城下-010 浮遊感を覚えた八角形の部屋だった

ランレルは、住み込みの店員は自分だけだったので慌てて後を追い、接客用の部屋へと入った。


はじめて入ったときには空に踏み込んだような気がして、浮遊感を覚えた八角形の部屋だったのだが慣れてみれば、雑多な家具があるだけの部屋だった。そこで、奥から出て来たグーンにタオルを渡され、客人に渡しもてなし始めたのだが、この客人はどこかおかしかった。何がおかしいのか分からない、と思っていたのだが、龍王やら、陛下やら言い始めて、根本がおかしいのだと結論付けた。


アルラーレの親戚なのだから、自分があれこれ言うべきじゃない、と思いつつ、ランレルは着替えをと言われ案内に立ち、先に立って歩く事で思考を隠した。と言うのに今の今、途方に暮れた青年は、着替え方が分からない、と言う顔で途方に暮れている。


ランレルが、振り返って部屋の中に突っ立っている青年を見ると、手を両脇に垂らしたまんま、指一本動かせずにテーブルに置いた服を見ている。タオルはあんなに簡単に外せたと言うのに、服を上に羽織る、と言う事ができない。壁に掛けたランプの光は、つるりとした青年の頬に光り、また、整った顔に影を作り、途方に暮れた眼差しまでもが、何かの美しい作り物のように見せているのだが、「現実離れしすぎている」とランレルは思った。


普通じゃない、と言うのは別に悪い事でもなんでもない。そこでの常識が違うだけだと思っていた。漁師町でも、網元で暮らす自分と水夫とは大きく習慣が違っていた。水夫にとってそれが誇りらしかったのだが、女性の評価は低かった。漁師町では、当たり前で、活気があって好ましいと思われるのに、王都では大声で話したり腕を振って喜びを表したりと言うのはぶしつけに当たったり、わざとらしく見えたりして良くない、と言うような違いがあるのだと学んできた。だから、違いは単に環境が違っているだけで、合わせるか理解するか見なかったことにすれば良いだけの事だ、と思っていた。それが、目の前の青年を見ると、何か身震いしたくなるような、狂気を感じる。

「これでは、陛下のお役に立てない」

とつぶやいて、青年がほろりと泣き出すところを見ると、気味の悪い物が背筋を這い上がって、異常さと言うのはそれだけで気味が悪いのだ、と言う嫌な答えに出くわした。


ランレルは、王都に来たばかりの時に、伯父の家で自分を毛嫌いする人たちの事を思い出した。それと同じ事を自分がしそうになっている、と感じると、さらに不愉快になって、がつがつっと靴の底で床を叩くようにして部屋に踏み込んでいくと、まるで、自分の意識を殴り捨てるかのようにして、

「覚えればいいんだ。ほら、手を出せ」

と子供の頃、近所のガキを相手にしていたような話し方をして、目をそろりと上げて見つめてくる頼りなげな子供のような目を、振って落とすような勢いで、青年の腕を掴んで手に服を握らせたのだった。


着替えを終えて、濡れそぼっていた髪をぐしゃぐしゃとタオルで拭いてしずくを取ると、ランレルが店員の身だしなみ用に持っていた櫛で何とか髪を整えてやる。初めは櫛を手渡してから壁の鏡を勧めてやろうと思ったのだが、すぐに、一人では櫛が使えないと気が付いて、「そうだろう、そうだろうと思ったさ」と独り言をつぶやきながら仕上げてやると、やっと、着替えのために用意した客室を出れた。


その時には、先ほどまで差し込んでいた日差しも消えて、空は一気に暗く重い雲に覆われだしていて、落ちる雨は、みぞれ交じりになっていた。冬の訪れの長雨の始まりだった。ランレルは、満足そうに壁の鏡を見ている客人を、ため息交じりに見て、せっつくように声を掛けると部屋を出た。中庭の回廊を通って、八角形の部屋へと戻って行った。


扉を開けて、ランレルが通常は展示部屋と呼ばれている八角形の部屋へ入ると、アルラーレが、伯父上と呼んでいる人物と何か話し合っていた。ランレルが扉を大きく開き、後から来たアヤと呼ばれていた青年を通すと、サテンがほぉっと言うような顔をした。


アヤと呼ばれる青年は上等な商家の家人が着る服を着ていた。来た時に着ていた生地ばかりが立派な、貴族的だが階級が読めない服から、見慣れた、しかし豪商の一家にしか見えない、生地と言い織り柄と言い刺繍と言いデザインと言い、素晴しい服に着替えていた。

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