第2話

「お、おはよう‥‥‥」


がらりと扉を開け、声をかけるが、私の勇気は、思ったよりも小さな呟きと化した。

誰も気がつかず、教室の騒ぎ声にかき消される。

‥‥‥ま、そんなもんだよね。

ふと顔を上げて気がついた。

ピンク色の矢印が、沢山ある。


クラスカーストトップに君臨しており、リーダー格のある、笹木ささきさんからサッカーが得意で人気者の川木かわきくんへ。

川木くんから眼鏡がトレードマークの優等生、森山もりやまさんへ。

森山さんからクラス委員で先生からも信頼の厚い、浅井あさいくんへ。


もしかしてこれ‥‥‥好きな人が分かる『矢印』‥‥‥?

このピンクの石。

そっと制服の下に付けている、昨日買った石に触れる。



『私が欲しい能力は‥‥‥この、ピンク色‥‥‥恋愛の石』



『恋愛の石』は、つまり、好きな人が分かる石のことだったの?

私はしばらく呆然と、その矢印を見つめた。アノ子からアノ子へ。コノ子からコノ子へ。目が回りそうなほどに飛び散った矢印。



「おはよ、小夏」


ポン、と背中を軽く叩きながら声をかけたのは、高城くんだった。そこで私は、現実世界に引き戻された。


「お、はよ」


小さくそう返すと、高城くんはニヤリと笑った。


「面白いだろ、その石」


面白いっていうか‥‥‥びっくりっていうか‥‥‥。


「これなら文化祭、いけるかもね?」


耳元でそっと意味深なことを呟いて、自分の席に行ってしまった。



『これなら文化祭、いけるかもね?』‥‥‥?どういう意味、なの?



「それでは、文化祭の出し物を決めたいと思います」


そっか、もう文化祭の準備の時期だっけ。七月に文化祭だったよね。


「やりたいことがある人いますか?」


浅井くんが呼びかけるが、誰一人返事をする人はおらず、みんな周りを見渡して目配せをする。



「——俺、聞いたことあるんだけど」


凜とした声が、教室に響いた。

——高城くん。


「小夏って、恋愛占い、得意なんだよな?」


驚いて見た高城くんは完璧なウインクを返し、いたずらっ子のような、不敵な笑みを浮かべていた。



満場一致でクラスの出し物は、私の恋愛占いに決まった。その名も『占いの館〜雪月花〜』。私の名前である『雪月』から連想される、『雪月花』らしい。

『これなら文化祭、いけるかもね?』ってこういう意味だったんだ‥‥‥。目立つの苦手なのに‥‥‥。

私は盛大なため息をつき、階段に座り直した。


「こーなつ」


下から、私を呼ぶ声がした。

この声はもしや。


「た、高城、くん」


ニカッと笑いながら階段を登って来るのは、やはり高城くんだ。


「ここ、立ち入り禁止じゃね?」


そう言いながら、私の一段上に腰掛ける。


「屋上は立ち入り禁止だけど、屋上への階段は立ち入り禁止じゃないもん」

「ヘリクツ」


ボソリと呟く高城くん。

聞こえてるからね!?



私がここを見つけたのは、入学してから一週間くらいの頃だったと思う。心休まる場所を探し、やっと見つけたのはここ、屋上へ続く階段。屋上は普段、立ち入り禁止となっているため、ここへ来る人は少ない。だから見つけてからというもの、ここが私の居場所にげばとなった。



「——ここが、私にとって一番落ち着ける場所だから」



軽く呟いたつもりなのに、言葉が重くなってしまったような気がした。


「それって、教室に居にくいって、こと?」


すぐに答えたつもりだったけど、実際は多分、十秒くらい間が空いたんだと思う。


「どうしても教室にいるのが怖くて。私口下手だし、人見知りだし、話についていけないし。仲良くなってもハブられちゃうのかなって‥‥‥。そう思ったら、仲良い子なんてつくらなきゃいいんじゃないかって、そう思うようになって」


シン‥‥‥とした空気が流れ、なんだか気まずくてあたふたしてしまう。


「悪かったな」

「な、なにが?」


急に謝られ、上ずった声が出た。


「いや、勝手に話進めて結局その、昨日手に入れたばっかで使い方とかあんまよく分かってないはずなのに、能力で占いなんて、‥‥‥。小夏からしてみれば、いい迷惑だなって。クラスにうまく馴染めてないから、これきっかけで友達できたらいいななんて、ほっとけよって感じだろうなって」


一息で喋りだす高城くんについていけなくなり、まごまごする私。


「あ、あの‥‥‥」


やっとその言葉だけ絞り出して、スッと息を吸った。


「たしかにさっきは、何してくれてんの、って思ったけど‥‥‥。高城くんも悪気があるわけじゃなかったし、むしろ私のことを考えて提案してくれたことだったし。だからね、私、頑張ろうと思う。文化祭、うちのクラスが繁盛するように、一生懸命やるから。だから大丈夫だよ」


そう言って、安心させるつもりで、少しだけ、笑った。つもりだったけれど、ぎこちなくなった。でも、大丈夫だよ、気を追わないでって気持ちを込めて、とにかく笑った。

すると高城くんは、‥‥‥少しだけ頰を赤く染め、私からぷいっと視線をはずす。

私、なんか悪いことしたっけ。そう思ったが、特に気に留めず、手元の本に視線を落とした。


「その本、」


急に話しかけられてビクッと肩が動く。


「あ、ごめ。‥‥‥その本、好きなの?恋愛系」

「あ‥‥‥」


私はそっと手元の本に目を向ける。


『大好きなキミヘ』


‥‥‥思いっきり恋愛系の題名だ。


「私の好みじゃないんだけど。お姉ちゃんの本で。借りて読んでる」



——誰にも話しかけられたくなかったから。そんな惨めな理由、口が裂けても言えなかったよ。私のことを気にかけてくれる、優しい君には。

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