第8話

「大丈夫ですか?」


心配したように私の顔を覗き込む、一年生の女子。別の世界に行ってしまっていた私は、一気に現実に引き戻される。


「だ、大丈夫です、すみません。この人ですね」


――あれからすぐに持ち場に戻った私は、午後からの接客を開始した。途切れることのない客に集中することで、紫夕くんとみっちゃんのことを考えないようにしようとした。


「可能性は十分にあります」


‥‥‥できなかった。


「本当ですか!?」


二人との思い出は、私の中で、かけがえのないものであり、大切なもの。


「焦らず、自分に素直になってみてください。‥‥‥貴方の恋が、叶いますように」


考えないことなんてできない。


「ありがとうございました」


狂った歯車を、もう一度回したい。

今出ていった女子が、最後の客だったのだろう。客が途切れた。遠くでかすかに、四時を告げるチャイムが聞こえる。


「――占ってくれる?」


ポンチョを脱ごうとボタンに手をかけたとき、外から声がした。

この声は――。


「蒼ちゃん」


さっきより随分、顔色がいい。なんだか寂しそうな顔をしている。


「どうぞ」


私はボタンを止め直し、前の席を指差した。蒼ちゃんは静かに腰掛けた。どちらも声を発さない。窓から差し込む西日が眩しい。


「‥‥‥前浜を追いかけるの、疲れちゃったって、言ったでしょ。お昼に」


私は、控えめにうなずいた。


「やめると思った?やめるわけないじゃん。あたしがどういう人か知ってる?あたし、かなりうざいからね」


ふふっと笑った蒼ちゃん。


「‥‥‥占う?」


私は裏返しの全校写真を指差した。


「‥‥‥ううん、いい。あたし、もうちょっと自力で頑張ってみるよ」


――カッコいい。蒼ちゃんは、カッコいい。強い顔に、私は釘付けになった。


「無理しないで、頑張れ。‥‥‥蒼ちゃんの恋が、叶いますように」


私の言葉に、蒼ちゃんは驚いたように、もともと大きな瞳をもっと大きくする。そして――。


「ありがとう、ゆづ。あたし――ゆづと友達になれて、よかった」


全開の笑顔で、笑った。その笑顔がとても美しくて——私もつられて笑顔になる。


「私もだよ。蒼ちゃんが友達で、よかった」


私はそっと、机の上に無造作に置かれた蒼ちゃんの手の上に、自分の手を重ねた。


「——蒼」

世梨より


後ろに立っていたのは、世梨——山尾世梨さんだった。


「私も、蒼の友達に、入ってるかなぁ。入ってなかったら恥ずかしいけどね、私、蒼のこと好きだよ。友達でよかった、幼なじみでよかったって、いつも思ってた」


言ったことないけどね、と照れ隠しのように前髪を手櫛でとかす。西日のせいか、照れているのか、頰が赤い。


「なに、言ってんの‥‥‥」


蒼ちゃんの声は、驚いたように震えていた。


「あたり前だよ、入ってるよ。あたし小さい頃から世梨のこと、好きだよ」


蒼ちゃんは立ち上がり、山尾さんの方にゆっくりと歩みを進める。


「もう一度、仲良くなれるかなぁ」


右手を差し出して、少し笑う。


「当たり前だよ」


山尾さんも右手を差し出して、堅い握手を交わす。


「「‥‥‥ね、ゆづ(小夏さん)?」」

「‥‥‥へ?」


完全に人ごととしてみていた私はびっくりして直立不動。


「「三人で!仲良くなれるかなぁ」」


二人は、握手を右手と左手にやりかえて、蒼ちゃんは左手、山尾さんは右手を差し出す。

私はゆっくりと歩み、蒼ちゃんの左手、山尾さんの右手をとる。


「よろしくね、


優しい西日に照らされて光る、山尾さん――世梨ちゃんの笑顔。


「よろしくね、世梨ちゃん!」


私は世梨ちゃんを見た。世梨ちゃんは私を見る。

次に、蒼ちゃんを見た。蒼ちゃんも私を見る。

嬉しくて、胸がくすぐったくて、――三人で笑いあった。



「あのぉ‥‥‥ちょっといいかなぁ」


水を差すようで悪いんだけど‥‥‥と私達に声をかけたのは、浅井くんだった。片付けに入ろうと思ったけれど、入れなかったのだろう。私達のせいで。


「「「ご、ごめんなさ〜い!」」」


私達はバッと同時に手を離す。それがなんだかおかしくて‥‥‥クスクスと笑いあう。

そして浅井くんと世梨ちゃんを見比べて‥‥‥小さく笑ってしまった。



世梨ちゃんから浅井くんへの太い矢印に加えて――浅井くんから世梨ちゃんへの、細い矢印が見えていた。



「じゃあ、また来週ね」


ま反対方向に住む二人とは校門で別れ、帰路についた。

小学生の頃は、一人で学校に通うことすら怖くてままならなかったのに、暗くなってきた道を一人で歩くことに抵抗はない。

六年生のときの一人登下校で、嫌でも鍛えられたのだろう。


「今、私の‥‥‥願い事が

叶うならば、翼が、欲しい」


紫夕くんとみっちゃんと、よく登下校中に三人で歌った『翼をください』。私はこの歌が大好きだった。もちろん、現在進行形で。


「この背中に、鳥のように

白い翼、つけてください」


後ろから、続きを歌う声が聞こえた。


「高城くん」


懐かしい、と笑いながら歩いていたのは高城くんだった。


「‥‥‥幼なじみとね、よく歌ったの」



このおおぞらに、つばさをひろげ

とんでゆきたいよ

かなしみのない、じゆうなそらへ

つばさ、はためかせ

ゆきたい



『雪月、上手だね!』


そう褒めながら、私の頭をなでてくれる、紫夕くん。


『雪月ちゃん、どうしてそんなにキレイな声が出るのか教えて〜!』


そうせがむ、みっちゃん。

その思い出は、くすぐったい。ああ、私はいまでも、二人のことが、大好きなんだなぁ。

恋愛なんてなかったら、今でも仲良くできていたのかなぁ――。



「‥‥‥小夏?」


過去を思い出してだんまりとしてしまった私を心配した高城くんが、私の顔を覗き込む。


「その幼なじみのこと、好きだったんだね、小夏は」


高城くんはしみじみと呟く。


「‥‥‥うん、そうだね」


それからは、どちらも話すことなく私の家までやってきた。



もう一度会えたら、またはあのときからやり直せたら――。

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