山間部-006 人の範疇を超えるな、とは?

ランレルは、少年と警邏から視線を外した。広場には人がまばらで、警邏の男たちは、岩壁の家に上がっては、中を探して回っていた。


サテン達は、ランレルと同じように馬を降りると、広場のテラスから川を見下ろしたり、誰も来ない街道を見つめたり、トルン達の様子を見て時を過ごしていた。トルンの後ろに立つ、鐘を掲げた警邏の男が緊張感をそそるが、それ以外はのどかなモノだった。


サテンは、低いテラスに半分腰を掛けるようにして、岩山を見上げていた。アヤノ皇子はサテンは何を見ているのかと言うような顔で、同じように岩山を見上げていた。アヤノ皇子はそのせいで、子供の騒ぎに気付かなかったように見えた。トチ医師は川を見下ろしていて、音が聞こえなかったからだろう、こちらも、子供が来たのに気付かなかったようだった。


ランレルは、サテンが見ているのは何だろう、と岩山を見上げると、青空は雲一つなく、遠くで鳥のさえずりが聞こえた。静かだ、と思ったのだが、サテンは耳栓もカバーもしていない。子供が来た事も、あの声も、すべてを聞いるはずだ、とちらりと見たが、サテンは何の動きも見せなかった。


この静寂を聞いているのは、報告を待つトルンとゼセロ、そして、走って戻って来ては耳栓を取って報告を始める警邏の男たちくらいだった。


トルン達は、さらに探索をしていたようだが、結局、住人も他の隠れている人間も見つからなかった。上の屋敷はどれも厳重に南京錠が掛かっていて、入れなくなっているようだった。外からバルコニーを渡って中に入った男たちもいたようだが、やはり、片付いていて中は空っぽで人気がない、と言う事だった。


トルンは、ゼセロと共に、簡易地図を上着の内ポケットから出して広げて、皮手袋の指で場所をなぞるようにして確認していた。


トルンが、ランレル達に近寄って来た。両方の耳栓を外して見せ、アヤノ皇子もトチ医師も、ランレルも耳栓を外すようにと身振りで伝えてきた。耳カバーを剥がし、耳栓を外すと、トチ医師はほっとしたような顔をした。音が戻って鳥のさえずりや風の音が聞こえだしたのだろう、周囲を見回して、ベンチのブランケットの塊を見て怪訝そうな顔をしていた。アヤノ皇子は全く動じず、ただ、話しに来たトルンをまっすぐに見ているだけだった。聞き漏らすまい、と思っているのかもしれない。


トルンは手短に言った。

「ここで、食事と水を取ってくれ。そして、水筒があればそれに水を入れよう。ポンプ井戸を見つけたから、新鮮な水が手に入る。それから、座るなり横になるなりして休んでくれ。日が暮れる前に山に入る。ここからは馬ではなく、歩きになる」

「日が暮れる前?」

とトチ医師が驚いたように言うと、

「そうだ。岩肌を歩くと目立つ。すぐにも向こうに気づかれるだろう」

トチ医師が疑問に満ちた目を向けると、トルンは、

「これからチェシャ村に向かう。そこに、信者達がいるらしい。斥候を先に出して進むが、この道からだと崖沿いだ。馬は難しいだろう」

と付け足した。トチ医師は、話が急展開していて驚いたようだが、頷いただけだった。サテンはトルンをちらりと見ただけで、やはり山を見上げていた。アヤノ皇子は表情の読めない目でトルンを見てから、サテンへ視線を向けた。その時、トルンは、

「サテン・チェシェ、と言いう名前だったと思うが。村の出か?」

と聞いて来た。ランレルは、そういえば、と思い出した。ハーレーン商会で、アルラーレの伯父上、と言う印象が強くてすっかり忘れてたが、あの少年の村の名前と同じ名前だ。と気が付いた。


あの少年は、サテンに気づかなかったのか、まったく反応をしなかった。サテンも、あんなに少年は叫んでいたのに、身じろぎ一つせず、岩の上を見上げているだけだ。同じ村の仲間には、とうてい見えない、とランレルが思っていると、サテンは、

「古く村に関係していた事があったな」

と静かに答えた。


先祖の出身の村を名字にするのは、町ではよくある事だった。町では名字が必要だが、村では無い場合が多かったからだ。ランレルも、引き取ってくれた叔父さんがいなかったら、パーセとか、海辺のパーセ村を名字に付けて名乗っていただろう、と思った。ランレルはそう思いながら、サテンを見た。サテンは、そんな田舎者には見えない。洗礼されているというより、どこか気高い感じがした。苗字には意味がある種の人間だと思ったのだが、隠したい人も同じように適当な村や町の名前を使う、と思ったところで、ランレルは思考を止めた。と言うのは、トルンが気にせず軽くうなずいて、

「チェシェ村までの道が分かるか?

と話題を変えたからだ。ランレルが見ていると、サテンは何とも言えない顔をした後、

「人の道か」

と聞き返し、トルンが同じように何とも言えない顔になって、

「人の歩いていく道だ」

と言い返した。すると、サテンは、

「知らぬ」

と短く答えた。トルンは疑わしそうな顔でサテンを見ていたのだが、得体のしれない力を持つ人間の事だから、とあきらめたようだった。ただ、頷くだけで離れて行った。


ランレルは、そうだこの人は龍だった、とサテンについて思った後で、慌てて馬の方へと走って行った。トルンに食事と山歩きの話を聞いて、馬に荷物を取りに行ったのだった。


自分の上着を貰った時にサテン達の上着も入っていたからだ。手袋もあったはずで、山の中は寒い、と港の女将は言っていた。もらった袋は馬の後ろに乗せて縛って留めていた。ランレルは、大きな布袋を紐を解いて外すと、その場で中を覗き込み、それから、唸るように考えた。服はある。手袋もある。ポケットには銀貨も銅貨もあって、いつでも食料は買えるだろう、と思っていたのに。店がない。


食料を分けてもらえる店がない、と言うのはもしかしたらと想像していたのだが、食料を分けてもらえる家もない、と言う事もあったんだ、と気が付いて、布袋の口を掴みながら、そっと胸のあたりを抑えた。胸が痛い。なんでこんな事も気づかないのか、と思うと、再び胸が痛くなった。


船の中で、干し肉をかじっていた警邏の男たちは、そこここで、やはり同じように干し肉をかじり始めた。旅の正解は、あれだったんだ、と奥歯を噛みながら、ランレルはさて、と袋を抱えて考え込んだ。


警邏の男たちは、これから別行動の人間もいるようで、二人ほど騎乗の人になった。街道の先に行くようで、馬の手綱を枝から解いて、ゼセロの指示を受けると、二騎は馬を駆って走って行った。山の太陽は早く傾くようで、先ほどまで頂点にあった太陽が、もう、山の峰にかかろうとしていた。


テラスの木々の近くで、若い警邏の男が馬の世話をして、水をやったり固めた干し草を上げたりしていたのだが、馬が二騎離れて行くと、ゼセロが、その若者にも指示を出していた。「あの二騎が戻るまでここで待機で、トルン達が戻らなければ、馬を連れて川へ戻れ」と言うような事を言っていた。


警邏たちは、馬から荷物を降ろして、携帯食を口にしながらブーツにズボンの縁を突っ込んだり、荷物からナイフを出して確認したり、と山の準備をしはじめていた。


ランレルは、とにかくサテン達の上着が先だ、と中に手を突っ込んだ。そして、柔らかい生地の暖かいマントを引っ張り出した。一つは大きくてサテンに、一つは中くらいでトチ医師に、鮮やかな青色の銀の縁取りがしたモノが入っていたのだがこれはアヤノ皇子へと引っ張り出して、彼らの下へ戻って、一つずつ手渡した。手袋は、マントのポケットに入っていた。


最後の一枚は、生地の良い、丈が短く茶色の飾りのないマントで、ランレルは、引っ張り出すと、自分でかぶって肩の紐を左胸で止めて巻き付けるように着た。マントはすごく暖かかった。随分寒くなって来ていた、と気が付いた。だから、警邏の男たちは、少年にブランケットを持ってきて包んであげたのだ、と気づくと、再び胸のあたりが痛くなった。これは、至らない自分を感じるたびにやってくるメッセンジャーのようだ、と言う気がして、胸をそっと片手で押した。


そして、袋をまとめて抱え込みながら、ちらりとベランダを見上げた。岩壁に張り付くようなベランダが、いくつも見えた。中には木々が茂っているモノもあって、もしかしたら、果物が実っているかもしれない、と目を凝らしてみた。あの少年が何も食べないでうろうろしていたのを思えば、何もないだろう、と思うのだが、もしかしたら、食べれる木の実があるかもしれない。とじっと目を凝らして、下からでは見えにくい、と思ったところで、視界が反転した。


上から白い街道を見下ろしていた。岩山が下に見えた。ベランダが岩につけたボタンのように飛び出していて、その下に警邏の男たちが立つ広場が見えた。マントを付けたアヤノ皇子がサテンに何か話しかけていたのだが、サテンがふっと上を見上げた。目が合った、と思ったところで

「人の目を使え、と言ったはずだ」

と耳の傍で声がして、驚いて顔を上げた。すぐ目の前にサテンがいて、さっきは空から見下ろしていたのが、今は街道にいた。大地に足を付けて、広場の隅で、サテン達と一緒にいる自分、と言うのに気が付いた。


顔を上げてサテンを見つづけていると、

「人の目を使い、人の耳を使え」

サテンは同じことを言った。ランレルが返事をしないで固まったままでいると、

「おまえの命を長らえさせて、アルラーレへ返さなければならない。人の範疇を超えるな」

と言い足した。

「人の範疇を超えるな、とは?」

とランレルはやっと声が出せるようになって、つぶやくように聞いた。やろうとしてやっているのではないし、やらないでおこうとしてできるモノでもなかった。サテンは、ランレルを見下ろしたまま、

「身体の能力を超えると、身体がつぶれる事がある。人の範疇を超えるな」

と再び言った。ランレルは、さらに、

「それは、死んでしまうという事ですか?」

と聞くと、サテンは、

「生きられない、という事だ」

と答えた。

何が違うのか分からなかったが、ぞくぞくっとしたモノが背中を駆け上がって行った。ランレルは息を吸って震えを止めた。そして、

「止める方法が分かりません」

と正直に答えると、サテンは目を細め、

「身体が分からなくなったら、呼べ」

とだけ答えた。ランレルは頷いて、すごく大切な事を聞いた、と言う気がしたので、何度もうなずいた。それがどういうことかは分からなかったのだが、その時がくれば、聞かなくても分かるような気がした。さっき、空中に上がったような感じの、きっとあれだ。ああいうのが来たら、言えばいいんだ、と考えて、

「その時には、お願いします」

と言った。サテンは視線で頷き、そのまま、やはり山の上に目をやっていた。ランレルは同じように上を見ようとして、動きを止めた。もし、何か見えたら、それが人には見えないモノだったら、自分ではどちらか分からないし、止める事もできない、と気が付いて、上を見ない、と顎を振るようにして下を見た。


ランレルは、抱きかかえていた大きな布袋を腰に巻き付けて持っていこうと、ぎゅっと抱きしめて畳み込もうとした。そして、あれっと手を止め、袋の中を覗き込んだ。底に何かが入っていて、引っ張り出したらこげ茶の袋が入っていた。ランレルは、袋の口を開いて中を見た。


すると、携帯食が入っていた。


布に包んだ干し肉が入っていた。また、干したタピの実に、お茶の葉に、干し魚まで入っていた。ランレルは、トズサム宿屋の女将さんが、服といっしょに用意してくれていたんだと気が付いた。朝食を頼みに行った時に、豪快に笑っていたのは、携帯食に気づかなかった自分に笑ったのか、携帯食を取っておいて長持ちさせようとする自分を褒めて笑ったのか、何か、褒められていたような気もした。


ただ、全然、山の事も世間の事も分かっていない世間知らずの自分の為に、しっかりと用意をしてくれていたのだ。ランレルは、袋をしっかりと抱きしめて、胸の中で感謝をすると、慌てて、サテンやアヤノ皇子、トチ医師に干し肉を配って行った。

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