城下-008 我が皇帝の期待に応えねばならない

少年に見える青年は、細く切れ長な黒々とした目が、わずかに揺らいでいるせいで儚げに見える。


青年だと言うのに、少年にも見えるのは唇に時々不安そうに力が入るからだろうか。真っ白いかんばせは玉子のようにつややかで、ひげ一つ見えない。だから、幼く見えるのだろうか、と思って見ていると、青年がゆらりと揺れるようにこちらを向いた。

「我が皇帝の期待に応えねばならない」

そう青年がつぶやくと、ランレルへ向かって、

「我が部屋は遠いのか?」

と聞いて来た。ランレルが何について語りだしたのだろうと首を傾げていると、

「龍王陛下のご依頼である。とくいたせ」

と目を細めて言う。何かをとがめているようにも見える動きに、ランレルは待たせたのは誰だ、と言う思いを隠して、

「こちらでございます」

と言うと背を向けて、今度は後ろを気にせずさっさと歩き始めた。先ほどまでは、客人はゆらりと歩いていたのだが、今度はさっさと後を追って歩き出した。回廊の屋根の下、水に濡れた木々の中庭を眺めて、回廊をめぐると、裏の居住区でもある建物に入る。ランレルは、薄暗い廊下を、客人を通せる区画へと歩き、部屋が並ぶ廊下に立って、もっとも手前の部屋の扉を開けた。大抵はここに何もかもが用意されていた。


ランレルは、さっさと中に入ると扉を抑えて、アルラーレの伯父と呼ばれる男がつれてきた、気品だけはある客人の入室を待った。


アヤノ皇子は背にサテンの気配を感じていた。あの巨大な気配があると言うのに、なぜ、先ほどまで、普通の人間がそこにいると思っていたのだろう、と不思議に思った。この店に入った途端、サテンは普通の人になった、と思ってしまった。ふがいない、と思う。あのお方の気配をこの自分が間違えるなど、恥ずかしい、とも考えた。八角形の部屋を出るとすぐに振り返る。と、八角形の屋根はガラスで、そこに太陽が差し込み、暗かった辺りが一面光が差して、水粒が宝石のようにきらめいて見えた。扉は閉ざされ、軒の向こうにある窓には色ガラスが嵌められていて中は全く見えないと言うのに、ああ、あそこに龍王がお有れる、とアヤノ皇子は感じていた。じっくりと龍王の気配を感じ、心から幸せを感じて振り返ると、家人がじっと立ってこちらを見ていた。同じように龍王の気配を感じていたのだろうか、と思いながらも、身動きしそうにない家人に、龍王の命令を伝えなおすのだった。

「着替えねばならぬ」

と思いながら。


ランレルは、部屋に入って手早くランプに火をともした。昼から明かりを必要とする部屋を持っているのが贅沢と言えば贅沢であり、暗さを我慢しないのが贅沢と言えば贅沢だった。ただ、店舗の人間だけなら、この程度の窓明かりがあれば全く問題ないのだが、窓から差し込む光だけでは、手元の着物の色は淡くてはっきりしなかった。部屋の中央には刺繍の多い布を張ったソファーがあり、壁には飾り棚があって、床には色鮮やかな絨毯があったのだが、接客用の部屋は、豪華な家具があると言うのに、必要な家具を置いただけ、と言う不思議な雰囲気があった。実際、置き場の無い商品だった家具を寄せ集めて置いていたのだから不思議はなかったのだが。豪華ではあった。ソファーの前の巨木から彫り起こして作り上げたテーブルの上に、服を並べながらランレルは言った。

「こちらにお着換えください。東洋織ですが仕立ては王都でしたものなので、着やすいはずです」

ランレルは客人を部屋へ招き入れていう。服は、ランレルが来る前に、アルラーレの言葉を聞いて、グーンが、居住区の執事をしている誰よりも有能で静かで、全員から絶大な信頼を得ている細く表情の薄い男が、事前に服を用意しくれていたのだが。


この客人は部屋に入ってテーブルの手前で立ち止まったまま身じろぎ一つしなかった。美しいソファーがあっても、ゆっくりとくつろぐと言う事をしない性質か、見知らぬところでは座らない、神経質な性質なのか、どちらかだろう、と思いながらランレルは丁寧に布を伸ばして青年に見せた。アヤと呼ばれた青年はその服を見ただけで何も言わずに、タオルをするっと外した。そして、そのまま何もしない。真っ白い染み一つない肌をさらして、突っ立って、じっとしている姿を見て、ランレルは何ごとだと目を見張りながら青年を見て、その後で、口の中で舌打ちをする。


自分の着替えに、指一本自分で動かす気が無いぞ、と気づいたからだ。漁師町の中でも、網元の家で育ったせいで、ランレルは丁寧さは知っていた。がしかし、荒くれた所作が当たり前の子供時代があった。王都にいる母親の従兄弟の婿を叔父と呼んでいるのだが、この叔父に、何度も叱られて所作を覚えさせられた上、店舗では店に出せるようにと徹底的に躾を受けたのだが、油断をすると、簡単にお里がひょいと顔を出す。

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