ランレル-008 龍だ、龍がいた。龍だった

 馬の上で揺られながら、ランレルは正面を見る。平原を埋めつくす草原の向こうに、黒い山並みが見えた。街道は、このまま進むと山に沿って流れる川にでる。大きい川で、交通のかなめになっていて川は海に出るはずだ、と海までの地図を思いいだしながら眺めていると、遠くから鐘を叩くような、金物を何度もたたいているような、音が聞こえてきた。小さくかすかな音だったのだが、その音と共に、道の向こうから土煙を上げて何かがやってくる。走っているのが分かる速さで、背をかがめて必死になって馬を駆る男が見えてきた。


サテンが脇によって立ち止まると、同じようにアヤノ皇子もトチ医師ももちろんランレルの乗る馬も止まって、騎馬を待った。


このゆったりと動く時間の中で、走っていると分かるほどのスピードで馬を駆る男は、生成りの簡素なシャツに厚手のベルトをして、背に剣を鞘ごと括りつけるようにして、口から唾を飛ばす。荒い呼吸で、首を左右に振って、馬を極限まで走らせていた。脇を通りすぎる時に、

「龍だ、龍がいた。龍だった」

と言う声が聞こえてきて、ランレルが男の来た方角を見る。黒い稜線が見えるだけの、美しい星空が見えるだけで、何もなかった。


男は、脇にいたランレル達にほとんど目もくれずに、後方に去ったロンラレソルの町に吸い込まれるようにして飛び込んでいった。


ランレル達が再び歩き出し、しばらくすると、本当に小さく遠くなったロンラレソルの町から、騎馬が数騎飛び出してきた。ゆっくりとした動きに見えたのだが、さっきの男と同じように激しい動きで馬を駆ってこちらに向かいだした。


「二人目か」

そうつぶやいたのはサテンで、遠くの山を見ながら、

「これは多い。なんの異常か」

と先を続けた。


小さく聞こえた鐘のような音は、進むにつれ、どんどん大きくはっきりとした音になって行き、ランレル達が、道の先に、川沿いの木々が遠目に見え始めると、ゆっくりとした音だったのだが、うるさいほどになっていた。


ロンラレソルの町を出た騎馬は、3騎いて、ずっとランレル達の後ろを、後を追うように走り続けていた。馬を駆って、雨にぬかるんだ土を蹴立てて走る姿は、猛然と進んでいるように見えたのだが、実際は、サテンが時間の流れの調整をしているのか、ゆっくり歩くランレル達の後を、同じ速さで走っていた。もし、ランレルが、走り続ける彼らの表情が見れたら、目をぎょろっとさせてランレル達を鬼のような形相で睨んでいるのが見えたのだが、幸いにして、星明かりではそこまで鮮明に顔や様子は見えなかった。


川が見えてくると、川沿いの高い木々が見え、その下には船着き場や宿屋が見え始めた。小さな宿場町になっていて、街道の終わりに石を積み重ねた塀があって、その向こうに羊小屋や小さな菜園のような畑もちらほら見えた。道はまっすぐ川に向かっていて、どんつきに船着き場がある。桟橋がいくつかあって、手前には屋根のある板敷きの広場があって、昼には出航の人で賑わうのだろう、柱近くには飲み物でも売っているのか木造のブースのようなものが見えた。王都と海岸を結び、北方の山々へもここから北上できる、ワイルラー王国の大動脈でもあった。


夜も更けた時間で、朝の早い町は普通なら寝静まっているか、聞こえても宿屋や船着き場の脇にある飲み屋の声がにぎやかに聞こえるくらいなのだが、今は、通りに人が溢れていて、石垣の脇の家から出てきた夫婦が子供を中に戻そうとしながらも、川岸へと目を向けたり、石垣の上に立って岸を眺める人がいたり、また、何事かと出てきた人々は、家の前や通りに立って、こわごわと言う顔で桟橋に目を向けて、屋根の上で鐘を叩きつけるようにして鳴らしている男の姿を見つめていた。


「追いつくぞ」

とサテンが言った時だった。ランレル達は宿場町に入り、人々の間を縫うようにして、桟橋まで来ていた。船は、とみると岸から離して係留されていて、すぐに乗れる船はない。船着き場の広場の手前で、全員がそこで立ち止まると、ランレルは、通りの人々と同じように、鐘を叩く男の姿を見上げていた。


広場の上に屋根があって、その上に突き出た鐘楼と言うか、はしごの上に板の三角屋根があって、鐘がぶら下がっている。はしごを登って手をかけている男が、片手で鐘楼の下の紐を必死に引っ張り続けて、鐘についた槌でたたいて鳴らしていた。梯子にぶら下がるようにして鳴らしているのだが、その男は鐘ではなくて、川面を見ている。と、ランレルが気づいた時だった。


唐突に、頭が割れるような鐘の音が鳴り響きだした。身体にがんがん来るような音で、ランレルが驚いて周囲を見ると、トチ医師も同じように驚いたのだろう、目を大きく見開いて左右を見た。アヤノ皇子はぎゅっと握った手綱に力を入れただけだったのだが、サテンは、何でもないような顔で振り返り、

「さて」

と言って、目の前に馬のいななきのまま、まるで突っ込むようにやって来て飛び降りた男に目を向けたのだった。時が動きはじめていた。


ランレルは身体が何倍も重くなったような気がした。どこか悪いのだろうか、と思ったところで、ケガをして直ったばかりだったと気が付いた。重たさに鞍の縁に肘を置く。


目の前で、サテンが面白そうに、息切れして馬を飛び降りて睨む男を見ていた。


男は、警邏の男で、ロンラレソルの町で、ハーレーン商会に捕縛に来ていた男だった。他の騎馬の男たちは、町の鐘を鳴らす男の方へ駆けて行く。船着き場に集まっていた、町の長やその関係者が、恰幅の良い男となめし皮のような肌色をした川の男たちが、屋根の下、桟橋沿いに立って川を見ていたのだが、警邏の男たちが桟橋を駆けていくと、近寄って行くとブーツの振動で気が付いたのか振り替えり、両手を振って何かを大声で話しかけていた。


鐘の音が大きすぎて、音が聞こえない中で、両手を振って話し始めているのが見えた。ランレルの目の前では、サテンの前で止まった男が、

「龍を出したのはおまえか?」

と大声で聞いていた。時間の流れがおかしくなっていて、どんなに駆けようとも追いつかなかった。捕縛してくくった紐はまるで結んではいなかったかのように、きれいにほどかれていた。切り落としたのではなく、丁寧にほどかれていた。

「龍神を出したのか!」

とさらに聞かれて、サテンは、

「いいや」

とだけ答えた。この鐘の響く中、やけによく声が聞こえる、とランレルは思ったのだが、警邏の男は睨むだけで、捉えようと動くわけでも、倒そうとするわけでもない。ただ、何かを飲みこむように唾をのむと、

「名前と、どこの誰かを伺いたい」

と丁寧な言葉に言い換えて、聞いたのだった。この時、男の馬を、船着き場の男たちだろう、手綱を貰って繋ぎ場へと連れて行くのが見えた。激昂を抑えたように見えた男は、頷き、礼を言う。ハーレーン商会で見たときほど、傍若無人な感じはしなかった。ランレルが見ていると、男はつづけた。

「馬上の小僧でもなく、従者や医師でもなく、あなたの力だろう。馬で追いつかない速さで歩く力や、紐を切らずに捕縛を外す力等。不思議な力があるにも関わらず、不愉快な捕縛をされて、その上で、何の報復をするでもなく、単に街を出て、歩いてここまで来た」

そういった後、

「山岳の民には、不思議な力を持つものがいるという。あの、王都で騒いでいる龍神まがいのモノ達と同じような力を持つ、と言われる民が。あなたの出自を知りたい」

「ペルシール地方の、サテン・チェシェ」

とサテンがさらりと答えると、

「山岳の民の手前に住む、と言うわけか」

とだけつぶやいて、さらに、

「龍神信仰のやからの正体をご存じないか」

とまじめに聞いた。サテンは、驚くほど真摯に、

「知らぬ」

と答えた。無礼なほど短い一言だったが、誠意のある一言に聞こえた。警邏の男は苦笑いを浮かべた。無礼さに笑ったのか、信じられない内容だと思った事に笑ったのか分からなかった。


 ランレルは彼らを眺めていたのだが、馬の鞍に全体重の乗せてほとんど横になるような勢いでもたれかかっていた。身体がだるく、顔から血が下がって行っているのがわかり、にわかに寒気も感じていた。


警邏の男は、鳴り響く鐘に顔をしかめ、走って行った仲間の警邏に目を向けた。川岸にいる町の長や船の男たちが、川面を見て指さしている。とそこにいた、警邏の男が一人走ってきて、聞こえるくらいの傍までくると、大声を上げた。

「トルン隊長! 川の中ほどに小舟があります。あそこに信者がいるそうです!」

トルン隊長と言われた警邏の男は、サテンの前から翻るように、川岸へ走って向かった。

「潔い男だな」

とサテンが、疑いが晴れたとは思えないが、捕まる事もなさそうだ、と思ったのか、穏やかに警邏の男を評価した。

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