城下-006 サテンの廻りの景色を見ていた

アヤノ皇子はぼんやりと、サテンの廻りの景色を見ていた。


背後の壁は美しい空の色だった。周囲を囲む壁は八面もあるのに、薄雲のかかった空と空へ延びる樹木が絵画のように描かれているせいか、広い空間にいるように感じた。壁は織布が張られていたのだが、絵描かれているようにしか見えない。その空の中で、サテンはどっとソファーに腰を下ろした。サテンは、タオルを肩に掛けたまま足を伸ばしてもたれかかる。靴が濡れているのを店舗の者が気が付いて、慌てて脱がせて銀糸の刺繍の店の品物のような布スリッパをはかせている。壁のどこかに扉があるのか、熱い湯気の立つ取っ手の無い陶磁のカップを持ってきて、茶たくと一緒に手渡すと、うなずくように受け取っている。

「陛下はどこにおいでだろう」

アヤノ皇子はぼんやりと、人らしくなったサテンを見つめて考えた。あの圧倒的な世界を統べる存在は、どこに行ってしまったのか。温かい茶をすするように飲む男を見る。近くに立っていた、サテンを伯父上と呼ぶ男が、アヤノ皇子へ何か言え、と言うようにサテンに話す。首を左右に振るサテンに、いらっとしたように、

「いったいどこから拾って来たんですか!」

と怒鳴っているのが聞こえた。拾われた、と言うのは自分の事だろうか、とアヤノ皇子は考えた。私を拾ってくださったのは龍である。

「龍王でなければならない」

とアヤノ皇子がつぶやくと、男はぎょっとしたようにアヤノ皇子を振り返る。アヤノ皇子は、

「人間など、ちり芥に等しい。我は龍に仕える者。その為にここにいる」

と自分を見る男に言って聞かせるように言った。だから、サテンは龍である、と言いたかった。人間のように見えるのは間違っている、と伝えたかった。しかし、男は細く音がしそうな勢いで息を吸った。そして、そこから両手を振って、サテンに向かってオクターブ上がった声で、

「あなたは今の状況が分かっているんですか!? この戒厳令が敷かれそうなこの王都の状況を。王宮から戻って来た者達は、龍神信仰の内乱だと騒いでいるこの状況を!」

と怒鳴った。それから、声を絞り出すようにして、

「今この瞬間に、龍神信者を養い子にしたのですか!」

と言うと、

「いったい、どこから拾って来たんですか」

と疲れたような声で言った。


サテンは、表情を皮肉な微笑にしただけで、茶をすすり、カップを茶托に置いて首を回して肩の凝りを取っているようなしぐさをしてから、再び茶をすすりだした。男に向けては、片眉だけひょいっと上げただけで何も言わない。おかげで、睨みつけながら、

「王城では昨夜3度の落雷があったと言う噂で持ち切りですぞ」

と言って口を閉じた。サテンは静かに、

「身元を知りたいと本気で思うか?」

と言うと、男は嫌そうな顔をして、首を左右に振ってから、

「絶対に、わたしには言わないでください。聞きたくないです」

とまるで、アヤノ皇子が誰だか知っているかのように言うのだった。王宮に伺候していた商人たちは、議場の間が閉まる寸前、城下街に慌てて戻って行った者達がいた。何が起こったのか、店や家の者達に知らせる為に戻って行った。この店に戻って来た者もいたのかもしれない。何から何まで知っているのかもしれない。しかし、何も触れずに、男はただ、

「で、伯父上。この少年に、命じてくださいませんかね。さっさと着替えるようにと。人間は風邪を引く生き物なんで」

と半分投げやりに言った。サテンは笑った。と、アヤノ皇子は表情を変えず生真面目な顔のまま、

「我は龍の子。龍である」

と言い返し、男はうんざりしたように、

「どっちでもよろしい」

と言った後、サテンを睨んだ。その睨みを受け、サテンはおごそかに、

「着替えてまいれ」

とアヤノ皇子に短く命じた。アヤノ皇子は微笑を浮かべた。そうだった。この声だったと、笑いがこぼれた。このとてつもなく力ある声こそが、自分の主の声だった。アヤノ皇子はゆったりと、タオルを被せられたまま、背筋を伸ばし腰を落として片膝をついた。タオルを巻いた腕を胸に充て、頭を軽く下げて見せ、

「龍王陛下。仰せのままに」

とはっきりとした声でいうと、顔を上げて晴れやかに笑った。

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