ロンラレソル-015 ハーレーン商会の前だった
トチ医師が、アヤノ皇子を従えるようにして、まっすぐ向かった先は、ハーレーン商会の前だった。暗く光が落ちている場所を見て、困惑しながら振り返る。
「中にいないのか?」
「陛下は外におられる」
「何がなにやら」
とつぶやくと、トチ医師は、がんがんっとハーレーン商会の扉をたたき始めた。そこで初めて、アヤノ皇子は、扉を叩くと中の人間が開けてくれるのだ、という事に気付くことになるのだが。知らなかったというのを知らない医師は、中に向かって、
「医師が来た! 医療所の医師だ! 開けてくれ!」
と大声を開けた。何度か叫ぶと、奥から扉を開いたり閉じたりする音がして、いた床をきしませて歩く音がしたかと思うと、窓ガラスに、のっぺりした顔が映った。その顔に向かって、
「バイゼンさんか、トチ・ドロームだ。医師を呼んだろう。あんたがくれば、もっと話は早かったんだ」
と言ったかと思うと、寝ていたのか上着を肩にかけた中年の男が、扉の鍵を音を立てて開けて、扉の隙間を開けた。
「これは、トチ医師。こんばんは。どこかへ遠征に行かれていたとか。助手の方が、天手古舞で早くお帰りにならなかとぼやいておられましたよ」
と如才なく言うが、顔はとても迷惑そうだ。対するトチ医師も迷惑そうな顔をしながら、
「そりゃよかった。奴の腕もあがるだろうさ」
と答えさらに、
「あんたの所の依頼だろう。さっさと患者を見せてくれ」
と言うトチ医師に、困惑顔を返した。トチ医師は、後ろにいるアヤノ皇子を振り返り、疑いいっぱいの目で見つめると、アヤノ皇子の握りしめた手を見下ろして、
「バイゼンさん、違っていたらすまないな。変なのに捕まったのかもしれない。この男のコインを見てくれ。私はハーレーン商会の物だと思ったのだが違っていたのかもしれない」
と言うと、アヤノ皇子はコインが必要なのかとすぐに気づいたようで、手をすっとまっすぐに伸ばして出して、見せるように開いて見せた。上着を肩にかけた男は、トチ医師の顔をいぶかしそうに見てから、青年の出した手を覗き込んだ。そして、目をすがめると、はっとしてコインをつまみ、町の明かりにさらすように紋を見ると、
「アルラーレ様のご親族」
とつぶやいて、初めて何事か、と言うような顔になって医師を見た。トチ医師は、
「けが人がいると聞いて来たんだが」
と言って口ごもるのだが、バイゼンはその言葉が終わらないうちに、
「どこです? どんなケガを? とにかく奥へ、けが人を中へ」
と矢継ぎ早にいいはじめ、医師が、
「ここにもいないのか」
と、困惑を通り越したいらだちの声でつぶやくのだった。しかし、アヤノ皇子が、
「龍王陛下がお連れになる。けが人を治療できるようにして、扉の外へ立つ」
と言うと、医師が驚くほど、バイゼンは、まじめに反応し、
「龍の方がおられるのですね。外からこられるのですね。治療に何が必要でしょう」
とうなずきながら、アヤノ皇子に問いかけるのだった。
結局、アヤノ皇子が、
「けが人は、喉を剣で突かれて吹き出すような出血をしている」
と言うと、
「それは大変だ。喉をふさがなければなりませんね」
とバイゼンがもっともらしく応え、トチ医師が、
「それで生きているのは不思議なんだが」
と言うぼやきに対して、
「治療に必要なモノは何でしょう。何をそろえればいいのでしょう」
と必死になっる。トチ医師はにわかにまじめな顔をして、しかし、ばかばかしいという思いも顔ににじませながら、
「術具がいる。すぐに戻る」
と言って扉に背を向け、しかし、普通よりもずっと足早に、ほとんど駆けているいるかのように医療所へと戻って行ったのだった。
バイゼンは、「術具が必要なのですね」とつぶやいて、「手術とか」と、店の扉を大きく開けて、ランプに光を灯した。アヤノ皇子が扉の突っ立っているのをそのままにして、中をつかつかと歩き回って、ソファーの上の物をどけはじめ、怪我人を座らせる場所を作る。ふと気が付いて、手当をするなら、洗い流す水が要る。と、バイゼンは、部屋の奥に扉があったのだが、扉を開けて裏庭につづく回廊に出る。裏庭の外は板塀の向こうに平原があって町が終わっているのだが、板塀の庭を見ながら、端のポンプの井戸に行く。気が付くと、トチ医師と一緒に来ていた青年が後をついてきていた。その青年が、
「術具の準備か?」
と聞くと、
「いえ。術具はトチ医師が準備をしてくださるので、その手当てに必要な水の準備です。若様」
と付け足した。ハーレーン商会のアルラーレの身内のコインを持つ青年を、振り返る。始めてみる、と思いながらも、丁寧に答えた。アヤノ皇子は、うなずくと、両手を出して、
「水を持とう」
と言うと、バイゼンはちょっと笑顔を作った。何も持ったことのない、水を持つ、と言うのがどんな風に持つのかも分からない、育ちの良い青年だ、と見て取れた。この青年が、ケガ人の為に駆けずり回っていて、目に、生真面目な表情と、不安そうな色が混じっていた。
「では、タオルを持ってください」
と重くないモノを言って、井戸の奥にある小さな小屋から大量のタオルを取ると、アヤノ皇子の手に乗せた。励ますように、ぽんとタオルの上に手を置いて、
「これをお願いします」
と言うと、きまじめそうな頷きが返った。
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