ロンラレソル-012 今日は終いだ

欄干に寄りかかって、扇子を片手に、指で開いたり閉じたりしながら、下をのぞき込んでいる男がいた。二階の回廊に両手で乗っかるように大通りを見下ろしている。年のころは25歳を過ぎた辺りか。大通りに立って見上げるアヤノ皇子を面白くもなさそうに見下ろして、

「ここ数週間、朝から晩まで引っ張りまわされて、治療だ何だと強制されてね。やっと解放されたんだ。龍王とやらで、命が尽きない患者なら、ちょいと待たせて、私も一杯いかせてもらうさ」

と投げやりな声で言っていた。本当に酒が必要なほど、疲れ切っているようにも見えた。声は続く。

「連れまわせるほどの怪我なら、大丈夫だろう。そうそう何かあったりはしないさ。あんたも飲むかい? 上がって来るか?」

と言ったところで、アヤノ皇子はまっすぐ階に向かった。今度は店の者も止めなかった。ただ、雨で泥だらけになった靴を、椅子に座らせて拭う間だけ、止まらせたのだが、不思議な程大人しく「足を拭いてからだ」と言う言葉に、出された腰かけに腰掛け、言われるがままに、靴と靴の裏を拭われていた。


アヤノ皇子は、用心棒の男の前を通って、階段を上がり、欄干に手をかけた。回廊は、明るい提灯の下に、テーブルが延々と続いていた。ここは大通りに面した、大回廊になっていた。


アヤノ皇子はぐるりと見て、欄干にのしかかるようにして下を見ていた男を見つけた。緑の葉の柄の上着に茶帯をしていた。上着の裾から見える足もぴたりとした濃い緑の生地に包まれ、緑の医師の色で包まれていた。と言っても、この男が来ている服は医師の服と言うより単に緑がかっていると言うだけだったのだが。アヤノ皇子は知らなかったし、医師が医師の色の服で飲んだくれようとしていると、顔をしかめている人間もいたのだが、それに対しても気づかなかった。


アヤノ皇子は、まっすぐに近づいていき、扇子を持つ手で小さな酒のグラスを手にしているのを見ると、すっと手を伸ばして、男が気づくより早く取り上げて、テーブルにとんっと戻した。そして、はっと気づいて男が振り返ると、怒りだす前に、アヤノ皇子は、

「飲み食いの前にけが人を見てくれ」

と男の目を見下ろしながら言った。疲れた顔の男が、目の前に現れた、さっき階下で叫んでいた青年が上がってきたのだ、とやっと気づいたようだった。「最初のいっぱいだぞ」とぼやくように言うと、酒のグラスに再び手を伸ばそうとすると、アヤノ皇子が手を添えて、

「食事はけが人を見た後にしてくれ」

と言うと、途端に、アヤノ皇子の襟首をつかむ者が出た。階段の下で、アヤノ皇子を止めていた用心棒の男が、アヤノ皇子の後ろに立って、後ろから襟首を掴んでいた。

「飲むのはお客。邪魔するのは侵入者ってな。お客の邪魔をしちゃなんねえよ」

と言って、ぐっと引っ張った。と、低い声で、

「こいつの、この医師の目の前に患者を持ってくるんだな。したら、嫌でも治療をするさ」

「できない。約束の場所が違う」

とアヤノ皇子が声を上げて言うと、男は、

「ならあきらめるんだな」

気の毒そうにつぶやいて、ぐっと襟首をつかんだ手に力を入れた。

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