第2話

倉庫の扉をそっと開け、キョロキョロと見渡してみる。外は水浸しで、雨がかなり降ったことがわかる。

私は荷物を片していく。

大分夜の冷え込みは和らぎ、むあっとした空気に包まれている。


「ちょっと、昔の話をしてもいいかな」


高城くんは座り込んだまま、なんだか気難しそうな顔をしている。

私はコクリとうなずいて、高城くんの隣に座る。昨夜とは違う。一人分の、隙間を開けて。



〜蓮斗side〜

俺は小さい頃、一人で病院に通っていたんだ。あ、俺の通院じゃなくて、母さんのお見舞い、だ。

昨日みたいな雨の日のことだった。お見舞いの帰りだから、夕方の五時を回っていた頃だったと思う。小さな公園を通りかかったんだ。

誰かがいた。人っ子一人いるはずないって思っていたはずの、びしょ濡れの公園。一つの大きなどかんの中。すすり泣く声が聞こえて覗き込むと、黒い礼服を着た小さな女の子が、膝を抱えて泣いていたんだ。見たことない顔だった。この辺の子じゃないってことはわかったけど、どこの誰かはわからない。

声をかけたんだ。大丈夫、と。女の子は泣いていた顔を上げて、不思議そうに俺の顔を見て、真っ直ぐできれいなボブカットを揺らした。

俺は女の子の手を引いて、傘の下に入れた。女の子は驚いたように俺の顔を見て、少し距離を空けたまま、俺の隣に立った。俺は彼女の右手を離さなかった。離したらなんだか、逃げていってしまいそうな気がして。

女の子は人見知りなのか、口数は多くはなく、『こ』の一文字しか言わなかった。俺は勝手に『こっちゃん』と呼ぶことにした。

第一印象とは違い、思ったよりも明るい子で、ニコニコ、優しく笑っていた。

たわいのないことを話しながら歩いて、彼女が足を止めたのは、一件の民家の前だった。ここでいいよ、ありがとう、と言い、笑いながら右の横髪を耳にかけた。

耳たぶにあったのは、小さなほくろだったんだ—— 。



〜雪月side〜

私は思わず耳たぶに触れた。そこには——小さなほくろがあった。


「れん‥‥‥くん‥‥‥?」


温かい手のひら。

笑うとできる、目尻のシワ。

淡い光に反射して光る澄んだ瞳。

蘇る、ぴたりと重なる記憶。温かい手のひらと、笑うとできる目尻のシワと、淡い光に反射して光る澄んだ瞳の持ち主は――紛れもない。目の前にいる高城くんだ。


「こっ‥‥‥ちゃん‥‥‥だよね‥‥‥?」


高城くんは、よかった、と笑った。その顔が、鮮やかになってゆく、れんくんと重なる。


「本当に、れんくん‥‥‥」



『僕、こっちゃんと話せてよかったよ』


れんくんはそう言って、笑った。私は『こなつ、ゆづき』と名乗ったのに、雨音にかき消され、『こ』しか聞こえなかったようで、彼は、『こっちゃん』と呼んだ。

——そうだ、思い出した。あの日は確か、父方の祖母の、お葬式だったのだ。おばあちゃんっ子だった私は、信じたくなくて、誰にも気が付かれないようそおっと家を抜け出したのだ。家を出たときは雨が降ってなかったのに、気がつけば土砂降り。傘を持っていないし誰も迎えにきてくれない。こんなとき、おばあちゃんだったら迎えにきてくれたのに‥‥‥と考えて、寂しくなる。そんな事を考えて、私って馬鹿だなあなんて思った。

彼は、私の胸を溶かした。れんくんの笑顔は温かくて、胸がホカホカして、でもなんだかドキドキして。こんな気持ち、初めてだった。

勝手に抜け出した私をお母さんもお父さんも心配してたくさん叱ったし、親戚も安堵したような、でも叱るような顔で私を見ていたけれど、私は笑っていた。れんくんが、勇気づけてくれていたから。おばあちゃんの死から、立ち直させてくれたから。あのときから私はずっと――。



高城くんと、バチッと目が合う。私はさっと視線をそらせてしまう。違う、そういう気持ちを抱いたのは、あくまでも『れんくん』に対してであって、『高城くん』じゃない。‥‥‥なんて言い訳しようとするあたり、もしかして私、高城くんを――



「俺、あのときからずっと――」



「‥‥‥あ‥‥‥‥‥!」


外がなんだか騒がしい。もしかして帰ってきたのか!?

私は立ち上がり、外に飛び出す。雨は上がったようだ。


「高城くん?行くよ」


高城くんはもう少しだったのに、と呟き、はあ‥‥‥と盛大にため息をつくと、なんだか悔しそうに、でも嬉しそうに笑って立ち上がった。


「ちょっと待って、小夏」


私も自然と笑みを浮かべていた。



「紫夕くん、あたしのお財布持ってない?」

「あ、旅館で最後荷物チェックしたとき落ちてたのって美心の?確かここに‥‥‥」


やっぱり。私は一歩踏み出そうとする‥‥‥けれど。


「小夏?」


高城くんが不思議そうに私の顔をみる。かばんを持つ手が震える。踏み出せない足が震える。

怖いの?‥‥‥うん、そうだ。私、怖いんだ。

みっちゃんがとったって、その事実を確かめることが怖いんだ。もし本当にみっちゃんがレンを持っていたら?私はどうしたらいいんだろう。返してって言って終わることなの?ううん、そんな簡単に終わらせられることじゃない。じゃあ、本当にどうしたらいいの?

ふと、右手に温かいものが触れた。そちらをみると、私の手を握ったのは、高城くんだった。温かい手のひら。そう、あの日と同じ。

ひとりじゃない、俺もいるんだ。

言葉に出して言わないものの、そう言われているような気がした。

うん、大丈夫。言えるよ、怖くなんてない。

私は大きく深呼吸をして一歩、踏み出し言った。ねえ、みっちゃん、と。

二人は驚いたように私を見た。

紫夕くんは単純に驚いて、みっちゃんは――顔を歪めた。十秒、ほんの十秒視線を交わし合っていると、耐えられなくなったのであろう、みっちゃんは回れ右をして駆け出した。それははっきりと、肯定を示していた。あたしがとったんです、ということの。

私はきゅっと唇を噛むと、右手をきつく握りしめた。どうしてこうなってしまったんだろうね。嫌だなあ。

高城くん、ごめんね、そう言って、私は高城くんの手を振り払って、追いかけた。何度も涙を拭いながら。

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