第128話 おまけ
「ねぇ、カズ兄、本当にヨシ君、千歳にチケット渡したんだよね?」
隣に座る桜は、辺りをキョロキョロ見回しながら聞いてくる。
「さっき控室行ったとき、『渡した』って言ってたろ?」
「でもさ… あ! もしかして、泣いてて来れないんじゃない? 千歳、奏介が行った後、毎晩泣いてたし! 探してくる!」
「座ってろって!」
慌てて腕を引き、無理やり座らせたんだけど、桜はカバンからスマホを出したり、立ち上がって辺りを見回したりと、落ち着きなく動き回る。
「もしかしたら、控室に行ってるかもしれないだろ?」
「どっちの?」
「知らねぇよ」
呆れかえりながらそう言い、誰もいないリングの上を眺めていた。
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今から数十年前。
俺がまだ高校2年で、キックボクシングに励んでいた頃。
親父が世界チャンピオンのタイトル戦で初防衛をし、『中田秀人』を打ち破った翌日から、ジムの入り口には人で溢れかえっていた。
その少し後に、プロテストに合格した光君が、新人王戦で優勝し、取材記者だけではなく、近所の女子高生たちが光くんを一目見ようと群がってしまったため、ジムの入り口は収拾がつかない状態になり、ジム会員は裏口から出入りするように。
「光、ミット打ちするぞ」
親父の掛け声で二人がリングの上に上がると、黄色い声援とともに、地響きが起こりそうな、低い声援までもがジムの中に響き渡る。
『うぜぇ…』
そう思いながらベンチに座ると、ジムの片隅ではポニーテールの髪を弾ませながら、黙々と縄跳びをしている妹の千歳の姿。
小学1年にも拘らず、駆け足飛びができるのは、親父が特訓したせいなのか、持って生まれた運動神経の良さなのか…
ポニーテールの髪を弾ませる、小さな後姿を眺めていた。
『様になってきたなぁ… 足は上がってないけど…』
ふと横を見ると、サンドバックを殴っている、小学6年になった弟の義人の姿。
『なんだこの兄妹。 つーか家族自体がおかしいのか…』
ベンチに座りながら二人の姿を眺めていると、親父が肩で息をしながら隣に座る。
「ちー、形になってきたな」
親父はそう言いながら、満足そうに千歳のことを眺めていた。
何も言わずに千歳を眺めていると、千歳の斜め上にある窓の外から、男の子がひょこっと顔を出し、千歳のことをじっと見始める。
『あいつ… また来てる… 毎日毎日…』
注意しに行こうと立ち上がると、親父が「あのガキ、また来てるな」と言いながら立ち上がる。
裏口のドアを開け、親父と二人で窓のほうへ向かっていた。
男の子は近くに停めてあった自転車を勝手に動かし、サドルの上でつま先立ちをしながら、窓の桟につかまり、プルプルと小刻みに震えている。
「おい!!」
男の子に向かって大声を出すと、その子はビクッと体を飛び跳ねさせた後、大きな音を立てながら、自転車とともに倒れこんだ。
「痛ぇ…」
親父は肘を抑える男の子に駆け寄る。
「大丈夫か? 危ないからこんなところに乗ったらダメだろ?」
「…前だと見えないし」
「あー、そっか。 あんなに居たら見れないわな。 血が出てるから、中に入って消毒するぞ。 こっち来い」
『関係者以外立ち入り禁止じゃ… いいのか?』
二人と中に入ると、親父は男の子をベンチに座らせ、救急箱をから消毒液を出す。
「毎日来てるけど、ボクシング、好きなのか?」
「うん。 この前、テレビで試合見た」
「そうか。 中田秀人好きか?」
「違うよ。 英雄だよ」
「お前なぁ… 英雄さんだろ? 言ってみろ」
「…英雄さん」
「そうだ。 英雄さんだ。 お前いくつだ?」
「6歳」
「6歳? ちーと一緒で1年か?」
「ちーって?」
「そこにいる俺の娘。 縄跳びしてるやつ」
「ちーって言うんだ…」
「そうだ。 ちーって言うんだ。 よし! 特別にミット殴ってみろ」
「親父」
思わず引き留めようとすると、親父は「いいんだよ」と言い、ミットを右手にはめた後、しゃがみながら男の子に「殴ってみろ」と切り出す。
男の子は立ち上がり、親父の構えるミットに向かってパンチをしていたんだけど、親父は「もっと! 全力で来い! もっとだ!」と、嬉しそうに声を上げ、男の子も楽しそうにパンチを繰り返していた。
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