第5話 聖剣
傭兵達と物騒な斬り合いを演じた次の日、俺はリリィの教会までやってきた。彼女から借りた鍵を使って扉を開けると、女神像の前にひざまずいて祈りを捧げる小さな背中が見える。
時刻的にはもう深夜だった。この教会には普段彼女以外には来る者はいなくなってしまったらしく、鍵をかけておいても問題はなかった。念には念を、傭兵達がまた来ないとも限らないからね。
「やあ。遅くなってごめん!」
「シエルさん、こんばんは」
古びた教会は今にも崩れ落ちそうなほど老朽化していて、そろそろ新しくするべきだと思う。女神像に祈りを捧げていた彼女は振り返り、その幼い顔に可愛らしい微笑を浮かべた。
「傭兵団に行ってきたよ。奴らは最近姿を現していないらしいが、見つけ次第拘束する必要があるってさ。後で国にも連絡をするって話だよ。そして明日からしばらくの間、ここにも警備に来てくれることになった。今度は悪い奴らじゃない」
「本当ですか! 何とお礼を言えば良いのでしょう。ありがとうございます。ありがとうございます!」
駆け寄ってきた白い手が俺の手を掴んで、ぶんぶん振ってくる。ちょっと照れくさいな。
「いやいや。元騎士として、当然のことをしたまでなんだ。何も気にしなくて大丈夫! ところでさ、この教会……かなり寂しい事になっちゃってるね」
「……はい。先祖代々引き継がれてきたんですけど、どんどん信仰する人が少なくなってしまって。それでも、私はここを守っていきたいんです。おかしいですか?」
つぶらな瞳がこちらを見上げてきて、ちょっと返答に困る。
「そんなことないよ。君にとって思い出の場所であり、ご家族にとっても大切な所だったんだろ? だったら守りたいと思うことは当然だね。でも、宣伝活動には力を入れたほうがいいかもな」
余計なお世話かもしれないけど言ってみた。このまま一人で通い続けていても、いいことはなさそうだし。
「はい。一応、誘ったりすることもあるんですよ。でも、なかなか入ってはもらえなくて。あの壁画が不気味だって嫌う人も沢山いるのです」
リリィが指差した壁画には、黒く大きな剣を天高く挙げた男が描かれてる。うん、言っちゃ悪いけど、これは不気味だ。
「ゾッとしちゃうね。何で教会に、あんな絵が描いてあるんだい?」
「あの絵は、この教会と切っても切り離せない意味があるのです。運命の剣を持ち、沢山の人を殺しちゃう悪魔の絵なんです。あの剣に狙われれば最後、斬られることが運命になってしまうと言い伝えられてます」
へええ。そんな意味があったのか。俺が絵について想像を膨らませていると、唐突にその時はきた。巨人が大地を踏みつけたような縦揺れだ。
「きゃああ!」
「地震か!?」
何の前触れもない地震。俺は立ってられずにしゃがみ、リリィを抱き寄せた。そいつはすぐにおさまったけれど、胸騒ぎは止まっていない。
「大丈夫だったか?」
「はい。私は大丈夫ですが、教会が……?」
まあね、この教会は今ので崩れちゃってもおかしくないよ。でも何とか踏みとどまったようだ。彼女は周囲を見渡した後、ハッとしたような顔で女神像まで駆け出した。
「女神像が泣いてます!」
「え、ああ!?」
思わず大きな声が出ちまった。女神像から真っ赤な血のような涙が流れてる。信じがたい現象っていうか、まるで生きているみたいじゃないか。
「ちょっと待って下さい! これってもしかして」
リリィは本棚にしまわれていた分厚い本を祭壇に載せて、パラパラとめくり始める。その指先が止まったページには、女神像が泣いている姿が描かれていた。
「見た感じ一緒だな」
俺はまるっきり状況が掴めていなかったけど、どうやらリリィに掴めてきているらしい。先ほどまでとは違う真剣な表情で文章を追っているようだ。
「これは来たる厄災の合図なのです。五百年前、ハーティア国が支配する以前に、この地に存在していた王国トラウエン。その王国で最強とも謳われた騎士バルドールが蘇った時、女神像は涙を流して危機を伝えると」
「バルドール? あの六本腕の悪魔とか呼ばれていた騎士のことか。いや。まさか」
信じがたい話だ。確かに封印されているっていう噂は聞いたことがあるけれど、ある意味では尾びれ背鰭がついた大袈裟な伝説だと思っていたんだ。俺以外にも、同じような認識の騎士や町民は沢山いるはず。
「間違いありません。だってこの教会は、いつか復活するバルドールを倒すことが本来の目的だったんです」
この教会が? ちょっと頭が混乱してきた。
「あまりにも飛躍した話かもしれませんけど、本当ですとしか言えません」
「いきなりすぎて信じ難いな。流石にそれは……ああ、いや。ちょっと待てよ」
教会の古びた窓越しに視線を向けると、微かにだが城が見える。ここからはとても距離があるのだけれど、そこから今までにない恐ろしい何かを感じる。
遥かに遠くからでも感じるほどの、強烈過ぎる殺気。滝のように流れ出してくるような憎悪。禍々しい何かが城にいる。そして驚くべきことに、気味の悪煙が舞い上がっているのが解った。火事ではない、もっと酷く歪んだ昇り方をしている。
「城に何かが起こってるみたいだ。君のいうことを信じるべきかもね」
リリィは青ざめた顔になっていた。それはもう、処刑を待つ罪人のように。
「こうなってしまったら、もう終わりかもしれません。せっかくここで作られた武器も、扱える人がいません」
「武器? あるのか、この教会に?」
彼女は小さく首を縦に振る。額には汗が滲んでいた。
「はい。恐らくは唯一、彼を倒すことができる物を私達は隠していたんです。バルドールが復活する時までは、決して誰の手にも渡してはいけないと。武器の価値に目をつけた欲深い人をあざむくために、贋作だって用意したくらいです」
「どうして奴を倒す方法がその武器だけなんだ?」
「彼はいくらでも体を再生させることができます。一切の苦しみを感じず、体は無制限に修復されてしまうのです。しかし、その再生能力すら破壊できる力を、私達のご先祖様は長い時間をかけて練り上げました」
痛覚がない上に、無限に体を再生させられる? なんて厄介な奴だ。リリィはいつの間にか、瞳に大粒の涙をためてこちらを見上げてる。
「でも無理です。扱える人がいなくては滅びるしかありません。シエルさん、あなたは何処かに逃げるべきです」
「怖い話になってきたね。それで君はどうする?」
「私は、他に行き場所なんてありません。最後までこの教会を守って、人生を終えます。それが使命なので」
何を言ってるんだよ。俺は首を横にふり、彼女の小さな両肩を掴んだ。
「リリィ。それは間違っているよ。君は生き延びるべきだ。使命とかそんなことどうでもいい。というか、一つ大きな間違いがあるよ」
「え?」
彼女を勇気づける為に、今どんな顔をするべきだろう。でも、大体の場合答えは決まってる。ただ優しく笑うだけだ。
「その聖剣とやらを使って、俺が奴と戦えばいい。そして勝てばいい。一件落着だろ?」
口をあんぐりと開いた彼女は、少ししてからブンブン首を横に振る。
「シエルさんが!? だ、ダメです! バルドールはシエルさんが思うよりずっと強いんです! だから」
「だからこそ、俺は行くよ。っていうか、行きたいんだよ」
俺はちょっとだけ屈んで顔の高さを同じにした。
「でも……でも! シエルさんが殺されちゃったら。私」
「大丈夫だって! 俺だって死にたくはない。でも、こうやってむざむざみんなが殺されるのを、黙って見ているのも嫌だ。信じてくれないかな?」
教会に静寂が訪れる。まだ怪物は暴れ出しちゃいないようだ。
「約束、できますか?」
俺はさっきよりもニッコリ笑って、彼女を安心させる。
「ああ! 任せておいてよ。俺は必ずそいつを倒すし、生きて帰るよ」
「んむ! ううう」
リリィはなぜかむせび泣いて、俺の胸に飛び込んできた。もしかしたら幼いながらに、いろんな人の死に向き合ってきたのかもしれない。
しばらく抱きしめていると、ちょっとずつ落ち着きを取り戻してきたらしい。震えがおさまり、小さな顔がこちらを見上げた。
「ホントにホントに! 約束ですからね!」
リリィはようやく俺から離れると背を向けて歩きだし、女神像の中心に右掌をつけた。暗い教会内に、やがてじんわりと眩い光が発せられる。彼女の掌を中心に像全体に輝きが広がっていく。
「お、おいおい」
あっという間の出来事に、俺ってやつは口を開けて茫然としているしかない。光は教会全体に広がり、やがて天井付近から木製の箱がゆっくりと降りてくる。まるで透明な天使が贈り物でもくれたみたいに。
無言でその箱を両手で受け取ったリリィが振り返り、こちらに差し出しつつ中を開けた。
「これが……聖剣なのか?」
「はい。バルドールの再生能力を破壊することができる、唯一の聖剣アガルナスです」
みた感じは鞘に収まったショートソードに見えるけど、漂わせている雰囲気の神聖さは本物だった。俺は厳かに剣を取り脇に差した。
「ありがとう! そろそろヤバイことになりそうだ。急がないとな! じゃあ行ってくる!」
「あ、待って下さいっ」
俺は駆け出す足を止めて振り返った。
「今すぐお城に行きたいなら、私の魔法でできますよ!」
「え、本当か! リリィは飛行魔法が扱えたんだ」
「いえ。風魔法です」
そうか風魔法か。どんなものかはちょっと想像できないが、近道ができるならありがたい。
「助かるぜ。早速頼む」
「はい! では教会から出て、一度広い所へ行きましょう」
彼女に言われるがまま、俺は教会から出て開けた野原にやってくる。ここからなら城は見えてるが、まだまだ遠いなぁ。
「プロテクトをかけますから、少し待っててください。それとこの光玉、一つシエルさんにあげます。目眩しに使えますよ」
「おお、ありがと!」
ちょっとやり過ぎじゃないかっていうくらい防御魔法を重ねがけされた。これはバルドール戦に向けての備えっていうわけだ。光玉も役に立つし、本当に助かる。
「じゃあ魔法で飛ばしますね! シエルさん。絶対絶対、また会いに来てくださいね!」
「勿論だよ。教会にも誰かしら友人を連れていくさ。で、どんな風に」
「はい。背中をこちらに向けていてくれれば大丈夫ですっ!」
なんか簡単そうで良かった。背後からちょっとずつ風が巻き上がっていることを感じる。ちょっと気持ちいいくらいだったけれど、だんだんと激しさが増してきて、やがて尋常じゃない突風っぽいのがきた!
「ご武運をっ!」
「ああ……ん? うおおおおおおー!?」
あ、なんかヤバくない? と言う間もなかったわけで。
どうやら、ただ単純に特大の風魔法で俺を吹き飛ばしたらしい。溜めた時間が長い分、飛ばされる距離は大きくなるんだけど、はっきり言って無理があるぞ!?
「うわああああ!? ちょ、ちょおおおー!」
もしかして、さっきの防御魔法は落ちても大丈夫なようにかけたのだろうか。遥か上空から見えるハーティアの街並みを堪能する余裕などなかったが、とにかく体は真っ直ぐに城まで突っ込んでいったんだ。
「まずい!? このままじゃ城壁にぃ! って、あれ?」
謁見の間から得体の知れないものが飛んでいくのが見える。そしてそいつの腕の中には、間違いなくルル姫がいた。
姫がさらわれている? どうあってもここは助けなくてはいけない。この状態では進路など変えられそうもないが、何とか奴にぶつかるか、もしくはすぐ近くまで行けそうだ。
俺の読みは遠からず当たった。
「おおおおお!」
「……何!?」
思い切り体当たりされた奴は吹き飛び、城壁に激突したようだった。俺は城近くに建てられている貴族宅の屋根に転がりつつも着地する。腕の中には姫がいた。
救出はギリギリセーフだったが、被害がないわけじゃない。奴の体から噴出される黒い雷みたいなものが街中に飛んで、あらゆる建物をぶっ壊しやがった。そこから家事が発生して、街は大騒ぎになりつつある。
俺は屋根に体を打ちつけてしまい、けっこうな打撲をしてしまったようだ。呑気なことを言ってる場合じゃないが、やっぱ痛い。
「あたたた。姫様、ご無事ですか?」
「は、はい。え!? シエル様……ですか」
「ははは。手荒な助け方になっちゃってすみません」
「いえ! ありがとうございます。でも」
ルル姫が不安げな顔で見つめた先に、黒く禍々しい煙が渦巻いている。俺は彼女の前に立ち、鞘に修められていた剣に手を掛ける。こっちを追いかけてきたらしい。
呪いの騎士とやらは相当怒っているようだ。黒い雷が自然に体から飛び出ては、街のどこかに飛ばされている。いるだけでここまで迷惑な奴は珍しい。
「お前がバルドール、だよな?」
「我が姫に手荒な真似を。許さん! 許さんぞ! 青二才の分際で」
「ルル姫様。下がっていてください。ここは俺が何とかします」
「ふん! 貴様のような優男に……?」
バルドールの言葉が止まるが、付近はとにかく騒がしい。街は突然の魔物の出現に混乱状態になっていて、逃げ惑う人々の悲鳴があちこちに聞こえていた。しかし奴は周囲にはほとんど気にも止めていない様子だ。
「お主から風を感じる。まるで神の……」
「神? 俺はそんな大したもんじゃない。ただの無職の男だよ」
俺は静かにリリィから借りた剣を抜いた。それは思っていたよりもずっと軽く、何か不思議なフィット感がある。そして剣身からは、白い煙が湧き上がったまま消えようとしない。
「ほう、そうかそうか。先ほどの言葉、訂正しよう。その剣はまさしく聖なる息吹そのもの。我の元へ聖剣を持ち立ち塞がるとするならば、国を代表する男に相違あるまい」
「今度は買い被っているな。まあいいか、かかってこい!」
内心の緊張から意識を逸らそうと、あえて軽口を叩いて見せる。
剣を構えながら、俺は少しずつ奴へ接近していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます