ランレル-012 雌龍の悲しみはどれほど濃い事か

町の長は、対岸を睨みながら、サテンの声を聴いていた。答える気にもならない問で、振り返りさえしない。ランレルは、サテンの後ろに控えた、アヤノ皇子が、前へ一歩踏み出そうとするのが見えて、代わりに自分がと思って踏み出そうとした。しかし、それより早く、町の長といっしょにいたトルンが、

「あなた達の出航を認める事はできない」

と川を見ながら、ちらりとサテンへ視線をやって、告げた。


鐘の音が大きい。しかし、川向の怒声や叫び声がさらい大きく、普通の人にも聞こえるくらいの騒ぎで、家族が船に乗っているのか、または、町を守る為だからだろか。町の雑貨屋でもしていそうなか細い男や、馬周りをしていた若者や、幼子を胸に抱いた女性や、子供たちが桟橋近くに集まっていた。時には、向こうには聞こえないだろうが、大声で元気に声援を送り、まるで船祭りのような勢いだった。


それが、船から船にはしごをかけて、陸から走ってくる剣に慣れた男たちの姿が見え始めると、誰もが声を飲んで見つめるだけになっていった。


「兵士だ」

ランレルがつぶやくと、トルンがそれを聞いていたか、

「簡易すぎて、どこの兵が挙兵しているのかわからん」

と返すように言った。服装で、出自を判断しようとしたようだった。しかし、すぐに町の長に、

「岸に戦える男たちを。何人くらいいる?」

最後の部分は、戦える男が何人いるか、と言う意味だったようだ。町の長は厳しい顔をして、

「みな川に出ています。後は、血気盛んな女子供くらいで、剣よりペンを持った方が良い男くらいしかいません」

そういうと、視線を、後ろの町の中心にある大通りに向けた。ランレルも港に向かっている大通りを見た。通りに出ている人たちは、普段は畑をしながら船宿の用事をしたり、船から下した荷物の倉庫の管理をしているような、月明かりでも色白と分かるような男たちがいるくらいで、後は、年が行って引退した男たちに、子供たちが大人の様子を見ながら肩を寄せ合っているくらいだった。川沿いの船宿の間に、鍛冶職人や、馬回りの仕事をしている男たちがいたようなのだが、たけだけしい肩や腕をしていいたのだが、立って町の長を見る視線は静かで、おびえているようにも見えた。とてもじゃないが、剣を手に戦う兵を迎え撃つような人々には見えなかった。


町の長の脇で、トルンも通りを見た。その先の街道を見た。平原にまっすぐ伸びる道は、その先でロンラレソルに繋がっている。そのロンラレソルの向こうには王都があって、王都もロンラレソルの町も遠すぎて見えないのだが、先ほど馬で飛び出した警邏の男が向かっていたはずだった。男は平原の中に溶け込んでいるのか見えないし、呼んだ兵がやって来ているようにも見えない。


ランレルは、トルンの視線を先を見て、兵士を思って、王都を思った。そこで、唐突にハーレーン商会の裏の玄関で、切りつけられた時の事を思い出した。たしか、アヤノ皇子に向かって剣を向けていたはずだ、と思ったところで、サテンを見た。


横に立つサテンは、川を兵士が船を奪う姿を眺めていた。表情の動かない、静かな顔に見えた。


ランレルは、サテンを見ながら思い出していた。


サテンは、雨の中、王都のハーレーン商会にやってきた。ふらりと現れて、そこで、アルラーレ様はハーレーン商会のコインを渡した。急ぎで辻場所を用意させて出立させようとし、息つく間もなく、伯父上と呼んでいるのに、長くあっていなかった、と言っていたのに、語り合うような時間もなく、送り出していた。


「船は出せないのですか?」

ランレルは、サテンのさっきの問いを、同じように、町の長に聞いていた。町の長は、この段階で逃げるのか、と良い顔をしなかったのだが、倒れて横になっていた若者だ、と気づいたようだ。恐れているのか、と思ったのかもしれない。

「船はある。船を操る男はいない」

簡潔に答えてくれた。ランレルは、それを聞いて、サテンに、

「川沿いを馬で参りましょう。みなさまの分の馬を買って、みなさんで乗って行けば、次の船着き場まで行きつけます」

と見上げるようにして言った。ハーレーン商会のつけを使えば、この国で買えないモノはほとんどない。王都の屋敷だって、アルラーレ様の渋い顔を我慢すれば買えるはずだ。サテンは面白そうな顔をした。そして、ランレルがさらに、

「アルラーレ様は、ハーレーン商会は、その為に、私をみなさまに付けたのです。交渉してまいります」

と言うと、町の長が、

「町の避難に馬がいる。売れないな」

と素早く言った。そう言って、町の長は、大声で誰かを呼んだ。親しい人間の名前だったようなのだが、鐘の音は賑やかで、誰にも聞こえないだろうと思ったのだが、町の長の動きを注視していた男たちがいたのだろう。すぐに誰か分かったのか、人を呼びに走って、代わりに見るからに事務仕事の男、と言うような髪を油で撫でつけて、この夜中の騒ぎの最中だというのに、襟の立ったシャツを着た男が、足早にやって来た。来たとたん、小柄な男だったのだが、厳しい顔で町の長を見上げると、

「砦跡に集めましょう。石垣ですし、街道とは外れていますから、王都を目指す奴らなら、こっちには来ないでしょう」

と素早く言った。すでに手配が始まっているのか、

「食料は船宿の女将たちに出させています。備蓄を町で買う形にして。彼らも荷をまとめて逃げる準備を始めています」

と早口で説明した。町の長は、

「鐘を外してつける場所があるか」

と言うと、男は驚いたような顔をしたのだが、すぐにわかったようにうなずいて、

「この鐘ですね。幻視破りの」

と頭が痛くなるほどの音を聞きながら言った。二人は大声で話していた。そのわきで、ランレルは、サテンに向かって、

「私は歩いていけます。みなさまさえ良ければ、歩いて出立いたしましょう」

と声をかけた。兵はすぐに来て欲しい、と思っているはずだ。来るようには見えないし、来ても、この港での戦で、きっとサテンと第五皇子どころではないはずだ、と言うか、二人がここにいるとは思っていないのではないか、と思うのだが、それでも、あのハーレーン商会を襲ったような男が紛れていたら、危ないかもしれない。急いで出立した理由を聞いておくべきだった、と思いながらも、

「参りましょう」

と再度言った。すると、

「参ろうか」

とサテンがこだわりなく言って、ゆったりと、川沿いの並木に道へと向きを変える。すると、トルンが気づいて、

「すまんがここにいて欲しい」

と言った。トルンは、サテンと、そして、ランレルに目を向けて、

「あの幻想を破る力がある人間にいてほしい」

と言うのだった。さらに、

「あの兵が、山岳の民ではなく、大陸中央の剣の使い方をしている兵が、我らが領土を侵略しているのを止める為に、いてほしい」

と言うのだった。


服装は簡素で、兵としか分からない、と言っていたのに、トルンは剣の使い方で、ワイルラー王国の兵では無く、大陸中央の兵たちだと分かったようだった。


内乱ではないんだな、と思いながら、ランレルが対岸に目を向けると、川の男たちは次々に兵の剣を逃れて川に飛び込んでいるところだった。川鰐は、と思ったのだが、彼らは何か身に着けているのだろう、気にせず飛び込み、そして、潜っては兵士の舟を沈めようと底から船を揺らしている。それでも、兵は着実に、川の男たちの船を抑えて、一艘、二艘と、こちらに向けて漕ぎだしはじめていた。


「それほど多くななかろう」

サテンは、その船を見ながら、なんでもない事のように言った。それから、

「龍神信仰をしていれば、身を護れるようだ。信者になっていれば良い」

とまで言った。トルンが顔色を変えるのだが、サテンはさらに、

「ワイルラー王国の兵が来るまで、身を護るには最適だろう」

と言うと、町の長が、すかさず、

「龍神信仰は、ちゃんと目覚める事ができるのですかな? つまり、兵士が去って行ったあと、日常に戻れるのでしょうかな?」

と良いアイデアだと言わんばかりに聞いてきた。サテンは視線だけを町の長に向けると、

「侵略の手段で使っているだけなら、その内さめるだろう。長く幻視を保てるほど力のある者はおるまい。一時の幻視ですむだろう」

とだけいって、さて、と言うように、歩き始めた。


桟橋から、屋根のある広場の板を踏んで、町の長やトルン達から離れはじめた。トルンが口の中で何かをののしってから、

「あなたは、ワイルラー王国の民では無いのか!」

と怒鳴るとサテンが笑ったようだった。が、背中をトルンに向けたままで何も言わない。トルンが、

「ワイルラー王国に護りたい者はいないのか!」

とさらに怒鳴ると、サテンはふと立ち止まって、振り返る。そして、

「連れていけぬモノだ。独自に切り抜けるだろう」

とだけ言った。そして、再び歩き出そうとして、なぜか、板の床の先を見た。


広場の受付のあたりで、女たちがあわただしく動いていた。受付の外に、壁にもたれてしゃがみ込む、手を縛られた男がいた。脚をばたつかせて立とうとするのを、女たちが抑えて、「いいから、安全なんだから」と言って聞かせていた。小舟から助け出された男だった。「龍がいる」と叫び、空に向かって拝んでいた男で、ランレルは、暗がりでもよく見える目で、じっと見た。男は、目を皿のようにして川の方を見て、口から悲鳴を上げ続けていた。


サテンは、男を見ていた。立ち止まって、わずかに考え込むような顔をして、それから大股で、受付へ、女たちに抑えられている男に向かって歩きだした。女たちは、受付台に盥を置いて、そこに布を入れて男の額に当てようとしていた。縛られた男は、耳に耳当てをされたままで、何を言われても聞こえていないようで、ただ、口からは「龍神よ、龍神様よ、どうぞどうぞお助け下さい。助けて下さい」とつぶやき続けていた。


ランレルは、サテンがこの男を哀れに思ったのだろうか、と思った。あまり人に興味がないよに見えたのだが、龍神信者は気にかかるのだろうか、とも考えた。サテンを追って、ランレルも、もちろん、アヤノ皇子も、そして、ランレル達と一緒に行く為、トチ医師も、受付脇へと近づいた。


サテンが、先に近寄っていくと、女たちはため息をついたように腰を伸ばして、

「もう、マチェさんはいつ目覚めるのかねぇ」

「みんなあっという間に、嘘だってわかったのに。正直者の騙されやすい性格だから、仕方ないのかねぇ」

と言いあっていた。そして、彼女たちは、サテンが来たのに気が付くと、服装が上等だったためか、丁寧に会釈をして、なんとなく当然のように場所を開けた。サテンは、まっすぐ宙を見続けている男の前に立つと、身をかがめて男の目を覗き込んだ。何かを見つけたようだった。そして、

「龍はここだ」

とささやいた。途端に、男の悲鳴があがった。ランレルは、なんとなく、あの光の洪水のようなモノを見ているのではないだろうか、と思ったのだが、トルンが慌てたように走って来た。そして、

「おい、何をした! 洗脳が深いものは強引に解こうとすると、現実を突きつけ続けると、発狂するぞ」

と怒鳴った。サテンは、トルンが脇に来たのを無視して、悲鳴を上げる男を見つめて、さらに、

「ほかの龍はここにはいない」

と続けた。男は悲鳴を上げていたのだが、唐突に、悲鳴を止めた。しかし、宙を見たままになる。サテンは、笑顔を見せた。ランレルは、その笑顔を見て、驚いた。ぱっと辺りに光が広がったような笑顔に見えた。アヤノ皇子はじっとサテンの顔を見て、表情を消して考え続ける目を見せた。


サテンは輝くような笑顔を見せた後、男に向かって、

「感謝しよう。おまえの人生が実りあるものになるように、龍の守護を与えよう。深くわれの礼を受けるがいい」

と言って、男の額を軽くたたいた。


男は驚いたような顔をして、縛られた手で額を抑えた。ほんの一呼吸程の間があいた。そして、はっとしたように顔を上げた。男はゆっくりと座った姿のまま見回して、

「なんで俺が縛られているんだ?」

と言った。不思議そうに自分の手を見ながら、そばの女たちに文句を言うように聞いていた。


サテンは、屈めていた腰を戻して、トルンに向き直る。そして、

「川の向こうへ行きたい。戦はいつ終わる?」

と簡単なことのように聞いていた。トルンは、一瞬あきれたような顔をしたのだが、すぐに、

「あの兵を退けてからだ」

と短く答えた。肩越しに後ろを示す。兵は、川の中ほどを超えて、こちらに向かっていた。と、その時、

「そうか。兵がじゃまか」

とサテンが言った。そして、サテンは、ゆっくりと川の方へ視線を向けた。


ランレルも同じように川を見た。桟橋では、棒や鎌を持った男や女が集まって、船が着いたら払い落とそうと構えていた。川の中ほどを3艘の敵の船がまっすぐこちらに向かっていた。それぞれの船に、生成りの服に皮の胸当てに喉を護る鉄片を付けている兵士が4,5人乗っていた。なのに、小さな草刈り鎌で戦う気でいるようで、町の長が下がるように怒鳴り、砦跡に行くようにとその町の長の副官のような男が怒鳴っているのを無視して、許さぬとばかりに振り回していた。


その時、サテンが何かしたようだった。ランレルは、川の船が漕ぐのを止めたのが見えた。そして、その船がまっすぐ、まるで馬に曳かれる荷車のようにまっすぐ岸まで引っ張られるのが見えた。誰も引っ張っていないのに。


トルンは走って桟橋に向かう。残っていた警邏も同じように走り、腰の剣を抜刀したのが見えた。が、船の中の男たちは不思議な事に身動き一つしなくなって、船べりを掴んで身を乗り出していたのだが、顔は何かどなるような口の動きにしたまま、そのまま、桟橋にまで連れてこられて、船が止まっても身動き一つしなかった。そして、容赦のない町の民によって、桟橋に引きずりあげられていた。ランレルが見ていると、何の抵抗もせず、驚いた顔のまま、彼らは意思はあるのだろう、目をさらに見開いていたのだが、太い腕の男につかまって、引き倒されて、トルンが警邏と共に、すばやく背中で腕を結い上げた。


ランレルは静かに見ていた。サテンが何かしたはずだ、と思ったのだが何をしたのかは分からなかった。隣にいたトチ医師も、同じように見ていたのだが、驚いていたようで口をあけて、そのまま何が起こっているのか確認するかのように見続けていた。アヤノ皇子は、船からサテンに視線を向けて、そこで、言葉を待つようにじっと見ていた。


サテンは一言、

「海にはいかぬ。龍を探すぞ」

と言うと、アヤノ皇子はすばやく、

「御意のままに」

と答えた。ランレルが驚いて、

「龍を探すとは?」

とつぶやくように聞き返すと、

「雌龍がいる。雄龍が誕生したのだ、いて当然だ。つがいを探しているかもしれぬ」

とはっきりとした声で答えたのだった。さらに、

「龍のエネルギーがある。あの少年も、そして、王城にいた偽バイローンも、今にして思えば、幻視の力が濃すぎる。どこかに龍がいるはずだ」

と言った。そして、先ほどの喜びの笑顔とはかけ離れたような悲しみに満ちた声で、

「これほどの人数にエネルギーに注ぐとは。どれほどの悲劇があったか計り知れないものがある。雌龍の悲しみはどれほど濃い事か」

と静かに言った。

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