ランレル-002 指を突っ込み縫い始める

トチ医師が、指を突っ込み縫い始める。こんな細かい縫合なんかできるものか、と思いながらも、指を動かす。普通は、この瞬間に血が流れ過ぎて命が尽きる。そう思いながら、指を小さく、しかし、静かにしっかり動かしていく。一針、一針。趣味で裁縫でもできそうなくらい細く小さな縫い目を入れて、血がぷちぷちと管から噴き出すのを見ながら、指を抜いた。と、その時には二本の指も消えていた。トチ医師はそれでも顔を上げる余裕は無くて、中を強引に水で洗い流すと、他にちぎれた管が無いか指で探って中を見て、無いと分かると肩の傷を縫い始めた。


肘下から腕を上がって肩甲骨まで綺麗に跳ね上がって切れている。浅いせいもあるが、あまりに綺麗な切れ目で、縫うとそのまま吸い付くようだ。今さっき、切った傷にしか見えない。


トチ医師は手首から肩まで縫い上げた後、血が縫い口から流れ出るのを見ながら、

「厳しいな」

と低く言う。布を傷に押しあてて血を止めているのだが、範囲が大きい上、大きな血管が傷ついている。「血止めの薬を油紙に」と助手に言うように言って、いなかった、と気が付いた。連れてくればよかった、と再び後悔している間に、傷口を抑えていた長身の男が、盥で手をぬぐった後、油紙の準備をして手渡してくれた。


傷口に当てた後、布を当てて細く白い布を手首から肩口までぐるぐると撒いて固定する。見下ろすと、若者は苦悶の声を上げた後、眉間に深い皺を残したまま、浅い息をしながら気絶している。その顔を見ながら、

「ここに来るまで生きていたのは奇跡だ」

とつぶやくと、長身の男は、

「生命力にあふれていた」

と生きていて当然だ、と言うように答えた。


トチ医師はそこで初めて顔を上げた。すると、同じように顔を上げた男と目があった。真っ黒い目に何か底の知れない何かがあった。手を盥ですすいで布で拭こうとしていたトチ医師は、布を掴んだまま動きを止めた。男は、静かな目で、

「礼を言う」

と言うと、トチ医師は、苦い笑みを浮かべて、

「助かってから言ってくれ」

と言って、横たわる若者を見下ろした。腕に巻いた白布が赤く染まり始めている。

「血が流れすぎている」

とつぶやいて、

「怪我をした、その場で医師を呼ぶべきだった」

と目の前の男に言った。すると、男は笑うように、

「良い生命力は、良い運を呼ぶ。ここまで来れたのは、幸運だった」

と言った後、

「お前と言う、腕のいい医師に会えたおかげで生きながらえる。礼を言う」

と医師へ言った。トチ医師は、首を左右に振って、同じ「助かってから言ってくれ」と言うのを避けた。助からない場合もある。この数週間、狂いそうなほど見てきたケガ人がそうだ。ここにもう一人増えただけ、となるかもしれない。


トチ医師はため息をついて、脇のソファーを見た。高価な商品が山積みにされていたのだが、そこへ向かって歩いていくと、どっと腰を下ろして、言った。

「しばらくは目を離せない。ここに泊まらせてもらうよ。ゼーン楼がふいになった」

と最後の一言は声にならないほど小さい声で言ったのだった。バイゼンが、座りやすいように商品を窓の棚にどけて、

「助手のサムレムさんはまだ起きておいででしょう。着替えなどを頼んできます」

と言って、店を出ようとした。しかし、トチ医師は、

「いや、寝かせておいてやってくれ。やっと私が帰って来て安心しているんだ。今晩くらいはそのまま寝かしてやりたい。と言うか、休まないと、明日からが持たないだろう。私はここを離れられないのだからね」

と大きく息を吐きながら言った。バイゼンは深く会釈をしてお礼を言い、

「この若者はハーレーン商会の未来を担う、期待の大きい若者です。勤勉で、裏表がなく、明るく、賢く、健康で」

と言っているところで、トチ医師は片手を上げた。そして、「助かってから言ってくれ」と言う代わりに、

「しばらくは峠だよ」

と言うのだった。

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