ランレル-011 船だ! 船団だ!

川からトルン達があわただしく戻ってきた。桟橋に船をつけさせると、迎えに来ていた王都の警邏の男たちに、耳にカバーをかけている男を引き渡した。町の長や、川の長が、ランレルが川の長と思ったのは、他の男たちが丁寧にあいさつする日に焼けた男だったのだが、同じように桟橋に立って彼らを出迎えていた。


川縁にいたサテンは、トルンたちの船を見ていたのだが、船が桟橋に付くと、踵を返して、広場の柱の脇へ、座り込んでいるランレルとトチ医師の方へ歩き始めた。


ランレルは、周囲の音を聞いていた。不思議なほど、どこの声もよく聞こえた。広場は葦のある岸に、せり出すように板を張って作られていたのだが、水音が心地よかった。船の受付が端にあって、川の上にあるせいか、水をくみ上げる場所があるらしく、誰かが階段を下って水を桶に入れている音が、ランレルの所まで聞こえていた。かすかな音で、板の下では水が柱に当たる音がしていて、聞き分ける事だってできない程かすかな音だったのだが。


彼女たちが、水をくみ上げながら、「龍なんて初めて見たねぇ」「おっかないねぇ」とのんきに話している声を聴いた。そんな声が聞こえる程近くもないし、受付の小屋が開け放たれているわけでもない。なのに、筒抜けで、横に座ってホッとしているトチ医師はベンチにもたれる様にしていたのだが、目が合うと細めるようにして笑うだけで、聞こえているようには見えなかった。


そして、トチ医師の笑った顔が良く見える、と言うのもおかしい、とランレルは視線を天井へ向けた。屋根があって月の影になっている広場だというのに。天井の木組みがよく見えて、色付けされたり、縁が図形ような飾り彫りがついているのが見えた。明かりは何にもないのに。不思議なほど、何もかもが良く見える。ランレルは、細く息を吸って喉のあたりを抑えた。龍がいたというのだが、その龍が見えなかった、と言う事よりも、何もかもが聞こえて見えるという事が、動揺させた。


「後遺症だ」

と言う声に、顔を上げると、サテンが目の前に立っていた。背の高いところから、何を考えているか分からない目で見下ろしている。後ろについて来たアヤノ皇子は、後方を護っているのか後ろを気にして、川の方を何度も見る。

「後遺症」

とランレルがつぶやくように聞き返すと、

「傷を閉じた時にエネルギーが混ざったのだろう」

と言われた。ランレルは、この症状が分かるのか、と見上げていると、

「いずれ直る」

とサテンが答えた。


遠く、細く通る笛のようなか細い音が聞こえてきた。これも自分にしか聞こえないほど小さい音なのだろうか、と思った。いいや、もしかしたら、サテンにも聞こえるのかもしれない、と思いながら、音の方を振り返る。と、その時、

「船だ! 船団だ!」

と怒鳴る声が聞こえた。騒然とし、広場を走って川縁へと男たちが集まって行く。


町の長が、「町を占拠するつもりか」と言う低く苦い声を出す。と、走っていた男たちが「川での戦いで勝てると思うな」とたけだけしく言うのが聞こえた。そこに、川の長が大声で、「船を出せ! 得物を持って、船に乗れ!」と怒鳴って、桟橋へと大股で歩いて行くと、川縁へ走っていた男たちが、家か受付の納屋に走って行って、手にヤモリや手斧をもって戻ってくる。


町の長が、何かに気づいたように、横の男に「鐘を鳴らせ」と怒鳴ると、言われた男は走って行って梯子に飛びあがるようにして登って行った。そして、耳を打つような鐘の音が再び鳴りはじめた。


その時、

「浸食は薄い。すぐに消える」

サテンが、そういって、手をポケットに入れたまま、屈みこむようにして、ランレルの目を覗き込んでいた。サテンの目は真っ黒で、何もかもが消えてしまいそうな静けさがあった。ランレルが、何かが怖くなって怯むが、サテンは視線を変えず、

「おまえは人だ」

とランレルの何かを確認しながら言った。ランレルを安心させようと言っているというより、サテン自信に言っているように聞こえた。


サテンが姿勢を戻すと、ランレルはホッとした。周囲の騒ぎよりも、サテンの言っていた、浸食だとか、後遺症だとかいう話よりも、なぜか、サテンの目の方が怖かった。それが、人だという証拠なのだが、ランレルは、板に座った腰を後ろへわずかに引いてサテンを見上げていた。そして、サテンが身体を起こして、背中を向けたところで、こわばっていた肩の力を抜いた。


船を出す男たちの声が聞こえた。水面は随分離れていて、鐘の音がひどく聞こえないはずが、男たちが怒鳴りながら、船に乗って行くのが聞こえた。

「あれは、傭兵か?! 兵士か!」

「はっ! 陸の人間なら、こっちのものだ。俺たちをなめているのか」

喜んでいるようにも聞こえる声だった。また、桟橋の脇で、男たちを見ていたトルンが、振り返って、

「王都へ援軍の要請を出せ。幻視かもしれん。しかし、本物だった場合は、間に合わない」

と、後ろでトルンと同じように川を見ていた警邏の一人に口早に言った。言われた警邏は、すぐさま、船着き場脇の馬つなぎに走って行って、馬に飛び乗り、嘶きと共に回頭すると、月の下を土を蹴立てて、街道へ駆け抜けていった。


ランレルは、視線を川に向けた。トルンの小声も、桟橋の男たちの打ち合わせのような怒鳴り声も、鐘の音がないかのようによく聞こえた。


桟橋の男たちが慌てたように集まり、次から次に船を出す。船底の浅い船に何人も乗り、手にはヤモリや、手斧を握りしめ、乗り出しながら正面の対岸を睨む。その先には、静かな葦の川岸があった。山すそに、農家がぽつりぽつりと影のように見えて、暗く寝静まっているようにも見えた。少年の小舟は岸に戻ってしまったのか、葦の間に隠れたのか、見えなくなっていた。


すさまじい鐘の音が聞こえる。見上げると、鐘のはしごを登った男は、乗り出すように対岸を睨みながら、必死に鐘の紐を引いていた。


「幻だ」

ランレルはつぶやいて、身体を起こした。山すそは静まり返っていた。ランレルは、ゆっくり立ち上がると、ふらつきが随分と収まっていて、膝に力が入った。膝に手を当てて腰を上げると、そのまますぐに歩き出す。サテンが目の前にいたのだが、その横を通って、トルンの方へ、町の長のいるところへと近づいていく。


ランレルは、「何もない」とつぶやいた。そして、船の人たちが、いもしない敵の船に飛び乗ったらどうなるのか、と思ったところで、ランレルは走っていた。川鰐がいる。さっき、川面に見えた背びれの光を思い出す。と、駆けて行って、トルンに向かって、町の長の傍にいって、大声で声を上げた。

「幻です! 何もない。川岸には何もいません!」

トルンが振り返ってランレルを見た。ランレルは、岸を見て、川面に月が美しく銀に光っているのを見た。そして、まっすぐに指をさし、

「船は無い。誰もいない!」

と大声で怒鳴った。


トルンが、ランレルを見てから、勢いよく川を振り返って、驚愕の表情をした。「船が無い」とつぶやいく。町の長も表情を変え、トルンが、

「鐘を止めさせろ! この小僧の声が聞こえるようにしろ、音を止めるんだ!」

と叫ぶと、町の長は、すさまじい鐘の音の中で、横にいる男に同じように怒鳴った。男は走り、はしごに登って、鐘の男のズボンをひっぱり、鐘の音を止めさせた。すると、遠くから、

「龍神の加護を信じよ! 港は我らのもの。龍神のモノである! 龍神へ捧げる我らが供物。その港を、喜びと共に龍神に捧げよう!」

隅々まで行き渡るような声が響いた。


ランレルが見ていると葦の陰から小舟が出てくるのが見えた。少年が小舟の縁を掴んで、身を乗り出すようにして、

「龍神は、信じるモノに優しく微笑む。しかし! 龍神の信者に対して戦う者の命を狙う」

と叫ぶと、身をよじるような悲鳴を聞いた。船で漕ぎだした男たちが身体をよじって船底に身体を縮めた。ランレルは、大声で、

「龍はいない! 敵はいない! 少年の乗る小舟が川に一艘浮いているだけだ!」

と声を限りに張り上げた。はっと息を飲むような声が、桟橋に広がった。「おお、ない。船が無い」と言う声がして、

「船団は無い!」

とさらに言うランレルの声が川を渡っていく。と、そこに、少年のさらに濃い声がひびき、

「龍いる。龍はそこに、存在する!」

と言うと、船の方から悲鳴が上がった。「龍だ!」と言い声が、ランレルの立つ後ろから、町の方からも聞こえてくる。


ランレルがさらに声を張ろうとすると、サテンが後ろから来て、ランレルの肩に手を置いた。そして、

「向こうの小僧は賢い。事実が混じれば、力が強まる」

ランレルがぱっと振り返ってサテンを見る。小舟が浮いているだけ、と言うのは事実のはずだ、龍はいない、自分は嘘を言っていない。と思った直後、そのはずだ、と付け足した。サテンが、まるで、子供に何か言って聞かせるような顔をして、ランレルに、

「龍がいる、と言う事実を覆せるほど、強い現実はなかなかない」

と言うと、

「龍はいる」

とサテンが声を張った。


その瞬間、全ての音が消えた、と思った。ランレルは、光の中に埋没して、白くうねるような光の中で、おぼれてしまう、と感じた。両手で腕を掴んで、光の中の自分を感じた。息ができない、と思ったその時、

「龍の幻などない」

と言うサテンの声が聞こえた。ランレルは喉を抑えて呼吸を、と思いながら光をただ見つめていた。その中で、周囲の声が聞こえてきた。普通の驚きの声から、ざわつきの声に変わって行き、

「龍の幻か」

「やはり幻だったか。あの少年が幻を作るのか」

と言う、ほっとしたような声や、いらだったようなトルンの声が聞こえた。そして、サテンの、

「さて。船を一艘借りられまいか。我らは海に行きたい」

と言うサテンの誰かに問うような声を聴いた。


光の中に立ったまま、光の渦はランレルのすぐそばからうねるように上がり、全てを巻き上げるようにして流れて行く。息を飲んだまま渦を見ると、さらに濃い光の型が見えた。人のようにも龍の顔のようにも見えるのだが、光が濃すぎて分からない。ただ、ランレルは、これがサテンだ、と感じていた。アルラーレ様が、伯父上と呼んで、龍をハーレーン商会の紋にするほど入れ込んでいた、その方が、この光の本体だ、と気がついた。「龍はいる」と言う言葉の意味をかみしめていた。


「大丈夫か? 少し座りなさい」

トチ医師が腕を支えて、ランレルを座らせようとしてくれていた。ランレル以外は、この光が見えないのか、と気が付いた。その時、サテンが手を伸ばして、ランレルの額を軽く指ではじいた。途端にランレルの視界からまぶしいほどの光が消えて、周囲が見えるようになっていた。


川に出ていた船は、そのまま、少年の乗る小舟に向かって進んでいた。小舟はすぐに葦の陰に入って行ったのだが、男たちは囲むようにして船を駆って、そのまま、対岸へと乗り込んでいくようだった。耳当てをしているのか、腕を振って合図をしあっているだけで、ランレルの方へ声は聞こえてこなかった。


ランレルを心配そうにのぞき込んでいるトチ医師に気が付いた。ずっとそばで、ランレルの様子を見ていてくれたのだ、と気が付いて、慌てて、

「医師さま、申し訳ありません。もう大丈夫です」

と言った。トチ医師は何かを怪しむような顔をしたのだが、ランレルが本当にふらつかずに立っていると見えたのか、腕を離した。


対岸に向かって進む船に、ランレルを目を向けた。小舟が葦の間に入ろうとしていた。サテンが、

「一艘で十分だ。川辺の町に立ち寄りながら下って行けば、小さい船でも行けるだろう」

と町の長に言っていた。そのわきでトルンが岸を見ていたのだが、何か口の中で酷い罵りをつぶやいた、と思ったところで、踏み出して、

「戻せ! 本物の船団が岸にいる!」

と怒鳴り声を上げた。葦の間から平底の船が幾艘も出てくる。ランレルは、そういえば、静かだった、と口の端をかんだ。川縁が、こちらがこんなににぎやかなのに、山すその農家は灯を落として、誰一人川の騒ぎを気にしているようには見えなかった。静かすぎたのだ。


トルンは舌打ちをして、船を止めようと桟橋に出ようとした。しかし、町の長が片手で止める。耳に栓をした男たちは、直前まで音も気配も分からなかったようなのだが、船団が葦の下から出てきたせいで気づいたようだ。唸るような雄たけびを上げて、船の先を出てきた船に向かって突進させているのが見えた。


そのさなか、サテンは、

「しばらくここの港も閉じるだろう。その前に船を出してもらえれば」

と戦いとは無縁の声で言っていた。

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