第4話 ドグマの誤算

「レイモンド。準備は完了しているな? 俺の大仕事を成功させる種は撒き終わったか?」

「はい。何の心配にも及びません。今頃地下室は汚れた血に彩られていることでしょう」


 ドグマはレイモンドを含め、聖騎士団の主戦力二百名を深夜に呼び出した。唐突な召集命令に戸惑う者もいたが、精鋭である彼らはほとんどが、いつ何時でも戦える気概があった。


 城の中庭はどんな貴族の庭でも及びもつかないほど広く優雅であった。しかし今日、ドグマからの報告により物々しい空気が漂っている。


「ドグマ、ドグマよ! 本当なのだな?」


 中庭に集合した騎士の中心に立つ団長に向かって、急ぎ足でやってきた国王は問う。


「はい。間違いございません。あの小汚い商人ども、あろうことか傭兵を使い地下室に忍び寄り、バルドールの封印を解いた模様です」

「なぜそのような愚かな真似を……」


 普段は沈着冷製であった国王も、この時ばかりは狼狽していた。こうして見ればただの老人ではないかと、ドグマは内心ほくそ笑む。


「欲に塗れた人間というものは、時として愚かな行為に走るもの。国そのものを揺るがし、自らが王になろうとでも企んだに違いありません」


 ドグマが話をしている矢先、突如大きな縦揺れが起こる。そして小刻みな地震のような何かが発生し、付近一帯を揺らし始めていた。


「おお、おおお。これはまさに悪夢。どうすればよいのじゃ。今からでは封印の術式を組むことも間に合わぬ」

「ご安心ください。私の手にあるこの聖剣さえあれば、かの悪魔といえど……」


 ドグマは大剣を掲げ、鞘から半分ほど抜き美しい剣身を見せつけた。通常の剣よりも長く太い、白刃が煌めく逸品だ。国王は目を見開き、その瞳に希望を宿した。


「何と! かの聖剣を見つけ出していたのか!?」

「はい。私ならば難なく使いこなせましょうぞ。おや、国王様。早々に避難を。奴が向かってくるようです」

「う、うむ! ドグマよ。期待しておるぞ!」


 国王は兵士達に囲まれ城内に避難をする。レイモンドは地下からここ中庭に至るまで、一定の間隔で光る石「光魔石」を置いている。

 その光を頼りに奴はここまでやってくるはずだ、というドグマの言葉を信じていた。本来ならば城の中枢に招き入れるなど言語道断なのだが、逆に言えば王の目前で手柄を見せつけることができる場だった。


 ドグマは適当な理由を並べて、この庭におびき寄せることが最善だと語り続けた。結果、疑いはもたれているものの周囲をなんとか納得させることに成功している。


 そして、バルドールはドグマの想定どおりにやってきた。虎のような獰猛さを撒き散らし、大きな跳躍をもって中庭に現れる。

 身体中を黒い雷が包んでいるかのようだった。今は武器を手にしていない。


「これが……バルドール……」


 レイモンドは一目で怖気づいてしまった。だがドグマは、自身の勝利に疑いを持たない。


「国賊共。このような所まで踏み込んでおったか。許せぬ、許せぬぞ」


 ドグマは呆れたように苦笑すると一歩前に出る。まだバルドールとの距離は三十メートルは離れている。


「国賊は貴様だろうが。今こそ伝説に終止符を打たせてやる。撃て!」


 聖騎士団長の号令とともに、騎士達は構えていた魔法弓を引き、一斉に解き放った。魔法弓は戦争もしくはモンスターの襲撃などでのみ解禁される武器である。規格外の威力を誇り、並の魔物など跡形もなく消し去ってしまう。


 彼らが放った矢は、ただ相手を貫通して終わりというものではない。微かにかすっただけで岩一つ消し去るほどの爆発を起こす魔法が内包されていた。


 矢は一発残らず当たり続けた。的は比較的近くにいた為、外す者もほとんどいない。滅多撃ちにしているという表現が似合うかもしれない事態に、レイモンドはほっと胸を撫で下ろし、ドグマは少しばかり不満顔になった。


「なんだなんだぁ。やはり伝説の怪物などというものは嘘っぱちでだったのか。昔話っていうのは、どうも尾びれや背びれがついてしまうな」

「ははあ。全くです。口程にもない相手でしたな」


 優雅だった城内の庭はもう見る影もなく荒れ果てているが、今回ばかりは国王も許してくれるに違いないとドグマは考える。やがて右手を高く上げ、攻撃の中止を指示した。


 巨大な煙によって、ほとんど視認できるような状況ではなくなっている。少しばかりやり過ぎてしまったかもしれない、などとレイモンドが呑気な考えを浮かべていると、それは唐突に歩みを進めてきた。


 煙など何も気にすることもなく、バルドールはこちらに一歩、一歩と近づいてくる。


「ほほう。大そうな弓を用意したものだ。しかし足りぬ。まったく足りぬ」


 聖騎士団長は笑みを浮かべながら、鞘から聖剣を引き抜いた。レイモンドの顔に怯えが浮かび、ひっそりと後ずさる。


 バルドールは体の半分を消失していたが、みるみるうちに再生し、現れた時と寸分も変わらない姿に戻っている。


 そして六本の腕が赤く光ると、何もない空間からありとあらゆる武器が姿を見せ、彼の手におさまっていった。伝説でだけ語られていた、いずれも最強と称された呪いの武器達は、今も新鮮な血を求めている。


「ふん。そのようなもの、」


 ドグマが言いかけた時、黒い風が隣をすり抜けた。


「う、あああ、あああぁ!?」


 次に聞こえたのは、レイモンドの悲鳴。咄嗟に振り向くと、遥か遠くまで吹き飛ばされてしまった彼の姿があった。


 黒い風の正体はバルドール自身だった。大きな背中からは猛烈な覇気が溢れ出し、ドグマの脳裏から余裕が消える。焦りを感じ始めたその時、黒い突風が聖騎士達の間を駆け抜けていく。


 赤黒い剣が銀色の甲冑を切断し、黒い槍が喉元を突き破る。金槌が兜ごと頭を潰し、魔杖から吹き出る煙が毒をもたらす。


 ドグマに指示されるまでもなく、魔法弓や剣を用いて応戦した聖騎士達はあっさりと葬られ、死体の山が作られ始めていた。


「ぐ……この。化け物めぇ! 俺が相手だぁあ!」


 ドグマは聖剣を両手に持ち身構えた。ようやく彼のほうへ振り向いたバルドールは、何かに気がついて上を見上げる。


「……め」

「あ!? どうした! さっさとかかってこい。来いよオラ!」


 ドグマの挑発は骸骨の騎士には届いていない。彼は呆然と顔を上げたまま、何かに心を奪われている様子だった。


「おおお! あれは……間違いない。ルミナ姫。ご存命でおられたのですね!」


 感嘆の声を上げた怪物は突如空高く舞い上がり、王室のバルコニーに向かっていく。


「あ、あんの野郎ぉおお! 待てコラァ」


 相手にもされなかった惨めさを肌に感じながら、聖騎士団長は一人謁見の間に続く階段へと急いだ。庭は既に聖騎士達の死体で溢れている。


 ◆


 謁見の間でルルは、沢山の兵士たちに囲まれて待機を命じられていた。彼女は自分の身よりも、悲鳴を上げて恐らくは殺されてしまったであろう騎士達を気にかけ悲しんでいる。


「一体何が起こっているのでしょう。どうしてこんな事に」

「ルルや。大丈夫、大丈夫じゃ」


 彼女の玉座近くにやってきた国王は、なだめながら優しく髪を撫でた。この時まで彼は、自信に溢れた聖騎士団長の発言を信頼していたのである。


 しかし、その信頼が崩れようとしている。不意に突風が謁見の間に吹いた。唐突にバルコニーから飛び込んできた黒き怪物に、誰もが呆気に取られる。


「ルミナ姫。お久しゅうございます。ご無事で何よりです」


 骸骨の怪物、バルドールの発言が更に周囲を混乱させる。ルルは恐怖に震え声が出なかった。


「貴様! よくも抜け抜けと我らが城に入り込んだものだな。大罪人めが」


 王がルルの前に立ちはだかり怪物目掛けて叫ぶと、周囲の兵士たち百人あまりが動き出す。


「我らが城だと? 世迷いごとを抜かすな。我らが聖域に侵略を行った賊ふせいが」

「ドグマはどうしたのだ!? ええいお前達、こいつを斬れ! 斬り捨てるのだ!」

「は!」


 兵士達は国王の命を受け、勇敢にも一斉に攻撃を仕掛ける。彼らが所持しているブロードソードも盾も、その甲冑から忠誠心に至るまで、世界でも名を馳せるほど高水準であった。


 しかし相手が悪すぎる。


「邪魔をするなぁ! 戯け者共ぉ」


 怒りの黒い瘴気を全身に纏わせ、怪物はただ走る。すれ違うだけで何かが切断されていく。それでも彼らは果敢に斬りかかり、幾らかの足止めとなった。目にも止まらぬ斬撃を浴びた兵士達が死体に変わっていく中、国王は一人の部下を捕まえて叫んだ。


「増援を呼べ!」

「し、しかし国王様。まずはお逃げになるべきでは?」

「奴の狙いはワシだろうて。この老いぼれの足では逃げてもどうにもならん」


 そして王自らが懐に忍ばせていた剣を抜いた。


「ルルよ。お前も逃げるのだ!」

「嫌です! お父様も一緒に、」

「逃げてくれ、頼む! ワシはお前だけは……」


 不意に兵士の一人が吹き飛ばされ、国王にぶつかる。


「ぐあ!」


 体の大きな兵士に押し倒される形になり、なかなか起き上がることができない王の瞳には、ルルにすぐそこまで迫るバルドールが映った。


「あ、あなたは何ということを! どうしてこのような残虐な真似をなさるのですか!」


 恐怖に震えながらも彼女は逃げない。呪いの騎士は不思議そうに首をかしげた。


「どうしてしまったのですルミナ様。私をお忘れですか? 貴方様の剣、バルドールでございます。あなたは城へ踏み込んだ賊どもに囚われているのですぞ」

「逃げろ! ルル! 逃げろぉおお」


 国王は声の限りに叫んだ。しかし、バルドールは何の反応も示さない。目前にいる、かつての姫と同じ容姿を持つ存在にしか興味を持たないのだ。


「私はルミナなどではありません。こんな真似は今すぐやめてください!」


 気丈にも声を荒げたのはルルのほうだった。誰しもが逃げ出すところを、強い正義感が押し留めている。この状況において、狼狽したのは黒き騎士のほうだった。


「なんと……」


 バルドールは一瞬声をなくし、やがて後ずさる。


「なんという……ことだ。ルミナ様が、ルミナ様が洗脳されている。お、お、おのれ! おのれ賊共ぉおおおー!」


 魂の咆哮と共に、再び群がってきた兵士達を切り刻んでいく。


「やめてぇ! やめて下さい!」


 ルルは体を震わせつつも声を上げる。ようやくのしかかった兵士をどかした王は立ち上がり、彼女の前まで足を引きずりながら近づいた。


「大丈夫だ! 大丈夫だルル。とにかく、お前はここから」

「そこまでだ! この化け物がああああ!」


 彼の登場もまた突然だった。謁見の間の扉を体当たりで開いたドグマが、バルドール目掛けて走っている。魔杖の光によって焼かれた兵士を踏み台にして跳躍すると、無防備な背中が視界いっぱいに広がった。


「終わりだ! そして俺は、全てを手に入れるんだぁ!」


 この瞬間、ドグマは誰の目からも英雄に映っていた。白き大剣を振りかざし、過去から蘇った亡霊の首筋を斬りつけ、刃が壊れるその時までは。


 聖剣と呼ばれたそれは、あっさりと剣身が真ん中から叩き割れ飛散した。ドグマは着地と同時に、まるで人形のように動きを止めてしまった。大きな背中は悠然と剣を奮っている。そして、何事もなかったかのように、ごく自然に顔だけを彼に向けた。


「何かしたか?」


 まるでうるさい蠅に苛立っているような声色だった。そして体ごと振り返り、悠然と聖騎士団長に向かい歩みを進める。未だかつて体感したことのない、強烈過ぎる剣気。ほとばしる威圧感を前にして、ドグマは腰が抜けてへたれこんでしまう。股から何かが漏れ出しているものが見え、呪われた騎士はため息を漏らす。


「……殺す価値もないやつよ。消えろ」

「ひ! あぎゃ!」


 唐突に顎を蹴り上げられ、ドグマはそのまま失神した。国王はことの一部始終を見守り、失望と怒りが同時に湧き上がってくる。


「国家最強であるはずの聖騎士団長が、何という無様な醜態を晒すか!」


 しかし、怪物は考える暇すら与えず次の行動に移る。不意にバルドールの真ん中二本の腕から武器が消えた。

 それは国王にとって最も恐れていたことの前触れでもあった。バルドールは身を翻し、音もなくルルに接近すると、抱き上げてバルコニーから飛び去る。


「姫! まずは一刻も早く安全な所へ」

「きゃあああ! お父様、お父様ぁああ」

「ルル! ルルー!」


 飛翔する怪物を追いかける国王は、バルコニーから落ちてしまいそうな勢いだった為、生き残った兵士達が必死で止めに入る。そして彼女は拐われ———


「うおおおおおお!」


 ——たと思われた矢先、飛翔する怪物に唸り声を上げた何かが衝突した。

 白い光に包まれた青年は、まるで希望が形を成したかのようだった。

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