ランレル

ランレル-001 扉を開いて、動きを止めた

結局、部屋の真ん中に、デスクと棚を引っ張り出して、シーツを被せて、医師の指示通り、上で人が撥ねてもずれないようにテーブルの足を紐で結びつけて、台にした。バイゼンは、テーブル脇でランプ台にしていた丸テーブルを動かして、盥と布を置いた。医師は、台が整うと、持ってきたバックの中から、メスやひっかけるような金物や小瓶を出して、丸テーブルの上に並べる。そして、井戸を聞いて手を洗いに行き、メスも前に立つと、アヤノ皇子を見た。


トチ医師が「で、患者は?」と言うと、アヤノ皇子は心得ている、と言うように鷹揚に頷いて、部屋を歩いて、出口に立って、扉を開いて動きを止めた。


アヤノ皇子は、ドアの取っ手を片手でつかんで大きく開いて、止まってしまった。トチ医師はそれを見て、大きく息を吸った。何か言いたかったのかもしれない。バイゼンは、ソファーの脇に立って、アヤノ皇子を見て待った。トチ医師にちらりと見られていると分かっていても、動かなかった。二人とも、アヤノ皇子が呼びに出る、と思っていたのだ。


しかし、出口で立って、動きを止めた。視線を彷徨わせることもしない。ただ、視線を宙に向けた姿で止まってしまったのだった。


トチ医師は、無言で、手術用のメスを拭うように手に取った。汚れが無いのを確かめる為か、刃の先を見て、刃の背を眺める。その動きに、医師のいらだちを見た。しかし、いらだった気配はそれくらいで、医師は忍耐強く待っている。部屋の準備をしている時に、アヤノ皇子の真剣さを感じたのか。または、ここまで準備して、手遅れな患者が来るかもしれないと覚悟を決めようとしていたのか、分からなかったのだが。ただ、盥の脇に立って静かに待った。


夜はとっぷりと暮れていて、町が明るいせいで、低い二階建ての建物の向こうは暗い夜空が見えた。大通りの端には門があって、その先には平原の並木道が見える。草原は、月の光を反射して波打っているように見えるのだが、それだけだった。とその時だった。

 トチ医師は、顔に風圧を感じた。はっとすると、ベットの脇に人が立ち、屈み込むようにベットに覆いかぶさっていた。

「な、なんだこれは!」

と驚き、手にしていたメスが無く、目の前には服を切り裂き傷口をはっきり見せた患者が横たわっていた。その脇で、大きく口を開けた肩の傷に、揃えた指を突っ込む男がいた。と、入口で、

「陛下!」

と、振り返りながらアヤノ皇子が喜びと共に叫んだ。



バイゼンは、ごくりと唾をのみこんだ。噂には聞いていた、ハーレーン商会の伯父上。アルラーレ様が昔、まだまだ若いころに、助けていただいて、それ以降、伯父上と慕っている、年齢が分からない、不思議な人物。と思って見上げると、静かに横たわる若者を見下ろしていた。その若者を見て、

「ランレル君!」

と驚きの声を上げた。


本店でアルラーレの後を走り回って仕事を覚えまわっていた少年の顔だった。もう青年ともいえるその顔を見て、

「それで、こちらにいらしたのですか」

と誰に言うでもなくつぶやいた。しかし、なぜ、この大けがを、と思っていると、目の前の龍の方の肩が動くのが見えた。動く直前、鼻孔をぐっと生臭い血の匂いが覆い、血が、抑えた指の先からどっと溢れて、それを指でぐっと抑えて止めた。その時、ランレルの言葉にならない絶叫が上がった。


そこに、穏やかな、手を血塗られたままにしているとは思えない程、落ち着いた男の声が落ちた。

「この若者に、止血と縫合を頼む」

バイゼンが声を聞いた瞬間、トチ医師が何か口汚くののしったような気がした。しかし、次の瞬間には、医師は、なめらかな動きともに、縫合治療を始めていた。


トチ医師は口の中でののしりを飲み込んで、傷を覗き込んだ。二本の指の先の血管は傷ができて血が噴き出ている。どこで怪我をしたのか分からないが、手当てをせずにここまで運べるはずがない。だいたい、今この瞬間でさえも、命が助かるかどうか分からない。

「暗い」

手元が陰になって見えにくい。ランプをもっと用意しておけばよかった、と言うトチ医師の後悔のつぶやきに、はっとなったバイゼンが動き出した。が、その瞬間、ぱっと辺りが明るくなって、トチ医師の手元が明るく照らされた。ランプのようなオレンジ色の明かりじゃなく、太陽光よりもまだ明るい白い光だ。まぶしくなく影が無い。


トチ医師は、はっとしたものの、管の切れ目がはっきりと見えたおかげで、気がそれて、光源の無い光だったと言う事にさえ気づかなかった。

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