ロンラレソル-007 光の洪水の中にいるように見えた

アヤノ皇子は目をしばたたいた。何か大事な音がした。

「あ、落ちた。悪い、悪い」

と言って誰かが目の前でしゃがみこもうとしたのが見えた。そこで、世界が一転する。灰色だった無機質な世界が、きらめくばかりの光の世界に瞬時に変わった。夜の大通りだったのだが、アヤノ皇子の目には光の洪水の中にいるように見えた。


音が戻り、周囲のざわめきに、目の前の男の声が聞こえだす。アヤノ皇子は目を見開いた。男がしゃがんで手をのばそうとした先に、小さなコインが跳ねていた。今の今、落ちて、固い土にあたって、転がって男が手を伸ばした先に、さらに転がり、アヤノ皇子はすっとしゃがんで、男の手よりも先に、足を踏み出し手を伸ばして、コインを、チェーンの先に指をひっかけて、さっと拾った。

「あ、と大事なものだったんだな。ほんと、わるい」

とぶつかった男は言って、アヤノ皇子を見るのだが、アヤノ皇子はうっすらと微笑を浮かべて笑っていた。

「夢じゃない」

アヤノ皇子のつぶやきに、男は首を傾げるのだが、アヤノ皇子は微笑を深めて美しく妖艶に笑って見せた。男は慌てて一歩引いた。仲間の肩にぶつかって、こっちにも「わりぃ」と言いながら、アヤノ皇子が嫣然と笑う顔から目が離せない。仲間も目が離せないようだったのだが、アヤノ皇子が、「使命があった、陛下の命だ」と言いだすと、慌てたように離れだした。わけありか、あまり近寄ってはいけないタイプだと思ったらしい。しかし、アヤノ皇子は幸せそうに笑みを浮かべて、つぶやいた。

「陛下の命だ。『これで医師を用意させよ。扉を開いて外へ立て』そう、おっしゃった」

そう言って、手の中にある、小さなコインをぎゅっと握った。


気が付くと、アヤノ皇子は通りにぽつりと立っていた。目の前に龍王はいなかった。客引きが、そろそろ客足もひと段落ついたようで、長い軒下へと戻って行くのが見えた。大通りにあれほどいた人々も、宿がきまったり、気に入った酒場を見つけたりして、それぞれの店に入って人がまばらになっていった。空には月が上がってみえた。


あれほど激しかった雨は、いつしか止んで、通りにはところどころ水たまりがあったのだが、あまり気にせず夜の町をそぞろ歩く人々のいる町へと変わって行った。アヤノ皇子は周囲を見た。医師はどこだ? どこで拾える? 道に落ちているわけではない、と言うのは分かる。しかし、探せる場所が分からなかった。


普通、医師がいるのは、自分が熱を出した時か、怪我をした時だった。ベットで目を覚ますと、または、テーブルにぶつけた擦り傷に驚いていると、誰かにソファーに座らせられている間に、医師がそばまでやってきて、たいていがしゃがみ込んでいるか、自分をのぞき込んでいた。「家人が医師を呼んだ」と言うのは分かっていた。しかし、どこで呼んでいたのか分からなかった。アヤノ皇子はぐるりと辺りを見回した。

「家人はいない」

と当たり前の事をつぶやいて、大通りの真ん中で、自分を避けて、また、自分の顔をのぞき込むようにして通る人々を見わたした。空には星が出始めていたのだが、松明の明りのせいか、通りからは軒を下たる水が見えるばかりで、星は見えない。アヤノ皇子は人々を見て、その向こうの明るい屋根の下に、多くのテーブルが並んだ食堂や、その向こうの引き戸の宿屋らしいところをじっと見た。「家人」がいそうな場所が分からなかった。だいたい、王城を出たところから、そんなものはいなかったのだが、同じような仕事をする人間がどこかにいるはず、と考えていた。


どこかに「家人」がいるはずだ、と考えて、アヤノ皇子は手にしたメダルに視線を落とした。そして、つっと顔を上げて、メダルと同じ絵柄の看板が見る。八角形が三つ重なる模様は、ここを頼れと言われていた場所だと理解した。「これで医師を用意させよ」と言うくらいだ。この印に意味がある。そう納得しながら頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る