ランレル-006 けが人がいるという話だったが

バイゼンがシーツと上掛けを抱えて戻ると、台座に腰を下ろしたまま、腕の包帯を外しているランレルを見つけ、

「おお、これは良かった。ランレル君、アルラーレ様が喜ばれますよ。ケガが治ってよかったですね」

と何事もなかったかのように穏やかに嬉しそうに言ったのだった。その後ろから、小さな枕を手に、バイゼンを手伝う姿でアヤノ皇子がついてくる。その姿が、ランレルには信じられずに、バイゼンに、

「いえ、助けていただいたおかげです」

と声を返しながらも、アヤノ皇子から目が離せなくなっていた。と言うのは、枕をバイゼンの抱えたシーツの上に乗せると、ランレルの台のシーツに手をかけて、さっと引き抜こうとまでし始める。何が起こったのだろう、と驚いていたのだが、唐突に、『アヤさまは、第五皇子だ』、と言う事を思い言い出したのだった。

 そこで慌てて台座をおりて、

「申し訳ありません。私が自分でいたします」

と言おうとすると、サテンの、

「血が足りないはずだ。寝ていなさい」

と言う声と、医師の、

「そんな固いところで寝ていたら、疲れも取れまい。ソファーにしなさい」

と言う声を聞き、医師はソファーにあったモノをどけようとしはじめる。ランレルは、アヤノ皇子に何かさせてはいけない、とアヤノ皇子の手から汚れたシーツを取り返そうと台から降りながらも、アヤノ皇子の手元に向かって手を伸ばす。しかし、アヤノ皇子はシーツは別のところにひくのか、と気が付いたのかさっさと手を放して、ソファーに向かう。ソファーに積み上げた商品をどかすのを、手伝おうとしはじめる。


その時、勢いよく、ハーレーン商会の扉が、音高く開いた。ブーツの音を立て、男が一人入ってくると、

「けが人がいるという話だったが」

と、店の中の雑然とした様子を見ながら言った


扉の向こうに数頭の馬の嘶きが聞えていた。窓の外は月明かりが大通りを照らしているだけで、人気が無かったのだが。外門に人が現れたのか、にわかに騒ぎが大きくなる。馬の蹄の音が慌ただしく大通りに散って行く。


男は、背が高く、面長な顔に実直そうな目をしていた。部屋の中を見ながら、大きな口をぐっと閉じる。王都の警邏の服装だったが、腰に下げた剣は柄の飾り紐が美しいが実用的で、弧を描く赤塗りの鞘を差していた。甲冑の革は上等な鞣しで、甲冑を繋ぐ紐は細く鋼が入っているが色の美しい組飾りになっている。装飾を意識した上品なこしらえだった。


男は、扉を片手で開けて押さえ、上から見下ろす目は厳しく、ソファーへ向かおうとしていたランレルは、男の視線に動きを止めた。アヤノ皇子は日傘のレースの部分を掴んでどけようとして棚に向かったが、トチ医師は両手で革細工のカバンを抱えて立ち上がろうとして固まっていた。バイゼンはシーツを脇に置いて手伝おうとしていて、こちらも何事かと動きを止める。


サテンは、ランレル達を、壁近くに立って眺めていたのだが、男が探るように見ているのを見て、口の端を上げて、

「王都の衛兵か」

と言った。男はすぐに、

「兵では無い。私は王都の警邏である。主家を持つ警邏だ。ここで、聞きたいことがある」

と声を張って、威嚇するように言った。侮辱は許さない、と言うように。衛兵や通常の警邏と違って、主の命で警邏に出向している者はプライドが高い。兵と言われて反射的に答えたのだろう。そして、警邏だと言い、王都の命令で動いていると明かしている。


男の声が途切れると、扉の向こうでは、同じように、馬が大通りを進み、警邏がロンラレソルの通りに入ってきたのだろう。明かりのついている宿屋や店をはじめ、暗く寝静まっている家も含めて、全ての家を、扉を開けさせ中を改めているようだった。「龍神信仰の者はこちらへ! 保護をする!」 と言う大声を上げる警邏の声に、ぶつくさいう町の人間たちの声が返っていた。


「信者狩りだ」

とランレルの驚いたような声を出した。これに、警邏だと言った男は、

「誤りだ。龍神信仰の者は、王都侵略の嫌疑がかかっている。不安に感じる民によって殴打されるなどの危険がある。ゆえに、王都の四門の長の命令で、保護をしに参った」

と言うと、保護と言う割には厳しい目で、ランレル達を見渡している。ランレルは本当に保護だろうか、と不安になりながら、今度はほとんど声に出さずに、

「保護した後、出て来れるのか」

とつぶやいた。


アヤノ皇子は、と言うと日傘を棚に置くと、今度は、固まっているトチ医師の腕からカバンを取り上げ、警邏に構わず荷をどけ続ける。それを見ながら、警邏の男は、

「ゲーン楼の近くにいた者から進言があった。ここに、龍神信仰の信者がいると。我らは保護するモノだ。誰が信者か知らせてほしい」

と穏やかな声だが、抜け目のない目で言った。


ゲーン楼、と言う言葉に、トチ医師が顔色を変えた。龍王陛下、と連呼していたのを、トチ医師も確かに聞いていた。そして、トチ医師も、「保護」と言う言葉を、まったく信じていないようで、男の問いには答えなかった。


ヤノ皇子はカバンをどけて、ソファーに空きができると、立ったまま動かないバイゼンのところに行って、枕の下からシーツを引き抜いた。ソファーの脇にしゃがむトチ医師の目を気にもせず、シーツを広げてソファーに掛ける。まったく動じず、着々と作業を続けるアヤノ皇子に、ランレルは、羨ましいほどの度胸を感じた。


シーツを広げ終わったアヤノ皇子は、立ってソファーを見渡すと、これで人一人横になれると思ったのだろう。頷ういてから、振り返り、ランレルへ、

「さあ、陛下も安静にするようにと、おっしゃっておられる。身体を横にするがいい」

と言った。ランレルは、そうだった、と思い出す。全然状況を気にしないのが、この方だった、と。その時、警邏の男が反応した。

「龍王陛下と呼んでいた、と聞いている。黒髪に青い目。細面の若者で、陛下と連呼していたとの事。みなの者、捉えよ!」

と最後は声を張って叫んだ。いつの間にか裏庭へ人が入っていたのか、裏回廊に続く扉から、警邏の兵が二人、また、男の脇からも一人、中へ飛び込んできた。そして、ランレルをはじめ、アヤノ皇子、トチ医師、バイゼンへ、剣の刃を向けながら、一人一人紐で腕をくくり始めたのだった。


「保護じゃないのですか!」

と声を上げたランレルに、警邏の男は申し訳なさそうな顔をして、

「信者は保護だが、龍神信仰を宣伝する者は、捕縛だ。王都侵略の容疑でな」

と言った。ランレルは慌てて、

「待ってください。私たちは信者じゃない! そして、信仰を宣伝する者でもありません!」

「『龍王に従う栄誉によくする者はいないか』と店で話していたという」

と言われ、ランレルが驚いていると、アヤノ皇子が抑えられながらも、

「間違うな、龍王陛下と龍神は、まったく違う!」

と力強く言った。そして、警邏の男に、

「無礼をしてはならぬ。そして、龍王陛下を、信仰者の傀儡と同列にするなどもってのほか」

と言って、

「正しく世を見極めるのも、警邏の務めであろうが」

と厳しく諭すように言うのだった。


警邏の男は、口の端を強くかんだ。相手にするまい、と思ったのだろう。片手を上げて、兵に捕縛しろと言う合図を送っただけだった。ランレルは抑えられるようにしてしゃがみこまされたまま腕を後ろでくくられた。ソファーの脇では、アヤノ皇子が同じよに抑えられ、

「無礼であろう」

と声を上げながら腕を後ろでくくられていた。トチ医師が、

「私はロンラレソルの医師だぞ。信者じゃない! 私については、王都長が保証してくれるはずだ!」

と腕を掴まれながら怒鳴ると、警邏の男はちょっと驚いた顔をしてから、

「王都長は洗脳されておられた。今は、療養中だ」

と言って、驚くトチ医師に、

「詳しく後で聞かせてもらおう」

とだけ言うのだった。バイゼンは、裏から来た男たちに腕を背に回されてつかまって、そのまま紐を掛けられた。


サテンはと言うと、壁に立ったまま眺めていた。兵も誰も近寄らず、警邏の男もにらむばかりで動かなかった。実際は、警邏の兵たちは近寄ろうとしたのだが、一歩進むと、それだけで押しつぶされるような恐怖を感じて、身動き一つ取れなくなっていた。入口にいた警邏の男はそれを見て、自分も踏み込むのだが、背筋に震えが入って動けない。そして、

「これが龍神を名乗るものの力か」

とつぶやくと共に、

「耳をふさげ!」

と低い声で命令した。兵たちは慌てたように耳の中に栓のような布を入れる。そして、警邏の男が、腕を動かし、捉えよ、と言うようにサテンを示すと、兵たちは、まるで重い厚みのある壁を押しのけて進むような歩き方で、サテンに近づき、手を伸ばす。


そこまでじっと眺めていたサテンが、

「捕縛されるも一興だが、海へ出ると約束した。付き合えぬ」

とつぶやくと、するりと腕の間をすりぬ、警邏の男に目を合わせ、

「ペルシール地方の山すそに信者が大勢いるそうだ。こんなところで、関係のない人間を捕まえていないで、山へ行け」

と言うと、警邏の男が顔色を変えた。内容ではなく、耳栓をしても聞こえたせいで同様していたようだった。兵たちも慌てて耳を抑えている。サテンは軽く笑って、

「洗脳ではない。行くかどうかは自分で判断するがいい」

と言うと、

「行くぞ」

とアヤノ皇子に言って、彼らの前を歩きはじめた。膝を折って床に片足をついていたアヤノ皇子の脇を通ると、なぜかすぐに紐が解けて立ち上がり、ランレルの前でも、トチ医師の前でも、サテンが通ると、同じように紐が解けた。時を止めて紐を解いてから時を動かしているだが、見ている警邏の男たちにとっては、奇妙な動きにしか見えない。


サテンは、バイゼンの前でも同じようにしようとしたのだが、バイゼンは首を横に振って、

「私には店の責任がございます。龍の方、このまま捕縛されても、私の身元はすぐに保証されましょう。龍のしるしを掲げる、ハーレーン商会が、龍神信仰と混同されるのはもってのほか。龍の方信仰と言われるならまだしも、アルラーレ様が許しません。必ず、疑いはすぐにも晴れる事でしょう。我らハーレーン商会の者は逃げませんし、逃げられません。店がございますから」

そういって、静かに笑ったのだった。これに、ランレルが慌てて、バイゼンの横に行って座ろうとするのだが、

「ランレル君は、アルラーレ様が龍の方に付けた案内人でしょう。あなたはこのままお行きなさい」

「いえ、ケガをしたから連れてきていただいただけです」

とランレルが言い返すと、バイゼンは、これまでの人の良い笑いが嘘のように、何か裏があるような笑い方になって、アヤノ皇子をちらりと見、声を低めて、

「あの若者を一人でほっておけますか。何かわけがあるご出身の方でしょう。龍の方お一人におまかせするのは、ハーレーン商会のやり方ではありません」

と言う。いわれたランレルは思わず動きを止めた。腰を下ろしかけた姿のまま、アヤノ皇子を見て、サテンの傍で当たり前のように従者のように、扉を開けに、外を確認しに、歩き出している姿を見て、

「あの方には助けていただきました」

とだけ言った。バイゼンは頷いて、

「お二人が安全なところに行き着いたら戻って来なさい。アルラーレ様には、ケガが治ったと伝えておきますから。ご安心なさるでしょう」

と言うと、ランレルは立ち上がって、バイゼンへ、胸に手を当て、チェーンの先のコインを服の上からしっかりと掴むしぐさをした。そして、

「ハーレーン商会の名に懸けて、あの方たちを、送ってきます」

と答えたのだった。バイゼンは頷いて、

「頼もしい仲間がいて嬉しいです」

と言うと、ランレルはちょっと照れたような顔になって、会釈をして、サテン達の後を追うのだった。


 トチ医師は、紐を解かれて立ち上がったのだが、残るとも、出るともいわずに、バイゼンとランレルのやりとりを見ていた。警邏と兵たちは、なぜかゆったりとした動きで、こちらを眺めていて、早急には動かない。時間の流れが彼らとサテン達と違っていただけなのだが、トチ医師は気が付かなかった。ただ、残っていてもつかまる。誰か身を保証してくれそうな者もいない。かといって、どこかに行く当てもなく。トチ医師は、深くため息をつくと、

「田舎に帰っても、追われることになりそうだ」

と言って、

「せめて、王都長の保証があったら」

とつぶやいた後、出口に向かうランレル達の後を追った。行き先は、国の外。このハーレーン商会の龍王と言われる男が安全な場所なら、自分身も安全なのでは、と言うくらいにしか思わなかったのだが、ひとまず行き先を決めたようだった。

 トチ医師は、先ほどバイゼンに水で洗ってまとめてもらった術具のカバンを両手で掴むと、その足で、彼らと一緒に店を後にするのだった。

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