山間部-005 チェシェ村だよ。龍神様がご加護をくださった

「ほぉ、龍神信仰の者たちを知っているのか」

トルンが少年の言葉に、相槌打つようにして言うと、少年は睨み上げながら、

「村を踏みにじった奴らだ」

と短く言った。そして、トルンの格好を見て、警邏隊と分かったか、国の兵か何かだろ思ったのだろう、

「いなかの山の村を助けるには、ゆっくり全部つぶされてからでも良いと思って来たのか!」

と目じりに涙が沸き上がり、腕でとっさに擦りながら言い切った。トルンは腰を落として視線を少年に合わせた。そして、

「すまないな。来るのが遅れて。おまえの村を襲った奴らを教えてくれないか?」

と再び言うと、少年は息を吸いながら涙をぐっとこらえたのか、両手をぐっと握りしめ、

「似非龍神信仰の奴らだ」

「なぜ、似非だと分かるんだい?」

「龍神様は、見えない力をもっておられる、見えない神様だ。見えて語って命令したりしない。穏やかに俺たちを守って下さる山の神様だ。信じないモノを罰したり、信じないモノの家を乗っ取ったりしない。祈りに豊かな山の実りを授けて下さる神さまだ」

「お前の村は乗っ取られたんだな」

少年はトルンをしっかりと見上げ、

「『龍神様のおとないです』と言って、わざわざ俺の村に来た。広場で、『龍神様がご降臨』と空を見上げた途端に、みんな一瞬にして別の人になった」

「別の人とは、どういう意味だ?」

「龍神様を、空の空気だと思うようになって、あの白い奴らをあがめて、言われるままに何でもかんでも持って行っては感謝をして。冬が来るのに。秋ももう終わってしまうのに。何もかもを奴らに渡して笑ってた」

トルンはゼセロと顔をわずかに見合わせて、それから、屈みこんだ姿勢のまま、

「村の人たちは、今はどこにいるか分かるか?」

「貢物の村だ。村じゃなくて町かな。もう、あふれかえっているから」

「場所は分かるか?」

「場所は分かるか? 分かるかだって?! 俺の村だ。もともとは俺の村だ! もう、誰も、俺の村の名前なんか言わない。奴らの村だって、貢の村とか導きの村とか、適当な事を言ってやがるけど、俺の村だ!」

そう少年は叫んだ。


少年の脇からゼセロが手を伸ばして、わきの下に手を入れて軽々と持ち上げた。驚いた少年は、目を見張るだけで身動きできず、ゼセロはそのまま、後ろにいた警邏の男に手渡した。男は馬に積んであったブランケットを取り出して両手で広げて構えていたのだが、その手の中に少年をそっと抱えた。警邏の男が抱えたまま、器用にブランケットで少年を包み込む。すると、少年は身じろぎをしたのだが、そのまま顔をブランケットに突っ込んで、唸るように泣き出した。


ランレルが手にしていたチーズとハムを、少年を抱えた警邏の男は、頷きながら手に取ると、少年を連れてベンチに向かった。馬が繋がれた川を見下ろすテラスの傍に、石のベンチがあった。少年を抱えた警邏の男は、抱えたままベンチに腰を下ろして、ブランケットで包み込んだまま少年を抱きしめて、上から何度もなだめるようにとんとんと叩き続けた。


ランレルはじっと茶色のブランケットを見つめていた。胸が掴まれるような痛さを感じた。村を返せ、助けてくれ、と言う声が鳴き声の中に聞こえてくるようだった。それから、じんわりと、欲しいのは暖かいぬくもりだったんだ。と気が付いた。食べ物じゃなかったんだ。何もかも無くして一人逃げてきて、誰もいない町で飢えばかり募って、助けてくれる人はいなくて、人がいたと思ったところで、今度は盗みの疑いを掛けられて。すさまじい気の強さに、気迫のすごさに、ランレルは自分の胸に手のひらを当てた。すごく痛い。そう思った。少年の鳴き声に胸が痛い、と思い、それと同時に、相手の心を思い描くことができなかった自分にも胸が痛い、と心の奥を覗きながら思った。人の気持ちを感じてこその商人だ、とアルラーレ様は言っていた。それがハーレーン商会の商人だ、と言う意味だった。今の自分は、痩せている、それなら、お腹が減っているだろう、くらいにしか思えない、想像力のない人間だ、と思うとさらに胸が痛かった。


しばらくしてから、少年はブランケットから顔を出した。もぞもぞと布から顔を出すと、男になだめられるようにして食べはじめた。ゆっくり口を付け、そのとたん、我を忘れてがつがつと食べ始めた。少年は、警邏の男に声を掛けられ続けて、そのまま安心したのか、疲れていたのか、すぐに静かに眠ってしまった。


ランレルには、くぐもった少年の声が聞こえていた。警邏の男に話していた。

「かあちゃんが逃がしてくれたんだ。おかしくなっていたのに、俺にこの服を着せてくれて、俺がだれか分からないようにして。正気になった瞬間に、山を下りろと裏の木戸から村の外へと出してくれたんだ。みんな狂っていて、俺達には助けが必要で」

「そうだったのか。お母さんがすごかったんだね。素晴らしいおかあさんだね」

そういって、少年は食べかすを口から手のひらで擦って落として、なめとっていた。それから、警邏の男は、

「なんて村だい? もともとの君の村の名前を教えてくれるかい?」

と言った。少年はじっとどこか遠くを見るような顔になったのだが、すぐに顔を上げて告げた。

「チェシェ村だよ。龍神様がご加護をくださった、一番の信者が住まう誇り高い、チェシャ村だよ」

警邏の男は頷いて、

「すごい村だな。だから君が逃げてこれたんだな。神様の守りがあったからに違いない」

と言うと、少年は深くうなずき返して、

「龍神様は何もかもをご存じなんだ。何もかも」

そういって、黙り込んだ。警邏の男はベンチに腰かけたまま、少年が眠り込むまで、あやすようにブランケットに包み込んでゆすっていた。


少年の名前は、バゼルと言った。チェシェ村の祭祀の子だった。少年は、眠る前に警邏の男につぶやいた。

「前の月に父ちゃんが行っちゃって、俺の代になったんだ。かあちゃんは、喜んでくれたよ。龍神様のご加護を村中に、山中に伝える大切な役だからって、喜んでくれたんだ」

そして、悲しみのにじんだ声で、

「チェシャ村の祭祀は、本物の龍神に仕えている。そう伝えるだけでも、似非龍神信仰を倒せる力になるはずだ、ってかあちゃんは言ったんだ。その通りだって俺も思う。だから俺は絶対に、信じない。村中が似非龍神を信じるようになっても、かあちゃんが信じるようになっても、俺は絶対に信じない」

そういって、ブランケットをしっかり掴んで強い皺がよった。そのまま、眠ってしまったようだった。

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