ロンラレソル-004 早回しの時が、その瞬間に止まった

早回しの時が、その瞬間に止まった。一瞬音が聞こえたような気がしたが、再び、雨粒がビーズになって宙に浮く世界に戻る。

「ほら。行くぞ」

とサテンに言われて、ランレルはゆっくりと立ち上がる。顔に滴があたって、ぴちゃっと音がして、指で払うと、頬の近くで滴が止まる。時間を自在に動かす存在。ランレルは、ふと、『第五皇子』、と言う言葉を思いだした。強盗が放った一言で、第五皇子に刃が当たったらどうすると恐れていた声だった。強盗だったのだろうか、と言う疑問が沸き上がったとたん、狂気のこちらを切り降ろそうとする男の目を思い出し、普通じゃない、兵士や警邏とは思えない、と否定した。


 そして、唐突に、上品な、自分の気替え一つできない、常識がどこかに抜け落ちている青年の顔を思い出したのだった。『第五皇子』。噂では、人前に出てこない皇子だが、それでも、18歳くらいの皇子のはずだ。ほとんど噂にならないほどだが、それでも、商家で押さえておくべき皇子の一人だ。アルラーレが絶対聞きたくない、と言った青年の名前が、アヤだった。ランレルは、睨むように、街を見た。アヤノ皇子、と言う第五皇子の名前を思い出していた。今更だった。こんな機転の利かない商家の者でどうする、と思いながら、ハーレーン商会のペンダントを手にしている青年が、アルラーレがハーレーン商会の一員だと認めた、王家から飛び出した皇子が、あそこにいるのだ、と気が付いたのだった。龍王の庇護の下、と思った途端に背筋がすっと伸びた。それから、アルラーレ様の伯父上の庇護の下、と思い直したのだった。


 ロンラレソルの真ん中の、ハーレーン商会の入口で、青年は、扉をあけ放ったまま、街道を見つめていた。馬はなく、ランレルは、物珍しく初めての街を見回しながら歩いていた。固まっている人を除け、かすむような明かりの向こうの華やかな衣装を見上げ、人がお金を使う場所、と言う風に見ると、贅沢にお金を落としていくのだろうな、と思いながら、見回していた。横を行くサテンは、まっすぐ周囲も見ずに、青年の前へと進む。アヤと呼ばれる青年は、口元を引き締め、まっすぐな目で宙を見つめていた。


 王宮暮らしのこの青年は、龍王陛下としか言わず、ボタン一つ自分で止められないはずが、大通りで、一瞬のうちに見えなくなったサテンをどう思って見送ったのだろう、とランレルは考えた。そして、今、口を引き締めて宙を見る目の力強さを思うと、はかなげに見えたり、頼りなく見えたり、おかしな言動しかしないように見えていたのが、実は、王宮でないからおかしく見えていただけで、実際は、骨のある男なのではないだろうか。見下していた自分こそが、頼りない人間なのではないだろうか。と考えて、顎を引いた。


 目の前の青年は、今はしっかりとした表情で顔を上げて通りを見ている。サテンは当然のような顔で、その固まっている青年の脇を抜けた。ランレルも、青年の脇を通り抜ける。なぜ、時を戻さないのだろう、とランレルは思った。通りをじっと見つめている姿に、声を掛けたい、何か言いたいと思い、また、皇子と言って膝を折って挨拶をきちんとするべきか、いや、隠しているのにそれはない、とあれこれ思いながら、アヤを見た。その心の声に気が付いたのか、と言うようなタイミングで、サテンは振り返ると、

「時を戻せば、痛さと出血で失神するぞ」

と言った。はっとランレルが顔を戻すと、サテンは開け放たれた扉から、奥へ入って行くところだった。そして、部屋の中が見えた。見た瞬間に目を見開いた。端には5人掛けのソファーがあった。その横には、まるで寄せたように、椅子があったり台があったりし、元は客をもてなし商品を広げる為の場所だったのだろう。今は、その場所に部屋の家具を寄せ、商品を広げる大きな机が中央に2つくっつけて並べられ、上にはシーツがかけられていた。脇にはストールのような丸机があり、その上には湯気の立った盥や見るからに清潔な生成りの布が置かれていた。その台の後ろにはロンラレソルの店を預かるバイゼンさんがいた。

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