城下-003 のんびりとすごす場所

あれは、夜空をまだ飛龍が飛びかい、夜の森は龍の王国の庭として、サテンの庭の一部として、人々が恐れ、龍たちが敬い、そして、のんびりとすごす場所として、そこにあった時代の事だ。


サテンはひっそりと瞼を上げた。窓の外には小さな夜空が見える。隣の建物の上に雲が掛かって、光り輝く星々が陰ろうとしていた。

「龍は一匹では生まれてこない。必ずついがいるはずだ」

サテンはベットから腰を上げた。窓枠に軽く手を当て、上へぐっと押し上げて、窓を開けると、身体を前へ傾けて、そのまま外へ乗り出した。夜の水の香りがしていた。


街を抜ける風は埃っぽく、建物を撫で人の炊事の香りがした。煤の香りもすれば、獣を焼いた匂いもした。そして、捨て損ねている排水の匂いもする。龍の匂いは何もない。サテンは大きく息を吸って顔をしかめた。しかし、疲れた様子は消えていた。


身体がすうっと外へ出て、透けた姿で宙に浮く。内庭の上、建物の上へ、街の上へと上がって行き、ふと西の空を見ると、山々の向こうに小さくなった月が落ちようとしていた。

「第一皇子の、ミカゲ皇子の対なるモノがいるはずだ。どこかで必ず息づいている」

サテンは月を見つめて、じっと宙に漂っていた。

「大丈夫、私がいるわ」

あの遠い昔の声は、今はもう、宙の方の事になっている。いまだに恋しい。すぐそこに、手を伸ばせば届くところにあるのでは、と思ってしまう。サテンは大きく息を吸って呼吸を抑えた。風が袖をゆらして、髪をふき上げ、頬に触れる。

「必ずいるから。それが私よ」

サテンは指の先で頬に触れ、静かに夜空を見つめ続けた。


朝露に、髪がしっとりと濡れ、部屋の中には凍える冷気が立ち込めて、アヤノ皇子の震えてせき込む声を聞いて、サテンはゆっくり宙からベットへと意識を戻した。窓枠を降ろそうと、ベット脇に座った身体は、背の無い丸椅子に、棒を飲んだように置かれたままだったのだが、ゆっくりと腕を動かす事で、生き物らしさが戻って来る。目をしばたたくと、部屋の中の温度が上がって、アヤノ皇子が手足を伸ばした。目は覚まさない。サテンはそのまま窓枠に寄りかかるように座りなおして、腕を軽く組むと、すうっと目を閉じ意識を飛ばした。今度は朝日が額に当たるまで、正確にはしとしとと降りだした小雨の中に薄明かりが差し込み、部屋が明るさを取り戻すまで、夢の無い眠りの中を彷徨うのだった。


翌朝、サテンは、小雨の中、傘もささずにフードを深くかぶった姿で、アヤノ皇子を連れて外に出た。食堂のカナリが「これから雨は酷くなるんだから、傘くらい持っていきなよ!」と声を掛けたが、聞きもせず、ただ、アヤノ皇子に向かって「濡れた煉瓦は滑る。足元に気をつけなさい」と静かに声を掛けると、おもむろに馬車道の人の多い大通りに出て、水の流れ出している歩道の上を歩き出した。


朝から雨雲が深く垂れこめていた。朝、朝食にアヤノ皇子がパンをちぎって食べていた頃にはうっすら明るくなっていたのが、今ではすっかり日も陰り、夕暮れの様にうす暗い。馬車道と言っても、中央から外れたこの辺りは道幅も狭く、馬車一台が通れば両側に水を盛大にはじくばかりで、歩道と言ってもちょっと高くなっているくらいだ。通りの両側の店は石段を三つ昇ると片開きの扉がついていて、脇にある高い位置の窓から光がもれる。とはいえ、この雨の季節にはドアも窓もしっかりと閉じ、ランプが付いているのだろうが、カーテン越しにわずかに明かりが見える程度だ。


そんな薄暗い通りを、高い建物から雨樋が途中で切れて、滝の様に流れている場所を避けながら、サテンは黙って足を勧めた。時折、広く取られた窓の前に、長く突き出た庇が出ていた。雨除けになり、下を歩くと、サテンを追うアヤノ皇子がほっとしたような顔をする。しかし、前を急ぐサテンの顔は変わらない。アヤノ皇子はフードの下に水が流れ混んでいるのか、襟を片手で握っている。白い指先が震えている様子からするとかなり冷えて来たらしい。しかし、フードをひらっとさせ、前を軽く抑える程度で大股で歩くサテンは、全く寒さを感じないのか、また、寒いと言うのが分からないのか、振り返りもしなければ立ち止まりもしない。

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