ロンラレソル-013 龍神様を見たそうだ
アヤノ皇子が、太い腕に掴まれて、後ろへずるっと引きずられながら、
「医師よ。手当の後、食事をすればよい」
と厳しい声で言った。すると、医師は再び欄干に両手を乗せて、ぶらぶらと閉じた扇子を揺らして、疲れたように、
「今日はもう死人はいいよ」
と低く答えた。そして、目をつぶりながら、
「大けがで、死ぬ直前の状態で動かして、助かる者はいないんだ」
と言うと、
「何度も、何度も、そう言っている。なのに、動かして、助けてくれとすがってくる。もう十分だ。今日は休む、夜だしな。そういう日さ」
それから、さらに、
「一日中、ゼーン楼で飲み潰れるだけの報酬をもらう仕事をしてきたんだ。これ以上の仕事はいらない。しかも、助からないって分かっている人間の手当なんざ、もう微塵もしたかないね」
「絶対に助かる」
とアヤノ皇子が断言すると、医師は、
「龍王とか言ったな。あんたも龍神信仰だろう。龍神様が守って下さる。だから助かるんです、とか言って、俺を連れに来たんだ、同じだろう」
「龍王陛下だ。龍神ではない」
同じだろう、と言うように扇子を振って、身体を起こした。振り返るようにして、欄干に背をあづけアヤノ皇子の目を見つめた。
「どこで、いつ、どんな傷を負った」
アヤノ皇子は即答した。
「王都で、夕方、喉を刃物でつかれ出血した」
医師は、だんっと脚で床を踏み鳴らして、
「何をしてるんだ、なんで王都の医者に行かない! あそこなら、こんな飲んだくれ医師じゃない、優秀な医師が山ほどいるだろう。だいたい、そんなんで生きているものか」
「だから、龍王のお力で」
「そういって、山のふもとの信者たちは、死人を引きずりながらやってきたんだ。直せ直せ、と言いながら! お前もだろう!」
二階の回廊はざわめきが消え、胡弓の寂しげな音だけが響いていた。
「明日にしてくれ。この雨だ、遺体もそうそういたむまい」
「生きている。遺体じゃない。私をかばって受けた傷だ。龍王陛下が御守りくださっている命だ。助けてくれ」
アヤノ皇子はそういうと、用心棒の腕の力が弱くなっていたのか、その腕をぐっと押して前に出て、
「私は頼み方がわからぬ。龍王陛下が時を止めて、かの者を護っておられる。しかし、それも永遠にはできぬ。そうおっしゃる。どうしたら、直してくれるか?」
医師が黙っていると、用心棒が腕に力を入れて、アヤノ皇子を後ろへ、テーブルから離すように引っ張り出す。そのわきに、如歳のない所作で、黒い前掛けをぴたりと腰に巻いた男が滑り込み、かがみこむようにあいさつしながら、低い声で、
「トチ医師さま、ちょっと見てから、また戻ってこられたらいかがでしょうか。お席はこのままにしておきますゆえ」
と声をかけた。トチ医師は視線だけで男を見ると、
「私は、王都長の命で平原の向こうの山裾まで仕事をしに行って、王都長の保証でここに上がって来たんだぞ」
とため息交じりに言うが、声をかけた男が変わらぬ笑顔のままでいるのを見ると、
「騒ぎにしてくれるな、と言ういことか」
と欄干から背を話して、扇子をぱちりと閉じてい言う。胡弓の音も止まっていて、辺りは白けたように静かになっていた。この青年に上がってこい、と声をかけたのはトチ医師で、その収拾をやってくれ、と言うように、店の者は深くお辞儀をしてから、
「とっておきの御神酒をご用意しておきますゆえ」
と言うと、仕方がない、と言うように立ち上がったのだった。
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