ロンラレソル-009 なんで俺が医師を呼ばなきゃなんねぇんだよ!

一瞬、酒場の男たちは気押されたようだった。が、誰も答えないと分かると、青年は一瞬途方に暮れたような顔をした。それを見て、哀れに思ったモノもいた。面倒を見てくれる家人とはぐれてしまったのだろう、と思った者もいたようだ。しかし、アヤノ皇子が強い目で周囲の男たちをにらみ、

「龍王陛下の御命令だ。直接に、指示に従う誉にあずかる事ができるのだ。誰ぞ、ここへ、医師を呼べ」

とアヤノ皇子が言うと、ぐっと何かのどに詰まったような顔をして、そそくさと背を向けた。関わり合いになっては大変だ、とその動きが言っていた。「龍神信仰か」とつぶやいた者もいたようだった。


王都の門が閉じたのは、王都に侵入した信者を捉える為だと、噂が流れだしていた。王都の門から戻った人々が、門兵から聞きかじったり、王都の中から出て来れなくて声を上げて不満げに叫んでいた人の話していて、にわかに大変な事になりつつある、と感じていた。


アヤノ皇子が彼らの中に踏み出すと、離れて座っていた者が、「勘定、ここへ置くぞ」と言って席を立ったのが見えた。近くの者はひたすら背を向けて飲んでいる。

「急ぎで医師が必要だ」

と言うアヤノ皇子の声には元気がなかった。人々の背が、これまでの王宮を思い出させた。

「医師が要る」

と言う声に、

「どこに怪我人がいるんだよ」

と冷ややかな声が返った。その時、アヤノ皇子は、どっと、胸を真っ赤な血で染めた青年の姿を思い出した。喉の奥で息を吸う。


あれは、着替えが終わった後だった。小さな玄関に立ち、龍王と外へ出ようと待ち構えていた。アヤノ皇子は、龍王と外へ出る。たったそれだけの事しか考えていなかった。そのアヤノ皇子の前に、黒い影が躍り出た。龍王を守らなければと踏み出して、手を広げ、アヤノ皇子は満足した。剣は自分を通らなければ王には触れない。龍王をこれで守れる。と思った時だ、人が飛び出してきて、血しぶきが飛んだ。鼻孔の奥に、雨の匂いと共に、鉄臭い血の匂いも飛び込んだで来た。龍王の「剣を使ったのか」と言う短い声を、舌打ちと共に聞いた。アヤノ皇子はその声を聞きながら、目の前で喉から血を吹きだしながら倒れ込む青年に、両手を伸ばしていた。自分が受ける剣だった。これで、陛下も安心だ、と思っていた時の剣だった。なのに、受けたのはこの青年で。ふと、青年の、

「覚えればいいんだ。ほら、手を出せ」

と言う声を思い出していた。アヤノ皇子が上着を見て途方に暮れている時だった。着替えなければならない、と言う事は分かったのだが、何をすればいいのか分からなかった。あの時の声は、自分へ言っている声で、上でも無く、横でもない、まっすぐに自分に向かっていた声だった。イライラしていた。どこか諦めているような面倒くさがっているような声でもあった。でも、どこか温かい感じがした。自分のどこかに温もりが戻った気がした。その声の主が、真っ赤に胸を染めていた。

「怪我人がいる」

アヤノ皇子は目の前に座ってジョッキを睨む男に、屈み込むように話して聞かせた。

「大怪我をしている。手当をしなければ手遅れになる。陛下がいてこそ助かっているが、手当をしなければ、大変な事になる」

アヤノ皇子の声に必死さがこもった。周囲は呆れていたようにざわめいていたのが、静かになった。

「医師を呼べ。呼んでくれ」

アヤノ皇子が声を上げた。食べ散らかしたつまみの皿の脇にどんっと置かれていたジョッキに、男が手に伸ばし、ぐっとあおろうとしていた。その男に向かってまっすぐの視線を向けると、

「医師だ。呼んで参れ」

と短く命じた。男はのけぞりながらジョッキを煽ろうとして、アヤノ皇子が、

「急ぎである。医師だ!」

と切って捨てるように言うと、のけぞり過ぎて椅子ごと倒れた。そこでやっと、男は、気おされたのだと気が付いて、土に倒れた椅子に手を乗せて、慌てて立ち上がりながら、顔をしかめた。なんで気おされたのか分からなかった。しかし、まっすぐの目は揺るぎが無く、真剣だった。上から見下ろす目は、高慢でも居丈高でも無かった。男には、まるで鼻先にその目があって見つめられているように見え、椅子に手を乗せ立ち上がりかけながら、

「な、なんで俺が医師を呼ばなきゃなんねぇんだよ!」

とつぶやいていた。アヤノ皇子は片膝をついた。そして、すっと背筋を伸ばしたまま男の顔に視線を合わせると、

「私はどこに医師がいるのか分からぬ。呼んで参れ」

と低く言った。男はくっと息を飲んで、顎を引く。アヤノ皇子は身じろぎ一つしなかった。ただ、くっと心持ち近寄ったかのように見えた。と、男が、

「あっちだ! あっち! 医療院があるんだ。あっちで医師を呼んだらいいだろ!」

と大通りの向こうを指さしながら怒鳴りだしていた。

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