少将の顔が表示され、そこから横に矢印が伸びている。その矢印の先には『中華連・第505機関』と書かれていた。
第505機関は中華人民連合軍の
「井口少将は中華連の特務機関『第505機関』と
日本の形をしたホログラムマップが表示される。続けて、国内に4つの丸印が付けられた。
「北から東京、
WDUは警察庁警備局公安課の特殊犯罪対策室特別戦術機動班に所属している特殊部隊。各都道府県警察本部に置かれている特殊部隊SATや特殊事件捜査係SITとは異なり、WDUは警察庁
「ほお、WDUが動くのか。久しぶりだな」
一が口を
「話を戻すぞ。
〈時刻0324時。日本、広島県〉
暗い山道に警察の装甲車両が停車した。こんな山道に警察の特殊車両を停めるのは、あまりにも不自然に思える。だが街中に装甲車両を停めるわけにもいかなかった。一般市民に
「本部、これよりクロウを展開する」
『こちら本部、了解』
カラス型の試作偵察ドローン《クロウ》が作戦区域を
『クロウからの映像を受信。映像はクリア。標的に動きなし』
通信相手は由恵だ。彼女は人工衛星や監視カメラ、クロウで目的地周辺を見ている。クロウから受信できる映像は通常モード、赤外線モード、熱赤外線モード、通信感知モードの四種類だ。人工衛星とクロウで現場の零達の姿もはっきり見えている。敵のアジトは二階建ての一戸建て住宅だ。明かりは
「了解」
通信機器として零課員はUCGと
「それじゃ、そろそろ行きますかねぇ」
UCGでドローンの映像を見た一が言った。映像を見る限り、敵がアジトの外に罠を仕掛けている様子も、待ち伏せしている様子もなく、公安が来ていることも気づいてなさそうだ。
「そうだな。
車両の助手席には零。運転席には響、後部座席左には一、後部座席右には直樹が乗っている。
零課員が着用しているのは
「山彦、
零、一、直樹の三人がドアを開けて装甲車両から降りた。この装甲車両はWDUが使用しているものと同一のもので、車両側面には〈Police〉の文字が
「間違っても相手は殺すな。情報を聞き出さなくてはならない。聞きたいことが山ほどある」
零の言葉に対して全員が「了解」と答えた。
零達は主武器としてUCR(Universal Combat Rifle:万能戦闘ライフル)のNXF‐09を手にしている。一般的にUCRはあらゆる環境下や戦場で運用できることを目的とし、高度にモジュール化することでバレルやグリップ、キャリングハンドル、ストック等を簡単に交換、取り外しができる。零課のUCRであるNXF‐09は発砲音とマズルフラッシュを極限まで
「一、お前が
「了解」
「よし。全員、光学迷彩起動。これより移動する」
光学迷彩を皆起動する。零達の姿は武器も含めて完全に周囲の景色と同化した。至近距離で見て、ようやく彼らの
「周囲に敵影なし。民間人なし。そこの道を右だ。目的地まで150メートル」
UGCには目的地までの距離と方向が示されている。周囲に敵性反応は無い。味方の反応が画面左上の二次元ミニマップに緑色の三角形として表示され、頂角は顔が向いている方向を表している。また、UGCを通して味方を見ると、味方の頭上には名前が緑色で表示されており、名前の右側には味方が今、手にしているNXF‐09の残弾数(31)が数字で表示されている。
「菅田、左からポイント・アルファ3裏へ回り込め」
『了解』
直樹は零と一から離れ、別ルートから目的地に向かう。
「こちら伊波、目的地まで30メートル。明かりは点いていない。目標は就寝していると推測される」
深夜の月明かり。照らされた3つの影が一つの家に近づいていく。姿は見えない。足音も聞こえない。何も知らない人が見れば
第一世代の光学迷彩はメタマテリアルを応用して開発された。
そして第四世代。第四世代光学迷彩は従来の光学迷彩を
零と一は中華連の工作員が
「菅田、裏口から逃げられないように罠を仕掛けて」
『了解。二か所仕掛けておきます』
直樹は裏庭と勝手口の下にトラップを仕掛ける。このトラップは非
「さて。中の様子を見るとしよう。クロウ、内部スキャン開始」
クロウは零の音声を認識。アジトの屋根に下り立ち、屋根の上をちょこちょこ歩いている。何をしているのか一般人には分からないが、これは家の内部をスキャンしている。各種電磁波を応用した空間スキャンであり、UCGに建物の内部構造が伝達される。
「どうやら相手は二階の寝室のようだ」
UCGの透過モードで零、一、直樹の三人は家の構造を確認した。
「隊長、二階に誰かいます」
人影に気付いた直樹。彼の言う通り、人型の
「ばれたか?」
一は不安そうに口を開いた。もしこの突入がばれていたら他のアジトでも突入がばれているかもしれない。
「一階にも二人いる」
二階に比べて
「嫌な予感がする……」
零は
パスパスッ……
クロウは空気が抜けるような、小さく
「まずい! 先客だ!」
零の嫌な予感が的中した。今の音は
「本部、こちら伊波。チーム3突入する。一、やれ!」
『零、待て。どうした!?』
「おうよ!」
状況を理解した一は課長からの命令を待たず、すぐに
―ぐはっ……
「
持っていた銃を手放し、敵は後ろに倒れた。痛みで声を上げながら、身体を起こそうとしている。男だ。出血し、痛がっていることからサイボーグではなさそうだ。一は
(この男はプロだ。間違いない)
男を見て一は確信した。男は
『零、どうなっている!』
「コンタクト、
一は一階に残りがいないかクリアリングを、零は銃を構えながら
『タンゴダウン』
直樹の方もどうやら相手を無力化したようだ。
『こちら本部、全チーム突入! 何者かがチーム3と交戦中。各員、
(やはりこっちを見ているか)
UCGの透過モードで零は二階
一人は寝室の奥に、一人は寝室の扉を少し開けて
(あの二人を対処するのに銃は必要ない)
一瞬でそう判断した零はNXF‐09を背中に回し、ゆっくりと相手に近寄っていく。動きを
目の前の敵は近づく零の姿を視界内に
これが光学迷彩の怖さだった。
ある程度の
寝室奥の敵は
それでも、正体は見えない。正体は分からない。
自分に何が
「うっ……」
彼の恐怖は痛みに。
男の右腕がひとりでに後ろに回ったように見えた。当然これは零の
「動くな。警察だ。大人しくしろ」
「くっ……警察だと。なぜ警察が」
右腕を背後に回され、床に倒される男。彼は銃を持っていたが、零に対しては一発も撃つことができなかった。銃は手から
「二階、クリア」
「おーお、俺達の出番は無しか。オールクリア」
全員が光学迷彩を解除した。一は零に言われるよりも先に
「山彦、こちらに車を寄こしてくれ。クロウ、上空から周囲を
UCGで周囲をスキャンする零。ベッドに目を向けた。ダブルベッドの上には男女の死体がある。中華連の工作員だ。偽装結婚しての現地活動といったところか。ベッド横には携帯端末とPC、
「こちら伊波。本部、アジトを制圧した」
『目標は?』
「目標は死亡。男性一人、女性一人。頭に弾が撃ち込まれている。即死ね。とりあえず二人の身分や活動を示すものがないか確認する。PCや端末があるから持ち帰るわ。あと、こいつらにも色々と話してもらう。他のチームの様子は?」
『交戦は無かったが、目標は全員死亡していた。どうやら中華連の存在を隠そうとしている連中がいるようだ。各
「起爆装置?
『そうだな。
「そうね。どうやってここが分かったのかしら。こいつら戦闘服を着ているし、使っていた銃はCQN‐2Sでホロサイトとブースター、グリップ付き。アーマーはフィセム社製バグワーム・シルクファイバー・プレートキャリア、通信機器はレデン・フォークス社製軍用
『ああ。そいつらの正体を突き止める必要があるな』
〈公安局本部〉
零課専用の
「なかなかしぶとい連中だな。もう三日も
全
「かといって
ちょうど十五分前に零と一は取り調べの様子を見に来た。
「日本の警察も
脳内スクリーニングとは脳にある記憶情報を強制的に電気信号へ変換し、外部機械に出力、そこから必要な情報を得る手法だ。国際的にこの手法は司法機関が許可を出さなければ、警察が使うことを許されていない。が、このルールを守っている国はおそらくないと思われる。
「そうね。そろそろ課長から許可は下りるんじゃない? 口頭による取り調べも限界だ。分かったのは国籍がアメリカとオーストリア。四人のデータはICPO(国際刑事警察機構)犯罪者データベースでは該当せず。両国の国民データバンクに侵入した方が早いかもしれないわね」
今に
「口が
「かもな。表情には出してないが、奴らの潜在的恐怖を担当官も検出している。こいつは
「三島が?」
零課の開発部は課員達のために様々な武器や装備を開発している。零が先に使用したAI
「ああ。急用ではないから、
「それは楽しみね。今から行くわ」
椅子から零は立ち上がり、
開発室に入る零。ここでは零課独自の装備や兵器を開発している。各国の警察や軍が見たらさぞ驚くことだろう。最先端技術による試作品が山のようにある。
「三島、私を呼んだか?」
「お、来た来た。隊長、画期的な僕の発明を見てくれ」
開発室の中で一人、黙々と作業をしている男。彼が零課の頭脳、三島ケナン。ケナンはトルコ人の母と日本人の父を持つハーフで左腕全てが義手だ。元々、コンバットエンジニアとして現場で
「これは……クロウ? これのどこが画期的な発明? いや、まあ、確かに画期的な発明だけどね。てっきり、私は新しいものができたのかと」
「今までのは試作機でした。ですが、今日から試作機は卒業です!」
作業台の上に置かれていたのは偵察ドローンのクロウだ。見た目は何も変わっていない。何か新しい機能を取り付けたのだろうか。本物のカラスの
「隊長、はじめまして。私はクロウのスフルです」
「なるほど。発声機能が追加されたのね」
まさかドローンであるクロウが日本語で
「その通り! 通信にも介入できる。会話によるコミュニケーションを通じて、クロウはより学習し進化する! 元々、僕が開発したんだからクロウは最高の発明品に間違いないけど。ああ、僕は天才だ!」
アメリカやロシア、中華連で第三世代光学迷彩が開発されたという話を聞いた時、ケナンはこう言った。「は? なに
「あと、クロウは追加でもう一体作ったよ。愛称はビル。これで偵察や陽動、奇襲などの
クロウは一般的なドローンと異なり、野生のカラスと交流ができる。これは零がありとあらゆるカラスと自由に
「スフルとビルか」
トルコ語でスフルは0、ビルは1のことだ。現場で英単語が飛び
「さすがケナンだ。いい
ピピピピッ、ピピピピッ……
零の左腕に装着されている端末から電子音が響いた。このパターン音は課長からの緊急呼び出しだ。新しい任務だろう。もしかしたら暗殺犯達の
「課長からの呼び出しだ。行ってくる」
課長室に入り、課長の前に立つ零。武佐の表情は
「課長、要件は何でしょう?」
「結論から言うと、
「軍から?」
軍から零課に出動があること自体は別に
「零、〝ブレインシェイカー〟と呼ばれるドラッグを知っているか?」
「ここ最近、世界で急速に拡がっている新種のドラッグのことですか?」
「そうだ」
ブレインシェイカー。近年中東アジア、アフリカで
ブレインシェイカー中毒の症状としては、従来の薬物乱用者と同様に幻覚や幻聴、落ち着きのなさ、
「困ったことにブレインシェイカーは軍内部でも拡がりを見せているらしい。東京練馬区
零課の任務内容が何となく分かってきた。しかし、ここで零は疑問が生じた。
「第803特別戦術
「いや、それが不可能なのだ。なぜなら、その
零は武佐からそのような言葉が出てくるとは思っていなかった。軍内部でブレインシェイカーが拡がっているのも初耳だが、まさかよりにもよって対テロ特殊部隊が汚染されたとは。このことを誰が予想できただろう。
「つまり、私達の相手は特戦中隊ということね」
「そういうことになる。零課の任務は彼らを
「了解」
「気を付けろ、零。軍は何か隠しているぞ」
武佐は今回の任務に大きな疑念を
「それは
言葉の真意を理解している零はそう言葉を返した。
常に先を見通し死力を
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