ロンラレソル-006 誰かが影絵を見せ始めるまで

その声を聞くようになるまで、全てはアヤノ皇子の上を流れていく声だった。

「素晴しい皇子ですね」

と言う声は、自分の脇に立つ王冠をかぶった人間に向けられていた。

「なんて利発なお子でしょう」

そう言う声は、褒めながら自分自身に心酔しているような声だった。頭をなでる時、その手の主は常に自分の脇にいる王冠の人を見る。乱暴にするわけではない。いらいらをぶつけるわけでもない。ただ、声はそばを通って別のところへ向かって行った。


どこでだったか。アヤノ皇子は植込みの中に隠れたことがあった。誰も自分を見ていないと思って。それを証明したくて。そして走って行って、茂みの中にしゃがみこんで、周囲で誰かが探し始めるのを待った。探しに来るのをじっと待った。じっとしゃがみこんで、アヤノ皇子は雨に濡れて動けなくなって木々の根元で葉に隠れて丸くなって倒れて動けなくなるまで待っていた。誰も見つける者はいないし、探そうとする者もいなかった。ただ、自分は偶然に、何かに発見されたのだった。


誰も探してはいなかった、と言うのをアヤノ皇子は知っていた。誰も探さなければと思わなかった、と言う事にも気づいていた。王冠の人間がそばにいないと、自分に気づく者もいない。音が聞こえて、騒ぎがあったら聞こえるほど、自分の部屋の近くの茂みの中で隠れていたから、誰も気づいていない、と知っていた。このままここで隠れて眠って起きなければと目をつぶる。見つかったのは偶然で、伸びて来た手は小さな手だった。

「アヤノ皇子? アヤノ?」

と言う声ははっきりとしていた、ゆすられて目を開けると、なぜか真っ白い光の中で聞こえていた。その声を探すように、

「殿下が! ミカゲ皇子殿下が、雨の中でお風邪を召してしまわれます!」

と慌てた声が廻りに響いていた。しかし、白い光は、

「アヤノが。アヤノを助けて!」

と言っていて、アヤノ皇子が手を伸ばすと、伸びてきた小さな手が、アヤノ皇子の手をぎゅっと握った。その手は暖かくて、

「大丈夫。大丈夫だから」

と言う声と共に、額にもその小さな手が乗ってそっと撫ではじめ、アヤノ皇子は目を細めた。光がとてもあたたかい。白い光に包まれる。と、そこに、

「龍の子が、こんなところで!」

と言ったのは、誰にだったかアヤノ皇子は分からなかった。でも、龍だから温かい、と皇子は思った。だから守ってくれるんだ、と思うと、掴んでいた手をぎゅっと握りしめた。そうしたら、その手がぎゅっと握り返されて、アヤノ皇子はほっとした。そして、安心して眠りに落ちた。

「龍だから優しい。龍だから暖かい」

アヤノ皇子は眠りに落ちながら考えた。


それから、その温かい手に出会う事もなく時は流れた。声はやはり自分の上や横に流れる。それなのに、身体をゆすられ、迫られる。

「なんで返事をしないの! 声が聞こえているって分かっているのよ!」

甲高い金切り声は、自分が安心したいからだと歌っている。

「ほらほら、これが好きなのね? 陛下におねだりいたしましょうね」

と言う声は、横の王冠の人に向かって話す。いつでもどこでも、声は遠い。脇や上を流れていく。それなのに、時々、声が中に入って来て、何か話せと迫りだす。心をぐっと掴まれて、引っ張り出されて、でも、誰も自分の心に触れてはこない。掴むだけ。反応を外に出して、周りの何かに見せたいだけで、ぐっと掴む。引っ張りさわぐ。アヤノ皇子は心臓の中に指が突っ込まれたような気がして、何かをぐっと鷲掴みにされそうになった気がして、ひぃっと喉から声が漏れる。何かを撃ち込まれたような感じになって、声が上がり、声を上げると、何かが外へ出て行くような気がして、どんどん、どんどん、声を大きく高くしていく。すると、いつのまにか、中の声は離れていく。周囲は静かになっていく。


アヤノ皇子はじっと虚空を見つめていた。それが自分の毎日で、それが自分の世界のすべてだった。待てばいい。誰かが影絵を見せ始めるまで。龍の絵を。あの温かい龍の手を思い出させて来れるはず。

「おい。平気か?」

誰かが声を掛けて来た。これは違う、とアヤノ皇子は考える。この声じゃない。

「ねぇ。どっかいたいの?」

下からのぞき込むような声がしたが、これも違う。アヤノ皇子は動かない。すると、

「あっ、わりぃ」

と言って、とんっと肩に何かがあたった。仲間と話しながら歩いていた男が、アヤノ皇子の肩にとんっと肩が当たったのだが、軽かったのにアヤノ皇子はよろめいた。それで、ぶつかった男が、腕を掴んで支えようとしたのだが、アヤノ皇子の腕がぶれ、手から、しゃらんっと下に、何かが落ちた。

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