ロンラレソル-005 扉を睨むようにして立っていた

今朝がた、アルラーレの指示で港へ向かったはずのギャベットが突っ立ったまま、と言うか動きが止まっているので突っ立ったままに見えるのは当然なのだが、微塵も動かず、扉を睨むようにして立っていた。正確には、扉を開いて、外を見つめている青年を睨むように見ている。その脇には、白い大きな前掛けを胸から腰に巻き付けるようにして立っている顔の細い男がいて、手には細い金属でできて鋭利なハサミとナイフを布に乗せて手に取って、手元を見つめているのだった。道具を確かめていると言うのがありありと分かる。


彼らの前に、サテンがつかつかと近寄って行くと、台を軽くたたいた。頑丈さを確かめている様だった。足元のシーツをかき上げ軽く覗く、とテーブルの足が紐で縛られ固定されているのが見えた。サテンはうなずき、

「台に載って横に慣れ。まずは止血だ」

と言う。ランレルが、うなずき台の脇にたって、どうしようと見下ろしていると

「ブーツは脱げ」

とサテンに言われた。慌ててブーツを脱ごうとしたのだが、気が付くと、ランレルの左腕はあまり動きが感じられなくなっていた。強引に蹴り飛ばすようにブーツを脱ぐと、サテンは顎でシーツを示す。ランレルはゆっくりとおっかなびっくりそこに横になると、

「仰向きじゃない。右腕が下だ。縫うのは左だ」

と言われ、言われたとおりに右腕を下にした。すると、サテンが流れるような動きで、白い前掛けをしている男の手からナイフを取ると、ランレルの上着の袖に刃を充て、簡単に上着の袖を肩まで裂いてはぎとった。軽々と、まるでキャンディの薄紙であるかのように剝がし、傷が付いた時には手首から顎まで刃が跳ね上がって、ばっと血が飛び散って、今に至るのだが、サテンは布を全部切り離し、傷口を見た。そして、低く、

「悪かったな。刃を本当に使うとは思わなかった」

と簡単に謝罪をした。そして、手をランレルの顎の下に当てた。もっとも深い傷がある場所で、自分で見えなくてよかった、と思うほど、そこは抉られていて、馬に乗って血が固まっているのを確かめようとした時に、指が中に入るくらい穴になっていて、吹き出す血が、顎に吹きつけるような、その状態で固まっているような傷だったのだが。そこに手を差し込んで、サテンは、

「しばらくは痛かろう」

とつぶやくと、唐突に、ごぉっと音が聞こえ、大通りの嬌声の混じった雑踏の音と、

「な、なんだこれは!」

と驚く喉に絡んだ声と、

「陛下!」

と言う、振り返る風の音まで聞こえそうな勢いのある声と、

「ランレルか」

と言う驚きと言うか、確かめるように言う、ギャベットの声が聞こえて、その瞬間、首に置かれたサテンの指がぐっとその箇所を指圧した。ランレルは声にならない声を上げて絶叫し、痛さを顎から背中に、背中から脳天に感じて、そこまで来て、

「止血と共に縫合を」

と言う冷静なサテンの声を聞きながら、失神したのだった。



少し時が戻るのだが。ロンラレソルの街中で、ランレルとサテンが馬で去って行った後の事だ。


アヤノ皇子は目の前にいたはずの、龍王がいない、と気がついた。それで、何もなくなった空間を見つめていた。龍王がいない。そう思った時、アヤノ皇子の真ん中に、ぽつりと小さな穴があいた。空虚な染みが一つできて、龍王の声がない、と思ったところで、ぐっと穴が大きくなった。空虚、空白、何かあったと思うのだが、それが消えた場所が心の真ん中にあった。「夢」とアヤノ皇子はつぶやいた。これは夢か、と考えた。そうだった、そんな都合の良い話は無い。自分の目の前に龍が現れるなどありえない、と考え始めていた。


いつも、いるのは影絵の中にいる龍だ。あのどこからか聞こえる優しい声が「龍ですよ」と語りだすのを待てばいい。待っていれば誰かが言いだす。龍がいる、そう囁いてあやしてくれる。そうぼんやりと考えた。自分の声を聞く者はいない。自分に声を掛ける者もいない。自分を見る人間もいなければ、自分がいると知っている者もこの世にはない。アヤノ皇子は声を待った。「龍ですよ」その声だけは、アヤノ皇子に向かって話す声だった。

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