ランレル-003 人間離れしているらしい、龍神は

トチ医師は、ソファーに腰かけて、ぼんやりと不思議なハーレーン商会の人間たちを眺めた。


医師を呼びに来た若者は、異様にかしこまって、出口近くでじっと長身の男を見つめ続けている。それこそ、従者か何かが、主の声を待っているかのようだった。バイゼンは、日ごろ大店の店舗を任されているだけあって、穏やかで道理のわきまえた男だったのだが、今は、長身の男のいう事をそのまま鵜呑みにして、にこやかにしている。つまり、

「よく用意してくれた。この若者は助かるぞ」

と言う、長身の男の言葉を聞いて、熱く感謝とお礼を言っている。医師の自分よりも随分信頼しているものだ、と思いながらも、出口に立つ若者が、

「龍王陛下」

と言っていたのを思い出す。


「龍王か」

と低くつぶやくと、長身の男が振り返り、とても人間臭い表情でひょいっと片方の眉を軽く上げた。トチ医師は、さらに、

「人間離れしているらしい、龍神は」

とその顔に向かって言って、唐突に、彼らの現れ方を思い出した。何もなかったところに、ふいに現れ、目の前の術台には若者が横たわっていた。明かりが唐突につき、手元が見え、その上、なぜか、あの細かい血管なんてものを縫うと言う所業ができた。またやれ、と言われても、できるとは思えない。あの時、確かに人間離れした何かがあった。だから助かるのか、と思ったところで、

「なぜ、山の麓に降りてきた民は、助けないんだ?」

と聞いた。男が瞬き一つしないで見返してきたので、なんとなく口早に、

「ペルシール地方の山間部から、山岳民が降りてきている。ケガをしている者もいるが、みな、あんたを、あなたを信じているそうだ。龍神様のご加護があるから大丈夫、と言いながら、ケガ人を引き連れてくる」

と言い足した。すると男は、

「龍神信仰は、ペルシール地方の土着の信仰だ。とはいえ、そこまで深い信仰ではない」

「深くない? そんな馬鹿な。あんな狂信めいた信仰は見たことがない。命と信仰どっちが大切だと聞いたら、間違いなく、龍神様が大切です、と答えるぞ」

男はトチ医師を見ながら、

「そんなバカげた事を言う者は、数百年前に滅んでいるよ」

と軽くいった。しかし、目は深い悲しみのような色があって、思わずトチ医師は言葉を止めた。


静かな部屋になった。外の喧騒が徐々に遠のき、夜の準備を始めたように、宿に戻った客人たちが寝始める。


トチ医師は、町の音を聞きながら、山裾であった治療とも言えない、あの日々を思い出していた。


王都長は、山の麓へ行ってくれ、と言っただけだった。報酬は破格で、王都に診療所を持ちたい自分は、二つ返事で受けていた。なぜ、ロンラレソルみたいな小さな町の医療所の医師に声をかけたのか、なぜ、そんな破格の報酬だったのか、もっと考えてみればよかったのだが。このロンラレソルの町が、その日限りで生きている人々であふれているように、自分も同じように、その日のチャンスを探して生きていたようだった。


まるで、遠いむかしのようだ、と息をつく。目の前の台に横たわっている若者は、静かに胸が上下していて、生きているのだと分かる。ホッとさせてくれる動きを見つめてさらに思う。あの不思議な明かりはいつの間にか消えていた。今は、部屋のあちこちに灯したランプの光で、にわかに明るい。バイゼンが、長身の男と、戸口にいた若者に、奥の寝室をと勧めているが、二人とも、と言うよりか、長身の男がここにいると答えると、若者も同じようにここにいる、と動かなくなっていた。


椅子を用意し、お茶か、軽食かを用意しに、バイゼンが奥に入るのを見る。静かな、穏やかな時間に見えた。


山の麓では、屋根があるだけの広場で、親に引きずられ歩かされてきた足の取れそうな子供がいた。龍神様のご加護があるので、この子は助かるはずですから、と笑っていうのにぞっとしながら、朽ちかけていた足を切り離すのだった。すでにこと切れている若者を連れてきて、生かして下さいと言われ、目を閉じてやる事くらいしかできなかったり。


泣き続ける少女の脇で、こと切れている母親の飛び出した内臓を戻して腹を閉じるだけだったり。


まるで山が崩れたか、地震で町が崩壊したか、大災害でもあったかのようなけが人ばかりがやってきていた。しかも、みな口々に龍神様のご加護があるから大丈夫、と言って笑っていたのだ。次から次へと怪我人が来て、自分はその半分も救えなかった。


トチ医師が、ぼんやりとみていると、男は、青年の胸に手を乗せた。呼吸を確かめているのだろう、と眺めながら。元気で健康な若者だ、もしかしたら、万万が一で、体力がもって助かるかもしれない。万万が一、と口の中で言うと、苦いものがこみあげてきて飲みこんだ。


母親の内臓を元に戻すと、少女は母親の胸に耳を押し当てて、ぼんやりと「かーちゃん」とつぶやいていた。狂信も、龍神もなく、ただ、母親が恋しい子供の声を聴いたのだった。


その時に実感した。町で医者をしてればよかった。せいぜい、竈で焼けどをした男が飛び込んできて大騒ぎをするくらいで、足を折ったり、切り傷を作ったりするのを、繕ったり拭ってやったりしていればよかった。その程度で、自分は人々を救っているような気になっていて、それで十分だったのに、欲を出したばっかりに。


あそこに、もっと腕の立つ医者がいれば、もっと大勢の医師や手当の者がいれば。いいや、それよりも、災害現場があったのなら、そこへ踏み込んで行っていたら。もっと多くが助かったんだ。トチ医師は上を向いて、目に手を乗せた。冷たい手に、目が癒される。泣くほどの事もない。それほどの事もできていない。と思いながら、

「助けたかった」

とつぶやいたのだった。

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