ランレル-007 これに乗れ

ロンラレソルの大通りは、馬の手綱を掴んで馬番をしている店の人達や、扉を開けさせて中に入ろうとしている警邏や、どこか後ろ暗い事があるのだろう、脇の木戸からすり抜けて暗がりを走って行こうとする人たちで、騒然としていた。二階の回廊では楽曲は止まり、回廊に上がった警邏が一人ずつ身元を確認しているのだろう、優雅に腰かけている美しい着物の間に、暗い色の警邏の上着の人々が行きかう姿が見えた。


ランレルが大通りに出ると、人々は、逃げる人も、扉から走って出る人もゆっくりとした動きで、聞こえる声も低くゆったりとした言葉になっていて、がかろうじて意味が分かるようになっていた。まるで、人の靄の中に踏み出したように感じ、サテンを見ると、まっすぐ馬へ向かって物色していた。サテンは馬の目を見ていたのだが、一頭の手綱を、握りしめて入りう人からかすめ取ると、見守っていたランレル達の方へ戻る。手綱を盗まれた男は、しばらくしてから驚いて、サテンの方へ眼を向ける。あまりに彼らがゆっくりなので、慌てている表情をしているのだが、慌てているようにまるで見えない。


ランレルが、時の流れがゆっくりだ、と思って警邏や町の人たちを眺めていると、

「これに乗れ」

サテンがランレルに言った。


ランレルが驚いて、それは、皇子へと言いかけて、皇子と言わないようにと戒めながら、とにかく遠慮して後ろへ下がると、そこにアヤノ皇子がいて、背を押すように、

「陛下のご命令である」

と言った。


ランレルが振り返ると、トチ医師がアヤノ皇子の脇にいて、両手でカバンを抱えていたのだが、

「血を多く失っていて、さっき縫って傷をふさいだばかりだ。シーツの血を見ただろう」

と穏やかな分かりやすい説明をしてくれた。ランレルは、上着を着ていなかったのだが、袖のない下着のままの姿で町中に立っていて、普通なら戸惑うどころか、何かひっかけるモノをとすぐにも探し出すはずなのだが、そんな良識もどこへか行ってしまっていた。ただ、普通に穏やかなトチ医師の声を聴いて、

「傷はいたくありません。時が止まっている間は、痛みもないし、傷の悪化もしないんですよ」

と説明をした。


サテンが、馬の轡を持っていたのだが、

「おまえの傷が治るまで、時を止めることはできないぞ。感覚は時間を止めても生きる。見聞きしているくらいだからな。感覚が、今のままが正常だと思うようになったら、傷はそのまま治らなくなる。治す必要を感じなくなるからな。そうなると、時間を永遠に止めておかなければ、生きられない身体になるぞ」

それは生きていないのと同じだった。ランレルは鈍く動く周囲の人々を見ながら、馬に近づいて、

「すいません。それでは、乗せていただきます」

と言って、鐙に足をかけて上に乗った。時間がゆるく動くだけで止まらないのは自分のせいだ、と気が付いた。ゆっくりでも、彼らは追ってやってくる。どこにいるのかが見えるのだから、逃げているうちに、立ち止まっているうちに、彼らが追い付いてしまうかもしれない。そう思うと、申し訳ない、と言う思いよりも、早く移動しなければ、と言う思いの方が大きくなって、飛び乗ったのだった。


すると、サテンが馬の轡をもって歩き出した。それを見た、アヤノ皇子が恭しく踏み出して、

「陛下、わたくし目にその役目をお渡しください」

と言いながら、轡の紐を手に取った。馬が一瞬首を振って嫌がるのだが、サテンが目を向けると、瞬時に首の動きを止めて、アヤノ皇子の手を大人しく受け入れるのだった。


「これは、時が止まっているのか」

と今更ながら、驚く声が聞こえた。トチ医師だった。サテンが、

「ゆっくりとしているだけだ。向こうからは、猛烈な速さで逃げいているように見えるさ」

と笑いながら言うと、

「ああ、だから、こちらを見て腕を大きく振って向かいだす人がいるのか」

とトチ医師は感心したように答えた。


 ランレルを馬に乗せながら、サテン達はゆっくりとロンラレソルの通りを横切った。王都とは反対側の板門の出口をくぐって、夜の街道へと出る。草原の風が頬にあたる。時間がゆっくりとだが動いているからだ。ランレルが振り返ると、ハーレーン商会の扉から、今飛び出したらしい警邏の男が、腕を上げて何か指示を出しているのが見えた。しかし、その動きもゆっくりで、馬に揺られながらじっくりと見ているから分かる、と言うだけだった。


 途中、トチ医師のカバンを、馬の後ろにサテンが結びつけると、一行はただ黙々と街道を進みはじめた。

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